第1話

文字数 2,057文字

  西暦2074年、或る日の夕暮れ。
 一人の若者が降りしきる豪雨に抗う事なく『西大門』で雨宿りをしていた。

しかし雨が止んだ所で、若者の帰る場所は無い。今後どうするかを思案し、途方に暮れていたのであろう。まずは、今日の寝床を憂慮していたのかもしれない。

『西大門』と云っても寺社の門では無く、何処にでもある様な焼肉屋である。若者は、その裏口に付いている下屋の下で、大きく膿んだニキビを摩りながら佇んでいた。
 
相変わらず雨脚は衰えない、簡易的な屋根に当たったしぶきが、若者の裾を容赦なく濡らしている。時折落雷の稲光が走り、伴う轟音は男の感傷的な心を、くすぐっていた事であろう。
 
 若者が、胸のポケットから煙草とライターを取り出した瞬間、裏口の扉が開き。

「あっ、いたいた。お前、仕事辞めるんだってなー……」

 同僚が薄笑いをしながら、右手で首を切る仕草をした。若者は、軽く苦笑いをして頷き、同じ仕草をして。

「店長カンカンに怒ってさー『今すぐ出ていけ!住み込みの寝床も、今日からは使わせねー』って。働いた給料、速攻で俺のマイクロチップに入金しやがった……」

 若者は、そう言って指に内蔵された、マイクロチップの入金表示画面を同僚に見せた。

「ヤバ、だったら店長との通信を解除しないと筒抜けだぞ……早く切れよ、悪口なんか言ったら俺まで巻き添えだよ……」

 聞いた瞬間、若者は慌てて通信を切断すると。深くため息をつき、煙草に火をつけた。

 日本では『煙草』を、22年前の西暦2052年から、どこでも吸える様になっていたのだ。
 人間の体内にマイクロチップを数か所埋め込む事により、病気の早期発見が出来。何より人工の脳、内臓や血液までもが普及し、人が死ななくなった為の措置である。

「サービスし過ぎたかな~『鼻が妙に赤い親分』俺に、凄く優しかったんだよ」
 煙草の煙を吐きながら、若者は悲しそうに言った。同僚は頷きながら『俺にもくれ』と、言わんばかりに、指を二本突き出して。

「今は注文から会計まで全て通信で繋がってるから、ごまかしは無理だろ―。しかも『和牛500g分の満足を得られるカプセル』なんて高価な物、無料であげたら店長じゃなくてもキレルだろ、普通に」
 と言い、うまそうに煙草を吸った。
 そして暫く沈黙が続くと、同僚は煙草を投げ捨て、靴で踏み潰し。

「鼻が妙に赤い親分の処へ、行こうか迷ってるんだろー。やめとけ……、悪い事は言わねー。赤鼻親分の会社は、製造禁止のマイクロチップを売りさばいているって噂だし、他にもかなりヤベー仕事しているらしいぞ。体にセットするだけで幻覚症状が出て、超快感を得られるけど、他の正常なマイクロチップを破壊するらしいぜ……。優しいったって最初だけだよ、奴らの手口さ」

 若者は俯き、無言で聞いていた。

 大方の予想は、ついていたのであろう。しかし『ヤバい』と知りながらも、未だに迷っている様である『茫然自失』と、いった方が正しいのかもしれない。

 そして降りやまない空を見上げ、同僚の肩に手をかけ。

「世話になったな、達者でな」
 昭和風の、別れを告げると。

 雨が、降りしきる中。傘もささずに、雨粒と霧が混じる街に消えた。
 

 いずれにしても『着の身、着のまま』で、職場を追い出され。僅かな小銭にしか持っていない、若者が縋る人物は、怪しい『赤鼻の親分』しか、いないであろう。
 オートメーション化が進み、人手の募集など皆無に等しい。凡庸で、何一つ技術を持たない人間は、自ずと淘汰されるしかない御時勢なのだ。

 若者は雨に濡れながら歩いている、行くあてがあるといえばある。
 しかし一抹の不安であろう、若者の足取りは重い。

 数十年前、ミサイルを各地に打ち込まれ、戦争は免れたものの、疲弊している日本国では、盗賊や反社会的勢力が横行している。国家権力も、その者たちの所業を止める力を失っているのだ。

 状況は、平安時代末期と変わらないか、それ以上に悪いであろう。

 若者が、立ち入り禁止区域の、進入禁止ロープ沿いを歩いていると。

 鉄筋コンクリート造で、錆びた鉄筋がむき出しになっている建屋があり。その朽ちかけたビルの中から、一筋の明かりが見えた。

 此処は数十年前、ミサイルが落とされた中心部で、今でも何を恐れてか、立ち入り禁止になっている区域であり。警察も立ち入り調査など、一切していない『無法地帯』である。

  最近では『世捨て人を集め、命にかかわるマイクロチップを抜き取り、抜かれた人間を、山積みに放置している』などと、恐ろしい噂まで流れている。

 しかるに、それを良い事に『悪い者たちが、悪いものを隠し、悪い取引している』と、思われる建屋が点在しているのだ。
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