2-7 兵士は軍歌を好む

文字数 5,022文字

 アルコール度数の高いその酒を、すいすい飲んで顔色一つ変えないシェスティンに、スヴァットは呆れた瞳を向けていた。赤毛の女が戯れで指先に一滴だけつけて差し出したものを舐めてみたのだが、それだけで喉は焼けるようだったし、体温はかっかと上がった。
 猫という小さな体に押し込められてはいるが、元々彼だって酒は弱くなかったのに。酒場で荒くれたちと飲み比べで賭けをして、荒稼ぎしていた頃が懐かしい。ひとつ息を吐いてリンゴを齧りながら、シェスティンには勝負を挑むまいと心に決めたスヴァットだった。



 朝の光もまだ柔らかだった。雨は止んでいるようで、どこかで鳥の声がしている。
 うっすらと目を開けたシェスティンに、川の字になって寝ていた赤毛の女の豊かな胸元に顔を埋めて、小さく喉を鳴らしているスヴァットの姿が飛び込んできた。
 今すぐ引っ掴んで起こしてやろうかとも思ったのだが、女の幸せそうな寝顔になんとか思いとどまる。シェスティンもその体温を抱えて眠るのは幸せだったのだから。

 そっとベッドを抜け出して街を見下ろす。朝市に向かうのだと思われる籠を手にした主婦の姿に加えて、ちらほらと武装した男たちが広場の方へと向かっていくのが見えた。
 シェスティンは手早く身支度を済ませると、悪いとは思いつつスヴァットと女を揺り起こす。

「すまない。今日、広場で何かあるのか知ってるか?」
「え? 広場?」

 寝惚け眼を擦りながら、女は半身を起こして窓の方に顔を向ける。

「武装した男たちがそちらに向かってるみたいなんだが」

 ちょっとぼんやりしたまま動きを止めてから、女はああ、と頭を掻いた。

「出発式じゃないかな。今日だった気がする」
「そうか。ありがとう。ちょっと行って見学してくるよ。風呂と寝床、助かった」
「え?! もう?」

 荷物を背負うシェスティンに驚く女の傍で、スヴァットが大きな欠伸をして毛繕いを始めた。彼女は半眼でそれを睨みつけ、そっと付け足す。

「何なら、スヴァットは残ってもいいぞ。随分

もらったもんな」

 びくりと身体を震わせて、スヴァットは慌てたようにシェスティンに駆け寄り、甘えた声を出しながら足の間を八の字に身体を擦り付けて歩く。
 シェスティンには『人魚の涙』はどうでもいい物だ。このまま竜討伐について行って成り行きを見守りたい気持ちもある。見られたというのが白い竜だというのなら、ラヴロが見間違えられたということはないだろう。だが、しらみつぶしに探す気なら彼の許へ捜索の手が伸びないとも限らない。

 ラヴロは面倒臭がりだが容赦はない。分散した一個小隊くらいなら、大丈夫だとは思うのだが……
 そんなシェスティンの心中を察したのか、スヴァットは必死に何かを訴えている。

「やっぱり飼い主が一番だよね。ふふ。あたしも猫でも飼おうかなぁ」

 娼館に身を寄せている女には、そんな余裕も場所も無い筈なのだが、黒猫との一晩はとても楽しかったようだ。シェスティンは色々な言葉を飲み込んで、仕方なくスヴァットを抱き上げ、昨日のようにローブに隠した。

「また買ってくれよ」

 肩にカーディガンを引掛けて、出口まで見送りに来てくれた女はにっこりと笑った。

「いつも懐に余裕があるわけじゃないからな。次はスヴァットだけ貸し付けるよ」
「なんだい。冷たいね。あれだけ払ってるんだから、次は安くするよ?」
「そうだな、じゃあ、もしも行商の薬師に会うことがあったら、良くしてやってくれ。彼なら相談にもきっとのってくれる。酒はそれほど強くなさそうだったが」

 女は首を傾げて瞬いた。

「薬を売ってる行商人がいるのかい? あんたの元彼かなんか?」
「いや。前の街でちょっと世話になったんだ。この街にもそのうち寄るはずだから」
「ふぅん。面白そうだから、覚えておくよ」

 頷いて、シェスティンはじゃ、と片手を上げた。
 女もドアに寄りかかりながらひらひらと手を振る。スヴァットがシェスティンの腕から抜け出して肩まで駆け上り、女に向かって一声鳴いた。


 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇


 広場には一種異様な雰囲気が漂っていた。ぴりぴりとした緊張感と高揚感。そういうものがないまぜになって辺りを包んでいる。
 シェスティンはそんな傭兵たちの間を注意深く進み、話しかけやすそうな人物を探していた。

「なぁ、これは何の祭りだい?」

 彼女は腕を組んで仁王立ちしていた、比較的落ち着いて見える男に声を掛ける。

「あぁ?」

 男はぎろりとシェスティンを見下ろして、しばらく繁々と眺めていたが、やがて視線を前方に戻した。

「竜討伐に出るんだよ。その出発式をやるから集まれって言われたのさ」

 ぶっきら棒ではあるが、律儀に答えてくれる。当たりだなとシェスティンは唇の端を持ち上げた。

「竜討伐! それは、報酬も結構いいんだろうねぇ。ワタシも参加できるかなぁ」

 はぁ? と男はもう一度シェスティンに一瞥をくれ、鼻で笑った。

「やめとけやめとけ。その細腕で何をしようってんだ。竜に辿り着く前におっ死ぬのがオチだ」
「でも、報酬はいいんだろう? 稼ぎたいんだよ。勝手に混ざっていけばいいかなぁ」
「馬鹿言え。ちゃんと騎士団に申告して名を残しておかないと報酬はおろか、薬ももらえねぇぞ」
「薬?」
「一時的に身体能力を上げる薬だそうだ。前金代わりに配られてる」
「へぇ」
「ほら」

 男は広場の入口を指差した。

「あれがここの騎士団だ。行く気があるなら出発式の後にでも声を掛けてみることだな」

 銀の鎧に身を固めた一団が、鉄砲や槍を手に足並みそろえて広場に入ってくる。先頭では、馬に乗ったオールバックの中年が周囲の傭兵達に目を光らせていた。

「わかったよ。ありがとう」

 シェスティンは目立たぬように広場の端に移動すると、野次馬にまぎれて騎士団の動きを見守った。
 広場の中央にはお立ち台が置かれ、その前に騎士団の面々が整列する。それに倣うように傭兵たちもなんとなく中央に注目して背筋を伸ばした。オールバックの中年は馬の上からお立ち台の上に場を移すと、広場に響き渡る大声で朗々と言葉を紡ぐ。

「諸君! 百数十年ぶりのこの機会によくぞ集まられた! 我々はこれから『白き竜』を討伐しに向かう! 道中の困難は予想されるが、怯まずに突き進め!」

 応! と揃った声が応じ、騎士達は手にした槍の柄尻を地面に叩きつけた。

「ノルスケン歴八三四年、鋭い爪と鋼の皮膚を持ち炎を吐く黒鉄(くろがね)の竜は三つの街を滅ぼした!」

 続く前回の竜討伐の物語にも騎士達は要所で武器を打ち鳴らす。次第に傭兵たちもその雰囲気に飲まれ、見よう見まねで声を出し始めた。
 物語が佳境に入り、見事竜を討ち取ったところで前に並んだ旗持ちが、その青い旗を一斉に高く掲げる。壇上の中年はそれを合図に歌を口ずさみ始めた。勇ましいその歌は次第に騎士、傭兵と口にする人数を増やし、終いには見物人も巻き込んで広場を一体化させた。

「神は我らと共に!」
神は(ゴッド)我らと(ミット)共に(ウンス)!!」

 鬨の声と共におおお、と空気が震える。
 回れ右をした団体は熱気を持ったまま整然と入ってきた通りへと出て行った。シェスティンは後に続く傭兵たちを掻き分け、壇上から降りて、乗ってきた馬にまたがろうとしている中年男性のもとへと急いだ。

「すみません」
「なんだ」

 鋭い視線でシェスティンを見下ろし、その男は眉を寄せた。周囲に立っていた兵士が槍を手にシェスティンと男の間に一歩進み出る。

「この討伐に参加するのは今からでも間に合いますか?」

 兵士たちは一瞬顔を見合わせて、我慢できないというように口元を緩ませた。が。馬上の男だけは鋭い視線も険しい表情も崩さずに答える。

「生きるも死ぬも自己責任だ。死ねばその場に討ち捨てていくことになる。それでもいいというのなら、アーベル、手続きをしてやれ」

 指示を出すと、男は馬首を巡らせて騎士たちの後を追って行った。アーベルと呼ばれた青年は馬陰にいたらしく、中年男性が行ってしまってようやく姿が見えた。ここに並んでいた騎士や傭兵たちに比べるとやや細身で、槍の代わりに何か書付けを手にしているようだった。

「本当に手続きするのかい?」

 数歩近づき、青年はシェスティンに確認する。

「ああ。頼む」
「ではこちらに名前を」

 書付けとペンを渡されて、シェスティンはそこにサインする。青年の値踏みするような視線には気付かないふりをしていた。

「……シェスさんですね。その恰好では軽装過ぎると思うのですが、大丈夫ですか? 多少なら装備もお貸しできますが……」
「問題無い。下手に着けると動けなくなるんでな」
「……そうですか。男性の多い行軍ですがその点については? こう言ってはなんですが、寄せ集め感があるのは否めません。我々の目が届かないこともあるかと」
「それも、問題無い。ワタシは呪われてるからな。手を出そうとするやつは皆死んじまうんだ」

 肩を竦めておどけるシェスティンに青年は不審そうな目を向けた。

「折角の手駒を減らしたら悪いな。先に謝っておくよ」
「――では、とりあえずこちらを」

 聞かなかったことにするように、青年は話を進める。薬の包みを一包と、青い、腕の長さくらいの細長い紐状の布を差し出し、シェスティンがそれを受け取ると、自分の左腕が彼女によく見えるように体勢を変えた。

「薬は飲んでからしばらくのあいだ身体能力が向上します。ここぞという時にお使いください。こちらの布は、このように左腕に見えるように巻いておいて下さい。討伐隊の一員を証明するものですので失くさないように。失くされたときは全ての恩恵を受けられなくなります。食事は配給でその布が無ければもらえません。行軍は先発隊、後発隊に分かれ、さらに陸路と水路でまずは『ヨユングフラン』に向かいます。布を見せれば馬車も船も乗せてくれる手筈になっていますので、お好きな方で移動して下さい。先発隊に志願するなら馬をお貸ししましょう。『ヨユングフラン』では隊を組むことになっています。これと同じような布で黄色い布を巻いた者が隊を率いることになるので、道中分からないことがあれば彼らに聞いていただければよろしいかと。以上、大まかな説明でしたが質問はありますか?」
「『人魚の街(ヨユングフラン)』での宿というか集合場所は?」
「この布を目印について行けばわかると思いますが、街の北側の原に拠点を作る予定です。その後の話はそちらに着いてからということで」
「了解した。もう他の者はあのまま出発なのか?」
「そうですね。順次。一部は駐屯地まで戻ってから騎馬隊が先行する予定です」

 シェスティンはふんふんと頷く。

「お手数をお掛けした。あなたは戻らなくて大丈夫なのか?」
「私は居残り組ですので、ご心配なく」

 微笑む青年にシェスティンも笑い返して、では、と踵を返した。広場を出る頃、腕の中からスヴァットが抜け出し、並んで歩きながらシェスティンを見上げて不満気な声を上げる。

「なんだ? 『人魚の街』まではちゃんと行くぞ? どうせそう簡単に見つかるもんじゃない。竜も人魚もな」

 んな! とまだ不満気にスヴァットは鳴く。辺りをそっと見渡して、シェスティンはスヴァットを抱き上げ、その耳元に口を寄せた。

「大丈夫。竜討伐は適当なとこで抜けるから」

 スヴァットは色違いの(まなこ)を見開いてシェスティンを見つめる。彼女は黒猫を自分の肩の上に誘導すると、さらに続けた。

「薬が欲しかったんだ。あの薬師が追ってきたら調べてもらおうと思って。何が入ってるか、気になるだろう?」

 スヴァットはまだ複雑そうにシェスティンを見ていたが、納得はできたのか、にゃ、と短く鳴いた。

「じゃあ、どっちで行く? 船がいいか、馬車がいいか」

 シェスティンはスヴァットの前に人差し指、中指と順番に突き出して見せた。スヴァットはちょっと考えて『船』で出された人差し指の方にちょんと触る。

「船だな? じゃあ、川の方で」

 船着き場の場所を人に聞きながら歩いて行くと、青い布を左腕に巻き付けた傭兵が確かにいる。そういう人物にさりげなくついて行くと、やがて人でごった返す船着き場に着いた。
 窓口で乗れるか聞けば、最初の便はもう埋まってしまったので、その次の便ならと整理札のような物をもらった。
 次の便までは一時半ほど。これでも臨時で増便しているらしい。シェスティンは色々諦めて、壁際の一角を陣取って座り込み、フードを目深に被って目を閉じるのだった。
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登場人物紹介

シェスティン


 主人公。死ねない。年を取らない。

 常にあちこちを旅している。

 本人は呪いだと言っているが、呪いを感知できる竜は呪いではないと言う。


 イラストは 深海さん よりいただいたもの

 (表紙イラストは さかなさん からのいただきもの)

スヴァット


 非常食にしようと思っていたウシガエルが変身した?!

 どうやら多くの呪いにかかってる模様。シェスティンと呪いを解く旅に出る。

 月の光に当たっている間だけ……


 イラストは作者落書き

ラヴロ


 竜の生き残り。かつては『孤高の竜』と呼ばれていた。

 洞窟の奥深くにひっそりと暮らしている。シェスティンとは長い付き合い。

 真実の名前をシェスティンに預けている。


 イラストは pendleburyannetteさんによるPixabayからの画像 (著作権フリーのもの)

トーレ


 行商をしているが、実は薬師。お人好しで少々危なっかしい。

 シェスティンが竜の鱗を持っていると知って、何やら画策するのだが……


 イラストは 樹里さん よりいただいたもの

時紡ぎ


 大陸に残るおとぎ話に出てくる、時を紡ぐ存在。

 お姫様に恋をして、仕事が手につかなくなる。お話のラストにいろいろなバリエーションがあるが、ハッピーエンドは少ない。


 イラストは作者落書き

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