第2章・雛

文字数 15,206文字

 孵化から半日が経ち、最初の餌を与えねばならなかった。
 雌鶏は箱の上から動かなかったので、その間にディオンは休んでいた。逆に言えば、雌鶏の存在は正直、その点では有り難かった。本来ならば、雛の保温に気を遣わねばならないところだった。
 戦士の館の厨房から、新鮮な羊の肉や内臓を貰って来た。
 それをすり潰すと、喧嘩になろうとも雌鶏を押しのけ、雛には鷲の餌を与えねばならない。
 しかし、案外、すんなりと雌鶏は木箱から離れた。大きな目をした灰色の雛が、首に比して重たげな頭をふらふらと揺らしていた。
 じゅいぃ。
 雛が鳴き、ディオンは慌てて餌を匙ですくった。
 ほんの少しだけ、食べさせてみる。
 初餌はほんの少しで構わないと言われていた。まだ喉元の素囊(そのう)が小さい為、負担をかけてはいけない。
 食いつきは良かった。後はこれを素囊が空になる毎に繰り返し、徐々に餌の量を増やして行く。
 餌をやり終えるや、雌鶏はさっさと雛を暖めにかかった。
 鶏の雛は孵化してすぐに歩き出し、自分で餌を採る事が出来る。だが、鷲の子はそうではない。鶏の本能から言えば、歩かない雛は育たない雛だ。だから、これは鶏の行動としては有り得ない事であった。
 その日の内に、ディオンは珍しく家令の訪問を受けた。
「雛が孵ったそうで」家令は言った。「これをお館様より預かって参りました」そう言って羊皮紙の冊子を差し出した。「これから給餌毎に雛の体重を量り、記録しておくようにとの事です。体調の変化に気付きやすくなるので、雛が一人餌になるまで続けるようにと仰言っておられました」
 冊子を受け取ると、ディオンは中を少し見た。祖父、父、そして兄の鷲の記録がそこにはあった。
 空白の部分の前は、兄の鷲が死に到るまでの記録だった。最後には僅かに震える文字で「死亡」と記されていた。父の筆跡だった。
 栄誉ある死など存在しない――文字は雄弁にそう語っていた。偉大なる戦士である父にとってさえ、兄の死は哀しみに満ちたものなのだ。族長として、それは表には出せないのだという事を、ディオンはこの時、知った。
 三日も経つと、ぺっちゃりと木箱の底にへばりつくようにしていた雛が、給餌の時以外でも頭を上げるようになった。そろそろ外にも連れ出せる。訓練を再開する時だ。
 ついてこようとする鶏を何とか小屋に閉じ込め、ディオンは訓練場へ向かった。
 ディオンの卵が孵化する時には、皆はもう、雛を連れて来ていた。木箱には半分、蓋をし、中には布でくるんだ湯たんぽを入れて雛が冷えないようにする。給餌の時間は殆どの者が既に決まっており、一斉に賑やかな雛の鳴き声が聞えてきた。
「気になるか」ロスキルはディオンを地面にねじ伏せて言った。「すっかり、こちらの方がお留守だな」
 そのままの姿勢でディオンは溜息をついた。
「人と自分を較べても意味のない事くらい、お前にも分っているだろう。鷲も同じだ。人の鷲の成長と、お前の鷲の成長とは違って当然だろう。性格も人間のようにそれぞれ異なっているのだからな。要は、如何に強い絆が結べるかだ」
 ロスキルはそう言うとディオンを解放した。
 そして、傍らにうずくまると静かに言った。
「なあ、お前はお前だ。お館様でもヴァルガ殿でもない。最初はヴァルガ殿も父君と自分とを較べておられたが、別人なのだから仕方がない事だと気付かれた。お前も、その事を忘れるな」
 その顔は穏やかだった。
 ロスキルの風貌は金の髪に青い眼という、典型的な北海の民のものであった。だが、戦士らしからぬ優しげな顔立ちをしていた。他の見習いにしてみれば、ロスキルは優男風で少々、頼りなげに見えるらしい。だが、ディオンはその眼光が、時には恐ろしくなる程鋭くなる事を知っていた。
 ディオンは起き上がり、ロスキルを見た。
「さて、では今の技について教えてやろう」
 にっこりと笑ってロスキルは言った。


 訓練を終えて戦士の館に入ると、戦士長がディオンを待っていた。
「お前の鶏が小屋で随分と暴れていたそうだ」
 自分の鶏ではない、と言いたかったが黙っていた。「迷惑だから、引き取ってこい」
「でなけりゃ、今夜の夕食だな」
 誰かが言い、広間は笑いで包まれた。赤くなってディオンは鶏小屋へ向かった。けたたましい鳴き声と、壁に蹴りを入れているらしい物音がする。慌てて小屋の扉を開けると、例の鶏が飛び出してきた。そして、ディオンが持っている木箱を見るや、ディオンの脚を突き始めた。
 痛い思いをしながらディオンは戦士の館に戻った。そこでは既に夕食が始まっていた。ディオンが箱の蓋を開けると、すぐさま雌鶏が雛の上に乗った。ディオンは雌鶏をひと睨みすると見習いの仕事でもある給仕にかかった。
 その夜、ディオンは雛の本当の親を思った。
 海鷲は巣を崖に作る。そして、大抵は第一卵から雄と雌とが交代で抱く。鷲の卵を採るのは、戦士が数人がかりでの仕事になる。長年、営巣している鷲は心得て襲っては来ない。だが、若い――或いは初めての営巣では鷲の方も必死で巣と卵を守ろうとするため、戦士も生命がけになる。それも、見習いの為に。
 採卵の方法は至って簡単だ。一人が身体に綱を結わえ、二人で降ろす。親鷲の攻撃がある際には戦士の鷲が防御してくれる。神聖だの何だのと言ってはいられない。無事に卵を手に入れたとしても、一卵の時もある。五卵採れれば一腹なので大喜びだ。それを巣毎に繰り返すのだ。気の立った鷲に襲われる危険があるので子供は同行させないのが常であったが、ディオンは父と共に採卵に何度も連れて行って貰っていた。いずれは族長となる兄を支え、戦士の中枢を担う事を約されていた。
 いつかは自分も、採卵に参加する事があるのだろうか。
 だが、卵を盗られた親鷲は、どう思うのか。
 雌鳥でさえ、半狂乱になって雛を探した。
 最早、ディオンはこの雌鳥を雛から引き離す気にはなれなかった。
 この雛の親は若かったのだろうか。それとも、もう、何度も採卵されているような落ち着いた鷲だったのか。
 いずれにせよ、卵を盗られた親鳥はすぐに次の産卵をする。それで鳥の中では計算が合うのだろうか。鶏のように、なくなった卵の事はすぐに忘れてしまうのだろうか。いつまでも憶えているのだろうか。
 人間は、いなくなった者の事を簡単には忘れない。哀しみはいつまでも付きまとう。
 ディオンにしてからが、そうなのだ。両親にとって、二十一年も育てた長子を失うというのは、どれ程の哀しみと喪失をもたらしたであろう。二人は決してそれを見せない。戦いの場での死は讃えられるられるものでこそあれ、哀しまれるものではない。それが、北海の民の生き方だと教わって来た。死は、いつでもそこにあるものなのだ。だが、兄がいないという喪失感は消える事がない。それは、鷲の雛が手元に来たという喜びとは別の部分で、確かに存在していた。
 自分は特別に心が弱いのだろうか。
 ディオンは寝返りを打ちながら思った。
 だとしても、その気持ちを捨ててまで強くなどなりなくないと思った。兄は勇敢な戦士であったと誰もが讃える。しかし、その不在の穴を埋める事は誰にも出来ない。日々の、ふとした時に思い出す兄の様々な言動を忘れる事も、綺麗事で飾り立てる事も出来なかった。それならばいっそ、弱い奴だと言われてもいい。族長の地位など、もっと強い者が継げば良いのだ。父がどれ程自分に期待をしようと、戦士達が自分を推してくれようとも、族長という地位は、ディオンにとっては飽くまでも兄の為のものであった。
 雌鶏と雛とを引き離せないのが、その心の弱さなのかもしれない。
 だが、無理に引き離すほどの事でもないだろうという気持ちもあった。
 この雛が雌鶏よりも大きくなり、もっと肉を――血の滴る生肉を欲するようになれば、雌鳥の方から離れて行くだろう。それは多分、あっという間だ。自らが餌になりたくなければ、さっさと見切りをつけるだろう。
 その時、雌鶏の心は傷付くのだろうか。
 ディオンはどきりとした。
 それは却って残酷な事ではないだろうか。
 今は幸せそうに雌鶏はうつらうつらしている。
 その雌鶏が、打ちひしがれて訓練場の小屋へと戻される姿は見たくはなかった。こんなにも幸福そうなのに。
 しかし、鶏と鷲はいつまでも親子ごっこを続けてはいられないのも確かであった。


 翌日から、ディオンは雌鶏を引き連れて訓練場に行くことになった。
 当然、見習い戦士の笑い者だった。
 正戦士は何も言わなかった。戦士長も特に咎めだてはしなかった。それが、自分が族長の息子であり次の族長候補であるからかどうかは分らなかった。だが、戦士長はそのような人ではないとディオンは信じていた。見習いがそのような事を示唆しようとも無視するだけだからだ。
 また、戦士の館に入る時に母からも言われていた。
 ――あなたのこと、馬鹿にして笑う人がいても相手にしてはなりませんよ。でも、危害を加えられた時には反撃を許します。
 反撃を許す。
 まさか、母の口からそのような言葉が出るとは思わなかった。しかも穏やかな口調で。さすがは荒鷲エルディングの妻だ。ディオンはこの人から茶色がかった金の髪と緑の目を受け継いだ。
 いつもと変わらぬ座学と実地訓練。その合間に雛の餌やりをする。
 随分としっかりとしてきたが、ディオンの雛はまだまだ小さく、餌の時以外は雌鶏の腹の下にいるせいなのか、ぺったりと箱の底に座り込んでいた。他の、日齢の進んだ雛は皆、身体を起こしている。雌鶏の重みで潰れないかと心配だったが、ロスキルはそれを一笑に付した。
「そんな事を言ったら、お前、鶏の雛は皆ぺしゃんこだろうが」
 確かに、一理あった。それで心配の全てが払拭された訳ではなかったが、杞憂はやめにした。
「雛は順調に育っているようだ。お前の場合、雌鶏が温めてくれているから、その点は安心だな。これは良い事だ。大抵の雌鶏は孵化した雛に愕いて、こんな風に面倒を見てくれない。胆の据わった奴だ」
 ディオンは嬉しくなった。少なくとも、この雌鶏の存在を認めてくれている人はいる。
「よかったな、お前」
 いつまでこの親子ごっこが続くのかは分らなかったが、ディオンは雌鶏を撫でた。
 また、ディオンが雛に餌をやり、剣帯から下げる携帯用の筆記具と秤で雛の体重を記録していると、一人の戦士が言った。
「その記録は良いな。ヴァルガ殿の時にもそう思って餓鬼どもにも勧めてはみたが、やはり、皆、続かぬものでな。お前はしっかりと記録しておく事だ」
「はい」
 それにしても、とディオンは思った。同い年の従兄が記録を付けている姿は見たことがなかった。雛の体重を量る様子も、なかった。それでも順調に育っているのだから、心配はいらないのだろう。
 話をしたくとも、従兄も他の新米見習い戦士達も、ディオンとは親しくはなりたくなさそうだった。その理由は分らない。ディオンが族長の子だからと言って、ここでは特別扱いされる事はない。戦士の世界は実力がものを言う。
 そして、伴侶の鷲が。
 その点では。ディオンは確かに落ちこぼれだっただろう。
 最も背が低く痩せており、長剣使いも他の者とは違う。鷲の雛は孵化が遅れた上に、鶏の世話になっている。
 幼い頃は、皆とも良く一緒に遊んだものだった。友人だと思っていたのが、急に敵に回ってしまった。今では従兄のイヴォルダスを筆頭に、ディオンを無視したり笑い者にしたりする。最初の孵化ではなかったが、イヴォルダスの鷲が最も立派に育っているという事もあるだろう。
 父の弟が家長のイヴォルダスの一家とは、どういう訳かここ数年、余り上手くは行っていないうようだった。当然の事ながら、それは従兄弟との関係にも影を落としていた。一方的に敵対視されるのは厭な気分だったが、その理由が分らぬ以上はどうしようもなかった。父と叔父の不和が部族に影響を与えていないのなら、自分は我慢すべきなのかもしれない。
 鷲の雛は順調に体重を増やしていった。
「名は決めたのか」
 ロスキルの言葉に、ディオンは完全にその事を失念していた事に気付いた。
「――まだです」
「生涯の友だからな、慎重になるのは良いが、早めに名付けて呼んでやると懐くのも早い。良い名を付けてやれ」
 どうしてそんな重要な事に気付かなかったのか。ディオンは自分を恥じた。この雛はどうしても自分のものというよりは雌鶏のものという気がしてならなかった。愛着がない訳ではない。雌鶏が給餌の時以外は離れようとしないせいなのかもしれない。だが、雛は本来、自分が責任を持って育てなければならないのだ。これは、怠慢だった。
 父の海王、兄の青龍。祖父は青嵐だった。それらに並んでも、見劣りせぬ名を考えてやりたかったが、いつも箱の底で平べったく寝そべっている姿からは、どうしても良い名が浮かばなかった。
「お前は、何と呼ばれたいんだろうなあ」
 つい、そんな言葉が口をついて出る程だった。皆は、もう既に雛に名付けている。それを羨ましいとは思っても、仕様のない事だった。この雛に相応しい名は見つからなかった。
 最初は灰色の産毛に包まれていた雛が、やがて濃い色の綿毛に包まれる頃になると、もう雌鶏の腹の下には納まらなくなっていた。それでも、雌鶏は付いてきた。そして、大きくなった雛を守ろうとするかのように、ぴったりと寄り添っていた。
 給餌の際には雛を離れ、自分の餌を採るが、決して遠くに行く事はなかった。
 戦士達は調教の時以外は自分達の鷲を放していたが、きちんと躾けられている為、自由にしながらも家禽や家畜を襲う事はない。唯論、ディオンの雌鶏が近くにいようとも襲わない。
 戦士の鷲は、休みたい時には訓練場の木立や専用の架に止まっていた。飲水や水浴用の容器も用意され、その管理はもう少し年長の見習い戦士の仕事だった。餌は絆を結んだ戦士か、その家族の手からしか受け取らない。
 ディオンはロスキルの赤目を間近で見せてもらった。
 その名の通り、他の鷲よりも目が赤っぽかった。体色は他の鷲と変わらなかったので、それがこの鷲の個性なのだろう。
 赤目は精悍な顔立ちだったが、海王よりも大きい事からも雌だという事が知れた。その飛翔も力強く優美で、その時、初めてディオンは、余り良くは言われていないが雌の鷲も悪くないと思った。
 どちらにせよ、巣立ちを迎える頃には大体の雌雄は分る。明らかに体軀が大きければ、雌だ。
 ディオンはロスキルの補助で赤目を腕に据えさせて貰ったが、その重さにまだ耐えられなかった。
「いきなり成鷲を使う訳ではないから、安心しろ。大の男でも鷲を腕に据え続けるのは大変だ。だから、皆、両肩に脚を跨らせて乗せるのだ。その方が負担は少ないからな。船の上では丁字の止まり木に止まる事もあれば、帆桁にいる事もある。飛んで船を追う姿は見事だぞ」
 出航の様子しか知らなかったディオンには、それは想像の埒外だった。島を出る際には戦士は櫂を漕ぎ、その間、鷲は空を舞っている。例外は父や戦士長、船長と言った特別な人々だ。その鷲は主の肩に止まったままだ。帆を張るときにはそんな鷲も飛び立つと言うが、実際に船上から見た事のないディオンには想像もつかなかった。
「鷲の調教や使い方も、基本は俺が教えてやろう。だが、その先はお前が自分で考えていかなくてはならない。こいつの特性や長所を最もよく知るのはお前だ。俺は、訊かれれば教えもしよう。俺の手に余るようなら、こいつの特性に合った、もっと立派な鷲使いに教示してもらえるようにも、してやろう。だが、それだけだ。こいつの生命にも、お前は責任のある事を忘れるな」
 長い間にわたって鷲の一族に蓄積された知恵。それも結局は基本的な事にとどまるのか。女性が子供を育てるように戦士は鷲を育てる。それぞれに個性の異なる兄弟姉妹を育てるのに較べれば、まだましなのかもしれない。十二歳の子供が育てるとは言っても、一生に一羽。それも六年だけだ。ディオンは姉達を思い浮かべずにはいられなかった。よくぞ、自分や兄とは性格の異なる姉達を母は育ててきたものだ。鷲の戦士が奥方に頭が上がらぬのも、むべなるかなである。
 海鷲の雛の成長は早い。ひと月くらいで雌鶏と変わらぬ大きさにまで育った。それでもまだ、あの鶏と共にいる。その為、ディオンは雛用の木箱を大きな物に変えねばならなかった。
 そこからは成長は緩やかになる。完全に巣立つまでには、半年近くかかる。
 訓練場ではゆっくりと見る暇はなかったが、ディオンは箱の中で仲良く身を寄せ合っている二羽を見るのが楽しかった。
 天敵のはずの鷲と鶏とが、本当の親子のようにぴったりとくっついて微睡(まどろ)む姿は、平和そのものであった。
 その内、鷲が鶏を大きく越える大きさに成長する。雄で二貫目、雌なら二貫目半にはなるだろう。その重さを、両肩で受けねばならない。それでようやく若鳥だ。成鳥になれば、もう半貫目くらいは増える。そこまで成長するのに六年。やっと遠征への参加を許されるのだ。
 十八歳から五十歳。
 それが、族長と副官、戦士長以外の遠征の参加条件だった。
 鶏の寿命からして、そこまでこの雌鶏が生きている事はないだろう。果たして巣立ちまで、鷲がこの雌鶏の存在を許すかどうかも分らない。
 哀しいものだとディオンは思った。
 雌鶏は愛情を注いでこの雛を育てているつもりなのだろう。だが、雛は鶏とは同類ではない。この雌鶏を、いつか獲物として見る日が来るだろう。それが、鷲というものだ。
 報われない。
 そう、ディオンは思った。
 そんな事はなくてよ。
 ふと、そんな声が聞えた気がして、ディオンは顔を上げた。雌鶏がじっとこちらを見ていた。
 そんな事はなくてよ。無事に育つなら、あたしは犠牲になっても構わない。それが、あたしの親としての最後の務めなら。
 雌鶏がそう言っているような気がした。
 そして、雛は甘えるようにそんな雌鶏に顔をすり寄せていた。
 そんな事にはならない。だから、母さん、ずっと傍にいて。
 ディオンの耳には確かにそう聞えた。そして、この鷲は雌だと直感が教えてくれた。
 雛の目は、黒く輝いていた。
 その目の中に、ゆらめく蝋燭の灯りが反射していた。
 凍てついた冬の夜空に輝くような目。決して揺らがぬ極北星のような目。幼い雛の筈なのに、底知れぬ叡智を秘めた目だった。
「お前は冬星だ」
 気が付けば、そう言っていた。
 それに応えるかのように、雛は甘えた声を出した。
 名を受け入れたのだと、ディオンは理解した。


 昨夜の不思議な体験を、ディオンは恐る恐るロスキルに話してみた。夢でも見たのだろうと笑われるか、気でもおかしくなったのいではないかと思われるのではないかと不安だった。だが、ロスキルは真剣な顔で聞いてくれた。
「それはお前、絆が出来ている証拠だ」ロスキルは言った。「俺もたまに赤目の言葉が聞えて来る事がある。鷲がこちらの言葉や指示を理解できるように、鷲の言葉を人間が聞いてもおかしくはないだろう」
 まあ、鶏に関してはどうだかな、と言った。
「冬星か。良い名だな。北海の王者に、族長に相応しい美しい名だ」
「僕はまだ、父の後継者として認められた訳ではありません」
 ディオンは声を落とした。
「いや、こいつは今にどの鷲よりも立派になるだろう。この太い脚を見ろ。そして、こいつがお前を成長させてくれる。俺の言葉だけでは頼りないだろうが、必ず、お前は素晴らしい族長になるだろう」
 冬星が立派な鷲になる姿が想像出来ないように、自分が大人になった姿など思った事もなかった。ましてや、族長とは。父の族長船に乗り組む事が出来れば僥倖だというのに。
 そう、腕を組み、肩に海王を止まらせて舳先に立つ父を、どれだけ憧れの目で見つめてきただろう。誇りに思った事だろう。その傍らの兄を、どれ程羨ましく思った事だろう。
 いつかは自分も、あの二人の側にいたい、と思ったものだった。
 その夢は叶わなくなった。
 兄はもうこの世の人ではない。
 神々に愛されたから、と人は言う。だが、それはディオンには慰めにはならなかっら。
 他の人々はそう思って夭折した人を美化するのだろうか。そこに慰めを見出せるのだろうか。人間としても戦士としても立派なのならば、なぜ、人々を導く為にこの地上に留め置いてはくださらなかったのか。
 ディオンには分らなかった。
 鷲神はそう言った問いかけに答えて下さらない。
 兄も青龍も、鷲神に愛されすぎたのだろうか。常に側に仕えるようにと、彼方へとその魂を連れ去られたのだろうか。
 次期族長であったというのに。
 ディオンはエリアンドの娘を思い出した。
 あなたは死んではだめよ。
 あの女性は哀しんでいた。若く美しい女性を哀しませ、その残りの人生を祈りの場へ閉じ込めてしまう程に鷲神は残酷ではないだろう。そう思いたかった。
 いずれ、自分もそのような戦いの中に身を置く事になる。北海の戦士に産まれたのならば、それは当然の事だった。むしろ、病気などで遠征に同行できない方が不名誉とされている。
 年頃になれば生死を共にする従兄と相変わらずの関係だった。果たして、自分は本当に皆を信用しても良いのかどうか、不安になった。


「ちびのディオンの雛はやっぱりちびだな」イヴォルダスがディオンの木箱を覗いて言った。「鶏に育てられたからじゃないのか」
 むっとはしたが、素知らぬ顔でディオンは給餌を続けた。既に、肉や内臓をすり潰した餌ではなかった。まだ肉を小さく切り分けてやる必要があったが、大きな口を開けて餌をねだる雛はもう、幼鳥の羽が生え始めていた。
 いつもならばあの雌鶏が側にいて目を光らせているので、かつて痛い目に会ったイヴォルダスは近寄ろうとはしない。だが、今は珍しく姿が見えなかった。ディオンが面倒を見ている間は大丈夫だろうと思ったのかもしれない。
「それに、何だか汚い色だな」
 そればかりは認めざるを得なかった。どういう訳か他の鷲の雛とは異なり、ディオンの冬星は茶色と白の斑模様ではなく、黒が混じっていた。
「本当に海鷲なのか。他の鳥の卵を間違えて持って来たんじゃないか」
 イヴォルダスの嫌味は止まりそうになかった。
「その言葉、戦士殿への侮辱だぞ」ディオンは言った。「採卵した方への、侮辱になるぞ」
「卵を受け取ったのはお前だろう。お前への試しだったかもしれないだろうが」
 そんなはずはない。誰もが冬星を海鷲と認めているではないか。
 たまたま色が違うだけだとディオンは思った。ロスキルの赤目の目の色のように、体色に差があってもおかしくはない。
「いつまでも雛のままじゃないんだ。こいつだって、もうすぐ幼鳥だ。少しくらい成長が遅いからと言って、馬鹿にするのもたいがいにしろ」
 ディオンは思わず、イヴォルダスとその取り巻きに言った。
「馬鹿にしているわけじゃない。本当の事だろう、そいつが変な羽色で成長が遅いのは。まだ、箱の中で立とうともしないじゃないか」
 例え真実でも、触れられたくない事もある。これ以上の侮辱は許せなかった。
「他人の鷲にけちをつけるなら、生命がけでかかれよ」ロスキルが二人の間に割って入った。「それだけの覚悟は、当然、あるんだろうな」
 イヴォルダス達の顔色が変わった。
 ロスキルの言葉でディオンは却って冷静になった。イヴォルダス達はただ、揶揄し、ディオンを貶める事で日頃の鬱憤を晴らしているのだろう。そう思うと、何とは為しに憐れにも思えるのだった。
「そうでないなら、さっさと行け。休憩の時間ではないだろう。ここで油を売っている暇があるなら、武器の手入れでもしていろ」
 いつになく厳しいロスキルの言葉に、ディオンは愕いた。
 イヴォルダスたちは姿勢を正し、走り去った。
「何時だって、ああいう手合いはいるものだ。俺の赤目も俺も、良く揶揄(からか)われたものだからな。俺は反撃して叱られていたが――年下だったが、ヴァルガ殿もそうだったな」
「兄が、ですか」
 あの兄が揶揄われていた事があったなど、俄には信じられなかった。
「ああ、そうだ。ヴァルガ殿も十五くらいまでは柄が小さかったからな。あの方もお前のように争う事はなかった。あの頃は、俺も自分の事で手一杯で知っていながらもどうする事も出来なかった」
 ロスキルの目は、どこか懐かしむような所があった。
「だから、お前を見た時、ヴァルガ殿の弟という事を抜きにしても、今度はきちんと面倒を見てやろうと思った」にっこりとロスキルは笑った。「俺達は体格が似ている。まさか鷲まで皆と違う特徴を持っていたとはな。本当に、弟分だ」ロスキルはディオンの髪をくしゃくしゃと掻き回した。「俺にも弟がいたからな。幼い頃に死んでしまったが――まあ、仲良くやろう。似た者同士だ。それに、ここにはお前の味方はわんさかいる。心配するな。俺の目が行き届かなくて今のような事があっても、誰かがお前に気を付けていてくれるだろう」
 自分の味方、というのは、兄の力によるものなのだろう。誰もがディオンの中に兄を見ようとする。
 皆に愛された兄。ディオンが愛されている訳ではないのだ。
 異変を察してか、どこからか雌鶏が太った身体を揺らして駆け付けてきた。
「もう、遅いんだがなあ」
 ロスキルは笑った。


 斑の羽毛は幼鳥や若鳥の印だった。雛の綿毛から羽軸が伸びて行き、やがて伸長しきったところで先から裂けて羽毛が出てくる。それは何度見ても不思議だった。鷲の体のどこにこの硬く長い羽軸が隠れていたのだろうかと思う。
「中から自然に伸びてくるんだ。良く見ろ、羽軸が隠れているところの皮膚は黒ずんでいるし、硬くなっている。仕組みは分らん。それは人も同じだろう。なぜ、背が伸びるのか、髪や爪が伸びるのかと言われても、その伸び(しろ)がどこに隠れているのかなど、誰にも分りはしない。何も身長や羽毛の事だけではない。才能や能力なんてものは、誰にも見えはしない。それが見えれば苦労はないだろうがな。だから、年長者や養い手が見極めなくてはならない」
 最後のロスキルの言葉はディオンに重かった。自分は常にその能力を見られているのだろう。兄の弟として、次期族長として相応しいかどうかを。
 まだ羽軸の残っているところはあっても、冬星は立派な幼鳥だった。
 身体はもう、とっくに雌鳥よりも大きく育ち、鵞鳥に近い。それでも、まだ二羽は寄り添っていた。
 その事を馬鹿にする者はなくなった。だが、ディオンは余計に一人になった。
 戦士達から贔屓されていると見られているようで、年長の見習い戦士達もディオンにはどこか冷淡だった。
 だが、武術の方でディオンが頭角を現し始めると、さすがにそれは認めざるを得ないという感が、実際に手合わをした年長者の中で広がり始めた。
 短剣や片刃の小太刀の扱いではディオンの右に出る者はいなかった。これは、幼い頃から兄に教えを受けてきたからだろう。相手の動きが手に取るように分った。時には、相手の動きがひどく緩慢にみえる事さえ、あった。
 それは弓術でも同じだった。これも最初は兄に手ほどきを受けたのだが、その頃から、的が自分の方に向かって近付いてくるような気がする時があった。その事を兄に話すと、非常に感心したようだった。
 その感覚は、だが、今でもあった。それも追い込まれた時ほどに起こるのだ。弓はまだ、少年用のものだったが、同期で適う者はいなかった。
 矢をつがえた弓を頭上から下ろしつつ弦を引くやり方は兄から教わったものだ。決して力任せに引かぬこの方法は、他の者とは逆だった。だが、この方法で試しに大人用の弓を引かせてもらったが、これも楽に引けた。皆の方法でも試したが無理だった。
「このまま精進すれば、遠征では鏑矢(かぶらや)を任せられそうだな。お前は天性の弓引きだ」
 ディオンが大人の弓を引く姿を見た戦士長が唸りながら言った。戦士長が褒める事は殆どない。
 ロスキルは嬉しそうにしていた。だが、同期の見習い達からは妬みを買ったようだった。それをはっきりと口に出すような事はなかったが、特にイヴォルダスは、ディオンの事を敵愾心を丸出しにして睨み付けて来た。戦闘の開始と終了の合図である鏑矢を任せられるのは、名誉な事だった。誰もが憧れる役目だった。褒められただけでもこれならば、数月遅れで産まれたディオンにその座を取られるような事にでもなれば、猶更悔しいだろう。
「互いに切磋する相手がいるのは、良い事だ。例え、相手がお前をどう思っていようとな」
 ロスキルはのんびりと言った。
「でも、僕は別に競いたくはないんです」
「従兄、だからか」
 ディオンは黙った。イヴォルダスから向けられるのは、敵愾心を通り越して憎悪のようにも思えた。憎まれてまで競う気にはなれなかった。
「だが、本気を出さないのは却って相手への侮辱となる。お前はそう言うところは不器用だからな、すぐにばれるぞ。それに、そんなことをしたら恨まれるだけではなく、戦士長からも大目玉を食らう事になる」
 それは御免こうむりたかった。
「お前は族長になりたくはないのか」
 突然の問いに、ディオンは戸惑った。
「僕はずっと、兄がそうなると思っていましたので」
「――遠征は過酷だからな。無事に戻って来られるという保障はない。戦いから生き延びても、冬の初めの北海は荒れる。それで沈む船もある」
 ロスキルは言葉を切った。「だが、どんな厳しい状況でも決して揺るがぬのが、部族長だ。我らの荒鷲エルディング殿もそうだ。ヴァルガ殿も、いずれはそうなられただろう。今、お館様の後を継ぐのはお前だ。決してイヴォルダスではない。

は族長の器ではない。あれの弟達も、そうだ。その事は、誰もが分かっている」
「僕には、父や兄のようになる自信はありません」
「馬鹿な事を」ロスキルは苦笑した。「最初から自信のある奴には無理だ。人の強さも弱さも知り、自分の弱さも自覚しているからこそ、他人の事が分かるのではないだろうか。少なくとも、我々が次期族長と認めていたヴァルガ殿は、そうだった」
「なら、何も家系に拘泥(こだわ)る必要はないと思います。実力と人望のある者が、族長になればよいのです」
 一瞬の間をおいて、ロスキルは腹を抱えて笑い始めた。
「何を言い出すのかと思えば、こいつは」
 涙を拭いながら、ロスキルは治まらぬ笑いの下から言った。
「そんな事を思いつくお前が、やはり最も族長に相応しいな」
 ディオンには良く分からなかった。
 真顔に戻ってロスキルは言った。
「お前のその、常識に縛られない所などは、戦いでは大いに役に立つだろう。だがな、ディオン、これだけは忘れるな。族長家というのは、唯の実力者ではない。一族の拠り所でもあるんだ。相応しい者がいなければ、娘に婿を取らせるか養子を迎えるかだな。血筋も大事だが、同じ系譜が続く事に意味がある。それが部族の求心力となり、引いては安定をもたらす。それは、とても大事な事だ」
 とても大事な事。
 では、自分が相応しくなければ、姉達の誰かがそういう男を婿に迎えるのだ。
 元より、女性には婚姻に関しての決定権はない。家長の言うがままに嫁ぐ事になる。その代わり、相手の鷲が女性を気に入らなかった時にはこの限りではない。何よりも鷲の好悪が優先される。幸いにして、ディオンの姉達にはまだ、誰もそのような話はない。だが、決まればあっという間だろう。長姉はすぐにでも決まるかもしれない。否も応もなしに嫁ぐかもしれない姉達の事を思うと、心が震えた。


 冬星の成長はゆっくりだった。
 それでも体重は順調に増え、大きくなっていった。
 相変わらず雌鶏が共にいた為、また箱を変えなくてはならなかった。
 記録帳を見返すと、月齢に較べて誰の鷲よりも小さいのが分かった。
 新月の日に帰宅すると、姉達も可愛い、可愛いと言っては撫でたがった。冬星もそれを嫌がらない。
 名前については、姉達には不評だった。雌かもしれないと思うなら、もっとそれらしい名を付けなさいとか、折角可愛らしいのに、どうしてそんな冷たい名にしたのかと、散々に言われた。
 だが、父は気に入ったようだった。
 新米の見習い戦士でも、十二歳になれば大人達と食事を同席する事を許される。族長である父の許ではよく宴会が催されており、その席では見習いは給仕にまわる。それ故に、新月の夜は家族のみで食卓を囲む貴重な機会であった。
 常に海王と共にある父は、ディオンの鷲の名を聞くと機嫌良く笑った。
「良い名ではないか。名は体を現すとも言う。必ずや素晴らしい鷲に成長するだろう」
 それでも姉達は文句を言った。
「お父さまは、あの子がどんなに可愛らしいか、ご存じないのだわ」
「それなのにディオンったら、女の子だと思う、とか言っておきながら、冬星、だなんて。もっと可愛らしい名前にしてあげればいいのに」
 蜜酒のせいばかりではないであろう上機嫌さで、父は笑った。
「まあ、ディオンの好きにさせなさい。何しろお前達の鷲ではないのだからな」
 母も、その言葉には笑った。
 巣立ちがまだの冬星は木箱の中だ。巣立てば海王のように椅子の背や広間に用意されている止まり木に据える事が出来る。ディオンはその日が待ち遠しかった。それには調教も必要であった。
「そろそろディオンの肩当を用意してやらんといかんだろう。互い慣れるまでは据える方も据えられる方も不安定なものだ。怪我をせん為にも、少々重くとも丈夫なものが必要だ。まだ、お前はそれ程、身体も出来上がってはいないが、据えるには問題なかろう。ヴァルガもお前の歳にはそんなものだったからな」
 久し振りに父の口から兄の名が出たが、ディオンはその事に余り注意を払わなかった。鷲を据える為の準備をするというのは、若干十二歳の新米にとって矜持であり、戦士としての自覚を促すものでもあった。
 女子は十二歳になると同時に、裳着の儀式で自動的に大人の仲間入りをする。結婚は十七まで待つが、婚約は十五になれば可能だ。十八で正戦士になる男子に較べ、女子の方が一足早く大人になる。
 それだけに、冬星を肩に据える日が待ち遠しかった。
「巣立ちは遠征の少し前になりそうだな」
 父の言葉にディオンははっとした。
 兄の不在で迎える初めての遠征だった。それは、父にとっても大きな意味を持つのだろう。まだ幼かったが、ディオンは、初めて二人が共に遠征に出航して行く姿を鮮明に憶えていた。普通は新たに正戦士となった者が族長船に乗り組む事はない。だが、兄は既に後継者として認められていた為に、二人は同じ船で出立したのだった。
 ディオンが海に出るまではまだ、六年かかる。
 長い、とディオンは思った。
 遠征の間、戦士達は出払ってしまう為、巣立ち後の不安定な時期を支えてくれるのは主に、引退した戦士達だった。
 記録を見ても、巣立ちの前には体重がぐっと減る時期があった。それを何とか乗り越えなくてはならない。かと言って巣立ちの時期を見誤ると独立を逸し、厄介な事になりかねない。
 それを指導するのが老いた戦士達だ。そして、この記録はその際に役に立つだろう。代々のまめな一族の長に感謝しなくてはなるまい。
「お前が遠征に参加できるようになるまでは、私も無事でいなくてはな」
 父のような部族一の戦士でさえも死を覚悟せねばならないのが、遠征だった。だが、それは北海のどの部族長にしたところで同じだ。
「三年後には、この島での集会だ。その時には冬星も立派な若鷲になっているだろう」
 父は他の族長達に披露するのが楽しみな様子だった。
 その期待はまだ、ディオンには重かった。何しろ、雌鶏に甘えているような幼鳥だ。立派な姿など想像もつかなかった。
「その顔はどうやら不安らしいな」父は高らかに笑った。「何、案ずる事はない。皆、そんなものだ。それに一見、頼りなさそうな奴の方が、却って上手く自立するものだ。この海王もそうだったからな」
 父は手を伸ばして鷲を撫でた。
 そこには、互いに対する信頼と愛情とがあるのが、容易に見て取れた。
「いくら鷲の一族だからと言って、あんなに海王べったりで、お母さまはよく平気ですのね」
 長姉のヘルニが言った。他島の族長家に嫁ぐ話があると今日、知ったばかりだった。どうやら四年前の集会で見染められたらしいと、下の姉二人がこっそりとディオンに教えてくれた。
「別に、殿にないがしろにされたということはありませんから。それよりも、わたしはあなたたちが心配ですよ」
 溜息混じりに母が言った。父は笑った。
 十六の長姉ヘルニは気が強い。ディオンは幼い頃、すぐ上の姉に良く泣かされていたが、その度に叱ってくれていた。
「まあ、ヘルニの場合は向こうもお前のそんな所も引っくるめて気に入って下さったのだからな、その代わり、海鷲の一族の誇りを決して忘れるな。女なら、鷲の代わりに男を手懐(てなず)けてみろ」
 父は不自然な程に機嫌が良かった。
「殿、それではこの子は調子に乗りますわ」
 母の言葉にも、父は笑った。
「優しげな笑顔で、俺の首に縄をかけた女が言う言葉かね」
 誰もが明るかった。だが、底には兄の死がある事も確かだった。誰もがその事実から逃げたがっている。だから、笑うのだろう。ディオンはそう思った。
 自分も、何時までも子供のままでいてはいけないのだ。
 次期族長になろうがなるまいが、今では自分が唯一の男子であり、父に何かがあった際には、成人していまいが自分が家族を守らねばならなくなる。そのような事は考えたくもなかったが、北海の男として生きる以上は避けては通れない考えだった。
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