本日の論題:自己犠牲≒献身
文字数 5,082文字
部室に入る前から、恋々子のかしましい声が響いていた。
(ココ先輩の他に誰かいるのか? それとも、暑さで気が狂ったか?)
あの人ならひとりの可能性もワンチャン有り、と秋人は失礼なことを考えながら扉を開ける。
(一芸入試組でココ先輩の友達でマスメディア部の部長って絶対ろくでもないじゃん)
言えてる。
ウチの部も、今年はすぐに辞めちゃったコが多かったもん
秋人はとことん居心地が悪かった。
しかし、そのふたり――J(中高一貫組)コースとSA(特別進学)コースは1時間分、授業が多い。
なので、秋人はしばらくひとりで相手をしなければならなかった。
まぁ、さすがココ先輩の友人って感じはしますけど……
実際、ディベート部で話すまでそんな仲良くなかったしねー
またしても笑みを合わせるかと思いきや、今度は冷たい空気が流れる。
負ける? わたしが?
桜を筆頭に、周囲を小者で囲ってお山の大将気取ってるお猿さんに?
もう、コケコッコーですらなくなっちゃったね。
与えられた環境で満足してるブロイラーさん
お腹だけじゃなくて、頭の中まで脂身でたっぷたっぷになっちゃった?
自分が馬鹿にされたことはスルーしながらも、友達のことだけは訂正する。
そりゃココちゃんより馬鹿で間抜けで煩くて――
正直、人としてどうかと思うところも沢山あるけど……
(えっ? なにそれ? そんな人、マジでいんの? ココ先輩でさえ大概なのに……)
なんの罰ゲームだこれはと思いながらも、秋人は考える。
(どうせ出すなら、このふたりに足りないモノがいいな。優しさとか思いやりとか……)
……じゃぁ、自己犠牲の良し悪しでディベートしてください
なので、秋人は嫌がらせも込めて難しい論題を提示した。
はい、えーと……
伊西先輩が推奨派で、ココ先輩が否定派ですね
内容が内容だったので、秋人は話を逸らすよう火口に首を突っ込む。
(マジかよ? この内容を自前の頭だけって……大丈夫か? ココ先輩)
秋人の心情は一応、慣れ親しんだ恋々子に偏っていた。
――そうして、ディベートという名の熾烈な口喧嘩が始まる。
自己犠牲は愛だとイエス・キリストが語ったように、その精神はあらゆる宗教で重視されています
また宗教に限らず、自己犠牲をテーマにした作品は世界中で多く見受けられ、長く愛され続けている
特に、児童文学においては外せないテーマとなっており――幼児教育の面から見ても、自己犠牲の精神は大切だと思われます
仰ることはわかりますけど、すべてにおいて古いですね
(ココ先輩、その態度はジャッジの心証が悪いですよ)
日本の社会やサービスは自己犠牲の精神によって成り立っている
グローバル社会となった現代、日本のそういった在り方は疑問視されています
ですが、多くの自己犠牲があったからこそ、日本は世界に評価されるようになったのだと思います
そちらの言い分は、大人の目から児童文学を否定するような見方に感じられます
厳しい見方かもしれませんが、大事なことです。
歴史や伝統を大事にするあまり、明るい未来を手放すのは愚かでしょう?
長年培ってきた国民性を、そう易々と捨てることなどできません。
たとえ、そちらのほうが便利で得だとしてもです
そして、そういった相違――他国になかった『精神』があるからこそ、日本のような小国が世界で戦えるのではないでしょうか?
同一の精神、在り方、価値観で戦うのであれば単純に強くて多いほうが勝っちゃいますし。
また、いわゆる先進国は自国にない他国の文化――価値観に心を惹かれます
大きな社会。国を枠組みとした場合、エレナのほうに分があった。
それをわかっていたからこそ、
あくまでベター。
それも誰かに相談することなく、個人の想定による決定
それでも、決めなければならないのが現実です。
ベスト(一番)じゃないからと言って否定するのは、些か極端な暴論かと思います
そういった考え方をする程度の裁量だからこそ、自己犠牲はダメなんですよ
(わー、相変わらずだな。ココちゃんの状態異常攻撃)
引っかかりが多すぎて、どうしても思考が止まってしまう。
どうせ頑張ってもダメ、全員を救うことはできない。皆が幸せになるなんてあり得ない
演劇調に恋々子は連ねる。
それがまたツッコミを誘い、聞く者の思考を乱していく。
それは確かにそうかもしれません。
ですが、わたしはこう言いたい
(聞き覚えのあるフレーズだけど……なんだっけな?)
(もうっ! なんで、ここでパクリ――ドラマの小ネタをぶち込んでくるかなぁ?)
ツッコミたいのを堪えるのに必死で、エレナは口を開けなかった。
誰かに相談することもせず、自分だけで考え、勝手に決めつけて行動。
そこには、自惚れと卑屈さが透けて見えると思いませんか?
(けど、詰めが甘いところも変わってない。すぐ調子に乗って、余計なことまで言っちゃうんだから)
誰もが、自分の行動に自信を持てるわけではありません。
また意見を主張し、他者に協力を求めることが難しい人もいます
それでも悩んで、行動した方々の決定を馬鹿にするような発言はさすがにどうかと思われます
だって、そちらが仰っているような方々が行うのは『自己犠牲』ではなくて『献身』でしょう?
先ほどわたしが言った、自惚れと卑屈さ。
これらの精神が、献身を自己犠牲に貶めるからです
どうせ自分が頑張れば、どうせ自分が悪者になれば、どうせどうせ――そういう卑屈さに加え、自分ならなんとかできるという自惚れ
つまり自己満足、自己憐憫。
そして、自画自賛の精神が自己犠牲へと駆り立てるのです
そうでもないですよ。
実際、献身とされるボランティア。
それに従じる人たちはストレス値が低いとされています
(……あぁ、もう。自己犠牲と献身を切り離されたら、どうしようもないじゃんか)
一方、自分の行いを自己犠牲だと認識している人たちはどうでしょうか?
同じように、清らかな心持ちでいられますか?
自己犠牲と献身がイコールできないのは認めます。
だけど、自己犠牲が献身になり得ないとも言えないかと
根底にあるのが卑屈さと自惚れ。
その上、自分の基準だけで動いてしまう点を考慮すると、難しいと思いますけどね
それでも人は変わっていけます。
理由はどうであれ、他者の為に行動できる人なら尚更に
そもそも、自己犠牲というのは自分に対する言い訳なんです。
大義名分とでもいいましょうか
それがないと、ダメになる。
そういうことにしておかないと、ただ馬鹿をみただけ
すなわち、愚かで浅はかな間違った行為を取り繕う――自分の為の言葉
(……性格が悪いのはお互い様だと思うんだけどなー)
相手の発言を即座に否定するのは間違ってはいないが、エレナは思わずにはいられなかった。
結局、自己犠牲で得をするのは本人とそれを押し付けた人だけです
自己犠牲によって、救われる人もいると思いますけど?
それこそ、その人の空想でしょう?
実際、その人が犠牲にならなくとも解決された可能性はあります
先ほども言いましたけど、自己犠牲というのは個人の判断ですからね
そしてなんであれ、個人の思った通りになるとは限らない
ゆえに自己犠牲は卑屈さと自惚れで溢れている、と恋々子は繰り返す。
だけど、必ずしも周囲に相談できるとも限りません。
自分だけが気づき、自分だけが解決できる問題も確かにあると思います
それとも知恵と力、高潔な精神がなければ誰かを助けることも許されないんですか?
泥臭くても間違っていてもいい。
たとえそれが自己満足であったとしても、他者の為に自分を捧げる
(確かに。できない奴、駄目な奴がやるからこそ感動するんだよなぁ)
だからこそ、自己犠牲が愛とされるのではないでしょうか?
(献身のほうがいいのはわかるけど。それはちょっと違うというか……難しいんだよな)
結局、場合によって評価が大きく変わるからダメなんですよ
例えばDVの被害者。
自分が暴力に耐えていれば家族が救われる――その精神は自己犠牲だと思いますけど、誰も評価しませんよね?
(まあ、そうだな。馬鹿じゃないの? って思います)
つまり、自己犠牲そのものに価値はないんです。
それを素晴らしいと思うのは、別の要因があるからに他なりません
(というか、ココ先輩凄いな。今日は言葉もほとんど崩れてないぞ)
(んー、押されてるな。でも、ジャッジの能力を考えるとまだまだ挽回できそう。男の子が好きそうな自己犠牲のエピソードを交えつつ、わかりやすい美辞麗句を並び立てて……)
(エレナの奴、なんか性悪なこと考えてない? まさか色仕掛けでジャッジを買収する気?)
3人がそれぞれ思案にふけ、僅かな沈黙――天使が通り過ぎる。
(トワちゃん……にしては足音に品がないなぁ。となると、国光君かSTYか……)
果たして、現れたのは救世主か追加の犠牲者か。
それとも……
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