本日の論題:自己犠牲≒献身

文字数 5,082文字

きゃー、はははー
 部室に入る前から、恋々子のかしましい声が響いていた。
(ココ先輩の他に誰かいるのか? それとも、暑さで気が狂ったか?)
 あの人ならひとりの可能性もワンチャン有り、と秋人は失礼なことを考えながら扉を開ける。

あー、秋人。

おっそーい

お邪魔してまーす
 と、知らない女子生徒がいた。

あ、ども。

えーと……

一芸入試組3年の伊西(いにし)エレナです
わたしの友達で、マスメディア部の部長さん
(うわぁ……)
 秋人は今すぐ帰りたくなる。
(一芸入試組でココ先輩の友達でマスメディア部の部長って絶対ろくでもないじゃん)
わーお、わかりやすく引いてる
えっ、いやそんなこと……

ココちゃん。

ちょっと、調教が甘いんじゃない?

(わー、本当にろくでもないぞこの人)
んー、でも最近のコって打たれ弱いし

言えてる。

ウチの部も、今年はすぐに辞めちゃったコが多かったもん

それはエレナの所為じゃない?
じゃぁ、ディベート部はココちゃんの所為だ
……
……
――そりゃ、そうだ
――そりゃ、そうだ
 先輩たちは揃って満面の笑みを合わせるも、
(ヘルプ! トワ先輩か国光、早く来て!)
 秋人はとことん居心地が悪かった。
 しかし、そのふたり――J(中高一貫組)コースとSA(特別進学)コースは1時間分、授業が多い。
林原秋人くんだっけ?
 なので、秋人はしばらくひとりで相手をしなければならなかった。
きみのディベート、いつも楽しく聞かせて貰ってるよ
え? ありがとうございます……
 そう言いながら、秋人は思い至る。
って、バカにしてるでしょう!
 散々、ネタにされていたことを。

バレちゃった? 

じゃぁ、言い換えるね

いつも、ネタの提供ありがとう
……ココ先輩、この人なんすか?
面白いコでしょう?
まぁ、さすがココ先輩の友人って感じはしますけど……
んー、それはちょっと違うかな?
はぃ?
実は私、元ディベート部なんだ
はぁ……
つまり、さすがココちゃんの友人じゃなくて――
さすが、藍生先輩の後輩――ってのが、正しいかな?
 と言いつつも、ふたりの息はぴったりであった。
実際、ディベート部で話すまでそんな仲良くなかったしねー
そういえば、そうだったね
だってエレナ、性格悪いし
だってココちゃん、頭悪いんだもん
……
……
 またしても笑みを合わせるかと思いきや、今度は冷たい空気が流れる。
(……帰っていいかな?)
 無関係にもかかわらず、秋人はいたたまれなかった。
ココちゃん、久しぶりにディベートしよっか?
別にいいけど、さび付いた頭で大丈夫?

それでココちゃんが負けたら大恥だね

負ける? わたしが? 

桜を筆頭に、周囲を小者で囲ってお山の大将気取ってるお猿さんに?

 いくら友人間でも辛辣過ぎる言葉だが、

もう、コケコッコーですらなくなっちゃったね。

与えられた環境で満足してるブロイラーさん

 エレナも負けていなかった。

お腹だけじゃなくて、頭の中まで脂身でたっぷたっぷになっちゃった?

は?
あと桜ちゃんは大物だよ?
(お? 意外と良い人なのか?)
 自分が馬鹿にされたことはスルーしながらも、友達のことだけは訂正する。

そりゃココちゃんより馬鹿で間抜けで煩くて――

正直、人としてどうかと思うところも沢山あるけど……

(えっ? なにそれ? そんな人、マジでいんの? ココ先輩でさえ大概なのに……)
――絶対に小者なんかじゃないんだから
そうだね、桜は小物じゃなかったね……
 恋々子は殊勝な態度で反省を示したかと思いきや、
あのコは大物の馬鹿だった

 まさかの発言。

そうなの。

ほんと、どうしようもない大馬鹿なの

(こ、怖い……というか恐ろしい)
 秋人が怯えていると、
秋人君、論題出して貰っていい?
 いきなり巻き込まれてしまう。
え? おれが……ですか?

秋人以外に誰がいるの? 

あとジャッジもお願いね

……マジで?
 なんの罰ゲームだこれはと思いながらも、秋人は考える。
(どうせ出すなら、このふたりに足りないモノがいいな。優しさとか思いやりとか……)
Allez, allez《アレ、アレー》
早く、早くー
 しかし、容赦なく先輩たちは急かしてくる。
……じゃぁ、自己犠牲の良し悪しでディベートしてください
 なので、秋人は嫌がらせも込めて難しい論題を提示した。
おっけー、いいよ
じゃぁ、コイントスよろしく

はい、えーと……

伊西先輩が推奨派で、ココ先輩が否定派ですね

エレナでいいよ
 慣れた仕草で秋人の頬に手を添え、
ここは神香原高校ディベート部なんだから
 エレナは微笑んだ。
えっ? あっ、はい。わかりました
ちょっと、ウチの後輩を誑かすのは止めてくれる?

あー、ごめん。

ココちゃんにないモノ使っちゃって

――は? 

なんのこと?

年上の女性の魅力
それならあるもん!
じゃぁ、胸と色気
少しはあります!
……えーと、準備はしなくていいんですか?
 内容が内容だったので、秋人は話を逸らすよう火口に首を突っ込む。
わたしは別になくてもいいけど?
同じく
(マジかよ? この内容を自前の頭だけって……大丈夫か? ココ先輩)
 秋人の心情は一応、慣れ親しんだ恋々子に偏っていた。
じゃぁ、始めてください
――そうして、ディベートという名の熾烈な口喧嘩が始まる。
自己犠牲は愛だとイエス・キリストが語ったように、その精神はあらゆる宗教で重視されています
 まず、エレナが口火を切った。
また宗教に限らず、自己犠牲をテーマにした作品は世界中で多く見受けられ、長く愛され続けている
特に、児童文学においては外せないテーマとなっており――幼児教育の面から見ても、自己犠牲の精神は大切だと思われます
仰ることはわかりますけど、すべてにおいて古いですね
 応戦する恋々子は最初から喧嘩腰。
(ココ先輩、その態度はジャッジの心証が悪いですよ)
日本の社会やサービスは自己犠牲の精神によって成り立っている
その言葉は、決して賞賛ではありません
グローバル社会となった現代、日本のそういった在り方は疑問視されています
トレンドで語るのであれば、そうかもしれません
ですが、多くの自己犠牲があったからこそ、日本は世界に評価されるようになったのだと思います
そちらの言い分は、大人の目から児童文学を否定するような見方に感じられます

厳しい見方かもしれませんが、大事なことです。

歴史や伝統を大事にするあまり、明るい未来を手放すのは愚かでしょう?

長年培ってきた国民性を、そう易々と捨てることなどできません。

たとえ、そちらのほうが便利で得だとしてもです

そして、そういった相違――他国になかった『精神』があるからこそ、日本のような小国が世界で戦えるのではないでしょうか?

同一の精神、在り方、価値観で戦うのであれば単純に強くて多いほうが勝っちゃいますし。

また、いわゆる先進国は自国にない他国の文化――価値観に心を惹かれます

 大きな社会。国を枠組みとした場合、エレナのほうに分があった。


 それをわかっていたからこそ、

そもそも、自己犠牲はベストじゃないんです
 恋々子は話のスケールを狭めた。

あくまでベター。

それも誰かに相談することなく、個人の想定による決定

誰かを犠牲にする以上、ベストでないのは同意です

それでも、決めなければならないのが現実です。

ベスト(一番)じゃないからと言って否定するのは、些か極端な暴論かと思います

そういった考え方をする程度の裁量だからこそ、自己犠牲はダメなんですよ
(わー、相変わらずだな。ココちゃんの状態異常攻撃)
 引っかかりが多すぎて、どうしても思考が止まってしまう。
どうせ頑張ってもダメ、全員を救うことはできない。皆が幸せになるなんてあり得ない

 演劇調に恋々子は連ねる。

 それがまたツッコミを誘い、聞く者の思考を乱していく。

それは確かにそうかもしれません。

ですが、わたしはこう言いたい

――なぜ、ベストを尽くさないのか?
(聞き覚えのあるフレーズだけど……なんだっけな?)
(もうっ! なんで、ここでパクリ――ドラマの小ネタをぶち込んでくるかなぁ?)
 ツッコミたいのを堪えるのに必死で、エレナは口を開けなかった。

誰かに相談することもせず、自分だけで考え、勝手に決めつけて行動。

そこには、自惚れと卑屈さが透けて見えると思いませんか?

(けど、詰めが甘いところも変わってない。すぐ調子に乗って、余計なことまで言っちゃうんだから)

誰もが、自分の行動に自信を持てるわけではありません。

また意見を主張し、他者に協力を求めることが難しい人もいます

それでも悩んで、行動した方々の決定を馬鹿にするような発言はさすがにどうかと思われます
そういった方々を馬鹿にしているつもりはありません
……?
だって、そちらが仰っているような方々が行うのは『自己犠牲』ではなくて『献身』でしょう?
(うっそ、やだ……釣られた?)

そして、両者は似て非なるモノ

先ほどわたしが言った、自惚れと卑屈さ。

これらの精神が、献身を自己犠牲に貶めるからです

(あれ? 急にまともで難しくなったぞ?)
どうせ自分が頑張れば、どうせ自分が悪者になれば、どうせどうせ――そういう卑屈さに加え、自分ならなんとかできるという自惚れ

つまり自己満足、自己憐憫。

そして、自画自賛の精神が自己犠牲へと駆り立てるのです

ちょっと、主観が入り過ぎじゃない?

そうでもないですよ。

実際、献身とされるボランティア。

それに従じる人たちはストレス値が低いとされています

(……あぁ、もう。自己犠牲と献身を切り離されたら、どうしようもないじゃんか)

一方、自分の行いを自己犠牲だと認識している人たちはどうでしょうか?

同じように、清らかな心持ちでいられますか?

自己犠牲と献身がイコールできないのは認めます。

だけど、自己犠牲が献身になり得ないとも言えないかと

根底にあるのが卑屈さと自惚れ。

その上、自分の基準だけで動いてしまう点を考慮すると、難しいと思いますけどね

それでも人は変わっていけます。

理由はどうであれ、他者の為に行動できる人なら尚更に

そもそも、自己犠牲というのは自分に対する言い訳なんです。

大義名分とでもいいましょうか

それがないと、ダメになる。

そういうことにしておかないと、ただ馬鹿をみただけ

すなわち、愚かで浅はかな間違った行為を取り繕う――自分の為の言葉
(……性格が悪いのはお互い様だと思うんだけどなー)

 相手の発言を即座に否定するのは間違ってはいないが、エレナは思わずにはいられなかった。

結局、自己犠牲で得をするのは本人とそれを押し付けた人だけです
自己犠牲によって、救われる人もいると思いますけど?

それこそ、その人の空想でしょう? 

実際、その人が犠牲にならなくとも解決された可能性はあります

先ほども言いましたけど、自己犠牲というのは個人の判断ですからね
そしてなんであれ、個人の思った通りになるとは限らない
 ゆえに自己犠牲は卑屈さと自惚れで溢れている、と恋々子は繰り返す。

だけど、必ずしも周囲に相談できるとも限りません。

自分だけが気づき、自分だけが解決できる問題も確かにあると思います

それとも知恵と力、高潔な精神がなければ誰かを助けることも許されないんですか?

泥臭くても間違っていてもいい。

たとえそれが自己満足であったとしても、他者の為に自分を捧げる

(確かに。できない奴、駄目な奴がやるからこそ感動するんだよなぁ)
だからこそ、自己犠牲が愛とされるのではないでしょうか?
(献身のほうがいいのはわかるけど。それはちょっと違うというか……難しいんだよな)
結局、場合によって評価が大きく変わるからダメなんですよ

例えばDVの被害者。

自分が暴力に耐えていれば家族が救われる――その精神は自己犠牲だと思いますけど、誰も評価しませんよね?

(まあ、そうだな。馬鹿じゃないの? って思います)

つまり、自己犠牲そのものに価値はないんです。

それを素晴らしいと思うのは、別の要因があるからに他なりません

(というか、ココ先輩凄いな。今日は言葉もほとんど崩れてないぞ)
(んー、押されてるな。でも、ジャッジの能力を考えるとまだまだ挽回できそう。男の子が好きそうな自己犠牲のエピソードを交えつつ、わかりやすい美辞麗句を並び立てて……)
(エレナの奴、なんか性悪なこと考えてない? まさか色仕掛けでジャッジを買収する気?)
 3人がそれぞれ思案にふけ、僅かな沈黙――天使が通り過ぎる。
 ゆえに響く、近づいて来る足音。
(誰だ? 国光か、トワ先輩か?)
(トワちゃん……にしては足音に品がないなぁ。となると、国光君かSTYか……)
(むー! いいとこだったのに……邪魔者は誰よ!)

 果たして、現れたのは救世主か追加の犠牲者か。

 それとも……
 

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登場人物紹介

染谷 恋々子《 そめや こここ》、愛称ココ

一芸入試組3年生だが、その年齢にあるまじき低身長でちんちくりん

ディベート部ではババ抜きにおけるババ扱い

つまり、引いた相手は嫌がる

味方にすると恐ろしいが、敵に回すと愉快なコ

頭の回転は早いものの、よくよく空回りして明後日の方向に飛んでいく

そういった性質に加え、ふらふらと揺れながら歩くことからコケコッコーの蔑称あり


鷹司 永久莉《たかつかさ とわり 》、愛称トワ

中高一貫付属組のJコース3年生で、ディベート部では最も頼りになる存在

ただ、恋々子のノリに付き合えるだけあって中々の性格をしている

4姉妹の長女で同性の扱いが得意な一方、男性はちょっぴり苦手

もっとも、後輩たちは男のカテゴリーに入っていないのかそんな様子は微塵も窺えない

姉妹揃って発育がいいいらしく、小学生の末妹ですら恋々子を上回っているとか

林原 秋人《 はやしばら あきひと》、A(進学)コース1年生

基本的に真面目で普通の性格

事実、そのスタンスで発言することが多い

ただ、時折り全方位に向けて敵意を向ける悪癖があり

特に恋愛や異性を含む論題になるとその傾向が強くなり、周囲をドン引きさせる

加賀 国光《 かがくにみつ》、SA(特進)コース1年生

入部当初は無口で口下手だったものの、最近は口が軽くなってきている

ただ、時折り迷子になるのか会話の着地点を見失う傾向が強い

本人は陰気でつまらない奴と思い込んでいるものの、女子に告白された経験あり

更にはそれを普通と思える感性な為、恋愛関係の論題になるとナチュラルに秋人を刺激する

ディベート部の顧問

通称、STY

S(セクハラ)T(ティーチャー)Y(山本)

かつては生意気な生徒だった為、破天荒な生徒に対しても寛容である

伊西(いにし)エレナ

一芸入試組3年生、元ディベート部

恋々子曰く、性格が悪いというか性悪

初期から何かと話題にあがるマスメディア部の部長だが、登場は#7より


腐頭 桜《ふとう さくら》

一芸入試組3年生、マスメディア部の副部長

エレナ曰く、恋々子よりも馬鹿で間抜けで煩くて人としてどうかと思う存在

一方、誰もが認める美人で背も高い

登場はエレナと同じく#7より

響《ひびき》先生、31歳独身

藍生先輩曰く、さぞかし簡単な人生を歩んで来られたお人

その評価を裏切らず、教師にあるまじき幼い言動が目立つ

登場は#7より(初出は別作品、結婚すべきかどうかをアラサー女教師が女子高生に相談する)

 

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