11 ヘーゲルの呪縛

文字数 5,302文字

11 ヘーゲルの呪縛
 ドゥブレがボリビアで行動をともにしたエルネスト・チェ・ゲバラは、1965年2月にアルジェリアで開催された第二回アジア・アフリカ経済ゼミナールにおいて、東西冷戦構造下の第三世界について次のように演説している。

 われわれはこのような精神を持って従属国にたいする援助の責任に立ち向かわなければならない。だから、価値法則やその産物である不平等な国際貿易関係からもたらされる発展途上国の生産物価格をもとにした互恵貿易を発展させようなどとは考えてはならない。
「互恵」という言葉の意味を、途上国が血と汗を流して得た原料を国際市場価格で(途上国に)売り、大規模なオートメ工場で生産された機械を国際市場価格で(途上国に)売りつけることだ、などということができようか。
 この種の関係を二つの国家グループにあてはめてみると、われわれは社会主義諸国もある程度、帝国主義的搾取の共犯者であると認めざるを得ない。低開発諸国との貿易額は社会主義国の貿易にわずかの割合しか占めていないと言うこともできよう。
 それは確かに事実である。しかしそれによって交換の不道徳性は無くなるものではない。社会主義諸国は、西側の搾取国家との暗黙の共犯関係を解消する道徳的義務を負っている。
 われわれは、思想展開の理論的産物が一定の結論に落ち着くように前もって予想された道路を通り共産主義に至る道を選んだのではない。社会主義の現実と帝国主義の厳しい現実がわれわれを鍛え、一つの道を提示してくれた。そして、われわれはその道を意識的に選んだ。
 われわれは受益国が国内でその生産物を消費する能力がなく、みすみす国家資源を危険にさらしてしまうような、現実の能力と不均衡な基幹産業の設備準備をしているのをしばしばみかける。

 「社会主義諸国もある程度、帝国主義的搾取の共犯者」である。「社会主義の現実と帝国主義の厳しい現実」によって「共産主義に至る道を選んだ」のなら、冷戦構造が消失しても、第三世界にとっての矛盾は消えない。植民地的暴力は依然として続いている。さらに、第三世界そのものが抱える矛盾が政治不安やクーデターの起因の一つであるとしたら、第三世界の現状はウロポロスの蛇である。チリの軍部によるアジェンデ政権の転覆やインドネシアにおけるスカルノの失脚は典型的な東西冷戦下の第三世界の不幸である。

 ゲバラが分析しているこのαにしてωである矛盾が、東西冷戦終結の際に、吹き出している。「人間は自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に、自分で勝手に選んだ状況の下で歴史をつくるのではなくて、直接にありあわせる、与えられた、過去から受け継いだ状況の下でつくるのである。あらゆる死んだ世代の伝統が、生きている人間の頭の上に悪魔のようにのしかかっている。そこで、人間は、自分自身と事物とを変革する仕事、これまでにまだなかったものをつくりだす仕事にたずさわっているように見えるちょうどそのときに、まさにそういう革命的危機の時期に、気づかわしげにかこの幽霊を呼びだして自分の用事をさせ、その名前や、戦いの合い言葉や、衣装を借りうけて、そういう由緒ある衣装をつけ、そういう借り物の台詞を使って、世界史の新しい場面を演じるのである」(マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)。

 20世紀はアメリカの世紀であり、アメリカ的な生活・思考様式が現代の世界で支配的になっている。ハンバーガーやコーラ、フライドチキンといったアメリカ料理は、中国料理とならんで、現代において最もタフな料理である。もっとも、ハンバーガーはタルタル・ステーキが原形だし、アメリカ人の大好きな調味料ケチャップはマレー語に由来しているから、かなりフュージョンな料理だと言わねばなるまい。アメリカには世界から人々が集まってくる。

 ファースト・フードの歴史は、もちろん、浅い。アメリカ人の嗜好は1950年代まで、実は、豚肉が中心だったが、60年代に入ると、牛肉に変わっていく。そのころに生まれたマクドナルドの1997年の総売り上げは336億ドルにのぼり、これは日本の防衛費に匹敵する。しかし、東西冷戦構造が崩壊し、アメリカの一人勝ちの状況が生まれた途端、アメリカの世紀は終わりを迎えていく。「ゲバラはすぐれた知識人だった。そればかりではなく、20世紀で最も完璧な人間だった」(ジャン=ポール・サルトル)。

 「最も完璧な人間」についてヘーゲルが論じている。ヘーゲルは、哲学を形式的な問題から倫理的な問題へと移行させたカントの試みをさらに徹底化している。ただ、ヘーゲルは何も経験するべきことを要しない状態を理想としている。「ある人間が教養がある人間であればあるほど、それだけますます多く彼は直接的直観のなかに生きているのではなくて、自分のあらゆる直観の場合に、同時に想起のなかに生きているのである。それで彼は新しいものをほとんど全く見ないで、たいていの新しいものの実体的内実はむしろすでに熟知されたあるものなのである。教養がある人間は同様にとくに自分の心像に満足し、直接的直観の必要をほとんど感じない」(ヘーゲル『精神哲学』)。

 さまざまな物事を新しいものとして経験し、それらを「労働」と「教養」をつむことによって、一般化していく。すべてを一般化してしまったとき、これ以上新しいものと出会うことはなくなる。ヘーゲルは、カントの道徳観とは違って、ある生の「満足」感を提示している。つまり、ヘーゲルの終わりの思考は「自分の心像に満足」し、「直接的直観の必要をほとんど感じない」ような「教養がある人間」となることだ。

 ヘーゲルは、『精神哲学』において、そうした精神の状態を「老年」だと次のように述べている。

 老年は明確な関心をもたないで生活している。なぜかといえば老年は、以前にいだかれていた理想を実現することができるという希望を放棄してしまったからであり、また老年にとっては一般に未来がなんら新しいものを約束していないように見え、老年はしろ自分がひょっとするとなお出会うかもしれないような或るもののうち一般的な本質的なものをすでに知っているように信じているからである。こうして老人の感覚はもっぱらこの一般者および過去に向かって行く。そして老人はこの一般者の認識を過去に負っているのである。しかし老人はこのように過ぎ去ったものおよび実体的なものに対する想起のなかで生きているということによって、はなはだしく現在における個別的なものおよび恣意的なもの--例えば名前--に対して記憶を失う。そしてそれはちょうど、逆に、老人は経験が与える賢い教訓を自分の精神のなかに固持していて、若い人々に説教することを義務であると思っているのと同様である。しかしこの知恵--すなわち主観的な活動とそれの世界とがこのように生気なく完全に合致しているということ--は、対立をもたない子供時代に復帰して行くということである。そしてそれはちょうど、老年の物理的有機体の活動が、過程をもたない習慣になることによって、生きた個別性の抽象的否定に--すなわち死に--進んで行くのと同じことである。
 こうして人間における老年の経過は、諸変化の、概念によって規定された全体性として終結する。そしてこれらの変化は類が個別性と共に行う過程を通して作り出されるのである。

 東洋の専制国家からギリシア・ローマの民主国家、さらにプロシア君主国家へと至る過程が自由であるというヘーゲルの主張は、こうした子どもから大人そして老年へと至る円環と類推関係がある。『歴史哲学』にはプロシアの君主国家とあるが、彼がフランス革命を熱烈に支持していたことを考慮すれば、これは「国民国家」と解すべきだろう。実際、国民国家の出現以降、新たな国家体制は登場していないし、また国家より上位にある政体も生まれていない。確かに、国民国家と共に、歴史は終わっている。

 しかし、終わりの意識は、人生の終焉を迎えつつある「老年」以上に、これから人生が始まる青年にも見られる。デビュー時に、太宰治は『晩年』を発表している。青年は必然性の代わりに「自由」ではなく、しばしば別の必然性を求める。青年は今まで押しつけられていた必然性を破壊し、自分自身の必然性を規定する「自由」を求める。終わりとは押しつけられていた必然性の終焉を意味している。学生時代に「老人」というあだ名をつけられていたヘーゲルの主張は「老年」と言うよりも、挫折した青年の思考と考えたほうが適切だろう。ヘーゲルと同い年のウィリアム・ワーズワースは「夜明けに生きるは幸福なことだ、若さはそれにも優る喜びだ」と歌っている。ヘーゲルは、青年ヘーゲル派以上に、青年である。ただ、青年ヘーゲル派は、彼と違って、挫折する前の青年である。「望み信じれば実現する」(フェルディナント・ツェッペリン)。

 エリック・エリクソンの「アイデンティティ」理論もヘーゲル主義的である。エリクソンはフロイトの理論をエディプス・コンプレックス、もしくは性的解釈から解放し、アイデンティティの危機と克服を生の諸段階に見ている。『自我同一性』の中で「従来の精神分析学では、乳幼児期の葛藤や固着が、その後は変装された形で、くり返し再演されると考えられてきたが、今後われわれは、このようにして乳幼児期に発達した自我が、社会の組織・歴史上の各時代、各文化の中で、どのように根を下ろして価値的な発展をとげるのを理解せねばならない」と言うとき、エリクソンはフロイトより前進ではなしに、ヘーゲルに退行している。「論理学や認識論を通じてであろうと、マルクスやニーチェを通じてであろうと、われわれの時代は自らをヘーゲルから解き放とうと苦悶する」(ミシェル・フーコー『言説の秩序』)。

 ヘーゲルは、『歴史哲学』の中で、「アフリカは世界史の一部ではない」と断言する。イギリスの歴史家トレバー・ローパーは、1963年に至っても、「歴史と言うものは本質的にある目的に向かって進運動なのである。恐らく将来、アフリカにも何等かの歴史が出現するだろう。しかしながら今日、アフリカに歴史はない。強いてあげるならばアフリカにはヨーロッパ人の歴史のみが存在しているのである」と言っている。これもヘーゲルの呪縛の一つである。

 ガーナのエンクルマは、独立の際に、「われわれは過去を恥じる必要は少しもない。過去は光輝につつまれている。われわれの祖先がその時代に偉大な業績を成しとげたという事実は、われわれもまた、その過去から輝かしい未来を創造できるという確信を、われわれに与えるのである」と発言している。ヘーゲル弁証法はL・S・ペンローズの階段である。目的論はある目的、あるイメージに基づいた用法として導かれたものであり、別の用法から見れば、ずいぶん使いにくいものだ。南アフリカの作家、E・ムパシエーレは、「南アフリカでは、黒いタールが白人に塗り込められる一方、白い要素が黒人に塗り込められている。私は自分の内部でこれら異質な諸要素を和解させてきた。白と黒の両者の統合に至るまで、南アフリカには優れた白人小説も、優れた黒人小説も生まれないだろう。したがって、アフリカ人芸術家は自分が西洋化した人間でありつつも、なおアフリカ人であるというパラドックスを体現する存在であることをまず承認しなくてはならない。このアフリカン・パラドックスとでも呼ぶべき状況を生き抜くことを、私は自分の使命としている」と言っている。

 たんに支配の原理に対して、被支配の原理を対置するだけでは不十分である。どちらも同じ地図を使っているからだ。しかし、ヘーゲルのように両者を止揚することもない。「ヘーゲル哲学は歴史的支配の枠をひたすら広げ、最終的には何らの抵抗なく、その壮大な内容を開示することになる」(ジャック・デリダ『弔鐘』)。

 中心化をゆるめ、その排他性・攻撃性を弱めていき、共存していくほうがいい。交通が繰り返され、混成が進む中、その中心は崩れ、別の中心が生まれていく。これはとどまることがない。アフリカには多種多様な人種・民族・言語が溢れている。それは絶え間ない人々の移動・混血の結果である。整理され、物語化できるものが歴史だと考えるならば、この混沌さに拒絶反応を示すだろう。現在でも、しばしば先進国のジャーナリズムが中東の政治的・経済的諸問題を扱う場合、思想的な現象なのに「宗教対立」、アフリカでは、「部族対立」という枠組みをあてはめて伝えてしまう。痩せて骨と皮だけになりながらも、腹部だけが異常に腫れあがっている子供の姿を放映し、援助を募るだけでなく、この状況を生み出した真の諸原因を明らかにする必要がある。援助の方法自体がこういう子供を増やしている原因の一つということもある。 つまり、歴史は多種多様の交通の地図を描くことである。天麩羅だって、もとはポルトガル語のtempero だ。Bom apetite.
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