第6話 ノーラ、人間界へ
文字数 1,692文字
ノーラとヘレーネの体が、突如として落下し始めた。人間界の重力である。まるで見えない手に引きずり降ろされるように、二人の身体は虚空を落下していく。
風を切る音が耳をかすめ、スカートが激しくはためく。空中だった。時間は夜。
「まずい、激突してしまう!」
傷ついた羽と疲労で態勢を立て直すことができない。ノーラが叫ぶ。だが、その声すら速度に飲み込まれた。ノーラが少し上で、態勢を整えようともがいていた。
やがて、眼下に悪魔界には決してない光景が近づいてくる。
尖塔の屋根、ステンドグラス、そして十字架。
「あれは……教会?まさか……!まずい!」
ノーラの瞳が、恐怖に見開かれる。
次の瞬間、ものすごい衝撃とともに、二人の体は教会の屋根を突き破った。長年の雨風で脆くなっていたため、破壊するには十分な威力だった。
瓦礫と埃が舞い上がり、祭壇の前で勢いよく地面に叩きつけられる。
「いったあ……」
激痛にのたうち回るノーラ。その時、追い打ちをかけるように彼女の全身に電流のような痛みが走った。
「な、なに……これ?」
ノーラが身体を起こそうとすると、再び痛みが襲ってくる。まるで体中を電流の縄で拘束されたようだ。
ヘレーネも苦痛の表情を浮かべ、剣の鞘に捕まり、必死に立ち上がろうとしていた。
「ノーラ様、これは……おそらく対魔結界です!」
見ると、二人を中心に魔法陣のような光の輪が広がっていた。輪の中で、ノーラたちは身動きが取れない。まるで見えない檻に閉じ込められているようだ。
「くっ、神聖な力で悪魔を封じ込める気ね……!」
ノーラは歯を食いしばり、震える手で魔力を込めた。
「へレーネ、結界の線を切って!」
「はい!」
へレーネは息を大きく吸い、止めると、見えない線を一刀両断した。拘束が消えた。彼女の刀は魔力を付与し、霊的なものを切ることも可能だ。
「ずいぶん手荒な歓迎ね、人間界は」
ノーラは荒い息で毒づいた。
その時、奥の扉が勢いよく開かれた。
「なにごとだ!」
現れたのは、アデルの父親、ヴァルター。天井の穴とほつれた結界、ふたりを見比べる。ヴァルターの瞳が、怒りに燃え上がる。
「懺悔に来たわけではなさそうだな、この悪魔どもめ!神の家から出ていけ!」
ヴァルターは聖書を取り出すと、荘厳な口調で言葉を紡ぎ始めた。その言葉は、悪魔にとって頭痛のするノイズだ。
ノーラはもう力が出ない。へレーネはノーラをお姫様だっこし、出口に走った。
「失礼します、お嬢様。ひとまず今は退却いたしましょう」
そう告げると、彼女は刀を抜き放ち、入り口の扉に向かって斬りつけた。刀が扉に食い込むと、見事にそれを切り裂いていく。
背後でヴァルターの怒号が追ってくる。だが構うことなく、へレーネはノーラを抱きかかえながら、路地裏に逃げ込んで難を逃れた。
「ありがとう、へレーネ。助かったわ」
「ですが、このままでは天使界の二の舞です」
「そうよね、まずはこの角と羽を消して、人間に見えるようにしないと。できるへレーネ?」
「はい、少々疲れますが、可能です」
ふたりは目を閉じると、集中して、体内の魔力をコントロールした。角や羽は魔力の高質化したものだ。操作に長けた上級悪魔なら、隠すこともできる。
「どう、ちゃんとできてる?」
ノーラはくるっと一周して、確認させた。
「はい、角がなくても、誰よりもお綺麗です」
へレーネはいつ何時もエレオノーラが一番かわいい。
「いえ、そうじゃなくて……まあ、いいわ。とにかくお腹が減って死にそうなの」
「それは一大事です。私をお召し上がりください」
へレーネなりのジョークである。いや、半分は本気だろう。
「今日だけは魔力で催眠させるわよ。長い間お世話になるかもしれないのだから、ずるはしたくないわ、あとでちゃんと返す」
ふたりは露店で干し肉を手に入れ、かじりながら神聖ロマーニュ帝国のフラーベント地方の夜を歩いた。
なかなか嚙み切れない固い羊肉は、高貴な家柄のノーラが食べる料理ではなかったが、彼女は噛みしめながら、人間界のはじめての味をしみじみと堪能した。そして、食べ歩きという行為を思いのほか気にいった。
風を切る音が耳をかすめ、スカートが激しくはためく。空中だった。時間は夜。
「まずい、激突してしまう!」
傷ついた羽と疲労で態勢を立て直すことができない。ノーラが叫ぶ。だが、その声すら速度に飲み込まれた。ノーラが少し上で、態勢を整えようともがいていた。
やがて、眼下に悪魔界には決してない光景が近づいてくる。
尖塔の屋根、ステンドグラス、そして十字架。
「あれは……教会?まさか……!まずい!」
ノーラの瞳が、恐怖に見開かれる。
次の瞬間、ものすごい衝撃とともに、二人の体は教会の屋根を突き破った。長年の雨風で脆くなっていたため、破壊するには十分な威力だった。
瓦礫と埃が舞い上がり、祭壇の前で勢いよく地面に叩きつけられる。
「いったあ……」
激痛にのたうち回るノーラ。その時、追い打ちをかけるように彼女の全身に電流のような痛みが走った。
「な、なに……これ?」
ノーラが身体を起こそうとすると、再び痛みが襲ってくる。まるで体中を電流の縄で拘束されたようだ。
ヘレーネも苦痛の表情を浮かべ、剣の鞘に捕まり、必死に立ち上がろうとしていた。
「ノーラ様、これは……おそらく対魔結界です!」
見ると、二人を中心に魔法陣のような光の輪が広がっていた。輪の中で、ノーラたちは身動きが取れない。まるで見えない檻に閉じ込められているようだ。
「くっ、神聖な力で悪魔を封じ込める気ね……!」
ノーラは歯を食いしばり、震える手で魔力を込めた。
「へレーネ、結界の線を切って!」
「はい!」
へレーネは息を大きく吸い、止めると、見えない線を一刀両断した。拘束が消えた。彼女の刀は魔力を付与し、霊的なものを切ることも可能だ。
「ずいぶん手荒な歓迎ね、人間界は」
ノーラは荒い息で毒づいた。
その時、奥の扉が勢いよく開かれた。
「なにごとだ!」
現れたのは、アデルの父親、ヴァルター。天井の穴とほつれた結界、ふたりを見比べる。ヴァルターの瞳が、怒りに燃え上がる。
「懺悔に来たわけではなさそうだな、この悪魔どもめ!神の家から出ていけ!」
ヴァルターは聖書を取り出すと、荘厳な口調で言葉を紡ぎ始めた。その言葉は、悪魔にとって頭痛のするノイズだ。
ノーラはもう力が出ない。へレーネはノーラをお姫様だっこし、出口に走った。
「失礼します、お嬢様。ひとまず今は退却いたしましょう」
そう告げると、彼女は刀を抜き放ち、入り口の扉に向かって斬りつけた。刀が扉に食い込むと、見事にそれを切り裂いていく。
背後でヴァルターの怒号が追ってくる。だが構うことなく、へレーネはノーラを抱きかかえながら、路地裏に逃げ込んで難を逃れた。
「ありがとう、へレーネ。助かったわ」
「ですが、このままでは天使界の二の舞です」
「そうよね、まずはこの角と羽を消して、人間に見えるようにしないと。できるへレーネ?」
「はい、少々疲れますが、可能です」
ふたりは目を閉じると、集中して、体内の魔力をコントロールした。角や羽は魔力の高質化したものだ。操作に長けた上級悪魔なら、隠すこともできる。
「どう、ちゃんとできてる?」
ノーラはくるっと一周して、確認させた。
「はい、角がなくても、誰よりもお綺麗です」
へレーネはいつ何時もエレオノーラが一番かわいい。
「いえ、そうじゃなくて……まあ、いいわ。とにかくお腹が減って死にそうなの」
「それは一大事です。私をお召し上がりください」
へレーネなりのジョークである。いや、半分は本気だろう。
「今日だけは魔力で催眠させるわよ。長い間お世話になるかもしれないのだから、ずるはしたくないわ、あとでちゃんと返す」
ふたりは露店で干し肉を手に入れ、かじりながら神聖ロマーニュ帝国のフラーベント地方の夜を歩いた。
なかなか嚙み切れない固い羊肉は、高貴な家柄のノーラが食べる料理ではなかったが、彼女は噛みしめながら、人間界のはじめての味をしみじみと堪能した。そして、食べ歩きという行為を思いのほか気にいった。