第8話
文字数 2,143文字
大輝殿と亮太は、廊下でクラスメイトたちに空気を入れている。
教室の中で私は考える。自分に空気穴があったなら、空気を抜いてしまいたい亮太。
それは何故であろう。亮太の家の押し入れは、折り畳まないと入れないくらい狭いのであろうか。かくれんぼ的には死活問題かもしれぬ。
ニャー太よ、そんなに小さな押し入れなのか、と、私は開いた窓からベランダに出る。
陽のよく当たるベランダの上で、ニャー太は寝転がっていた。腹を出し、ごろり、ごろりと右になったり左になったり、実にあられもない。私は劣等感を感じる。
私はベランダに背をつけると、ニャー太の隣でごろりと転がってみた。右に左に身体を反転し、完全たる円運動を行ってみせる。モーターがうぃんうぃんと鳴る。
視界にゆらゆらと動くものを捉えた。続いて、素早く動くのがもう一つ。
私は前脚を突き出したまま制止した。目の焦点を調節する。南の空の中空に、何かが空を飛んでいる。
気球である。
その気球に、ひゅうんと突っ込んでいく黒い塊がある。カラスである。両翼を羽ばたかせることなく微動だにさせずにぴんと張り、翼の端から噴射されるジェットの青い炎で空を横切っていく。
メカカラスである。
クチバシを突き出し、ぐるぐると自身の体を回転させながら、一直線に気球に突っ込むメカカラス。パアンと凄い破裂音がして気球が割れた。中から色とりどりの風船たちが飛び出して、ふわふわと空を漂う。
メカカラスは漂う風船たちに狙いを移行すると、ジグザグ運動を開始した。すれ違いざまの一瞬で、ぱん、ぱん、ぱぱんと割っていく。一つの直線動作でいくつもの風船を割ってのける、最適化された無駄のない動きである。それぞれの風船との相対距離と、自身と相手の飛行速度、風速も考慮した良い演算である。
「あ! カラス」
ベランダに出てきた大輝殿と亮太が、柵に掴まって空を見上げた。
「カー太!」
亮太がカラスを指差して叫んだ。
「あれ、カー太だ!」
ニャー太の次はカー太である。きっと亮太の他のペットは、ワン太とかチュー太とかいうのであろう。ミンミン太とかホーホケキョ太とかもいるかもしれない。
「亮太のカラスなの?」
大輝殿が真っ青な顔をして亮太を見た。
「おまわりさんが言ってた。みんなを割ってまわる酷いカラスがいるって。あのメカカラス、亮太のなの?」
「お、俺のってわけじゃない」
亮太は慌ててぶんぶん首を振る。
「うちの近くのゴミ捨て場で、よくゴミを啄んでた野良だよ。ゴミ捨てに行ったときにいつもいたから、名前をつけたんだ。おいカー太!」
亮太の声が聞こえたのか、メカカラスは空中でひらりと体勢を変えた。広げられた両翼から噴き出すジェットで身体を支えて宙で静止する。その隙に、逃げ惑っていた風船たちは、空に散り散りになっていく。
「みんなを割っちゃ駄目!」
大輝殿が叫ぶ。メカカラスはしばらく反応がなかった。やがてクチバシをこちらへ向けた。
その身体が、反時計回りに、ぐるりぐるりと回り始める。ドリルのように回転しながら飛来してくる。その直線運動を評価計算すると、メカカラスの針路の軌跡は、六秒ほどのちに大輝殿の胸と交差する。交差すると、衝突面積と速度の関係から、皮膚の破断が予測され……ようするにとても危ない。
「ぼくも割るつもりだ! 風船じゃないのに!」
「教室に入れ大輝!」
亮太が大輝殿の手をとって、教室に駆け込んだ。私も後に続いた。ニャー太はごろんごろんしている。
教室に入り、窓を閉めて鍵をかけてしまうと、メカカラスは宙でぴたっと静止した。校舎の外周をぐるぐると飛びはじめる。嵌め込まれた眼球が、窓からこちらを透かし見ている。割るべき風船がいないかどうか、探している。
「なんなんだよあいつ! なんでこんな酷いことするんだ!」
大輝殿が憤慨する。
その横で亮太はうつむいている。
「……俺のせいなんだ」
私は、メカが動く大元の部分には、人の命令があることを知っている。私が大輝殿を元気づけてさしあげるのは、母上から大輝殿のさびしさを埋めるように承ったからだ。メカカラスが風船を割ってまわっているなら、そうするようにメカカラスに言った人間がいるのだ。
「俺、言ったんだ。もういやだ、みんな割っちゃってくれよって」
絞り出すように亮太が呟いた。
「空気入れんのいやんなって、むしゃくしゃして、ゴミ捨て場にゴミ袋投げこみながら、カー太に向かって言ったんだ。そしたらあいつ、途端にロケット噴射で飛んでっちゃって、パンパンみんなを割るようになった」
大輝殿は神妙に頷いた。
「やめるように頼むのはできない?」
「いつも空を飛んでる。音速ジェットだ。声が届かない」
亮太は空気入れを握り締める。
「俺、どうしたらいいかわかんなくて。空気を抜いておけば割ることもできないだろうと思って、町のみんなを萎ませてまわった」
「なんだ、亮太。それでみんなの空気抜いてたんだ。いい奴――」
「違う。風船が嫌いだからだ」
言いかけた大輝殿を、亮太は慌てて制した。
「俺は極悪非道な男なんだ……」
教室の中で私は考える。自分に空気穴があったなら、空気を抜いてしまいたい亮太。
それは何故であろう。亮太の家の押し入れは、折り畳まないと入れないくらい狭いのであろうか。かくれんぼ的には死活問題かもしれぬ。
ニャー太よ、そんなに小さな押し入れなのか、と、私は開いた窓からベランダに出る。
陽のよく当たるベランダの上で、ニャー太は寝転がっていた。腹を出し、ごろり、ごろりと右になったり左になったり、実にあられもない。私は劣等感を感じる。
私はベランダに背をつけると、ニャー太の隣でごろりと転がってみた。右に左に身体を反転し、完全たる円運動を行ってみせる。モーターがうぃんうぃんと鳴る。
視界にゆらゆらと動くものを捉えた。続いて、素早く動くのがもう一つ。
私は前脚を突き出したまま制止した。目の焦点を調節する。南の空の中空に、何かが空を飛んでいる。
気球である。
その気球に、ひゅうんと突っ込んでいく黒い塊がある。カラスである。両翼を羽ばたかせることなく微動だにさせずにぴんと張り、翼の端から噴射されるジェットの青い炎で空を横切っていく。
メカカラスである。
クチバシを突き出し、ぐるぐると自身の体を回転させながら、一直線に気球に突っ込むメカカラス。パアンと凄い破裂音がして気球が割れた。中から色とりどりの風船たちが飛び出して、ふわふわと空を漂う。
メカカラスは漂う風船たちに狙いを移行すると、ジグザグ運動を開始した。すれ違いざまの一瞬で、ぱん、ぱん、ぱぱんと割っていく。一つの直線動作でいくつもの風船を割ってのける、最適化された無駄のない動きである。それぞれの風船との相対距離と、自身と相手の飛行速度、風速も考慮した良い演算である。
「あ! カラス」
ベランダに出てきた大輝殿と亮太が、柵に掴まって空を見上げた。
「カー太!」
亮太がカラスを指差して叫んだ。
「あれ、カー太だ!」
ニャー太の次はカー太である。きっと亮太の他のペットは、ワン太とかチュー太とかいうのであろう。ミンミン太とかホーホケキョ太とかもいるかもしれない。
「亮太のカラスなの?」
大輝殿が真っ青な顔をして亮太を見た。
「おまわりさんが言ってた。みんなを割ってまわる酷いカラスがいるって。あのメカカラス、亮太のなの?」
「お、俺のってわけじゃない」
亮太は慌ててぶんぶん首を振る。
「うちの近くのゴミ捨て場で、よくゴミを啄んでた野良だよ。ゴミ捨てに行ったときにいつもいたから、名前をつけたんだ。おいカー太!」
亮太の声が聞こえたのか、メカカラスは空中でひらりと体勢を変えた。広げられた両翼から噴き出すジェットで身体を支えて宙で静止する。その隙に、逃げ惑っていた風船たちは、空に散り散りになっていく。
「みんなを割っちゃ駄目!」
大輝殿が叫ぶ。メカカラスはしばらく反応がなかった。やがてクチバシをこちらへ向けた。
その身体が、反時計回りに、ぐるりぐるりと回り始める。ドリルのように回転しながら飛来してくる。その直線運動を評価計算すると、メカカラスの針路の軌跡は、六秒ほどのちに大輝殿の胸と交差する。交差すると、衝突面積と速度の関係から、皮膚の破断が予測され……ようするにとても危ない。
「ぼくも割るつもりだ! 風船じゃないのに!」
「教室に入れ大輝!」
亮太が大輝殿の手をとって、教室に駆け込んだ。私も後に続いた。ニャー太はごろんごろんしている。
教室に入り、窓を閉めて鍵をかけてしまうと、メカカラスは宙でぴたっと静止した。校舎の外周をぐるぐると飛びはじめる。嵌め込まれた眼球が、窓からこちらを透かし見ている。割るべき風船がいないかどうか、探している。
「なんなんだよあいつ! なんでこんな酷いことするんだ!」
大輝殿が憤慨する。
その横で亮太はうつむいている。
「……俺のせいなんだ」
私は、メカが動く大元の部分には、人の命令があることを知っている。私が大輝殿を元気づけてさしあげるのは、母上から大輝殿のさびしさを埋めるように承ったからだ。メカカラスが風船を割ってまわっているなら、そうするようにメカカラスに言った人間がいるのだ。
「俺、言ったんだ。もういやだ、みんな割っちゃってくれよって」
絞り出すように亮太が呟いた。
「空気入れんのいやんなって、むしゃくしゃして、ゴミ捨て場にゴミ袋投げこみながら、カー太に向かって言ったんだ。そしたらあいつ、途端にロケット噴射で飛んでっちゃって、パンパンみんなを割るようになった」
大輝殿は神妙に頷いた。
「やめるように頼むのはできない?」
「いつも空を飛んでる。音速ジェットだ。声が届かない」
亮太は空気入れを握り締める。
「俺、どうしたらいいかわかんなくて。空気を抜いておけば割ることもできないだろうと思って、町のみんなを萎ませてまわった」
「なんだ、亮太。それでみんなの空気抜いてたんだ。いい奴――」
「違う。風船が嫌いだからだ」
言いかけた大輝殿を、亮太は慌てて制した。
「俺は極悪非道な男なんだ……」