第36話:拡張身体

文字数 2,500文字

 夜を迎え、朝になった。
 普段より体の活動量が少ないせいか、起きる時間が早くなっている。
 
 コーヒーを入れてから庭に出て、鳥のさえずりに耳を傾けた。断続的に美しい音色が聞こえてくる。

 私は二件の事件について考えを巡らせ、行き詰まり、部屋の中に戻った。寝ているパドマの姿を見ているうちに、多少の不安にかられて、ソファベッドの近くに置いたリュックサックを開けた。携帯食や水のろ過装置、着火器具などを横にのけ、折りたたまれた拡張スーツを取り出す。

 服を一通り脱ぎ捨ててから、黒い布を何となく体にあて、「起動」とささやいた。すぐに認証が済んだ合図である機械音が鳴り、布が体の表面を覆っていく。少しの間布の圧力が強まったり弱まったりして、再び機械音が鳴った。試しに体をひねり、違和感なくスムーズに動くことを確認。軽く飛び上がる。天井に触れられるのを確かめ、息をついた。少なくとも壊れてはいなさそうだ。

 私は再びリュックサックを(のぞ)き込み、手のひらと同じくらいの大きさがある銀色のケースを取り出し、蓋を開けた。折りたたまれたグラス型のデバイスを取り出し、耳にかける。目の前に表示されたメニューを三十センチほど前方に拡張し、指でリサイズオプションを選び出す。目の動きでの操作は、少し苦手だ。デバイスはすぐに、スーツの時と同じく、意識ができないほど体と一体化した。

 続いて、スーツとの連携動作を確かめる。窓を開け、数メートル先に着地点をポイントしてから飛び上がると、ほとんど狂いなく目標地点に足が置かれ、着地の衝撃が吸収された。問題ない。母曰く、ハードウェア依存のデバイスは旧式らしいのだけれど、個人的には、目に何かを入れるよりも安心な代物(しろもの)に感じる。

 テストを済ませ、私は再び服を着た。普段ならスーツのみで過ごすところだけれど、この街でそんなことをすれば目立ってしまう。すでに目をつけられているわけだから、街の人間をむやみに刺激するのは避けたい。

 ただ、服を着た状態でスーツが機能するのかは怪しかった。長い距離を飛ぶときなどは、スーツがかなり膨張することもある。もしかすると、服を脱ぐ必要があるかもしれない。いざという時に、それで間に合うだろうか。

 テストを終えたところで空腹を感じ、屋敷の食堂へ朝食を取りに向かった。クロワッサンにコーヒー、それからオムレツをかいがいしくも二人分。

 部屋に戻ってくると、パドマはすでに目を覚ましていた。朝食を持ってきたことを告げると、彼女はダイニングテーブルの丸机の前に腰かける。

「なんでグラスかけてるの?」

 少女に言われて初めて、自分がデバイスをかけっぱなしにしていたことに気が付いた。食事を渡してくれる女性が、ちらちらとこちらを見ていたのはそのせいか、と一人納得。しかし、服を着た意味は無くなってしまった。


 朝食を済ませた後は、書斎へ向かった。
 街の歴史や、議事堂における議事の記録を確認するのが目的だ。

 事件の解決に役立つのでは、と思っての行動だけれど、頭の中には、街の歴史を知ったところでどうなるという反論も浮かんでいる。確かに、少し遠回りな作業であることは否めない。

 しかし、残念ながら、ほかにやるべき行動を思いつかなかった。空虚な推測を繰り返すことには、もう飽き飽きしている。解決への糸口すら見つかっていない状況にあっては、少しでも役に立ちそうなものがあれば、すがりたくなるというもの。それに、今は何もしていない状態に耐えられそうにない。

 コイトマによれば、記録の類は図書館と書斎の端末で確認することができるらしい。なんでも、書記と郷土史家を兼ねたような人物がおり、その人物が記録の編纂(へんさん)などを趣味で行っているのだとか。

 中庭に面した廊下を進み、書斎に入った。
 廊下につながる扉を閉めると、ぴたりと物音がしなくなる。恐ろしく静かな室内は、多少不気味な雰囲気ではあるものの、調べ物をするにはふさわしい。私はコイトマに教えられた通り、右手に進んだ。

 部屋の右側、三分の一ほどのところには段差が設けられており、一段高くなったスペースに丸机と一人掛けのソファが並んでいる。スペースの手前は、右の壁際から中央あたりまで本棚がせり出しているので、段差の右奥は三方向を壁に囲われている。

 段差を登ってその暗がりへ進むと、奥の壁際にいくつかタブレット端末が並んでいた。ほこりをかぶったその端末は、かなりの年代物に見える。息を吹きかけてから画面にタッチすると、しかし、映像が映し出されて安心した。さっそく、示されたメニューの中から郷土史家の名前で検索をかける。

 ――。

 膨大な量の資料を想像していたものの、表示された資料の数はそれほど多くなかった。議事録が二十数件と、街の歴史について記した資料が数件のみだ。議事録に関しても、ボリュームはほとんどない。

 日付を参照する限り、議事堂に街の人間が集まる機会はそう多くないらしい。一年に二、三回がせいぜいのようだ。議題は、街の人間同士のもめ事の仲裁であるとか、学校の教育方針の確認であるとか、平和なものばかり。医療体制の不備に関わる議論が、唯一の深刻な話題である。

 出産時に胎児が亡くなってしまうケースを含め、幼年期における死亡率の高さが問題になっているようだ。この街は、大戦前の途上国と同じような問題を抱えてしまっているらしい。まあ、ろくにAIの活用もしていないようだし、無理もない。

 パドマは、昨日女王が医療体制の不備を口にしたことを脅しと(とら)えていたけれど、問題は実際に生じているわけだ。もちろん、事実を口にしたからと言って、脅していないとは限らないけれど。

 議事録には、メディナ家の屋敷に設けられた医療設備に、限界を訴える声も残されていた。まだ見たことはないけれど、街の診療所はこの屋敷の中にあるらしい。きっと、医療も彼女たちの権力の基盤になっているのだろう。

 一連の議事の中で、より設備の整った外部の街へ移住する計画も提唱されたようだけれど、この計画は、宗教的な理由で却下されていた。この辺りが、戦前カルトとみなされた理由なのかもしれない。
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