第2章 第3節 「捨てる神、拾う神」

文字数 27,936文字

 平成18(2006)年7月上旬──。
 外科は今月から、檜山に続いて2年目研修医の成瀬が選択ローテートで回ってきてくれていた。ありがたいことに、今年は2年目研修医が全期間に一人ずつは回ってきてくれることになっていた。それを入局につなげるにはどうすればよいかはまだ手探りの状態だが、引き続き丁寧に外科指導をしていくよりほかはない。それから、新しく1年目外科ローテートできた研修医3名を一人ずつ医長に割り振ったが、くれぐれも余計なことを教えるなと釘を差した。
 昼に総合医局でお茶を飲んでいると、久斯がやってきた。
「おう、久斯──今、どこ回ってるんだ?」
「救急部です」
「ローテートパターンGか──どうだ、虫垂炎(アッペ)はいたか?」
「いいえ。アッペはこの地球から根絶されました。おめでとうございます」
「それはそれで患者も医者も助かるが、そんなわけないだろ。発症の原因が解明されてないんだから」
 虫垂炎(アッペ)では、小腸と大腸のつなぎ目である盲腸にぶら下がっている虫垂という細い管の付け根に閉塞機転が生じて、虫垂が腫れて、腹が痛くなる──という発症様式(HOW)はわかっていても、なぜそうなってしまうのかという発症要因(WHY)はまだ十分に解明されていない。医学医療は日進月歩だが、HOWはわかっていても、WHYがわかっていないものはいくらでもある。HOWがわかれば治療は進歩はするが、WHYがわからなければ効果的な予防策は立てられないし、予防できないものは根絶もできない。
「そうそう、救急部の研修ってどんな感じなんだ?」
「平田先生と、救急搬送された患者の対応です。ただ、日中はそんなに患者が来ないので、郡司や藤山たちと4階のスキル・シミュレーションルームで縫合の練習とか腕立て伏せとかしています」
「ヒマしてるっていうのか? ウソだろ。日中でもけっこう患者は来るだろ」
「日中、各診療科で受けた救急患者の診療はその科の研修医が診るので、救急部研修医はノータッチです」
「それなら、ヒマかもな」
 実際、日中の救急患者というのは各病院各診療科で対応しているので、ここの救急部だけを目当てに受診・搬送という事例が少ないというのはうなずける話だった。
「あれ、夜はどうしてんだ? 毎晩当直か?」
「まさか。平田先生が当直のときにご一緒するだけです。実は救急部ローテート中は当直回数が少ないんです」
 どうにもチグハグな研修体制だと思った。確かに、救急部研修だからといって、全部の夜間当直に入るわけにもいかないだろうし、そうかといって、日中に救急患者の客引きをするわけにもいかないだろうが、せっかくのスーパーローテート研修が裏目に出てしまっているように思えた。
「それより、外科の昔のカルテの閲覧許可をいただきたいのですが──」
 話を聞くと、久斯はローテート中の救急部で平田先生の例の万年論文の執筆を手伝っているということだった。過去カルテの閲覧にはその診療科の主任医長以上の許可が必要らしい。葦原も初めて知った。
「ああ、いいよ」
 葦原は久斯と一緒に病院地下のカルテ保管庫に赴いた。事務方にも降りてきてもらって、立ち会いのもと、必要な書類にサインをした。
「しかし、これは大変そうだなあ」
 保管庫にあるのはいずれも電子カルテが導入される前のものだ。レントゲン写真などはさらに別のところに保管してある。目当てのカルテ1つ出すのだけでも一苦労だと思うが、久斯は気にしていないようだった。ホコリの多い作業をすると見込んでか、マスクとゴーグルをすでに着用している。手術部のものを勝手に持ってきたようだ。
「もう大丈夫ですよ。葦原先生、ありがとうございました」
 手伝いは不要のようで、久斯のバイタリティに感心しつつ、葦原は戻った。午後は、他院から引き受けた胃瘻造設の患者を紹介元に戻す搬送についていくのだ。紹介元は同期の新沼で、市内零細(Gランク)病院にいる。例のミッションの聞き取りにちょうどよかったのだ──。
「辞表はまだだけど、俺も辞める。近々、真田先生のところに相談にあがるよ」
 患者を引き継ぐやいなや、新沼は言った。葦原のミッション脳内名簿にまた「△」がついた。
 新沼敏郎。七刄会医伯。90年東京第四医科大学卒、96年七大院卒。総合班Eキャリア。新沼はもともと親が開業していて、その跡取りとして医者になった。
「香取が言ってたぞ、引き継ぎのほうが大変だって」
 既存の医院の引き継ぎは、かかりつけの患者などがいるから、さしあたって開店休業(かんこどり)というリスクは少ないものの、古株スタッフの引き継ぎなどが面倒だという。
「そりゃそうだよ。俺がガキの頃からいる看護師とか事務長とかが好き勝手にやってるんだからさ。親父もなあなあでやってるが、俺はもっと新しくやりたいんだ。坊っちゃん、坊っちゃんで育ってきた俺が引導を渡すのは忍びないんだがな」
「だったら、もう少し、一緒に勤務医を続けようぜ」
「親が代われってうるさいんだよ。俺は遅く医者になったからさ」
 新沼は確か、2浪1留で医者になったから、葦原より3つ年上だったはずだ。例の医局円満退職のセオリーで言えば、新沼が医局を辞める頃には50歳手前にもなるだろう。
「それに、そろそろ教授も代替わりになるんだろうしさ。医局円満退職の恩赦(チャンス)を逃すわけにはいかないよ。新しい教授が新しいルールを作って、辞めづらくなるのも困るしな」
 医局員が医局との関係を見直す一つの区切りが教授代替わりだ。学位や専門医・指導医などを取得してしまえば、出世コースにいるものを除いて大学医局に居つづける用はないからと、医局員がお世話になった教授の代替わりを潮時として医局を辞めるというのは珍しい話ではない(一時的とはいえ、教授代替わりで医局員が大量に離れて教室が弱体化したのを目にすることもある)。だが、後ろ足で砂をかけるような露骨な態度を取る者は七刄会にはいない。七刄会医局が「七刄会にあらずば外科にあらず」の当地の外科診療を完全に掌握しているからだ。それがわかっているから、誰も勝手に辞めたりはせずに、暗黙の了解として一定年限まで勤め上げ、円満退役して医局OBになるのだ。このように、その時の教授の名前だけには左右されない権威の連続性というものこそ、医局の有用性の一つと言えるだろう。そもそも医者は生涯、一教授に仕えて生きるわけではない。葦原も第五代七刄会総裁の金華・蔵王両教授の時代に入局し、第六代総裁の蔵王教授に学位をもらい、そしていま第七代総裁の外神教授の下で働いている。
「葦原も医局を辞めて、開業でもするのか? 香取が心配してたぜ」
「またか。全くもう。ないない、俺にはそんな甲斐性はないさ。俺はどうせ、定年まで医局にしがみついていくんだよ」
「それでいいんだよ、葦原。俺はもともと親の跡を継ぐつもりで医者になってるんだから、これで辻褄が合うけど、そうじゃなかったらお前みたいにもっと思いっきりやりたかったよ」
「俺のどこが思いっきりやれてるんだよ」
「会うたびに楽しそうにしてたじゃないか」
「上司に叱られてばっかりだよ」
「叱ってくれる上司がいるのもいいもんだぜ」
「俺の身になってみろよ」
「そうか。さすがに大学から出て、最近は元気なさそうだってみんな心配してたけれど」
「元気なのは元気だよ、心配ご無用だ」
「ならいい。俺は、葦原には医局にいてほしいよ」
「医局とのパイプとしてならどうぞ思う存分、使ってくれ。同期の(よしみ)だ」
「それもあるけど、葦原には医局が似合うっていうか……お前は医局が好きだろ」
「はあ? 好きでもなんでもねえよ」
 葦原は赤面した。
「照れるなよ。医局が好きで医局にいる医者が存在するのってなんだか救われるよ」
「ますます、バカみたいじゃないか、俺」
「いいじゃないか。世の中にはいろんな医者がいるよ。教授になるやつもいれば、俺らみたいに開業するやつもいる。そうじゃなくても、医局所属の勤務医としてうまくいってるやつがいてくれるのはいいことだと思うんだ。そういう医者が本当の医療を担っているんだからさ。そう思わせてくれたのは葦原、お前だよ。お前は辞めるなよ」
 辞めるやつに辞めるなよと言われて、葦原は憮然とするよりなかった。
「そうそう、ところでさ──」
 新沼から資産運用とやらについてあれこれ勧誘されるのを聞きながら、葦原は納得できない気持ちでいた。同期の祢津は大学で教授候補として活躍し、牛尾はラパロPDとかいう先進医療を手がけている。新沼や香取も開業の準備を着々としている。教授になれない、開業もできない、医局所属の生涯勤務医確定の自分がどううまくやっているというのか。それこそ甲斐性なしではないか。いっそ、新沼

の言う財テクで一儲けして楽隠居でもするか──そうは思ってみても、新沼の話す言葉が全く耳に入ってこないのであった。


 7月中旬──。
 第3回七州総診セミナーは納涼祭会場でおなじみの青葉(せいよう)グランドホテルで開催された。久斯には不参加を表明したが、先日の肝胆膵外科医学会で真田先生に後期研修プログラム立案のペナルティを課された葦原は、毒を以て毒を制す、「2006年ショック」で宮田を奪った白神陣営の敵情視察と思って、潜入捜査していた。セミナー前半は「スパレジ」コンテストだ。研修医らが特に勉強になり共有すべきと思われた臨床症例について英語で発表(プレゼン)し、そのスキルと症例考察の適切さを競う。最優秀者(スパレジ・オブ・ザ・イヤー)の副賞は今年も海外短期留学のようだ。
「久斯、よくできていたぞ」
 セミナー休憩中に久斯に声をかけた。1年目研修医のエントリは現在救急部ローテート中の久斯だけだ。年度が改まって間もなくの7月の発表だから、準備期間が一年間もある研修医2年目が実質的には選考対象のはずなのだが、久斯はその中でもよくできていた。
「ありがとうございます。去年見たときから狙ってましたから」
「しかし、1年目で症例発表とは、伊野もスパルタだな」
 久斯の発表は、以前に手術標本室のカメラのディスク持ち出しの件で一悶着のあった解剖異常の症例についてだった。ただ、指導担当の伊野の姿が見えないのが気になっていた。研修医に発表をさせておいて、それを見に来ないのはスパルタではなく監督不行届(ネグレクト)だ。
「いえ。自分でまとめて発表させていただきました」
「はっ? えっ、独りでやったのか?」
 久斯はうなずいた──そういえば、こいつは東大医学部在学中大学院卒という周回遅れのフライングロケットスタート研修医だった。もう医学博士を取っている。研究内容や手法は基礎医学と臨床医学ではぜんぜん違うが、成果を発表にこぎつけるノウハウは共通だ。
「お前がここで発表することを誰か知っているか?」
 久斯は葦原を指さした。
「バカ野郎。俺は今、知ったんだよ。普通、上司の許可を取るもんだろうが」
 葦原は手に丸めて持っていたセミナープログラムの冊子で久斯の頭を叩いた。
「身内の勉強会みたいなものですから、別にいいかと」
 世の中には段取りというものがある。このセミナーが学術集会ではないのは確かだが、研修医は逐一、報告・連絡・相談して、上司の許可・指示・指導を受ける必要がある。研修医が「別にいいか」とやれそうなことを自己判断して勝手にやってよいことにしたら、いずれ患者に迷惑がかかる。
「上司の許可を得て動くのが研修だ。ちゃんと、そういうのも学べ」
「へい」
「ま、熱心なのはよいことだがな。そうそう、平田先生の論文も順調か?」
「はい、投稿(サブミット)しましたよ」
「もうか? 随分、仕事が早いな」
「できたから、出しただけですけれど」
 つい最近、地下カルテ保管庫でデータ収集のためのカルテ探しをしていたかと思ったら、もう学術誌に投稿したというのだから驚かされる。平田先生の万年論文を成仏させた秘訣を探ろうとしたところで、白神座長が再開を告げたので、葦原は席に戻った。
 セミナーのメインイベント、特別講演──「新時代の若手医師のキャリア形成」と題して──が東海災害医療センター外傷外科部長氷室進を演者として始まった。
「氷室と申します。今日は、私のやっている外傷外科について概説したあと、これからの時代の若手医師のキャリア形成についてお話ししたいと思います」
 氷室という医師はそう切り出し、自身の専門の外傷外科について話し始めた──が、外傷診療に関するテクニカルな情報はすべて出版済みの自著書籍にまとめているからそれを読め、として早々に切り上げてしまった。氷室医師の本題は別だった。
「私は提案します─若手医師は医局大学院に入らず臨床留学すべし、と」
 葦原はさっそく、舌打ちをした。
「従来の日本の医者のキャリアモデルはどのようなものだったでしょうか。それは、医学部卒後に医局と大学院に入り、医学博士号の学位や専門医を取り、大学院修了後も大学病院の過酷な勤務条件に耐え、プライベートも顧みずに寸暇を惜しんで実験研究をして、学会行脚を繰り返し、教授の覚えめでたければ海外研究留学をさせてもらって、講師か助教授にまで出世したあとに、どこかの教授選に出してもらう──これが医者のキャリア、医局双六(すごろく)の王道だったわけです」
 葦原はうんざりした。だから、この手のセミナーには参加したくなかったのだ。去年の医者もそうだったが、自分がそれを歩まなかったからと言って、医局のキャリアを揶揄するような言い方をしなくてもよいではないか。
「そしてゴール直前では、同じように歩んできた自学・他学の候補者とで教授席を奪い合うというイス取りゲームが待っていて、勝てば教授、負ければ市中病院の部長か開業でジエンドというわけです。世知辛いですねえ。まあ、七州大学さんのような旧帝大教授席のイス取りゲームなら、まだしばらくは参加者は集まるでしょうけど、地方の大学では医局員が少なくて、教授すら当直する有様です。その姿を見て、若手医師はもう気づき始めていますよ、もうこのゲームは時代遅れだと。今まさに医局崩壊が起こっているのです。すでに従来のキャリアモデルは通用しなくなっているのです」
 葦原はその口をふさいでやりたくなった──自分たちの歩んできた大学医局を中心としたキャリア形成を悪しざまに言われては我慢ならない。
「この日本式キャリアモデルのキモは大学院入学イコール入局して、医学博士号を取らせてもらうということです。取らせてもらうっていうのがすべてを物語ってますよね。学び、研究することは授業料を払う大学院生の権利であるのに、あたかも医者は、医学博士の学位取得がまっとうな医者の条件であるかのように洗脳されて大学院に入学させられ、そして学位取得は研究の成果・対価ではなく、医局教授のご厚情の賜であるかのように刷り込まれて卒業させられるわけです。だから、学位取得後も医局に従って暮らしていくことになるわけです。そもそも、博士号の学位というのは研究者としての運転免許証なのに、日本の医者は大学院の間だけピペットを握りしめて、博士論文1つ書いて終わりのペーパードライバーです。学位取得後、肝心の学術研究レースからは引退してしまうのです。それもそうです、鎌倉武士の御恩と奉公よろしく、大学院卒後はピペット1本ない田舎に飛ばされて働かされるんですから。私はこれを医学博士号ではなく、医

博士号と呼びます。はたして、そんなもののために大学院に入る必要が本当にあるのでしょうか」
 葦原は怒りのために立ち上がる寸前だった。聴衆が笑っているのもまた解せない。博士号は結果でしかない。それに至るプロセスを通じて、医学研究を学び、脈々と続いてきたサイエンスの潮流に触れ、そして研究成果でわずかながらも医学への貢献ができたはずなのだ。こいつはいったい何様のつもりなのだ。売られた喧嘩なら買ってやる──との葦原の思いを知らずに、氷室医師はスライドを進めた。「従来キャリアの出費(コスト)機会損失(ロスト)」と提示されている。
「大学院の授業料4年で約200万というのはこの際、どうでもいいです。先生方、もっと高い車を買うんですから。それより、大学院4年間という時間が問題です。患者さんが目の前の白衣を着た人間に医者としての最善を求める以上、なにはさておき、医者は医者になったその日から一秒でも早く一人前にならなくてはいけない。医者が一人前と言うには、私は、卒後10年は脇目を振らずにその道の臨床に専念する必要があると思います。しかしながらその10年の間、洗脳しやすい若手の時期に、臨床も研究も中途半端な大学院生活がどんと4年間も挟まってしまうことで、医者の成長が阻害されてしまう。これは、医者にとっても患者にとっても悲劇です」
 葦原はそうは思わない。体力があり、しがらみの少ない若手だからこそ、一気にあれこれ見聞を広げたほうがよいのだ。医局があるのはそのためでもある。中途半端というが、個人の医者が半人前であっても患者に迷惑がかからないように、また研究と臨床という両立しがたい課題に取り組む大学院生の生活が成立するように、医局という組織が管理しているのだ。医局の効能としてはまた、医局員の留学もある。有為な医局員を数年間海外留学させても、集団で医者が所属する医局があるおかげで、患者診療が滞ることもない。それらが帰国帰学し、次の大学院生に研究指導する。医局という組織が医学と医療それぞれの連続性を切れ目なく繋げている。ひるがえって言うと、この医者は自分が意気揚々と海外留学をした際、それまで所属していた病院や地域に穴を作ったはずなのだ。それはどう埋め合わせしたのだ。いなくなっても周りが困らないくらいの医者だったのか。
「医局博士号を取るだけに金、時間、労力を費やすくらいなら、同じくらいのコストをかけて臨床留学しましょう。医者の育成環境としてみればアメリカのほうが格段に上です。アメリカよりも日本の外科医のほうが手術が巧いだなんて自惚れないことです。それが本当ならば、日本の外科医はもっと伸びるはずですよ。医者は大学卒後10年の過ごし方で全てが決まってしまいます。どうせ、無理の利く若いうちに無理をするなら、大学院生として夜中に当直バイトして日銭を稼ぎながら実験をさせられるより、アメリカで腕を磨いて、日本の大学医局から独立した強い医者になりましょう。これからの医者は、臨床留学によって一人前になっていくのです。だからといって、アメリカに骨を埋める必要はありませんよ。日本食が恋しくなる40歳手前に戻ってくれば、私のような医局無所属(フリーランス)の根なし草であっても、シード選手のように優遇されて働けます。どうしても医学博士号がほしいなら、臨床で一人前になった後に社会人大学院生にでもなればよろしい」
 日本の医者が日本で一人前になれずに、アメリカを経由しなくてはならないなど、全くバカげた話だ。日本の医療は日本で育った医者がちゃんと担っている。アメリカ帰りの医者の存在意義など、一汁三菜そろった和の食卓にパンが投げ入れられたようなものだ。その物珍しさで、コメよりパンが優れているとミスリードさせて、一時的に優遇されているだけであろう。
 氷室医師はスライドを手繰って、「海外臨床留学のロードマップ」を提示した──まずは海外留学派遣経験のある病院で研修・勤務すること。留学の具体的なノウハウを教えてもらえるし、留学先への推薦状を書いてもらえる。次に、米国外医学部卒業者医師免許(ECFMG)を取得すること。それに必要な米国医師免許(USMLE)の試験のいくつかのステップは日本にいながら受験可能。そしてアメリカでの研修を始める──と書いてあった。氷室は次のスライドがラストです──と言って示した。
「最後に宣伝ですが、『入局しないで留学しなさい〜これからの若手医師のキャリア形成術(ディベロップメント)〜』というタイトルで、この秋に書籍を出版させていただくことになりました。大まかな内容は本日の講演と同様ですが、留学に向けたより実践的なノウハウ、ECFMG&USMLE攻略法、留学後の留意点など盛りだくさんで、必ず役立つ内容となっておりますので、ぜひご覧ください。ご清聴ありがとうございました」
 万雷の拍手が鳴り響いたが、葦原は拍手しなかった。こんな話に騙されたら、若手医師はもう大学に入局しないのではないかと本気で心配になる──矢も盾もたまらず、全体質疑で手を挙げた。学生や若手研修医が多数挙手する中、白神医師が当ててくれた。
「せんだい市民病院外科の葦原と申します。本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。私のような大学医局に所属する医者にはなかなか刺激的な内容でした。一点、よろしいでしょうか。我々は臨床のトレーニングというのは、大学病院や学外実地病院での実践医療を担いながらやってきました。学ばせていただき、その分、還元してきたつもりです。ここにいる若手医師がもし皆、それが勉強になるからと言って海外留学したとすると、医学部や医者の多い関東はともかく、仙台含め七州地方の医療は成り立ちません。医者が個人プレーに走るようなキャリア形成が果たして許容されるものでしょうか」
 演者の氷室はニコリと笑って、それから長く話し始めた。
「これは医師の成長を考える上で、本質的な指摘であると考えます。医療というものが人命を扱うこと、また、そのあり方というのがその国の文化や宗教、法律や保険制度などに規定されることから、医師は本質的に自由ではいられません。医師不足の診療科や地域で働くべきという社会的要請もある。そういう義務や要請に対して、日本で大学医局に所属する医者がこれまで結果的に担ってきたものには私は素直に敬意を評します。ただしそれが、医局の強制によってのみ成立するものであって、医師個人の主体的な取り組みではないのであれば、これからは通用しないと思います。なぜなら、日本は今、卒後臨床研修制度でいわばパンドラの箱を開けてしまったからです。医師は、医師として成長するという環境追求に関しては本質的に自由だってことを気づかせてしまったわけですから、これからの若手医師は自分本位で活動しますよ。実際、医者は成長するという一点に関してのみ自由であり、かつ責任があるし、医者は勉強になるところで働く権利と義務があるとも言えます。医者の責務は唯一、名医になり、名医でありつづけることです。それが医者に課せられたプロフェッショナル・オートノミーです。こういった考え方が、今後の医師のキャリア形成のスタンダードになるのです。そして、名医になりたいなら大学医局に邪魔されない臨床留学一択です。葦原先生のようなお考えの先生がおられて随分と素敵な医局だとお見受けしますが、ほとんどの大学医局は必ずしも医者のスキルアップに寄与しない勤務形態を医局員に強いているのが実情でしょうし、医局無所属の医者の働き方にすら有形無形の圧力をかけているでしょう。そういった権威による押し付けを続ける限り、これからの若手医師には見向きもされないでしょうね。それと、いわゆる地域医療にまつわる問題は難題山積でしょうが、大学医局から切り離された観点で行政がインセンティブを設けるなどして取り組むべきものです。指導医が新時代の若手医師に向かって地域医療を口にするのはルサンチマンですよ」
 葦原は退がった。医者がどこでどう働くかということに行政の介入を許容するような人間とは議論が成立しない。こういう医者が好き勝手に日本を出入りして医療をやれるのも、各地の大学医局が所与の地域の医療を満足させてきて、医者の就労の自由に対する厚生省からの横槍を防いできたからだ。それが日本の医者の果たしてきたプロフェッショナル・オートノミーだったのだ。この医者のように我先にと個人プレーに走るようであれば、遅かれ早かれ、それに縛りを入れられるようになってしまうだろう。そうとわからず、こういう医者を見て、これからの若手は育っていくのだと思うと恐ろしくもある。
 座長の白神医師が言った。
「今後の日本の医療は、最初は若手医師が、そしてそれに触発された中堅医師などが続いて、個人単位でスキルアップを追求していくことで再構築されていくでしょう。我々は近々、同じように海外で臨床能力を磨いてきた医師を中心としたネットワークを立ち上げます」
 スライドが一枚、新たに映し出された。
「Bank of Doctors: International Training and Trained──BDITT(ビーディット)と名付けました。出身大学にとらわれず、大学医局に所属していなくても、やる気のある若手医師が海外臨床留学できるようにサポートします。そして、それら医師を帰国後に、国内各地に指導的な役割で派遣することで、日本の医療のレベルアップに貢献していきたいと考えております。ご期待下さい」
 特別講演は再度の万雷の拍手で幕を閉じた。
 セミナー最後、スパレジ・オブ・ザ・イヤーには、2年目研修医の檜山が選出された。久斯は審査員特別賞を受賞していた。


 9月──。
 膵頭十二指腸切除術──押切執刀、伊野第一助手、葦原第二助手──の閉腹の段になり、押切先生は手をおろして、伊野が執刀医ポジションに移った。葦原が前立ちをしながら、今晩の納涼祭の件で麻酔科の先生と話していると、久斯が手術室に入ってきた。今月は麻酔科ローテート中なので、ちょくちょく手術部内で目にしていた。
「おう、久斯。そういえば、平田先生の論文はどうだ?」
 久斯は救急部ローテート中、平田先生の万年論文の作成手伝いをしていて、確か投稿にまでこぎつけていたはずだった。
「葦原先生、声が大きいです」
 久斯は人差し指を口に当てて、シッと言うジェスチャーをした。
「なんだよ、ダメだったのか?」
「いえ、論文ならもう、先月末に受理(アクセプト)されています」
「やったじゃないか! おめでとさん」
 受理された学術誌のインパクトファクターも高めのようだった──閉腹に集中していた伊野も一瞬、久斯の方を見た。
「それが大変なんですよ。平田先生が激怒してしまって」
「はあ?」
 話を聞くと、久斯は平田先生の論文を勝手に手直しして、勝手に投稿していたのだった。そして受理されてしまい、大目玉を食らったという──話を聞いていて、葦原も気が遠のきそうだった。
「呆れ果てたやつだな。どこの世界に、上司の論文を勝手に出す研修医がいるんだ」
 上司が部下の研究を自分の名義で発表して手柄を横取りしてしまったというホラー話を他の教室で聞かないわけではないが、部下が上司の論文を勝手に発表してしまうというのは前代未聞だ。伊野もいったん手を止めて、久斯に向かって怒った口調で言った。
「ブンイチ、お前、よそでもそんなことしてるのか。度しがたいやつだな」
 先日のスパレジコンテストの症例も、久斯は指導担当の伊野に断りなく発表していた。
「いやいや、聞いてくださいよ。ある程度まとまったので一度どこかに試しで投稿してみましょうって働きかけていたのに、平田先生が渋っていらして。だから試しに、一つ目は蹴られると思ってちょっといいところに投稿したんです──そしたら、あれよあれよで通ってしまって」
「あれよあれよじゃねえよ」
 伊野が言うように、論文が学術誌に掲載される前には、その編集部側との修正(リバイズ)のやりとりでそれなりに時間がかかるはずだ。久斯は受理されるまで平田先生への報告をわざと怠ったはずだった。
「よかれと思ってやったんですけどねえ……そりゃ、論文執筆はほとんど僕がやり直しましたけれど、英文校正とか統計とかは詳しい人に頼むものでしょ。それと同じで、僕は論文をまとめるノウハウを施しただけですよ。論文のオーサーシップは平田先生のままなのに」
「前にも言ったが、お前が良し悪しを勝手に決めちゃだめだ。東大卒だろうが、東大院卒だろうが、お前はまだ研修医、社会人1年目なんだぞ。臨床でそういうことをしたら、患者さんに迷惑がかかることもある。必ず、上司の判断を仰げ」
 久斯はうなずいたように見えたが、膝を屈伸しただけのようにも見えた。
「返事は?」
「へい」
「まったく……手伝った俺も共犯だな、あとで謝っておくよ」
 手術は終わり、伊野と患者のストレッチャーを押して、回復室に移った。
「伊野、よかったぞ。いつ執刀を任されてもいいように、さらに勉強しておくんだぞ」
「はい」
 外科副主任医長トリオで行われているPDトライアルの中間地点は、今日こうして、伊野が前立ち一番乗りで通過した。これを数例経験してから実際に執刀に入ることになる。伊野が筋がよいのは本当だ。ただ、どうにも目の前の外科診療に集中していないようなところがあるのが気がかりだった。今後は狩野や長野にも順番が回ってくるから、まだ勝負は決してはいない。
 夕方、納涼祭に向かおうと病院を出たところで藤堂先生と鉢合わせた。葦原は会場まで歩こうと思っていたが、タクシーに同乗させてもらうことになった。
「今年はなんとかというところです。有望なのもいます」
 葦原は自分からそう切り出したが、その有望なのが去年、東京に流れたことを思い出した。
「彼らに医局のなんたるかを理解してもらえるようにやっています」
 今年に入ってから、1年目にも2年目にも研修医には外科指導のみならず、折に触れて、入局の必要性と有用性について話すようにしていた。葦原はどこか、これまでの外科がそうであったように、ニュートラルに接した上で自主的に外科を選んでもらえればよいと思っていが、考えを改めた。今の若手には、背中を見せるだけでなく、手を引っ張ってやることが必要だと思ったのだ。しかしながら、そろそろ大学院入学願書受付が開始されるというのに、外科入局を表明してくれた研修医はまだいなかった。
「さらに気を引き締めてがんばります」
 藤堂先生は静かにうなずいた。納涼祭会場の青葉グランドホテルはすぐ近くだから、そのやり取りだけで着いてしまった。歩いてくるよりも背中に汗をかいてしまったが、今日のところはカミナリを免れたようだ。もうあれっきりで勘弁してほしかった。外科副主任医長時代、蛇塚や牛尾はドンガラドンガラやられていたが、葦原は実は、雷神藤堂にカミナリを落とされたことはなかったのが密かな自慢だったのだ。
 納涼祭が始まった。市立市営の病院だから参加しても不思議ではないものの、ほとんどそうしてこなかったはずのせんだい市長が今回挨拶に来ていたのには驚いたが、次期市長選のためのアピールだろうというヒソヒソ話が聞こえてきて納得した。有志による出し物コーナーのオオトリは市民病院の伝統芸能、研修医の裸踊りだ。今年は久斯たちが流行歌に合わせて派手な衣装で踊ったあとに、やはり途中で男どもが裸になって、やんやの喝采を浴びていた。葦原も拍手してやったあと、立ち上がった。フロアに戻っても満足げな顔で同僚とハイタッチしている久斯の首根っこを捕まえて、平田先生のところに押しかけた。
「平田先生、大変もうしわけありませんでした」
 久斯の上司論文投稿事件について謝罪した。
「俺が確認もせずに久斯を好きにさせてやったことが原因です。こいつはまだバカなので、許してやっていただけませんか」
 久斯もごめんなさいと頭を下げた。
「さっきまで裸だった人に謝られてもね」
 平田先生は久斯を一瞥して言ったが、さほど怒っているようには感じられなかった。
「別にいいさ。断りなくやられたことに怒っただけだ」
 葦原は久斯を睨んだ。久斯は下唇を出した。平田先生が言った。
「論文を書けるってのはやっぱりすごいよ。僕ひとりじゃ到底、あの論文をまとめることはできなかったから」
「俺も同じです。論文書くの、本当大変ですから。そりゃ、四六時中、論文を書いて偉くなっていくやつもいますけど、向き不向きがあるのは確かですよ。俺も全然、向いてなかったですもん」
 平田先生は久斯に向いて言った。
「久斯先生、改めて感謝するよ。僕みたいなものでも、おかげで少しは学術に貢献できた」
「どういたしまして。このあとはじゃあ、学位審査ですね。博士論文の作成、手伝いますから」
 平田先生は苦い顔をした。
「お前は余計なことを言うな。平田先生、それでは失礼します──ほら、いくぞ」
 また首根っこを捕まえて外科のテーブルに戻った。
「ふー。葦原先生、おつかれさまでした」
「おつかれさまじゃないよ。まったく。これに懲りて、ちゃんと上司に許可取れよ。じゃあ、あとはいいから、騒いでこい」
 久斯はまた、納涼祭の喧騒に消えていった。
 二次会に移動する前に、ホテルのエントランスで檜山を見かけた。最近はスパレジ副賞でアメリカに行っていたはずだ。
「おう、アメリカ帰り、ハウ・ドゥー・ユー・ドゥー」
「葦原先生、おつかれさまです」
 檜山が春先に外科を選択ローテートをしてくれていたのが、つい昨日のことのようだった。来年1月にもまた外科に回ってきてくれることになっているのだから、外科入局は確定と思っても差し支えないだろう。さっきの藤堂先生とのこともあり、たまらず、葦原はそのことを訊いた。
「檜山は大学院の準備はしてるのか? そろそろ説明会とか願書取り寄せの時期だろ? わからないことがあったらなんでも訊いてくれよ」
 檜山の顔がこわばった。その表情から嫌な予感を汲み取る前に、檜山は言った。
「俺は東海災害医療センターで後期研修することになりました」
 またか──葦原は舌打ちをした。
「檜山……後期研修はいいが、その後はどうするんだ、七大に入らないのか?」
「はい。俺は、アメリカに臨床留学して、腕の立つ外科医になりたいんです。そこは米軍病院とのコネクションがあって、留学しやすいんです」
「大学に入ってもそうできるんだぞ。研究留学やら臨床留学やら、いくらでも」
「それだと、医局の命令で行ったり戻ったりですよね。俺は自立してやりたいんです」
「医局員の留学ってのは、それが研究だろうが臨床だろうが、医局に知識や技術を持ち帰り、それを通じて地域全体の医療水準を向上させるためのものだ。医者個人のためじゃない。それと勘違いするなよ。みんな自立した上で、医局で医者をやってるんだ。自立と自分本位は違うぞ。いろんな医者がいていいと思うが、大学医局員をやってる医者のほうが大人なんだぞ」
 葦原は努めて抑えた声で言った。檜山の表情が宮田のそれにダブって見えた。
「大学医局にケチをつけるつもりはありません。俺はただ、自分のキャリアは自分で作ることにしただけです。それと、もうしわけありませんが、来年1月のローテート予定ですが、外科から総合診療部に変更させていただくことになりました。今度また、正式に手続きさせていただきますので」
 檜山は頭を下げて、踵を返した──葦原は見送ることしかできなかった。檜山がエントランスの外で合流したのは、白神医師のようだった。また、外科志望者を逃してしまった。カミナリの予感に葦原は頭を覆った。
「葦原先生、二次会いきますよ! 長野教授のキャバクラ総回診ですよ!」
 長野と一緒に通りがかった研究医志望の久斯(よっぱらい)の叫び声がエントランスに響き渡っていた。


 10月──。
 秋の訪れとともに1年目外科ローテート研修医は入れ替えられたが、いずれも外科志望者ではなかった。一方、今月から2年目研修医の梶原が予定通り、選択で外科に回ってきてくれた。ただ、梶原は初期研修後は出身大学の岩手国立大学医学部の外科に戻って入局するという。医者が出身大学に入局するのは最良の選択だから止めるつもりはないし、岩手も七刄会(うち)の同門ではあるのだから仲間が増えたことに変わりはないのだが、出身地宮城県に戻ってきて初期研修をした梶原が次の進路として七大外科を選んでくれなかったのは残念だった。理由を尋ねても、
「最初はそのつもりでしたが、七大はなんだかハードルが高そうなので」
 と、理由になっていそうな、そうではなさそうなことしか言ってくれなかった。
 午前中の手術を1件終えて、院内食堂で昼食を摂っていると、久斯が葦原の向かいの席に座って、同じ日替わり定食を食べ始めた。久斯の羽織っている白衣の中は内科系が着用している青色の術着だ。今まで久斯はずっと外科系の緑色の術着だったから新鮮だった。
「おう、いまどこ回ってんだ」
循環器内科(ひゅんはんひはいふぁ)
「食いながら話すのはかまわんが、ちゃんと最後にですますつけろよ」
 久斯が半分、外科医みたいな格好をしているのも納得がいった。循環器内科はカテーテル検査・治療のため血管造影室にこもったり、手術室でペースメーカーの埋め込み術をしたりするので、外科のような格好をしていることが多い。同じ青色の術着姿でいるのを見かけることが多い消化器内科も内視鏡で腫瘍病変を切除したり、胃瘻造設をしたりするようになってきた。病棟と外来で完結するような内科系診療も減ってきているのだ。
「内科ローテートも大変だってな、内科死の行軍(デスマーチ)っていうんだろ」
 市民病院の内科系診療科研修では合計半年間、第一内科(消化管と肝胆膵)、第二内科(循環器、呼吸器)、第三内科(糖尿病、内分泌、神経)など複数の部署とその中の診療グループを目まぐるしくローテートしていくのだという。これがしんどいようだ。
「一つの診療科に慣れたくらいに次の診療科に移るわけですからね、行く先々で、物を知らないひよっこ扱いの繰り返しで、参りますよ」
 今度は口の中を空にして、久斯が言った。
「それでもさ、いろんな診療科のノウハウを学べるのはお得だよ。研修医のうちにあれこれ学んでおかないとあとで大変だ。田舎の病院で一人当直したらなんでもありだからな」
 葦原も大学院生だった頃、大学病院の診療(手術や病棟対応)を早朝から夜遅くまで「勉強のため」に自主的にやらせていただいていた。当然、給料は出なかったので、糊口をしのぐために学外病院で夜間休日のバイトが必要だった。他の医者も技師もいない病院で自分だけで病棟急変対応や外来救急をこなさなくてはいけない段になって初めて、自分の標榜する専門にかかわらず、もっと広く医療を勉強しておけばよかったと痛感するものだ……と思ったが、久斯の場合は違うことに気づいた。
「そうか、久斯はもう大学院が終わってるから、当直バイトで食いつなぐこともないのか。親御さんに感謝だぞ。国立とはいえ、大学と大学院の授業料、それから東京での生活費、まる10年、払ってくれたんだ」
「自分の子どもがザ・ユニバーシティ・オブ・トーキョーの医学部と大学院を卒業してくれるんなら、日本でいちばんいいスネのかじり方だと思いますが」
「ぐうの音も出ないよ……っていうか、久斯は入局しなくていいんだもんなあ」
 入局というのは、実質的にはその教授の主宰する研究室・教室のある大学院に入学し、そこの学生になるということだ。それで、覆ることのない一生ものの師弟関係の根幹が作られるのだ。久斯はもう大学院修了・医学博士だから入局という機微を取ることはできないし、そもそも研究医として入る基礎医学系講座には医局すら存在しないから関係ないのだが、今そこにあるはずの医局に入ろうとしない若手医師のことを考えると、葦原としてはため息が漏れてしまうのであった。もう、来年度大学院入学者の願書提出期限が近づいてきている。
「ほんと、いまの若手はなに考えてるんだろうなあ。入局すりゃいいのに。久斯も前みたいに同期のやつらに医局礼賛してくれよ」
 葦原は投げやりな気持ちで言うと、久斯は茶碗から目を離さずに言った。
「僕はともかく、今の若手は入局しないんじゃないですか」
「なんでだよ」
「外科に限ったことではないですよ。いまの若手の合言葉は、『入局しないで専門医ゲット』ですから。入局しないで後期研修して、キャリアよりスキルアップを優先する若手が増えて、大学医局の時代も終わりかと」
 確かに、専門医資格自体は、学会入会と経験年数・症例数が揃えば受験資格が得られるから、大学で過ごさなくても取得は可能であるが、そんなものは職歴ではあっても、キャリアとは呼べない。認定医、専門医、指導医……そういう資格は医者人生の早いうちに取れてしまう。その後のことを考えているのか。
「その先はどうする? 自分の居心地のいい病院で治せる病気を診てるだけか。ずっと同じ病院にいてもステップアップなんかできないぞ」
「したい人は海外留学するんでしょう」
「ほらな。次のステージを求めるんだろ。結局、それだけじゃ不十分だって認めてるんじゃないか。日本では、その役割は大学医局がちゃんと担ってるんだよ。いちいち言葉の通じない異国に行く必要なんかないだろ。近くにちゃんと必要な環境があるんだ。スキルアップだけでなく、キャリアアップもできるし、いざとなったらのバックアップもしてくれる。内科なら一匹狼でもやれるかも知れないが、外科医こそ大学に入局するべきだ」
「あれれ、それは悪手でしょう。外科になることと入局することはイコールだって今の若手にアピールするようなものじゃないですか」
「どこが悪手だよ。定石っていうんだよ」
「上下関係が絶対の外科に入り、いったん入ったら辞められない医局に入り、ろくに給料も出ない大学で働かされるなんて、最悪じゃないですか」
「もっと違う言い方があるだろ」
「言い方はともかく、間違いではないでしょ。外科入門と大学入局を切り離さないと、今の若手には訴求できないですよ」
「若手なんてそんなもんだろ。まっとうなところで働くんなら、どうしたってきついんだよ。ラクなところで済まそうとするなよ。医者としての軸が定まる前に目先の待遇に踊らされたら、あとで取り返しがつかないぞ。居心地のいい病院が見つかるまで転々として生きていくつもりか。そんなのあっても、医者の潤沢な都市部にしかないだろ。あとの病院や地域、患者のことはどうでもいいのか」
 勉強になるだの、働きやすいだのという観点で医者が任地を決める勝手は許されない。七刄会外科医は宮城県全域の外科診療を担うべく、持ち場は違っても医局の命に従って働いている。
「あちゃちゃ。外科入局に地域医療まで乗っけたら、若手は裸足で逃げ出しますよ。外科入門と大学入局と地域医療なんて不幸なトリニティはいったん崩すべきかと。葦原先生だって、地方とはいえ、ここと大学病院、仙台でしか働いていないじゃないですか」
「俺だってバイトとかでいろんなところに行ってたんだよ。それから、今後はもっと遠くにも行く。そしてそれは医局員として当然、責任を持って担うつもりだ」
 確かにこれまでは仙台でだけ働いてきた。それは別に自分で選んだのではない。そして、次の任地はせんだい市外になる。香盤表人事でそう決まっているし、それに従う。任地がどこであっても、ここや大学で学び、成長した医者として腕を振るうつもりだ。
「葦原先生は本当に医局が好きなんですね」
「はあ?」
「だって、そうじゃないですか。医局に入れ、医局で勉強しろ、医局人事で田舎で働けなんて、ふつうの医者は肯定的に話しませんよ。現に、僕が話した他の診療科のドクターはみんな、医局のことなんか親の仇かのように忌み嫌ってますよ。葦原先生はどうしてそんなに医局を好きなんですか」
「好きなんじゃねえよ。それなりに価値と役割があるって言ってるだけだ」
 葦原は顔の表面が火照っていくのを感じた。
「まるで、教授ですね」
 久斯が目を据えて言った。
「はっ?」
「医局を肯定する医者なんかいない、そこの教授以外には──そう、おっしゃっていた先生もいます」
 葦原は顔から火が出そうになった。なんだ、その言い草は。教授みたいだとは、畏れ多いにもほどがある。
「そんなことないよ。うちはみんな医局を肯定しているよ。いいよもう」
「そうですかねえ。あっ、カテーテルの中に水を入れておく時間なんで、戻ります」
 あとから来た久斯が先に去った。葦原は顔をこすった。皆、医局を誤解している。それを解かなくてはいけない。医局とはなにか、医局がどうして必要なのか、わかってもらわなくてはいけない。だが、医局好きと言われてしまう自分にそれは可能なのか不安になってきた。そうか、医局のトップ、医局長の真田先生に訊けばいいのか──。
「葦原先生」
 呼びかけられて見上げると、先月まで外科にきていた研修医2年目の成瀬がいた。
「おう、成瀬。これから昼飯か? 今日の日替わり定食はよかったぞ」
「いえ、あの、相談がありまして」
「わかってるよ。おごってやるよ。今日の日替わり定食はよかったぞ」
「メシはいいんです。葦原先生、あの、俺、外科に入局したいんですが」
「えっ、ウソ、なんで!?
 葦原は飛び跳ねるように立ち上がった──せいで、テーブルの上のコップを倒してしまった。
「なんだよ、水くせえな! 早く言えよ!」
 成瀬に持ってきてもらった布巾でこぼした水を拭きながら、葦原は顔がほころんでしまうのを止めようがなかった。
 急遽、その夜、歓迎会として、狩野も連れて飲み会をすることになった。

 鮨処『すし宗』──。
 更に驚いたことにもう一人、2年目研修医の清水もついてきた。聞くと、清水も入局を希望しているという。こんな嬉しい誤算があるのかと、喜び以上に驚いた。いつもより酒も進むというものだ。
「ありがとうよ。成瀬も清水も大歓迎だぜ」
 アルコールが回ってくるに連れて、入局者確保ノルマの2人が急に果たされたことに葦原は安心以上に弛緩してしまった。そうなると、勝手なもので、今度は入局の相談をされて驚いた自分が情けなくも思うのだった。そもそも断っても入ってくるのが七刄会だったはずだ。実地修練医のときには葦原自身が真田先生に入局のお願いをし、また(副主任)医長でここで働いていたときには、いま大学にいる若者たちに入局の相談を受けていたのだ。貧すれば鈍するだ。知ったような口を利く久斯にもあの神奈川のアメリカ帰り野郎にも見せてやりたかった。七刄会をなめるなよ──葦原は2人に入局にまつわる段取りについて話した後、清水に言った。
「しかし、清水が外科希望ってのは知らなかったな、すまん」
 清水は確か産科志望だったので、外科勧誘は控えたのだった。産科は外科以上に危機的状態だ。そこに手を出すほど天下の七刄会は落ちぶれてはいない。
「産科も考えていたんですが、いろいろと考えて、外科に変更しました」
「……ん、そうか」
 外科医である前に一人の医者として、葦原はそれを素直に喜ぶわけにはいかなかった。隣県での産科医逮捕後、産科志望者が他科に鞍替えするようになっているらしい。ふと、外科で修行後、ほとぼりが冷めた頃に産科に進路変更できればとも思ったが、入局する以上は定年までは外科医を務めてもらうことになる。勝手なことは言えない。
「今はもう迷ってません。1年目ローテートのとき、葦原先生にやらせてもらったアッペの手術で外科の楽しさがわかりました。よろしくおねがいします」
「嬉しいことを言ってくれるじゃねえか。泣きそうだよ」
 どうやって入局者を確保したらよいかわからないまま、でも外科的なことは丁寧に教えてきたつもりだったから、そうやって言われて、本当に目頭が熱くなった。
「成瀬はもしかしたら入局してくれるかなとは思っていたが、意外に待たされたな」
 葦原がそう言うと、酔いが回って打ち解けたのか、成瀬は悪びれずに言った。
「ここだけの話……スパレジになって、関東での後期研修を考えたりしてました。でも檜山に負けてしまったので、頭を冷やしました。僕は地道にやっていきます」
 それで七刄会外科入局という選択に葦原は釈然としなかった。清水といい、成瀬といい、勘違いしている。七刄会は第二選択ではない。希望進路や後期研修先にあぶれたものの滑り止めではない。
「地道と言うなかれ、若者よ。七大外科は本邦トップクラス、そして世界レベルなんだぜ」
「そうだったんですね」
 成瀬は驚いたような顔をした。本当に七刄会の凄さを知らなかったのか。
「ああ。金ピカの大船に乗った気持ちで、大学院入学の準備をしておいてくれ」
「じゃあ、やっぱり、七大の大学院入試も難しいんですかね」
「医学部を出る頭があれば大丈夫だよ。入りたいやつはちゃんと入れる」
 安心したように酒を飲む2人を見ながら、葦原は反省していた。まさか、若手医師が七刄会外科の凄さを知らないとは考えもしなかった。そこをすっ飛ばして、外科入局の醍醐味を話していたから、響かなかったのではないか──葦原は別に他所(ヨソ)の医局をすべて礼賛しているのではない。うちの医局だからそうしていたのだ。
 飲み会前に大和部長が(所用で参加できない埋め合わせということで)入局祝いのお小遣いをくれていたので、二次会は狩野のリクエストで少し色っぽいお店で飲むことにした。清水は明日が当直だということで帰っていった。
 お店の雰囲気にドギマギしながら成瀬が訊いてきた。
「あの……やっぱり、七大卒じゃないと出世できないって本当ですか」
「おっ、出世したいか、若者よ」
「いえ、別に。ただ、相応に大事にされたいというか」
 成瀬は確か、道公医大(北海道国立医科大学)の出身だ。牛尾と同じだ。
「心配するな。実際のところ七大卒の人間がグイグイ昇っていくのは本当だ。ただまあ、自慢じゃないが、俺は七大卒だが、俺より出世してるのは七大出じゃないやつだよ」
 確かに出世コースのS研究班入りに七大卒が優先されているのは公然の秘密だが、卒業大学程度の出自にあぐらをかいて、努力と労力を惜しむようなものは七刄会には誰一人としていない。
「そうですか、なんだか安心しました」
 もし牛尾がここに赴任していたらそうは思われなかったのだろうか──俺の学外転落も役に立つこともあるというわけか。
「安心するなよ。大学はきついぞ。でも、できる医者になれる。七刄会外科は学術手術の文武両道だ。七刄会で励めば、成瀬が道公医大教授として凱旋するのも夢じゃない」
「はい、がんばります!」
 それを聞いたお店の女性に「キョージュー」としなだれかかられて、成瀬は喜んでいた。成瀬以上に鼻の下を伸ばしていた狩野を見て、葦原は釘を差した。
「狩野、お前が変なことを吹き込んだのか?」
 狩野は、医長トリオの中で唯一、七大卒ではない、東京第二医科大卒だ。
「いえいえ、まあ、そういうこともあるかもよーって話をしたくらいで」
「余計なことを言うなよ。出身大学は関係ない。当人の頑張り次第だ。お前がいい見本じゃないか。Aキャリアを目指せよ」
「……はい。そうですね。なんだか、やる気が出てきました」
 狩野は入局後、大学院ではO研究班所属となったが、そこで優良な業績を上げて、院卒後にAキャリアコース入りをした。敗者復活だ。そして今もよく働いている。七刄会はチャンスはちゃんと与えてくれる。それをものにできるかどうかは、自分次第だ──ものにできなかった自分が言うのも、ちゃんちゃらおかしいけれど。


 11月、ダイニングバー『ワン・アイド・ドラゴン』──。
「すまん、遅くなった」
 今日は、大学医学部同期・神経内科の西宮と飲み会だったのだが、帰り間際にトラブルに巻き込まれて、30分も遅れてしまった。西宮はノートパソコンを畳んだ。
「論文書きながら飲んでたから、これはこれでいい時間だったよ。緊急手術か?」
「それがさ──」
 数日前のことだ。救急外来当直中の白神医師の部下(総合診療部の後期研修医)が腹痛患者について外科にコンサルトをしてきたのだが、それに対応した長野の指示を不服に思って、その患者を他院外科に搬送してしまったのである。搬送先が藤堂先生のライバルである伏見先生のいる七州災害医療センターだっただけでなく、その患者が結果的に手術を要する状態だったということを伏見先生から直接電話で報告されたらしく、藤堂先生が激怒したのだ。葦原以下集められて、その反省会をずっとさせられていたのである。
「他の病院で患者を診てもらえたんだったら、ラッキーじゃん。それなのに怒るって、七刄会さんはつくづく立派だな」
「そんなのあたり前のことだろ」
 自分の病院で診られる症例が他院に流れることは許されない。同業者に、ラクをしている、ズルをしていると思われることは、一所懸命を信条とする七刄会外科医としては最大の罪だ。ただ、解散後に長野に事情を聞くと、相談元の後期研修医も十分な初期対応をして外科に相談したわけではなかったようで、長野が外科コンサルト前に踏むべき段取りを指導的観点で指示したのだったが、その後期研修医はそうせずに、他院に患者を送ってしまったのだった。これは禁じ手だ。白神医師の部下の暴走と言ってよい。葦原もそうとわかって、長野をそれ以上、責めはしなかった。
「しかし、自分の病院でコンサルトがうまくいかなかったからって、他院にやるかね?」
「白神さんところの若手だろ。一事が万事、そんな感じだよ。他科と揉めてばっかりだ。俺たちはアメリカ仕込みの正しいやり方で診療してるんだから、俺たちの言うことを聞け──なんて感じさ」
 他科の医師に患者診察を依頼するにはルールもあればマナーもある。例えば、右下腹部痛とそこの反跳痛で急性虫垂炎(アッペ)を疑って外科を呼ぶのであれば、腹部の画像検査で虫垂の腫大と炎症を確認してからというのは当然として、外科が来るまでの待ち時間の間に術前検査などもしておくものだ。外科医のためにそうしろと言っているのではなくて、患者がより迅速に処置や手術を受けられるようにと考えてのことだ。だが、白神一派は問診と診察で、外科的対応が必要な病名が想起された時点で外科を呼び、手を離してしまう。葦原自身も何度も白神医師やその部下からの相談を受けたことがあり、結果的に外科対応が必要ではあったものの、概して対応が不十分だと感じていた。それが総合診療なのか、アメリカのやり方かは知らないが、夜間や休日に呼ばれた側の身にもなってほしいものだった。
「上司が上司なら部下も部下って話さ。白神さん、調子に乗ってるんだよ──この間なんか、テレビに出てたぜ」
「はいはい、研修医が騒いでたから、俺も見たよ」
 白神医師は先日、卒後臨床研修制度導入後の医療業界の変化を取り上げた全国放送のニュース番組にコメンテーターとして出演していた。案の定、最近の若手医師は大学入局ではなく後期研修・海外留学する傾向にあり、そのキャリア意識が「進歩」している──と御高説していた。
「時代の寵児ってやつか」
 実際、白神医師は有名かつ人気らしく、その診療や指導を見学に来る学生や研修医、指導者も多いという。しかも東京からも来ているという。七大にいた頃は、外科もそういうことはあったものだが、この市民病院に来てから、外科の同業者による見学は経験していない。葦原の言葉に、西宮は忌々しげに反応した。
「講演やセミナーとかもバンバンやってるし、だいぶ儲けてるはずだぜ」
 医者の仕事で、執筆や講演といった「芸能活動」は珍しいものではないが、本来、そういう活動は医者の中でも大学医学部教授やそれに匹敵する大病院部長の専売特許であった。講演1回1時間、最低10万円。1つのプレゼンファイル(スライド)を持って全国行脚をして何十回も稼ぐわけである。もっと偉くなると、自分は「座長」という司会の役回りで若手に講演をさせて、同程度かそれ以上の報酬が得られる。

は別だろう。ただ、講演ではどうか知らないが、白神医師のあのセミナーは製薬会社(スポンサー)がついていなかったはずだ。葦原も大学にいた頃は外科の催しものの担当をしたからわかるが、聴衆の参加費などは会場代金にもならない。そのからくりを訊いてみたいところではあった。
「勤務医がそうできちゃうと、西宮の目指す大学教授の旨味も減っちゃうってか?」
 葦原は西宮をからかった。
「教授の旨みは名誉だ。教授であることが医者の最大の自己実現なんだから。銭金(ゼニカネ)なんかどうでもいい」
 西宮の言う通りで、院外活動で稼げて教授が羨ましい、とはならない。役得でもなければ余録ともいえない。医者は田舎の病院で当直アルバイトをすれば稼げる。課外活動はそうした当直バイトを身分的・年齢的にやれない教授のための稼ぎ口でしかない。医学部の教授も国立大学である限りは、もらえる給料自体は文学部や理学部と変わらず、年収一千万を超えるくらいだ。これだけなら、一般病院で働いている30代後半の医者に追い越される。教授となる年代であれば、医者でなくても、一般企業の役職クラスや手当の分厚い地方公務員でもそれくらいもらえるだろう。医学部に入れる学力があれば、学歴社会ですべての選択肢がある。教授に成り上がれるだけの胆力があれば、その選択肢のすべてでトップを取れる。金のためだけに、医者が多忙で責任の重い医学部教授を目指すとしたら割に合わなすぎる。銭金より名誉──それが葦原の年代のコンセンサスだが、白神医師が人気かつ稼げているというのは確かで、それになびく若手医師が一定数いるとなれば、時代の変容を感じずにはいられなかった。
「そういう西宮には、白神医師の存在は煙たいわけか」
「まさか。診療科が違うし、ろくに論文(ペーパー)も書いていない地方医大出身の臨床医と並べてくれるなよ。俺はただ、医学界の秩序を乱さないでほしいってだけさ」
 西宮はこの春から市民病院に出向してきた。大学では講座助手だった。葦原と違って学外転落ではない。各医局で伝統的に「いつどこに出向なら出世コース」というのがあるもので、神経内科では、変性疾患の臨床に強い市民病院と、神経救急で有名な仙台河南病院が出世コースだという。つまり、西宮は現在進行形で出世街道驀進中なのだ。
「そもそも、総合診療なんか医学じゃないだろう。症例報告程度が関の山だ」
「これまた手厳しい」
 卒後臨床研修制度の必修化に伴い、臓器別診療の弊害を打破するキーワードとして総合診療や救急医療といった臓器横断的な診療分野が必然的に注目されている。従来の診療区分で歯がゆい思いをさせられたことのある患者側にはそういう診療科の登場はありがたい話のはずである。一方で、これら応用臨床的な診療ジャンルの知見を学術的に発信するのは難しい。外科の大部分も実はそうで、要は臨床能力というのは科学的にアピールしづらいものなのだ。基礎疾患が多かったり、高度な解剖学的異常があったりで難しい症例の手術をやり遂げられると、外科医としての満足度は高いし、同業者の評価も得られはするが、それだけでは「医学」的な業績にはならない。せいぜい、「難しかったけれどうまくいった一例」として学術集会の地方会で発表する程度だ。仮に症例報告で論文をこしらえたとしても、あまりインパクトファクターは稼げない。臨床医学の学術的業績とは、行った検査や治療といった介入の妥当性が統計学的に検証されて、患者予後を向上させうる普遍的知見(エビデンス)に昇華したものだ。そのためには症例が多数必要だが、そんなに難しい症例が多数いるものではない。
「名医ってのは教授の条件じゃないんだよな」
 葦原はしみじみとつぶやいた。
「なにをわかりきったことを──だから、論文を書くんだろ」
 西宮は自分のノートパソコンをコツンと叩いた。名医というのは科学的業績にはなりえないし、仮に名医というだけで教授になれるなら医者に苦労も葛藤もない。単に自分だけが手術が巧いというのは科学ではない。他者を巧くさせられるとしたら科学だが、そういう術式の工夫に関する研究も現代では減ってきた。だから、外科医の行う研究といっても、手術室ではなく研究室の中、たとえば腫瘍性疾患の病因・病態解析に関する実験研究がほとんどで、それをやれる人間が外科医学界の中で出世するのだ。ついでにいえば、白神医師のように、若手医師に対する指導や教育で評判がよいというのも全く業績にはならない。
「もともと、白神さんは、なんで市民病院(ここ)に来たんだっけ」
 白神医師は葦原の着任の前年にここに来ていたようだが、西日本の地方国立大学医学部を出て、アメリカ臨床留学をして、帰国して、なぜかしらここに来たとしか聞いていなかった。
「いまの病院長がここに天下りする時に、研修病院の売りにするってスカウトしたのさ。アメリカ帰りってのは子供だましにはうってつけだろ?」
 市民病院病院長は、七大内科系有力講座の1つ、免疫内科学講座の前教授だ。
「免疫なら、坂崎がいるな──そうか、お前さんの情報源はそこか」
 坂崎は医学部同期で、七州大学大学院医学系研究科内科病態学講座免疫内科学分野(旧免疫内科学講座)の講座助手だ。
「その坂崎がブーブー言ってんだよ。論文じゃなく市販の書籍を書いて、そんで、学会じゃなくメディアで発言して、有名になって金も稼げるなんてずるい──ってな」
「大学で苦労してるんだな、あいつ」
「大学で苦労していないやつなんかいないさ。教授も下っ端もな──で、白神さんは、その免疫内科学講座の社会人大学院生なんだとよ」
「ほう……博士号取得と抱き合わせ(バーター)で七州くんだりまでおいでなすったわけか」
 葦原は納得すると同時に優越感を覚えた。海外で武者修行しても、次は日本の博士号が欲しくなるのだとすれば、宮田や檜山もまた戻ってくる可能性もある。
「それだけじゃないよ。ここの救急部を診療科に格上げして、そこの部長にするって噂だ」
「おい、それは本当か? 総合診療と救急は、違う科だろ」
「おんなじようなもんだろ」
 西宮の発言の妥当性はともかく、七州総診セミナーの演者が皆、帰国後に関東の一流病院の部長ポストに収まっていて、講演に呼ぶ側の白神医師の肩書が少し弱いのではと思っていたが、いずれ博士号と市民病院部長ポストとなれば釣り合うわけか。
「部長ポストを新設してまでアメリカ帰りを厚遇か。なんだかもう、めちゃくちゃだな」
 さっきの優越感はすぐに消えた。これでは、例の氷室某の言う通り、アメリカで一人前になってから帰国すれば、学位もポストも勝手にすり寄ってくるようなものではないか。宮田や檜山ら脱藩者の選択が正解で、戻ってこないではないか。医局に尽くしてポストを得るという日本の医者のキャリアの正道は廃れたのか。
「坂崎がブーブー言うのもわかるだろ。まあ、それくらいでもなけりゃ、アメリカ留学してた医者が縁もゆかりもない七州くんだりまで来るかって話だ」
「七大や七州がヨソサマにいいように利用されているみたいで、面白くないなあ」
「ふん、白神さんはせいぜい、市中病院の部長で、研修医教育に花咲かせてればいいさ。割れ鍋に綴じ蓋ってやつだ」
 ここで数年臨床をやって、また大学に戻れば講座講師に昇進する西宮の言葉は、七刄会Aキャリアすなわち市民病院部長ポストを逃した葦原には痛かった。
「本題は別だ──葦原、極秘だが、うちの部長、防災医大の教授選挙に出ているぞ」
「マジで!?
 西宮の言った「防災医大」は医療業界の通称で、正式には、内閣府外局「災害対策庁」所管・災害対策医科大学校で、茨城県にある目的別医科大学だ。七刄会からも一人、そこの外科学講座に教授を輩出している。
「学外から大学教授選考に出るのか。すごいな」
 学外(市中)病院から大学医学部教授選考に打って出るという意外な話に胸が弾んだ。
「そう珍しくはないさ。東京のでかい病院からなら、よくあることだろ。部長は大学で講座講師を務めてから転出したし、教室内序列は助教授格だから資格はあるわけだ。今も

に論文を定期的にパブリッシュしてるし」
 七州地方だと珍しいが、東京の大病院の部長ポストはすでに大学で相応の肩書を得たものたちの、医学部教授の待機ポストにもなっていたりする。大学医学部教授選考は一般的には公募制で、その応募要件としては学位、専門医、相応の人格の三点セットを備えていることが求められるのだが、三点目はともかくこれらの条件を備えている医者はその領域にはたくさんいるので、候補者は相応の学術的(アカデミック)キャリア、すなわち大学医学部講座講師格以上の職位にあることが大前提である。実際は留学経験や論文業績も必須だ。七刄会ならSキャリアはもちろん、大学病院診療助教授になるAキャリアであっても、医学部講座講師と同等だからその資格はあるといえる──とまで考えて、今度は胸が傷んだ。葦原の大学最終職歴は大学病院診療助手で、講座助手以下だ。
「部長は野心家なのが災いして大学から出されちゃったけど、ここで行儀よくして医局の風向きが変わるのを待つより、外に出て

したいんだろうな」
「ん? 待て待て。教授になることが実績づくりって、まるでその先を見越しているようじゃないか。防災医大の教授じゃ不満か」
「そりゃそうだ。医者は自分の出身大学の教授になって100点だからな」
 七大卒なら七大教授になるのが本望というわけか──実際、旧帝大医学部講座教授になった者には、いったん他大学の教授になったあとに本学教授として戻るという「返り咲き」を果たしたものも決して珍しくはない。贅沢な話だとは思うが、教授席の中でも旧帝大のそれは格別ということだ。部長さんは後継指名を待たずに、外から本学教授席を堂々と狙うというわけだ。
謀反(クーデター)もいいとこだ。そんなんでよく、おたくの教授(ボス)が許してくれたな」
「許していないよ。学外に出ていれば、形ばかりは大学教職員ではないからな、医局に出馬を止められることはないと踏んだ部長先生の独断専行さ」
「おいおい、自分のところの教授の推薦がなかったら、勝ち目なんかないだろう」
「勝ち目がないどころじゃないよ。ヤケクソだ」
 医局員が教授の了承や支援を得ずに大学教授選考に出るというはまさに大博打だ。勝てば一国一城の主だが、負けたら……想像するだに恐ろしい。
「ここの部長職やその後のキャリアをなげうってまで、教授になりたいものか」
 西宮は葦原の方は見ずに言った。
「部長はいつも言っているよ。医者が、誰かの許可を取らずに、自分の名前と自分の考えで行動や発言するには、教授にならないとダメなんだって。医局員のままじゃ、論文を書くのでも、雑誌の取材を受けるでも、逐一、教授の許可を取らなくちゃいけない。いくら良好な学術業績や診療技能があろうが、所詮は鵜飼の鵜に過ぎない──ってな。それに疲れたんだろう」
 それはそのとおりだ。医局員の一挙手一投足、全て教授の許可が要る。ヘマをすれば教授の顔に泥を塗ることになる。葦原のような下っ端医局員はそれで当然と思うが、もっと年をとって、それなりに偉くなっていけば、誰かの指揮下から独立して自由にやりたくなるものなのかも知れない。
「ま、男が一世一代の勝負に出たんだ、骨は拾ってやるよ。といっても、教授選考関連で不在時に、余計な詮索はせずに、病棟主治医や外来担当を代わってやるくらいだがな」
 西宮の上司は勝負をしている──そうと気づいて、葦原は自分が酒の席で他人のキャリアやポストを値踏みしているのが情けなくなった。
「西宮のところの部長さんのご多幸とご武運をお祈りして──乾杯」
 酒の水面に、教授になる資格がない自分が映って揺れていた──葦原はグラスを干した。
─────
©INOMATA FICTION 2019-2020
本作の一部または全部を無断で複写、複製、転載、配信、送信することを禁止します。また、内容を無断で改変・改竄することを禁止します。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

葦原建命(あしはら・たてる)

 七刄会医伯正

 七州大学病院外科診療助手(中部班)

久斯創(くし・つくる)

 せんだい市民病院「アラサー」初期研修医

 論文モンスター

 

真田善次(さなだ・ぜんじ)

 七刄会医伯総監

 七州大学病院外科特命教授

 七州大学医学部外科学講座医局長

藤堂壮平(とうどう・そうへい)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院副院長

 「雷神藤堂」「七刄会ラパ胆のパイオニア」

大和達郎(やまと・たつろう)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院外科部長

 「肝臓手術の名手」

押切慶二(おしきり・けいじ)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院外科副部長

 「七刄会PD最速」

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み