0話 小学校入学前の記憶

文字数 986文字

 小さい頃は母親と手をつなぐものらしい。

 私の両手にあったのは、いつも荷物だった。
 母の手は小さな妹たちのもの。弟が生まれた後は弟のものだった。
 私とつなぐ手は母にはなかった。

 そんな中の唯一の『母と手をつないだ記憶』

 それは保育園を終了した後。
 小学校入学前の準備などでバタバタしていた頃だったと思う。

 母が突然に「散歩に一緒に行こう」と言いだした。
 当時、家では犬を飼っていた。
 従兄弟の家(父の実家)からもらってきた犬だった。
 私は犬が嫌いだった。今も動物全般が好きではない。

「ヤダ。だって、追いかけてくるもん。かむもん」

 母は「リードを短くしているから、あんたの方に行かないようにする」と言う。
 何度か「ヤダ」と言った気がするが、母の説得に負けて散歩に行く事にした。
 リードは短くして散歩に歩き出す。
 途中でいつもの散歩ルートではない事に気がついた。
「どこに行くの?」と聞くと、「これから、あんたが行くところ」とだけ言った。
 着いた場所は小学校だった。
 校庭には誰もいなかった。出入り口に低くかけてあるチェーンは中央が地面についている。
 それを越えて、校庭へと入り込む。
 昔は今のように閉鎖的な学校ではなかったから、できた事だった。
 校舎はシーンと静まり返っていた。たぶん、春休みだったのだと思う。
 私だけが、母と二人……と犬一匹で小学校までやってきていた。
 遊具に腰掛けると母が、ぽつぽつと話す。

「あんたと、こんな風に二人きりになった事、なかったね」
「……そう?」
 確かに考えてみると、そうだった。二人きりになるなんて事は不可能だった。
「だから、こうして二人で散歩したかった。来年から、あんたが通う小学校を見たかった」
「そっか」
「いつも、ごめんね」
 単純にうれしいと思った気持ちが、母の言葉でしぼんだ。
「何が?」
「あんたを後回しにしてたり、負担をかけたりして」
「別に気にしていないよ」

 そんな風に返したような気がする。
 すこしだけ遊具で遊んでから、家に戻る事にした。


 ……と、今なら思うのだけれども、当時は「小学校って?ここは何?」だった。
 見たことのないモノや知らないものを理解するって難しい。


 そして、私は母も通っていた小学校に通った。
 母の姉が、母を背負って行って追い返されたというあの小学校だ。
 私が通っていた時は、もちろん赤ん坊を背負って通う子供は存在しなかった。
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