第1話『墨田区錦糸町_闇カジノとルーキー』

文字数 14,510文字

同じ東京でも東と西じゃ雰囲気が違う。そんな話を聞いたことがあると思う。
実は、もう少し小さい規模で見てもそれが成り立つことがある。例えば新宿。都庁やら上場企業の高層ビルが建ち並ぶ西口と、ラブホ、キャバクラ、風俗店がひしめく歌舞伎町のある東口じゃまったく別の街だ。
東京には、こういうコントラストがはっきりしている街がたまにあるんだ。

おれの職場のある、錦糸町もそのひとつ。

おれは錦糸町の少し先にある本所警察署で働いてる。名前は岡。警官歴は10年になる。最初の6年は地域課で交番勤務。そこから現在に至る4年間は生活安全課の刑事として働いている。

「おい、岡。お前が新人の教育係だからな。頼むぞ」

そう課長に言われたのが3日前。おれは今年で35。新人教育を任されるのも納得の歳になっていた。

新人の深見くんは、本日付けで八王子署の交番から、本所警察署の生活安全課に赴任してきた28歳の若手だ。
刑事になるには、かなり早いほうである。
東京の警察、つまり警視庁の場合、ノンキャリならまず警察学校を卒業後、地域課へ配属になり交番勤務を数年するのが一般的だ。
そこから刑事になりたいなら、異動希望を出し、運が良ければどこかしらの署の刑事課に所属となる。だが、刑事職は人気だから、20代でなるにはかなり結果を出していないと難しい。
深見くんの場合は、八王子署の交番勤務時代に、地元の不良集団の暴力沙汰を多数解決した実績を買われての配属とのことだった。

「つまり深見くんはさ、相当な武闘派ってことなの?」

3日前から、20人はラクに入るガランとした会議室で、ひたすら座学研修を受けている深見くんは、おれのいきなりの質問に一瞬、え?という表情をしたが、すぐに「えーと」と前置きしてから照れくさそうに答えた。

「まあ、自分、小学校から大学まで10年以上柔道やってましたので」

そう言って、深見くんは右手で後頭部を掻きながらぺこりと会釈をした。言われてみると耳たぶの作りが柔道家のそれだった。

「どう?深見くん、おれら生活安全課の仕事はだいたいわかった?」
「うーん、刑事課の仕事との切り分けがちょっと難しいっス」

深見くんは会議室のキャスター付きの椅子を後ろに引いて、頭をポリポリと掻きながら困惑した表情を浮かべている。

「まあ、さっき言った通り、基本は刑事課は刑法の案件、それ以外の特別法、つまり風営法やら銃刀法は、おれら生活安全課の案件って感じだよ」
「でも、例えば岡センパイたちが追ってる闇カジノ案件とかって、賭博法、つまり刑法っスよね?なんで生活安全課の岡センパイ達が追ってるんですか?」
「うーん、そう言われると、あれは例外だなあ。ただ、カジノ現場になりがちな雑居ビルの店舗の許認可ってウチの管轄だからさ。その兼ね合いでやってる感じかな」
「なるほど、ケースバイケース的な感じすか…」

深見くんが納得したのかしてないのか、わかりかねる表情をしていると、ガチャッ、バン、と激しい音を立てて会議室のドアが開き、課長が現れた。

課長は今年で52になるが、元気すぎるくらい動きがガサツだ。ズカズカとこちらに来ると、課長は深見くんの隣の椅子に腰をかけて言った。

「岡、こないだも言ったが、今日の陣頭指揮はお前がとれ。頼むぞ」
「はい、大丈夫です。ちなみに課長も同行します?」
「ああ、おれは店の下に止めた車両に待機している」
「わかりました。あ、そうだ課長。なら深見くんも課長と一緒に車両で待機させてくれませんか?いい勉強になると思うので」

深見くんは、なんの話?といった感じでおれと課長をきょろきょろ見ている。
課長は少し考えていたが、「いいだろう、見学ってことでな。じゃあ頼んだ」と言って部屋を出ていった。課長は、ガサツなキャラとは裏腹に、意外と話がわかるタイプだ。

すかさず深見くんが聞いてきた。

「今の、なんの話ですか?」
「ああ、今夜ね闇カジノの摘発があるの」
「え?」
「大丈夫。さすがに深見くんに出番はないから。ただ、摘発ってどんなもんか、見学してて」
「は、はい」

時計を見ると13時半を過ぎていた。ちょうどいい。腹も減ってたし、昼飯、現場の下見、新人のフィールドワークの一石三鳥といくか。
おれは、椅子の背もたれにかけていたスーツの上着を取った。

「よし、じゃあ深見くん、昼メシがてらちょっと外出ようか。おれたちの管轄エリア案内するよ」
「やった!座学ばっかりだったんでマジ嬉しいっす」

深見くんの声は裏返っていた。本当にうれしそうだ。まあ、たしかに、8時間の座学研修を3日間もやっていたら、誰だって外に出たくなる。

本所警察署をでると目の前には、四ツ目通りがある。片側2車線のまあまあ広い通りだ。おれたちは、そこを錦糸町方面にまっすぐ歩いていった。
錦糸公園までくると、おれは、刑事3日目のぴかぴかの新人である深見くんに、それっぽい案内をし始めた。

「おれたちの管轄で一番事件が起きるのが、この錦糸町駅周辺なんだ」
「へえ~。なんかそんな感じに見えないですけどね。公園には家族連れもたくさんいますし」

左手にある錦糸公園の滑り台のあたりには、トイザらスの買い物袋を持って走りまわる男の子がいた。公園横にあるショッピングモールのオリナスで、おもちゃを買ってもらったんだろう。
母親と思われる女性は、滑り台の横のベンチで別の子供と31アイスクリームを食べながら、トイザらスの袋を持ったまま、滑り台の階段を上がっていく子供の姿を笑顔で見守っていた。

「この錦糸町の北口は、錦糸公園、オリナス、コンサートホール、おしゃれ銭湯、区立体育館なんかがあるから、ファミリー層も多い。でも、そこの総武線の高架を境に雰囲気がかわるんだ」
「どう変わるんです?」
「キャバクラ、ガールズバー、ラブホ、風俗店が多くなる」
「え?公園とショッピングモールがあるすぐ近くに?」
「そう。あそこのマルイの下には場外馬券場もある。ダービー通りっていって、なかなかディープなエリアだよ」

深見くんは地方出身で、警視庁に入庁した後も八王子署に配属となったため、都心の地理には詳しくないとの事だった。そうこうしているうちに、総武線の高架をくぐり抜けて、楽天地ビルの前まで来ていた。
そのまま、楽天地ビル前の交差点を渡り、JR錦糸町駅の南口広場を横切りながら、マルイ方面へと向かう。

「このあたりから歓楽街っぽくなってくるよ」
「たしかに、雰囲気変わりましたね」

おれたちは、そのままマルイ横の路地から裏手に回っていく。
この辺までくると、顔なじみが増えてくる。夜の巡回ですっかり顔を覚えられた昼キャバのキャッチや、居酒屋の店員などにに挨拶されながら歩く羽目になった。
隣を歩く深見くんはというと、初めて歩く街に興味津々といった感じで、キョロキョロと辺りを見ながら歩いていたが、特に話かけてはこなかった。

2人で、しばらく無言のまま街を歩いていると、おれの思考はどんどん深くなっていった。最近は暇ができると、つい同じ事ばかり考えてしまう。

刑事の仕事についてと、それをしている自分についてだ。

おれは、小中高大とずっと府中の実家に住んでいたが、警視庁に入って、墨田区の本所警察署に卒配されると同時に墨田区に越してきた。
同期は寮に住むやつも多かったが、警察学校時代の寮生活から解放されてテンションが上がってたからか、おれは悩みもせず錦糸町の隣町、猿江にある賃貸マンションに入居することにした。
以降、10年ずっとこの街に住んでいる。

正直、この街にも、この仕事にも慣れてきた。
キャバクラ、風俗、ホテルがひしめく繁華街をパトロールし、時に犯罪者を逮捕する。
ひっきりなしに繁華街を歩き回るから、必然、さっきみたいな顔馴染みもできてくる。
ちょうど今、歩いている道の少し先にある真新しいコンビニ。思い出す。去年までここはクラシカルなバーだった。
そこのマスターとは顔なじみだったが、去年、うちの刑事課に検挙された。
外にキャッチも置かないし、キャストの女性がいるわけでもない。いつ行ってもまばらな客入りで、マスターが静かにグラスを拭いている様な店だった。
そこの空気が好きで、たまに仕事終わりに顔を出していた。
だが、実態は薬の密売所として使われていた。マスターが売人だった。
刑事課のヤツにおれまで薬の売買に関わっていなかったか疑われ、何度も尿検査をさせられたのも思い出す。

こんな事もあった。自宅近くの個人店のもつ焼き屋。一人でも気軽に入れる地元の店って感じで、行きつけになっていた。
顔なじみの店員のおばちゃんは、いかにもな肝っ玉母さんといった感じで、おれが交番勤務時代、よくホルモンをおまけでくれた。
ただ、しばらく通っていると、いつも店の裏口から中年男性と、10代くらいの若い女性が出入りしている事に気づいた。最初は家族かと思ったのだが、男性も女性も毎回違う人物だったので、少し変だなと思い、刑事になってからそれとなく調べてみたら、おばちゃんが裏で売春斡旋をしていたことが判明した。
店の建物の3階が売春現場だった。おばちゃんはおれが検挙した。

身内にもいた。おれの同期で新宿区の署に配属されて、おれと同じタイミングで刑事職になっていた。そいつは捜査情報を新宿の闇カジノの人間に漏洩し、見返りに金をもらってた。
窃盗、収賄、賭博に薬物、わいせつ行為。年イチくらいでどっかの署の警官が捕まってるので、さして珍しくもないが、同期だったからか、なんとなく、いつもより心に来るものがあった。

まあ、おれだってそこまで高潔な刑事じゃないけどね。昔は、取調べで怒鳴ってたし。ただ、それでもヤバい橋は渡らず、一線だけは超えないようにしてきたつもりだ。

[こんな組織や街にも一線を超えないヤツはいる]

自分がそれになれば、他にだってきっといると思えた。

[おれごときが悪事に手を染めずにいられるなら、他にもいるはずさ]

そう信じてやってきた。

だけど、そろそろ疲れてきた。

前は顔馴染みが裏で罪を犯してたり、身内の汚職を聞くと、ぎゅっと心臓を掴まれるような気がしたが、最近はどこか割り切っている。冷めている。

[どうせそんなもんだろう、この世界は]

どこがでそう思う自分を消せなくなっていた。
連日捜査しても解決の糸口が見えない事件。捕まえても捕まえても無限に湧いてくる犯罪者。この無限ループは永遠に終わらない。
おれは、いつまでここにいればいいんだろう。

最近は同じことばかり考えてしまうと言ったが、つまりそれはまあ、こんな事だ。

深見くんと錦糸町の街を歩いていると、いつの間にか、マルイ裏の東館・西館と近距離に2店舗も場外馬券場がある通称ダービー通りに来ていた。
深見くんがこそっと耳打ちをするように話してきた。

「なんか、さっきとは全く別の街ですね」

馬券場の前には、ブルゾンやフィッシングベストにキャップを被り、片手には競馬新聞を持った中年男子が行き交っていた。周りの串焼き屋では、昼から飲んでる男たちも多数いた。土曜のレースの真っ最中なのだろう。

「まあ、土日はこっちはこんな感じ」
「いやぁ…。すごいっスね」
「飯でも食っていこうか。中華でいい?」
「大好きです!」

深見くんはニッコリと笑って言った。素直な男だな、と思う。新人は往々にして好青年を演じがちだが、深見くんはなんとなく素でこのキャラな気がした。
おれたちは、ダービー通りの終わりにある「亀戸餃子」というカウンターしかない町中華に入った。ここは年季が入っている昔ながらのラーメン屋といった店構え。
店名の通り餃子が看板メニューの店だ。隣駅の亀戸にある本店は文字通りメニューが餃子だけと超硬派だが、ここ錦糸町店はラーメンやチャーハンもある。
おれは味噌ラーメンと餃子、深見くんはチャーハン(大)と餃子3人前を頼んだ。

「さすが柔道家、めっちゃ食うね」
おれがそう言うと、深見くんは恥ずかしそうに言った。
「餃子大好きで…。これでも一応、控えめにしてます」

料理が全て揃うと、深見くんは、小皿に醤油、酢、ラー油をたぷたぷに入れると、一気呵成に餃子をほおばり始めた。
深見くんの、控えめにしている、という言葉は事実なんだろう。猛烈なスピードで皿が空になる。が、早食いみたいなガツガツ食べる感じじゃなく、一口が大きいだけで、食べ方は意外と静かで綺麗だった。結局、深見くんは10分もかからずチャーハンと餃子をたいらげた。
両手を合わせ小さな声で「ごちそうさまです」と言った深見くんは、まだ味噌ラーメンをすすっているおれに聞いてきた。

「あの岡センパイ。さっきの会議で話してた、今夜のアレなんですけど」

先ほどの研修中、課長が話しに来た闇カジノ摘発の件だろう。

「あ、深見くん。外でその話はしない決まりなんだ」
「え?あ!!すみません!!ほんとすみません!!」
「いや、おれも言ってなかったからいいよ。でもキーワードは避けてね。なに?なんか心配ごと?」
「いえ、どういう経緯でわかったのかなって」
「ああ、なるほど。じゃ、署に帰ったら教えてあげる」
おれはたくさん浮いたコーンをレンゲで集めると一口で片付け、味噌ラーメンを食べ終えた。

署に戻ると、再び会議室に入り、おれはホワイトボードに

【錦糸町の闇カジノ事情 & 今夜の摘発について】

と書くと、深見くんに説明をはじめた。

内容をまとめると、ざっくりとこんな感じ。

そもそも、カジノ賭博は日本では現在、違法である。そのため、カジノ業を表立ってすることはできない。故に裏カジノ、闇カジノと言われるものがでてくるわけだが、錦糸町の闇カジノには大きく3種類ある。
一つ目はインカジ。インターネットカジノの略で、数はこれが圧倒的に多い。PC端末がずらりと並び、客はモニター越しにバカラやポーカーに興じる。基本的に、場所とPC、最低限の店員がいれば営業できるので、数も多くなっている。
二つ目は、裏スロ。裏のパチスロである。パチスロ自体は堅気の店でもあるが、裏スロは表の店よりも遥かに高レートでのやりとりがされている。営業時間も表は23時までと決まっているが、裏スロは深夜も当然営業している。普段から表のスロット屋に通っている客も多く、裏スロでもやること事態は変わらないため、違法行為をしているという意識が希薄な客も多い。
三つ目は、本カジ。本格カジノの略で、カジノテーブルでディーラーがカードを配るスタイルの、いわゆるカジノっぽいカジノだ。これはスペースも必要だし、カジノテーブルやカード、チップなど備品も多くいる。またテクニックを持ったディーラーも必要だったりと大掛かりで金がかかるため、数は少ない。ただ、その分、リアルなカジノ気分を味わえるから、ファンも多い。

「深見くん、ここまでOK?」

ちょっと長々説明しすぎたな、と反省していたが、深見くんは、
「OKです!よくわかりました!」と答えてくれた。

「よし、じゃ、ここまでは総論。次は、今夜摘発する闇カジノについての説明ね」

深見くんは頷いた。

「今夜摘発するのは、錦糸町の南口にある闇カジノ。かなり年季の入ったオフィスビルの6階に入ってる。店名は”アーモンド”」。

おれは、今夜に控えた闇カジノ摘発のあらましを話しはじめた。

普通、錦糸町あたりの闇カジノだと小型~中型の雑居ビルやマンションの一室に作られているケースがほとんどだが、”アーモンド”の場合、オフィスビルのワンフロアを借り切って営業している。かなりレアなケースだった。
そこまで話すと、深見くんが挙手をした。

「あの、そもそもなんで、そんな所にカジノがあるってわかったんですか?」
「おれが、たまたまそのオフィスビルから出てくる客を見つけたんだ」
「え…?」

深見くんは、どういうこと?という表情をして、おれに聞いてきた。

「なんでオフィスビルから出てくる人を客だって気づけるんです?」

それは3週間前に遡る。おれは深夜0時頃、同僚とダービー通りを私服で巡回していた。
すると、夜遅くに古いオフィスビルに入っていくスーツ姿の男たち3人を見かけた。その時は残業終わりのサラリーマンが忘れ物でも取りに戻ったのかと思って、とくに気になかった。
だが、その直後、同僚が近くの公園のトイレに行きたいと言い出したので、公園のベンチに座って待ちながら、再びビルの方を見ると、今度は別の男が入っていくのが見えた。しかも、今回の男はガラシャツを着た私服姿だった。
普通、オフィスビルに深夜、立て続けに人が入っていく事はあまりない。ちょっと変だなと思った。

その日以降、夜勤の日は、深夜0時ころになると、ビル近くのコンビニに行き、本を立ち読みしながら、様子を伺うようにした。

コンビニでの4回目の張り込みの時に(ちなみに毎回買い物はしてる)、ビルから猛烈な勢いで歩くスーツ姿の男がでてきた。非常に機嫌が悪そうだった。
おれは気になって男の後を追った。男はマルイ前の京葉道路でタクシーに乗ったので、こちらもタクシーで後を追った。

15分ほど走ると、佃島のタワマンが建ち並ぶ路上でタクシーが止まった。おれもタクシーを降りて、男のあとを追う。男はこちらの存在には全く気づいていないようだった。
1分ほど歩き、男はレンガ色のタワマンのエントランスに入った。
オートロックを解錠するため、男がスーツのポケットから鍵をだしたところで、イチかバチか、おれは後ろから声を掛けた。

「おかえりなさい」

自分でも少し怖い挨拶だなと思った。案の定、相手もビクッとしたのが背中越しにわかる。男は怪訝な顔でこちらを振り返った。

すかさず、「警察です」と言って、おれは手帳を見せた。
男は、明らかに動揺した表情で「え、あ」と言った後、「なにか?」と答えた。
わかりやすいヤツ。これならいけるかもしれない、と思った。

「錦糸町」

そう一言だけ呟いてみた。
男の視線は泳ぐ、というか、泳ぎまくっていた。確信が深まる。おれは賭けてみることにした。

「あなたがもし正直に話してくれれば、便宜を図れるかもしれません。あそこの施設はもう、時間の問題ですよ」

この時点ではまだ、あのオフィスビルで何が行われているかわからなかった。十中八九、カジノか売春だと思っていたが、そのどちらかで外してしまうと、相手にまだ何も掴んでいない事を悟られてしまう。だからあえて、「あそこの施設」などと言った。

そして、自宅と思われるマンションのエントランスまで声を掛けるのを待ったのは、こちらがあらかじめ自宅の前で待ち伏せしていた様に見せるためだ。つまり、客の身元の割り出しは済んでいる、と相手に勘違いさせる狙いだった。
もちろん、実際はまだ、捜査などしていないに等しいが。

が、タワマン男は、しばらくうつむくと、皴ができるくらいはげしく目を閉じて、はぁー、とため息をついて言った。

「お話したら、本当に便宜を図ってくれるんですね?」

キタ、と思った。こういう場合は、冷静になる前に話をさせた方がいい。おれは人目を避けるため、男とタワマンの玄関から、敷地内にある広場のベンチまで移動し、座って話を聞きだした。

で、この男から聞きだしたのがオフィスビルに入っている闇カジノ”アーモンド”の話だ。
”アーモンド”の件は、すぐに生活安全課で共有し、普段は内勤が多く、顔バレしていない山本という刑事が潜入する事となった(おれらの様に、外回りをする刑事は歓楽街の連中に顔バレしているので、とても潜入などはできない)。
ちなみに、”アーモンド”は完全に紹介のみの会員制の本カジだったが、佃島タワマン男からの紹介という形で、入店できることになった。

ここまで話すと、深見くんは「岡センパイヤバい!」、「刑事の勘エグい!」など色々言ってくれたが、実際はかなり勝手で危険な捜査なので、褒められたものではない。

今回は結果オーライなだけだった。

「山本が潜入した時の映像があるから、ちょっと見てみようか」

おれがそう言うと、深見くんは目をキラキラさせて、ブンブンと首を縦に振った。興味深々である。
スマホをケーブルでテレビに繋ぐと、山本がネクタイピン型のカメラで撮影した闇カジノの内部映像が、会議室の大型テレビに映し出される。今どきの隠しカメラは、超小型なのにフルカラーで映りもかなり鮮明だった。

映像はビルの入口付近から始まった。佃島のタワマン男が前方に映っている。タワマン男と同伴でないと入店が許可されないのだ。おそらく、イタズラに店の噂が広まるのを警戒してのことだろう。
山本たちは、正面玄関からではなく、横にある関係者出入口からビルに入っていく。
ビルのエントランスに入ると、エレベーターに乗り6階のフロアに行った。
「株式会社アーモンド」とプレートが付いた扉が映る。すると、タワマン男が、扉の横に設置された観葉植物のプランターを動かした。そこには、事務所の扉の鍵が置いてあった。

タワマン男は事務所の鍵をあけ、またプランターの下に戻した。山本たちが事務所の中に入ると、山本はネクタイピンのカメラを左右に振って、部屋の全体像を映す。
そこは、一見すると何の変哲もない事務所だった。それっぽいデスクが4セットに、ブルーのファイルがたくさん入ったガラス戸のキャビネットが3つと、コピー機が置いてある。

だが、奥に進むと分厚い防火扉があった。

タワマン男が、今度はポケットから別の鍵を取り出し、防火扉を開けた。
すると、1mくらいの短い廊下があり、すぐ先にまた扉があった。今度は木製の扉だ。ドアの先にまたすぐドア。電車の車両連結部みたいな作りだった。

奥の木製扉には「アーモンド」と書かれた金属製の札が掛けられていた。扉の横にはカメラ付のインターホン。天井にも監視カメラが付いていた。
タワマン男がインターホンを押すと「はい」とだけ返答があった。
「竹山です。IDは5604。今回、友人の川本さんも一緒です」
竹山はタワマン男がカジノで使ってる偽名で、川本は山本の偽名だ。
すこし間が空き、「少々お待ちください」と返答がくる。
1分ほどすると、ガチャリ、と木製の扉が開いた。中からは白いワイシャツに黒のベスト、そして黒い蝶ネクタイと、絵に描いたようなディーラースタイルの男がでてきた。

「竹山様、お待ちしておりました」

山本たちがカジノに入って、まず驚いたのはその広さ。たしかに冷静に考えてみると、フェイクの事務所の広さは50平米くらいだった。しかしこのビルは、外から見る限り、ワンフロア100平米はありそうだった。つまり、もう半分の50平米ほどをカジノに充てているということだ。ぱっと見でもかなり広い。

十分なスペースを確保できているからだろう、この闇カジノはパソコンモニターが並んだ錦糸町によくあるインカジや、裏スロとは違い、今どき珍しく、クラシックなカジノテーブルが中央に置かれていた。部屋の左端にはバーカウンター、部屋の奥にはキャッシャーがある。
いわゆる本カジだ。しかも、かなり本物志向の。

中央のテーブルではバカラが行われており、4人ほどがゲームに参加していた。
映像には映っていないが、扉を開けてくれたディーラの声が聞こえた。

「あちらがキャッシャーになります。最低掛け金は50万円からとなっています」

「50万?」

そこで深見くんが反応した。同時におれはビデオを止めた。

「そう。本カジの場合、掛け金が結構デカい事が多い。錦糸町で50万は高い方だけど、新宿と比べると安い方だよ」
「マジっすか?」
「まあ、とりあえずこの映像で裏がとれたから、今晩、うちの署が摘発する事になったわけ」

深見くんはもっと映像の続きを見たかったが、ここからは山本たちがカジノでボロ負けするシーンしかない。文句を言う深見くんを無視して、おれは座学研修に戻ることにした。

「はい、闇カジノについての研修はこんなところ。じゃあ深見くん、研修資料に戻って。36ページ」

深見くんの研修は夕方の5時頃に切り上げて、そこからは摘発の段取りの確認をしていた。

第一陣として現場に踏み込むメンバーの確認や、現場待機をしている刑事たちの待機車両と、押収した証拠品を運ぶトラック等の駐車位置など、細々としたことだが、こういう事をおざなりにしていると、必ず綻びがでるので、キッチリと詰めた。

そして、深夜0時50分。おれは、ビルの中の闇カジノに入っていく男たちを初めて見た公園のベンチに座っていた。
公園の少し先には、2トントラックが1台と、一見するとただのセダンの捜査車両が5台、闇カジノのあるオフィスビルの付近に止まっていた。この辺りは、路上駐車が多いから、さほど珍しくはない。まず怪しまれはしないだろう。

おれは、ベンチで待機しながら、辺りをそれとなく見やっていた。特におかしな動きはなさそうだ。
公園の時計が深夜1時を指したタイミングで、捜査員20人と繋がるインカム越しに言った。

「えー、それでは、今から乗り込みます。手筈通り、第一陣、第二陣ともに正面玄関に集まってください」

今回、オフィスビルの管理人から事前にビル出入り口のマスターキーをもらっていた。古いビルだから、カードキーではない。防犯性が低くて使われなくなった今どき珍しい金属製のディスクシリンダータイプの鍵だった。

正面玄関に行くと、すでに多くの刑事たちが集まっていた。
今回、摘発のメンバーは総勢20人程。ヘルプで別部署のものも集められている。闇カジノに乗り込むのは第一陣と第二陣。第一陣は5人。第二陣が残りの15人。
第一陣にはおれと、先日、潜入をした山本が含まれている。
山本から闇カジノには、事前に電話で友人を紹介したい、と伝えてもらっていた。
今回は山本が新たな客を紹介する形で、おれと2人でカジノに入店し、カジノの扉が開いた瞬間に、すこし離れた場所に隠れていた第一陣の残りのメンバーが乗り込む算段である。
万が一、カジノ側に気づかれ、第一陣が取り逃した場合に備え、第二陣は1階のエントランスに待機する予定だ。
20人ほどの刑事たちは目の前にいるものの、大声は出せないので、おれはインカム越しにそう言った。

「じゃあ、行きましょう。マスターキーは私が持っていますので、私につづく形でお願いします」

正面玄関の手で押すタイプのガラス扉をマスターキーを使って解錠した。

ビルの入口は、正面玄関と、ビル横の関係者用出入口の2つあった。どちらの入口も入ってしまえば、同じ1階エントランスに辿り着くのだが、ここの闇カジノの客は、すべて関係者用出入口から出入りしていた。深夜はビルの正面玄関がロックされているからだ。
関係者出入口にはカメラの様なものは見当たらなかったが、とはいえ、闇カジノ側が客を把握するため、関係者用出入口に隠しカメラを付けていないとも限らない。
それを警戒して、念のため今回は正面玄関からビルに侵入することにした。

正面玄関を抜けて、真っ暗な1階エントランスに入ると、おれは後ろに続く刑事たちに言った。

「では、第二陣はここで待機していてください。我々、第一陣が無事入店したら、それに続いて乗り込む形でお願いします」

暗闇の奥に、ぽつりとエレベーターのボタンが光っていた。山本の話によると、このエレベーターは深夜も稼働しており、カジノ客も利用できるらしい。
念のため、ここにも隠しカメラがあるリスクを考え、おれたち第一陣の5人は、非常用階段を使用してカジノのある6階まで昇った。
6階の踊り場まで着くと、おれはメンバーに言った。
「この扉を開ければ、6階フロアです。事前に説明した通り、おそらく6階フロアには至る所に隠しカメラがあるので、まずは山本とおれの2人でカジノに向かいます。その際、おれたち5人は、スマホでテレビ通話を繋いだ状態にしておきます。おれ達がカジノの前でインターホンを押して、店に入ったのをスマホ上で確認したら、残りのメンバーは突入してください」

一同が無言で頷いた。山本に念押しで言った。

「山本、ドアが開いたら、すぐにドアの隙間に脚をいれて、閉めさせないようにしてくれ」
「了解です」

5人全員でLINEのテレビ通話を繋ぐと、おれと山本はスマホを手に持ち、耳につけたインカムを外して、ポケットにしまった。
おれが目で合図を送ると、山本は、ガチャリ、と非常階段の踊り場の戸を開けて、6階フロアへと出た。

山本は、以前潜入したときと同様に、プランターの下に隠された鍵を取り、オフィス内に入った。事前にタワマン男から借りていた鍵を使い、オフィス奥の防火扉を開けると「アーモンド」と書かれた扉が出てくる。天井には監視カメラがある。
おれは、自分の顔が割れている事も考えて、伊達メガネをかけていたが、念のため下を見ていた。
山本がインターホンを押した。ピンポーン、と間の抜けた音がする。

「はい」
「先日来た川本です。IDは0145。お電話で言った通り、紹介したい友人も一緒です」
「少々お待ちください」

そこから2分近く動きがなかった。こないだ山本が来た時より長い。
非常階段にも隠しカメラがあったか?タワマン男がチクったか?いろいろな考えが錯綜して、おれの掌はびっしょりと汗で濡れていた。心臓が口から出そうだった。

と、そこで目の前のドアがガチャリと開いた。

「いらっしゃいませ、川本様」

映像で見たのと同じ髭面のディーラーが扉を開けると、山本はこないだと同じように「こんばんわ」と言った。
おれたちは店に向かって歩を進めた。まず山本が店に入り、おれも店に入った。直後、山本はくるりと振り返り、まだ開いていた扉の縁に脚を引っかけた。
遠くの方で、ガチャーン!と非常階段のドアが開く音がした。続いて、ドタドタドタドタと足音が響いてくる。
ディーラーは不審そうな顔をして、オフィス方面を見た。
おれは、ジャケットの内ポケットから手帳を出して、オフィスの方によそ見をしているディーラーに言った。

「警察です」

ディーラーが目を見開く。つづけて胸ポケットから4つ折りにした令状を出すと、今度は思い切り声を張って言った。

「皆さん動かないで、警察です。捜査令状がでています」

中央のカジノテーブルでバカラをしてた者たちの動きがピタリと止まった。皆、一様に目を見開いてこちら側を見ている。
数秒して、非常階段で待機していたメンバーが合流した。おれはすぐに指示を出した。

「奥のキャッシャーと事務所に行って、書類やデータの確保を頼む。あと他の出入口がないかもチェックしてくれ」

ポケットからインカムを取り出すと、再び耳に付ける。

「現場に入りました。第二陣もきてください」
「了解」と第二陣のリーダーから返事がきた。

突入から15分ほど経過していた。客も従業員も、こちらの指示通り大人しく床に座っている。証拠品の押収も着々と進んでいた。
先ほど、別の刑事が店内を見て回ったところ、店の出入口もここ1か所のみということだったので、おれはカジノの入口付近で全体を注視しつつ、6階と1階の連携をとる作業をしていた。

「次、カジノテーブルいきます。トラックをビル下で待機させてください」

1階にいる搬入係にインカムで指示を出した時だった。

バァンッ。

と、カジノ内にけたたましい炸裂音が響いた。「え」「うわ」などといくつもの声が上がる。
とっさに音がする方に目をやると、座っている客たちの一団の中、ガラシャツ姿の男が右手を突きあげて立っていた。
首筋には昇り龍のようなタトゥー。右手の先には黒光りするものが見えた。

「拳銃だっ!」

おれは、気づくとそう怒鳴っていた。

「どけえ、おらあ!」

そう言って、拳銃男はおれの立つカジノの入口めがけて突進してきた。
おれは迷ったが、道を開けた。他にどうしようもできなかった。
拳銃男は、そのままオフィス方面へと向かって消えた。2、3秒して、ガチャン!と非常階段の扉を開ける音がした。
おれは、そこでようやく正気を取り戻し、インカムをオンにした。

「緊急事態だ!客の中の1人が拳銃を所持!発砲して逃走。今、階段で1階に向かってる!繰り返す、拳銃を持った男が1階に逃走!」

インカムから「拳銃っ?!」と返答が来る。

目の前にいた、山本と目が合った。

「山本、ここの指揮を頼む!」

おれはそう言うと、カジノから出て拳銃男の後を追った。
一度、非常階段のドアを開けようとしたが、エレベーターが6階に止まったままの事に気づき、急いでエレベーターに乗り込んだ。1階のボタンを押し、「閉」ボタンを連打する。
エレベーターで降りている間、下の階から、ドオン!と2度目の発砲音が聞こえた。
その直後「どけおらあ!」という声も聞こえた。
おれはインカムをオンにして言った。

「おい!状況は」

誰からも返答がない。チン、とエレベーターのドアが開いた。おれはダッシュでビルの外にでた。

目の前の通りに出ると、右手側、ほんの3メートル先に人だかりができている。近づくと、1階で証拠品の搬入をしていた刑事たち5人ほどで拳銃男を取り囲んでいた。
が、拳銃男が銃を構えて、「どけおらあ」と言いながら、前方に突進すると、刑事たちの輪から抜けでた。
最悪なことに、拳銃男の進行方向には事態に気づいていない一般人が、ガードレールに座っていた。イヤホンでもつけているのだろうか、まったく動じずスマホを熱心に見ている。
拳銃男は、追いかける刑事たちの方へ振り向くと、銃を振りかざしながら言った。

「追うと撃つぞおら!止まれや」

すると、拳銃男の背中越しにぬっと黒い影がでてきた。先ほどの通行人だ。
そして、よく見ると、それは高見くんだった。

海底の砂の中でじっと待っていて、目にも止まらぬ速さで獲物を捕食する深海魚を見たことがあるだろうか?深見くんの動きはまさにそれだった。
通行人のフリをしてガードレールに腰かけ、獲物が目の前にきた瞬間、一気にとびかかり、拳銃男のジャケットを掴んで、脚を瞬時に引っかけ豪快な大外刈りを放った。
拳銃男は道路に背中から強烈に叩きつけられ、手にしていた銃はカランカラーンと、おれの目の前に吹っ飛んできた。
深見くんは、倒れた男をうつぶせにして手首をひねりあげ、馬乗りになった。

「先輩!はやくきてください!」

おれは、というかその場にいた刑事たちは全員、一瞬何が起きたかわからなかったはずだ。が、吹っ飛んできた目の前の拳銃を見て、おれはすぐに気を取り直し、銃を別の刑事に預けると深見くんのもとに駆けつけた。
拳銃男は完全に戦意喪失していたが、一方で、初めての大捕り物を経験した深見くんは興奮状態だった。

「先輩!はやく手錠をかけてください。おれ、持ってきてなくて」

ふぅーふぅーと鼻息が荒い深見くんを見て、おれは逆に冷静になってしまった。

「深見くん、マジで強いね」

馬乗りになった深見くんは一瞬ポカンとなったが、急にうつむき「いえいえ」と言って、照れたように後頭部を掻いた。

「手錠、君がかけなよ」
「え?」

おれが手錠を渡すと、深見くんは、馬乗りにされている男の両手に手錠をかけた。
先ほど拳銃男を取り囲んでいた刑事たちもやってきて、深見くんの肩にポン、と手を置き「お手柄だったな」と言って、そのまま拳銃男を連行していった。

深見くんはひとしきり照れくさそうにすると、こちらを見て言った。

「先輩、刑事になって初逮捕しちゃいました」

深見くんの顔は紅潮していた。目の大きさが1.2倍くらいになっていた。
おれはその顔を見て、自分の初逮捕は何の事件だったかな、と考えたが、思い出せなかった。

「深見くん、今日、捕まえたやつらの聴取が終わったら、どこか飲みにいこうか。初逮捕記念で、奢るよ」
「マジっすか」
「どこがいい?居酒屋、キャバクラ、ガールズバー、錦糸町はいろいろあるけど」
「餃子をたらふく食いたいっすね」
「また餃子かよ」

そこから、カジノのある6階に戻り、すべての証拠品の押収を終えたのが1時間後。
その日は、闇カジノの店員と客が思った以上に多く、署の車両は満員になってしまったので、おれたちは昼に歩いた道をまた、今度は逆方向に歩きながら本所署に戻っていった。
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