第73話 レストランデート

文字数 2,990文字

 金曜日の夕方。

「最近、近くにいるのに顔も見られないのは、寂しいよ」
 彼からLINE電話が掛かってきた。
「うん。でも、最低でも1週間は我慢するって約束したでしょ?」
 私も、少し寂しいと思ってたけど、私がしっかりしないといけない。
「そうなんだけど、外で一緒に食事するくらいならいいんじゃない?」
「え? でも、誰かに会ったら不味くない?」
「今までは誰にも目撃されてないから、この前の講習会のお礼って言えばいいと思うよ」
「もう大分日数が経ってるから変じゃない?」
「大丈夫だと思うよ。誰にも目撃されてないのだから、ひと月くらいまでは通用するでしょ」
「ああそうか。そうだよね」

「じゃ、今日、これから食事に行かない?」
「これから? ……いいけど。体調は大丈夫なの?」
「ああ、何ともないから大丈夫」
「じゃ、行こうかな」
「これから、レストランに予約してから、いつものところで待ってるよ。10分もあれば行けると思う」
「分かったわ。これから帰る支度するわね」
「じゃ、後で」

 いつもの場所で彼の車に乗ると、「誰かに会うまでは、この口実を使えるわね」と言って二人して笑った。
「この紙バッグは何?」
「旅行へ行くときに着る洋服類。家まで送るから、持って上がっておいて欲しい」
 これから、旅行の日までに色々と揃えて私の家に置いておくのだって。
「靴とかも要るよね」
「うん。来週からは、また家まで送っていくから荷物を少しずつ預かってね」
「いいよ。そしたら、毎日会えるしね。上へは上がったらだめよ」
「分かってる」

 車は、新幹線側道にあるフランス料理店へ着いた。彼が既に予約していたので、座ったら注文もしないのに暫くして料理が出始めた。今日はフルコースだ。ゆったりと他愛無い話をしながら食事を楽しんだ。最近は、デートというと私の部屋だったから、こうして外で食事をしていると、ちゃんとデートをしている感じがして嬉しい。やっぱりデートはこうでなくっちゃと思った。もちろん、私の部屋でいちゃいちゃも楽しいけれど、今は我慢。

「その後、アクセスは使っているの?」
「使ってるよ。大分慣れてきた。天野さんが言ってたとおり、僕らが研究で使う程度のことなら、大して難しくないね」
「へぇ~、凄いわね。あの講習会だけで、自分で作ることができるようになったの?」
「まあ、あのレベル程度ならね。難しいことは分からない」
「そこからは、本を読みながら自力で進めるって言ってたよね?」
「そうかも知れないけど、まだまだだね」
「天野さんは、アクセスは独習で覚えたって言ってたわ」
「凄いね。でも、それって、それなりに時間を要したんだろうなぁ」
「あの人、そういうのは、自然に頭に入ってくるみたいなこと言ってた」
「ま、僕らは、プロになるわけじゃないから、目的が達成できたらいいレベルで良しとしよう」
「そうそう。私たちは、それでいいよね」

「ところで、旅行の話なんだけど、いい?」
「うん、ホテルなんかの予約は詩織さんがしてくれるの?」
「そのつもりだけど、山の上のホテルならどこでも景色がいいわけじゃないみたい」
「そうだよねぇ。レストトランだって、席が窓側でないと大したことないかも知れないか」
「それだったら、ポートタワーみたいなところのほうが簡単でいいかなぁ?」
「研究室のパソコンで探してみようか? 家では探しにくいし」
「私は、家にはパソコン置いてないのよね。インターネットにも繋がってないし」
「スマホでも探せるけど、画面の大きいほうが探しやすそうだよね」

「布引の滝ってところが、新神戸駅の近くにあるみたいね。スマホに出てきたわよ」
「探していると、いくらでも出てくるなぁ。何処に行ったらいいのか分からなくなりそう」
「ほんと。どうしよう? 旅行会社に相談したほうが簡単かしら?」
「そうだ! 岡山駅にパンフレットとかが置いてないかなぁ?」
「そうね! 貴方は車だけど、私はバスとか徒歩とかで移動するから、明日、岡山駅に行ってみるわね」
「そうしてくれると助かるよ。僕たちがスマホで探すのは、慣れてないから大変だものねぇ」
「神戸だったら、観光地だから、きっと駅にあると思うわ」

「いずれにしても、神戸は近いし一泊二日の旅行だから時間的に余裕はあるわよね?」
「土曜日の午前10時過ぎに出れば昼過ぎには神戸だから、ゆっくり昼御飯たべてから異人館巡りはできる」
「異人館は新神戸駅に近いよね?」
「凄く近いと思うよ。布引の滝は翌日でもいいし。それは、行き当たりばったりで決めようよ」
「うん。スケジュールどおりにしなくても、自由に決めたらいいよね」
「だから、候補だけいくつか探しておけば十分だと思う」
「動物園もあるわね。ま、候補として5つほど探しておくわ」
「それで充分だよ」

 ほぼ日常の雑談みたいに自然な雰囲気で話をしながら、食事を楽しんだ。こうして、ときどき外でデートするのもいい。私の家に彼が来て食事をするのも楽しいのだけれども、それだと亭主が帰宅すると食事やお風呂の世話をするみたいな感じで、ちょっと所帯染みてしまう。私たちは恋人関係なのだから、日常生活になってしまうと夢がない。それは、やはり、外でのデートが必要なのではないかと思う。ただ、他人の目を気にしないといけない関係だから、そこが辛いのよね。

 帰りの車の中。
「まだ手術後3日目なんだから無理はしないでね」と言ったら、
「もう日常生活では手術をした感覚がないくらい」だと彼は言う。

「でもスポーツとか運動はだめでしょ?」
「まあ、一応手術したわけだから、抜糸が済むまでは大人しくしていないとね」
「抜糸が2週間後?」
「いや、何も言われなかったのよね。多分、今どきのことだから抜糸はないのかも知れない」
「抜糸しないの?」
「最近は、糸が自然に身体に吸収されるのがあるから、それなんじゃないかな?」
「ふ~ん、それって楽でいいよねぇ」
「楽だけど、もういいのかな? という感覚がないからねぇ。ある意味分かりにくいかも知れない」
「無い物強請(ねだ)り、じゃなくて、何ていうのかしら?」
「え? 我儘(わがまま)? 贅沢(ぜいたく)? 強欲(ごうよく)? 際限(さいげん)がない?」
「うわっ! 真面(まとも)な表現がないわね」
「知らないから、近そうな単語を思い付くまま並べてみた」
「要するに、便利になって良かったねってことにしときましょ」
「あはは、凄いよねぇ。医学の進歩というよりは、そんな糸を開発した科学の進歩だよね」

「それで、2週間後なら旅行しても本当に大丈夫なの?」
「旅行とかを含めて全く問題ないと思うよ」
「良かった。()()()()楽しみにしてるわ」
「僕も楽しみ。天気が良いといいなぁ」
「そうよね。お祈りしときましょ。てるてる坊主作って」
「あはは」

 車がマンションに着いた。彼の紙バッグを預かって車から降りる。
「ご馳走さまでした。とても美味しかったし、楽しかったわ。ありがとう。ときどき、こういうデートしようね」
「僕も楽しかったよ。久しぶりに顔を見たような気がしたし、それに色々と話もできて良かった」
「あ! それで、他にも荷物がくるんでしょ? 土日は持ってこない?」
「土日は持ってこないよ。上がりたくなるから、来週の月曜日に帰りを送りがてら、荷物を預ける積もり」
「分かったわ。車を降りるときに長い話をしてごめんなさいね」
「大した時間じゃないから、大丈夫。じゃ、おやすみなさい」
「気を付けて帰ってね。おやすみなさい」

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登場人物紹介

矢野 詩織 《やの しおり》

大学准教授

近藤 克矩 《こんどう かつのり》

大学教授

天野 智敬 《あまの ともたか》

ソフトウェア会社社長

森山 結心 《もりやま ゆい》

パン屋さんの看板娘

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