第2話

文字数 2,026文字


 放課後、学校が引けると、俺は最寄りのバス停へと急いだ。
 最寄り…──と言っても、俺の住む里山までの路線のバス停は市街地の端で、学校からはそれなりに遠い。
 (ひな)びた待合所のトタンの屋根が、ふとその瞬間だけ鳴った。空には青空があるのに、雨がはらはらと降ったり止んだりと落ち着かない天気で、俺の心も、なんだか落ち着かない。

 待合所には、俺の他に四人がいた。
 年季の入ったベンチには、あの教室で視線を感じた双子だろう女の子と、色白で小柄なショートヘアの娘。
 それに身長は180を超えてるだろうメガネの男子。確かクラスの委員長だったはずだ。
 そして、視線の険しかったあの双子の男の方──。

 本当に男か? と思うほど整ったその面差しには、今も険のある表情が浮かんでいた。その表情に気圧されたわけでもないが、俺は理不尽なものを感じつつも待合所の小屋を出て、外の標柱まで逃げ出した。


 時刻表を確認すると夕刻のバスの到着まで、あと五分もなかった。
 小屋に視線を戻す。狐日和の雨の(しずく)越しに、あの長い髪の優し気な彼女と目が合った。
 俺が慌てて目線を外すと、彼女の方も小さく首をすくめるように目線を地面に落とした。
 同じ顔でももう一方の男の方と違って、その整った顔立ちは控えめで優し気だ。
 その分だろうか、俺はこの少女には素直に好感を持った。が、同時にどこかで会ったことのあるような、既視感(デジャヴ)めいた感覚に戸惑いも覚える。

 ──あれ?
 この娘の顔は知っているんだ。
 でも、誰だっけ? 忘れるはずはないと思うんだけど……。

 思案顔の俺が、もう一度彼女の顔に視線を遣るよりも先に、夕刻のバスのブレーキの大きな音が聞こえてきた。俺は、目の前で開いた乗降口の階段(ステップ)に足を掛けていた。



 人気のないバスは、俺を含めた五人を乗せるとゆっくりと時間をかけるようにして市街地を抜けた。
 他に客の姿のないまま、いよいよ田畑の多い里山へと入って行く。

 五人のうち大柄のメガネの委員長は車中の中ほどの席で文庫本を開いていて、その一つ前の席に双子の男の方が腰を下ろしている。
 気の置けない仲らしい。
 でも、この身長差はもはや漫画──…少年誌の連載物には定番の組合せ──だな、と、このときの俺は意地わるく思った。

 後方の段上になった一番前の席で何とはなしに窓外の景色を見やる俺の三つ後ろの席には、女の子二人が並んでいる。
 双子の彼女の顔をもう一度よく見て確かめたいという思いはあったが、流石に、わざわざ振り返ることには気拙さを感じる。
 俺はずっと窓の外を見ていた。

 すると隣に人の気配を感じた。つと視線を向けると──、

「葉山……浩太くん、だったよね?」

 ショートヘアの方の娘がこっちを向いて立っていた。
 バスはすでに山間の上り坂に差し掛かっていて、古い車体は右に左によく揺れる。
 そんな車体が揺れるたびに小柄な彼女の身体も上下に左右に跳ねるようだった。
 そのときも、訊かれたことに答えるより前にバスが大きく揺れて、女の子の体が大きく跳ねた。
 俺は腕を伸ばして彼女の二の腕を掴むように支えてやった。

「気を付けて」
「ありがと……」 女の子の顔がちょっと赤くなる。「──あ、あたし、水埜結沙(みずのゆさ)……同じクラスだよ」

 俺は頷いて応えると、通路越しの席を目で示して見せる。
 少女は小さく頷くと、席に着きしな後方に座っている相方の方をちらと見た。それに相方の女の子が慌てたように窓外に顔を向けてしまう。
 少女──水埜結沙は、俺と顔を見合せるように、あらためて笑顔を向けてきた。


   *  *

 わたしは結沙が彼の隣に腰を下ろすのを横目で見ていた。

 気持ちに波が立つのが自分でわかる。
 トンネルに差し掛かると、口を尖らせた自分の顔が暗くなった窓に映っていた。
 それから十分程で結沙が戻ってきた。
 わたしは慌てて表情をあらためる。

「彼、やっぱりコウちゃんなんじゃないかな……」

 顔を向けないことに決めたわたしに、結沙が声をひそめて云ってきた。

「──以前、この辺りに住んでたコトあるって言ってた。いまの家って、昔住んでたあの家だって」

 その情報に、わたしはあっさりと反応してしまい、結沙の顔を勢いよく覗き込んでいた。

「……そうなんだ」
 それからバツが悪くなって、視線を外さなくちゃならなくなる。「──それで、なんて……?」


 ちょうどそのタイミングでバスが停車して、あっくん(明弘)の長身が席を立った。
 出口に向かう前に一旦振り返って、コウちゃん──転校生の葉山浩太くんに二言三言話しかけ、最後に結沙とわたしに会釈して乗降口を降りていった。
 わたしの隣で、笑顔で小さく手を振っていた結沙は、扉が閉まるとあらためて──コウちゃんに聴こえないように──声をひそめて云った。

「何も覚えてないんだって……(なん)にも記憶に残ってないって」

 その言葉に、今度こそわたしはうろたえた。

「そう……なんだ」

 そう応えて、あとはそれきり言葉が出なくなってしまっていた。
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