第1話

文字数 7,255文字

昔々……といっても俺が小学生の頃だな。学校嫌いの女の子がいて、ある日、テレビの怪獣番組を見てたら自分がその怪獣になってしまった、確かそんな話だったと思うけど、学級文庫で読んだことがあるんだ。知らない? それじゃあ、あれは? グレゴール・ザムザって男がある朝、目が覚めたら大きな虫になっていた……。読んだことなくても何となく内容ぐらい聞いた事ないか? それもない? 困ったな……。まあ、俺が言いたいのはそういうことだ。どういうことかって?


 だーかーら、俺もその女の子やザムザみたいなもんだってこと。


 だってさ、都内のそこそこの会社に勤めて……出版関係だよ、もっというと雑誌やムックの編集をやってたんだよ。ムックってわかる? それが、ある朝目が覚めたら、目の前がぼんやりしている。いつもの癖で枕元のスマホを取ろうと手を伸ばしたけど、何もない。それどころかさ、なんだかごつごつした感触なんだよ。酔っぱらって風呂場かキッチンでゴミ袋に埋もれて寝ちゃったのかな? とか思ったわけよ、最初は。でもよく考えたら、その日は定時に退社して、家でテレビ見て、スマホいじって、シャワー浴びて、ベッドで寝たんだよ。それが、家のどこでもない、よくわからない場所にいる。焦ったね。ひょっとしたら、寝ている間に誰かに拉致されて、倉庫で監禁されたのかと思ったよ。でも俺なんか拉致っても、家には金目のものといえばテレビぐらいしかないし、そりゃ貯金はそこそこあるけど大した額じゃない。じゃあ、他に何かヤバいことしたっけ? って思い出しても何も出てこない。マジメに働いてるし、ギャンブルや酒に溺れることなんてないし、女関係で揉めたこともない、いたってクリーンだよ。ましてや莫大な借金があるわけでもない。誰かに恨まれるわけもない、たぶんね。

 とにかくここはどこなんだ、と。次第に視界がはっきりすると、目の前にはゴツゴツとした岩があって、どうも外で寝ているみたいだった。さっきの感触はこれだったのかって。じゃあ寝ぼけて公園で寝たのか? そんなことを思ってたらさ、目の前を何かが横切ったんだよ。小さな……そう、虫。ハエか何かだと最初は思った。でも、よく目を凝らしたらさ、虫じゃないんだよ。なんだと思う? 魚、それも、サメ。
『え?』
 って思ったよ。だって普通そんな小さなサメいるか? それに目の前飛ぶか? あ、そういやアメリカじゃあサメが雪山に出たり空飛んだりするバカ映画があるって聞いてたけど、まさかミニサイズのサメが飛んでるとは普通思わないでしょ? おもちゃ屋さんとか水族館の土産物コーナーで打ってる、ゴムでできた『海の動物セット』みたいなオモチャあるじゃない、あれぐらいのサイズのサメ。だから俺はまだ寝てるんだ、これは夢だと思って、目の前をひょいひょい飛んでるサメをパッとつかもうと思って手を伸ばしたんだよ。
『え?』
 って、またまた思ったね。だってさ、俺の手がさ、俺の手じゃないんだよ。でも俺の思う通りに動いてるから俺の手なんだよ、言ってる意味わからない? 手がさ、もうおかしいんだよ。なんというか、一晩でこんなに変わるかってぐらいに変わっててさ、まず爪がすげぇ伸びてて、色もなんだか濃いぃ緑で節々が太くて、なんというかシワシワになった竹のような……わからない? まあ、これだよ、これ。こんな手になってびっくりしたんだよ。一晩で病気になったのか、それともムカデとかゲジゲジみたいな毒虫に刺されたのか? あ、ゲジゲジに毒はないか。で、他は大丈夫かなって体のあちこち触ってみたらさ、この通りよ。顔はぐんと前に突き出して、口の中にゃあギザギザの牙がびっしり、尻が重いと思ったら、長い尻尾が生えてる、背中と頭のてっぺんに違和感があるから、触ってみたら、トゲだかヒレみたいなものが生えてるし。おまけに体中にはほら、フジツボみたいなごつごつしたイボというか突起物というか……とにかく。

 俺、人間じゃなくなったんだよ。

 これ、どう見てもバケモノでしょ、怪獣でしょ、俺が何やったんだよ? ってしばらくのたうち回ったよ。小さいサメどころじゃないよ。うわああってじたばたしたら、尻尾も一緒にうねうね跳ねてさ、辺りがもう砂ぼこりで見えなくなって。あれ、違和感があるなとその時気付いたんだよ。で、ふと顔を上げたら空がなんだかうすらどんよりしてるし、太陽もいつもより遠い感じでなんだかぼんやりと輝いてる。あ、俺今海の底なんだって、その時気付いたよ。

 驚いたよ、俺海の中でも息できるんだ、それに物もはっきり見える。でも、なんでもそうなったのかわからない。バカだね、その時は医者に行こうと思ったんだよ、それで海の底から、ふわふわと海面に顔を出してみたんだ。するとさ、プラモデルが浮かんでるの、船のプラモだと思ったんだよ。すごくよくできた漁船かなんかのね。でもすぐに気づいたよ、ああ、これはプラモじゃなくって本物なんだ、俺がでかくなったんだなって。さっきのサメもあれはオモチャじゃなくって、普通のサイズだったんだよ、俺が普通じゃないサイズになってたんだな。

 藁にもすがる思いで俺は漁船に手を振ってみた。『おーい!』って声掛けたら慌ててUターンしていくんだよ。怪獣って便利がいいね、海の中だけじゃない、外でも目がよく見えるんだ。甲板で、漁師が慌てたり、スマホで俺を撮ってるのがよく見えた。ついでに耳もよくなったみたいで、あいつらの叫ぶ声も聞こえたけどね。
『おーい、待ってくれー!』って言ったつもりだったんだけど、あちらからすれば、海からいきなり怪獣が出てきて大きな声で吠えた、ぐらいにしか思ってないんじゃないの?

 それから俺は、また海の底に戻って、これからのことを考えた。スマホがありゃツイッターで延々愚痴を垂れてるところなんだけど。とにかく解せない、理不尽だ。散々考えて、一度寝て、起きても体に変化はない。これは現実なんだという事を受け入れるのに3日ぐらいかかったよ。いや、正確には3日ぐらい。そりゃそうでしょ、もし難病にかかってもそれぐらいの心の整理がいると思うよ。こっちは病気じゃなくって怪獣になったんだから、なおさらだよ。でも、4日目の朝に、今頃会社は俺がいなくて大変なことになってるんじゃないか、とか思ってさ。一度陸に上がろうかなと思ったんだよ。でも、今自分がどこにいるのかさっぱりわからない、日本なのか、外国なのか。海面から顔出してきょろきょろやったらさ、頭の角がピクン、と反応するんだよ。あ、こっちかなって。便利だけど、変だよね、角がナビみたいに行き先を教えてくれるんだよ。んで、すいすい泳いでいたら、頭の上をなんだかぶんぶんうるさいのが飛んでる。ヘリコプターが2、3機俺の周りを飛んでたんだよ。多分報道関係だと思うよ。うるさいなあ、と思って構わずに泳いでたら、今度は船が向こうからやってきた。それも数台、いや数隻か。漁船よりも大きいし、大砲みたいなのが見えたから戦艦? いや護衛艦っていうのか。あれが俺を通せんぼするみたいにさ、横並びに。昔、軍艦関係のムック作ったことあるけど、その時は第二次大戦の船ばかりだったからな。ミリオタならすぐに名前分かるんだろうけど、似たようなのが5、6隻。

 しばらく様子見てたんだけど、向こうは何もしてこない。向こうから船が来たってことは陸地の方角はあれで合ってるんだな、とか思ったんだよ。じゃあ、行こうかって泳ぎだした瞬間、ドカン! 頭が破裂したような感覚に襲われた。あ、撃ってきたなって。こっちは何も悪いことしてないのにさ、ひどくない? それからはもう立て続けにどかどか撃ってくる。艦砲射撃ってやつ? あぁ、これで一巻の終わりだ、と思っていったん潜ってやり過ごそうと思ったんだよ。でも、どこも傷らしい傷が見当たらないし、血も流れてない。頑丈な皮膚だな、そうかこのまま潜って陸を目指せばいいや、ってそのまま泳いでたら、それでもドカンドカンと来るんだよ。機雷だか魚雷を撃ち込んできやがった。こっちは特にケガもないし、好きにやってれば、と思ったんだけど、だんだん腹が立って来てさ。顔出して文句言ってやろうと思ったんだよ。

 船の方向いて『いい加減にしろ!』って。そしたら『いいかげ』ぐらいのところで体がカッカ熱くなってきて、『んにしろ!』で、口からぶわーっと光の束みたいなやつが出て、まっすぐ伸びて護衛艦を撃ち抜いたんだ。不思議だったよ、ゲロ吐いた時とはまた違う感覚だな。なんというか、声がそのままエネルギーになって出た感じ。『わー!』って叫んだら、そのまま声がエネルギーになっていく感覚かな。ちょっと脅すだけだったんだけど、船はもくもく黒い煙出しながらブクブク沈んでいくしさ。『やってもた』って思ったよ。そしたら残りの船がドカスカ撃ってきやがる。何すんだ! って、俺はそのまま、残った船も口から出た光線で……そりゃ悪いと思ってるけど、あっちがあまりにもしつこかったもんで、つい。今度は頭が熱くなってきたんで何かなと思ったら、角からも光線が出てさ、ヘリを2機落としちゃったよ。あーあ、やっちゃったなって感じ。

 それから俺はまた海の底に潜った。ヤバイ、警察沙汰だな、こりゃ。いやいや、もう自衛隊案件じゃないかって。それからまたしばらく海の底でじっとしてた。口と角から熱線出したから、エネルギー切れみたいになって、そのまま眠ってしまったんだよ。

 それから、どれぐらい寝たんだろう、目が覚めたら、疲れがどこかに消し飛んでた。寝るだけで充電できるのか、怪獣って便利だな、便利すぎだろって、俺はまた海上に顔を出してみた。それで、角のナビを頼りに陸地を目指したんだよ。尻尾をスクリューみたいにぐるぐる回してさ。俺、学生時代は水泳苦手だったんだけどさ、これならオリンピックもいけるんじゃない? ってぐらいにすいすい泳げるんだよ。まあ、怪獣はオリンピック出れないか。

 それでしばらく泳いでたら、頭の上に橋が見えた。ああ、アクアラインかなって。ということは羽田空港はこっちで、それじゃあ、まっすぐ泳いだら……って、頭の中で地図を描きながら進んで行ったんだ。それで、一度潜って、次に顔を上げて、湾岸道路を見上げてさ。……で、思い出した。この近くにあるテレビ局にさ、俺の彼女寝取った男が働いてるんだったって。んじゃ、あいさつしますかって、景気づけに一声吠えて、潮風公園のあたりに上陸して、船の科学館を見下ろしながら……もう、その頃にはすっかり迷いはなかった。俺は怪獣なんだって。いきなり真昼間に怪獣が出たってんで、慌てる人間の声が聞こえるのよ。ちょっと悪いことしたかなって思ったけど、そうこうしている間に、あいつに逃げられても困るし、俺はちょっと速足で、そのテレビ局に向かった。ほら、お台場で有名な、ビルの間に大きな玉っころのついたテレビ局だよ。あいつはこの中にいるんだなって思うと腹が立って来てね。だってあいつ、俺の部屋で、彼女とヤッテたんだよ! 思い出すだけでムカムカするね。俺はまずその玉っころを引っこ抜いて、ボウリングみたいに裏の公園に向けて、勢いよく転がしてから熱線で、テレビ局をね、その、真っ黒焦げにしたんだよ。そしたら、またヘリがブンブン来たんで、うるせえなって顔上げてみたら、バチバチ撃ってきやがる。ああ、こいつら自衛隊か。なら遠慮なくやらせてもらおって、角と口から熱線出しまくって。ショッピングモールを踏み抜いて、少し足を延ばしてビッグサイトを蹴っ飛ばして、それから振り返ったら、赤いあれ、東京タワーが見えたからさ、思い切り息吸い込んで、全力で熱線吐いたんだよ、届くかなって。そしたら少しかすったぐらいで大失敗。でも芝公園はぼうぼう燃えてたけどね。そん時確信したんだよ、なぜ怪獣はランドマークばかり狙うのかって。だって目立つんだもん。普通の家やビル壊すよりも達成感があるっていうか『やってやった!』感が半端なくあるね。俺、怪獣になってから実感したよ。

 で、くやしいからもうちょっと近くに寄って、東京タワーを……いや熱線だと味気ないなって思い直して、両手でガっと掴んで、ぐいぐい揺さぶったら、根元からポキンと折れちまった。東京タワーをへし折ったから俺も一人前の怪獣だなって。いや一匹前かな?

 東京タワーの次はスカイツリーだろってことで、有楽町越えて秋葉原で神田川沿いに隅田川まで出て、ざぶざぶ歩いて……そこで自衛隊が大砲やらミサイルがバンバン撃ってきやがった。痛くはないけど、うっとうしいからそれも熱線でぶっ飛ばしてやった。そこでタイムアップ、またエネルギーが切れてきたんで、スカイツリーはまた今度、という事で隅田川下って海に出た。晴海大橋とレンボーブリッジへし折ってね。しばらく泳いでから、海底でじっとしてたらすぐに眠れたね。


 それからまた何日経ったか知らないけど、目が覚めたんで俺はまた東京に行ってみた。するとこのありさまだよ。すっかり人の気配がない。俺が寝ている間にみんな東京を捨てたみたいなんだな。そうするとさ、不思議なもんで、なーんかやる気起きなくってさ。まあ、義理みたいにスカイツリーへし折って、それを新国立競技場に叩き込んで、六本木ヒルズを尻尾でぶち壊して、それでここ、新宿に来たってわけ。でもさ、俺もひどいけど、人間もひどいね。自分かわいさなのか、これをチャンスと思ったのか、だよ。耳澄ませると子供の泣き声が聞こえないか? ほら、そこのマンション、あんたの右隣の。よく見てみなよ、俺らを見て泣いてるんじゃない、たぶん親に捨てられたんだよ。窓も開けられないようにがっちりロックしてるし。多分玄関も内側から開けられないようにしてんじゃないの? 子供を部屋に閉じ込めてさ、俺がここ壊せば子供が死んでラッキー! とでも思ったんじゃないの? ひどい親もいるもんだね。俺一応仕事でそういうネグレクト問題も関わったことあるしね。あ、助けるんだ、窓壊して……手に乗せて、子供、喜んでるね。でも、あの子、これからどうするんだ? 自衛隊が救助にでも来るのか? まあそんなこと、俺が心配することでもないか。

 ……さて、これから怪獣らしく都庁でもぶっ壊してやろうかと思ったんだけど、そこにあんたが来たってわけだ。空がピカって光って、土煙あげて着地して、かっこよかったよ。そっから長々と俺の話聞いてくれてありがとな。……にしてもだ、いやぁ、久しぶりに目線の合う人間に会ったよ。とはいってもあんたも人間じゃないのか。全身銀色だし、赤とか青のかっこいいラインが入って、トサカなのそれ? それ、飛ぶの? 特撮オタクじゃないけど、なんとかマンとか、ウルトラなんとかっていうんだろ、あんた。まあ、そんなところか。だって俺みたいなのがいるんだから、あんたみたいなのがいてもおかしくないわな。それで、あんたは俺を倒しにやってきたってわけか。あ、やっぱりそうなんだ。それでこそヒーローだね。

 そうと決まれば話が早い。でもね、俺だって怪獣だよ。むざむざ倒されるわけにもいかないよ、どうせなら全力であんたと戦って、死に花咲かせてみたいよ、ドカーン! って。それでこそ怪獣だろ? 

 フフ、この都庁が俺の墓標になるかもしれないんだな。もうさ、格闘戦なんか面倒臭い、一発勝負だ。俺は今日、まだ熱線を出してないからエネルギーがり余ってるんだ。あんたも光線とか出せるんだろ? あ、あるんだ、やっぱり。ようし、じゃあ行くぞ、全身のエネルギを喉元にため込んで……あんたもいちいちポーズとらないと光線出ないんだな、いいね、そうでなくっちゃ。

 いいぞ、そろそろだ、行くぞ、行くぞ……。

 フン、ぐわああおぉおおーーーーん!!! 




















 
 あ……











 あ。



 あぁ、空が見える。倒れてるんだ、俺。青いなあ、空。


 怪獣も天国に行けるんだ、いや地獄か? しかし、やたらにリアルな……都庁も建ってるし……。っておい、俺生きてるのかよ? 

 じゃあ、あいつは……空から光りながら飛んできたあの銀色のあいつは? あ、いたいた……瓦礫に埋もれてやがる。おい、大丈夫か? 立てるのか? なんだかふらふらだけど……あれ、なんだかさっきよりキラキラしてるな、あんた。え、俺の直撃食らって、活動限界が来た? それってどういうことだよ、おい、あ、キラキラしたのが粒になって、たんぽぽの綿毛みたいに空に舞っていくぞ。どういうことだよ、ひょっとして、あんた、死ぬのか? え、そうなのか? あんたもあの時渾身の一撃を俺に見舞ったろ? ほら胸のこの辺、焦げてるし。いや、それぐらいしかダメージ受けてないってこと? どこまで頑丈なんだよ、俺? てことは俺が勝ったの? いやいやいや、待て待て待て、どこの世界に怪獣がヒーローに勝つ展開があるんだよ?
 おい、消えないでくれよ、何か言ってくれよ、俺はこのままずっと怪獣をやり続けることになるのか? おい、なんか言えよ、ダメだ、もう、体の半分が消えかかってる。そうだ、あんたの仲間が仇打ちに来てくれるんだろ、兄弟とか、父とか母とかがさ、そうだろ? 助けは呼んだのか? 

 ……あ、完全に消えちゃった……。


 まさか、俺が勝つとは……。怪獣の宿命に逆らってしまった。どうする俺? 怪獣らしく東京をめちゃくちゃにしてから、今度は大阪にでも行くか、それとも海を渡ってアメリカデビューしてみるか? ヒーローを倒した怪獣は、これからどうやって生きていけばいいんだよ?



 なあ、誰か、来てくれぇ! 




 終
 
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