第十八話 鏡花がダンジョンに来た理由

文字数 2,322文字

 目が覚めた時には夜だった。場所は蛍石の家だった。
 ベッドから起き上がると、体は少しふらふらする。家のテーブルの上には蛍石の分と思われる弁当と水筒が置いてあった。ジャックは止まり木の上で寝ていた。
 弁当を食べる前に体中に神気を巡らせて、理解した。体の中心に爆弾のような大きな神気の塊があった。

(これが、『必滅一殺』の本体か。これに神気を通わせて爆発させてやれば、掌を通して、大量の神気を放てる。だが、おそらく、神気の通り道になっている心臓は耐えられないだろう)
 イワンは倒せるかもしれない。だが、それは命を懸けた一度きりの行為だった。
 朝になる。蛍石が朝食を摂っていると、ジャックが目を覚ました。

 ジャックは苦い顔で、辛辣(しんらつ)な言葉を懸けた。
「蛍石よ、どうやら、順調に破滅への道を辿っているようだな」
「何のことだい、ジャック? 俺はいつもと変わらないよ。これからも変わらない」

 すらすらと嘘が口から出た。
「そうか、もう、正直に話してくれないのだな。我々の距離もずいぶんと開いたものだな」
「何をぼやいているんだ。俺たちの友情は変わらないよ」

 ジャックは寂しげに語る。
「なら、いい。だが、儂は、蛍石が好きだった。この思いは、変わらない」
「俺も、お節介焼きのジャックは、好きだよ」

 トニーニの店に行く。トニーニはとても不機嫌だった。トニーニが商品を売ってくれないのでは、と思った。
 けれども、きちんと商品を売ってくれた。店を出る時、トニーニが話し掛けてくる。
「蛍石。俺はお前を馬鹿だと思ったが、どこまでも馬鹿だな。その頭の悪さは身を滅ぼすぞ。今ならまだ、引き返せるぜ。お前の余分な記憶を消してやるから、やり直せ」

「余計な仕事はしなくていい。俺は前に進み続けるよ。それしか、能がない男だからな」
 トニーニが呆れた顔で突き放す。
「そうか、なら、お前の行き着く先は、再生のない破滅だ」

 ダンジョンに下りて店を開く。探索者が二人客として訪れ、商品を売買していく。
 泥棒もなく淡々とした商いが続く。三人目のお客は鏡花だった。

 鏡花は蛍石を見ると、ほっとした顔をする。
「フローライトさん、今まで、どこに行っていたんですか? ポニ子がずっと捜していましたよ」
「何って。俺はダンジョンの中にいたよ。ずっとね。きっと巡り合わせが悪かったんだろうね」

 鏡花は躊躇いがちに尋ねた。
「そうですか。それと、フローライトさんは、本当に蛍石さんなんですか?」
「俺にも答えられる内容と、答えられない内容がある、とだけ教えておくよ」

 鏡花は沈んだ顔で質問を続けた。
「事情があるんですね。なら、丹羽の名前に心当たりは、ありませんか?」
「残念ながら、ないね。鏡花さんは、その丹羽さんを捜しているのかい? だったら、止めたほうがいい。ダンジョンで消えた人間を探しても、碌な結末にならないよ」

 鏡花は寂しげに微笑む。
「諦めきれませんよ。私の大事な人だから」
 鏡花の言葉を聞くと、頭がちくりと痛んだ。
「好きだったのかい?」

「今でも好きです。丹羽さんは『嘆きの石室』に挑み消えました」
「どんな奴だったんだ?」

 鏡花は悲しげに首を横に振る。
「もう、顔も朧げにしか思い出せません。あんなに好きだったのに。『嘆きの石室』で消えた人間は人の記憶から段々と消えて行くんです。ポニ子が教えるには、私と蛍石さんは親友だったそうです」

 人の記憶から消えて行く。以前なら理解しがたかった。だが、今なら納得できた。鏡花やポニ子の記憶から蛍石が消えた理由も『嘆きの石室』が持つ魔力のせいだ。
「そんな仕組みがあったとはね。でも、俺も鏡花さんとの思い出は、覚えていないんだ。だから、あまり親しくなかったのかもしれない」

 鏡花は恐れを帯びた表情を浮かべる。
「もう、丹羽さんの存在を覚えていた人間は、わずかです。私も、あと一年もすれば丹羽さんを忘れるかもしれない。私は大事なあの人を忘れるのが怖い」

 鏡花の言葉に苛立つ蛍石が、心の中にいた。
「残酷なようだけど、もう、丹羽さんの記憶は忘れたほうがいい。こんな危険なダンジョンに挑む必要はない。丹羽さんだって、鏡花さんに死んで欲しくないだろう」

 鏡花は悲しげな顔で語る。
「でも、それだと、私が納得できないんです。だから、私はこの『嘆きの石室』の秘密が隠されている最下層に向かいます」
(無理だ。鏡花にイワンは倒せない。殺されるぞ)

 蛍石は必死に鏡花を説得しようとした。
「止めるんだ。ここを守るボスは、以前の蜘蛛より強い。ボスに挑めば死ぬぞ」
 鏡花は寂しげに微笑む。
「危険だと理解しています。でも、あと、捜していない場所は最下層だけなんです」

「馬鹿な考えは捨てるんだ――」そこで言葉が詰まった。
「俺が、お前の代わりに、捜してきてやる」の言葉が出なかった。だが、思い出した。
(この言葉、前に鏡花に言った覚えがある)

 鏡花は優しい顔で決意を告げる。
「さようなら、フローライトさん。ポニ子に会ったら、ポニ子には優しくしてあげてくださいね。ポニ子はフローライトさんを好きだったようだから」
「待て、待つんだ」

 鏡花は店から出て行こうとした。蛍石は力尽くで鏡花を止めたかった。出入口に立ちはだかって止めようとした。だが、謎の力により蛍石の体は道を空けた。
 出て行った鏡花を追おうとする。すると、今度は体が店に引き戻された。
「行くな!」と叫ぼうとするが、声は出ない。蛍石は、視界から消え行く鏡花を、黙って見送るしかなかった。
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