2022年8月 一言ですべてがすっかり腑に落ちた

文字数 2,793文字

コロナ対応の大変な仕事を負わされ、追い詰められた家人の担当氏は鬱を患って休職し、結局そのまま復帰叶わず退職されたようだった。そうして生活の基盤を失ったのは家人の担当氏だけではないはずだ。飲食店関係者や医療、介護従事者を含め、この3年間で多くの人が生活スタイルの変容を余儀なくされただろう。本当に政府の採った感染対策が理に叶い、何より実行可能なものだったのかと疑義を呈したい気もするが、その対策のおかげでとりあえず命は助かった、と考えるべきなのかもしれない。その時折々に、幾重にも枝分かれした道ではあるが、実際に歩けるのはそのうちのどれか一本だけだ。今歩いているこの道が、最も歩きやすく景色もいい道だと思いたいのが人情というものだろう。

新型コロナウイルスのもたらした混乱を「感染発症して体力を削がれ、心身に危険が及ぶ」という直接的な災いと、「感染対策のために日常生活が混乱する」という二次的な災いの2種類に分けて考えてみよう。前者を「天災」、後者を「人災」とするなら、私自身は圧倒的に「人災」によって振り回されている。振り回されたくないから自分なりの関わり方をすることにしたのだけれど、それでも思い返せば些細なことで悩まされ続けた気もする。「コロナよりも恐ろしいのは人間だ」。そう言ったのはクラスター発生後に吊し上げられたライブハウスの店長だったが、その言葉を私もこの4年間の感想として、そのまま採用させてもらおう。
ここにきてついに「天災」を被ることになったが、幸運にして数日間の発熱という、怠い時間を過ごしただけのことで勘弁してもらえたようだ。何より一時はどうなることかと不安に駆られた『家人のイカレポンチ』が数日で快方に向かったことには心から安堵できた。おまけに本人はあの数日の記憶がまるで欠落しているようで、スマホで撮影した勇姿を見せると、食い入るように画面を見つめて爆笑していた。ほら、やっぱり撮っておいて正解ぢゃないか。

コロナ特有の症状ということなのかと思いきや、後日になってわかったことだが、家人が陥ったのは典型的な脱水症状の一例で、せん妄と呼ばれる意識障害だそうだ。体内の水分と塩分のバランスが崩れることで、神経伝達が上手くいかなくなってしまう。認知症によく似た行動をとるようになるので、高齢者がこの状態になると認知症を発症したと誤解されがちだが、水分補給すれば改善されるという。しかし一度この状態になってしまうと、本人の理解力や理性が失われるため、給水自体が難しくなり悪循環に陥る。後になって本人に尋ねても、その間のことはまるで覚えていないという「失われた家人の数日間」はまさにこの症状だった。

口元まで水を持っていっても、ぼんやりした目で遠くを見たまま、口元にあるストローというものの意味もわからないようで首を左右に振って避け、一滴の水も飲もうとしなくなってしまうのだから、介助者は手の打ちようがなくなってしまう。実に厄介な症状だが、コロナに限らずインフルエンザでも、熱中症でも起こりうる生理現象だというから、つまり誰にでも起こる疾病ということだ。なってしまってからの対処が難しい以上は、脱水をおこさないように意識的に水分をとっておくのが一番効果的だろう。それにしてもつくづく人というのは脆い生き物だ。水と塩のバランスひとつで日常が立ち行かなくなるのだから。

8月も終わろうとしている30日、私は久しぶりに友人に会っていた。高校時代の同級生にお裾分けのブドウを渡そうとして互いの住む街の中間地点で落ち合って、ランチをすることにしたのだ。
……Ah,déjà vu.と思った方はご明察。私たちは全く同じ理由で2年前の9月にも顔を合わせている(本稿「2020年9月 今退くべしと心得た」をご参照ください)。一度に大量の果物を送らないでくれと何度懇願しても懲りない母に、もはや訴えること自体を諦めた私は、自分から他者とコンタクトを取ろうとしない悪い癖を、いい歳をして母に矯正されていると考えることにした。幸にして友人は、完熟を通り越して枝についたまま貴腐ワインになってしまったかのようなのを快く引き受けてくれたので助かった。

互いに近況を報告し合ううちにやっぱりコロナの話になり、家人の脱水せん妄の「狂乱の3日間」を語って聞かせると、医療従事者としては興味シンシンだったようで、すっかりコロナの話で盛り上がった。その勢いと言ってはナンだがこの機会に、彼女に意見を聞きたいと思っていたことを尋ねてみることにした。他でもない、ワクチン接種後に咳が止まらなくなり、肺がんと診断されてこの4月に亡くなった伯母のことだ。彼女なら鍼灸師として働くうちに、いろんなケースを見聞きしているであろう。彼女なら伯母の身に起きたことをどう判断するべきか、ヒントをくれるかもしれない。

伯母の身に起きたことを一通り事情説明し、「今まで大病もなく過ごしていたが、健康診断時に『肺に影がある』と言われていたらしい」と話した。すると彼女は当然のことのように一言だけ、「あー、ワクチンは免疫下げるからね」と言ったのである。この一言で全てが腑に落ちた。
伯母の肺にあったのはおそらくがんになる一歩手前の状態(上皮内新生物?)だったのだろう。免疫のはたらきで、それががんに成長するのを抑制していたところに、ワクチンを接種すれば免疫が下がった状態になる。伯母自身の免疫で押さえ込まれていたはずの「一歩手前」は、抑え込む手が緩んだその隙に活発になり、一気に増えてがん細胞として育ってしまったのではないだろうか。専門家でも何でもない自分ではあるが、そう考えると納得できる。もとより進行の早いことで有名な肺がんだ。一旦動き始めたらその増殖は勢い止まるところを知らず、たった半年で全ての決着をつけてしまった。

それにしても「ワクチンは免疫を下げるからね」と彼女が当然のように語ったこの事実は、誰でも知っていることだったのだろうか。もし私が伯母の家族でそのことを知っていたら、この結末を予見して「接種しないという選択もある」と提案できただろうか。おそらく否だ。もしこの推測を伯母の家族が知ってしまったら、きっと後悔するだろう。あるいはもうとっくに気がついて、やり場のない感情を持て余しているかもしれない。

2年ぶりの会食と昼酒は私の脳に程よい痺れを残し、駅前のロータリーで彼女と別れた。偶然にもこの駅は祖母の家から近い場所にある。子供の頃祖母に会いに行くと、帰りは伯母の運転する車でこの駅まで送り届けてもらっていたことを思い出した。あの頃とそれほど変化のなかった駅前が、いよいよ再開発だということで店舗の立ち退きが始まっている。そうやってここも伯母の知らない街に変わっていくのだろうと思いながら、やってきた電車に乗って帰路についたのだった。
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