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文字数 16,187文字
フリーウェイを東に向かうと、雨上がりのLAの街がやけに美しく見えた。
濡れたサイドウインドウに原色のネオンサインがギラギラ光りながら滲み、素晴らしい速さで後ろにすっ飛んでいく。
T型コンソールの端にあるスピードメーターは、ぴったりと時速百マイルを示していた。エンジンの回転計は六千五百rpmをとっくに越えていて、針はイエローゾーンからレッドゾーンを指そうとしている。他の車は一台も走っておらず、定規で引いたがごとき一直線の道だけが、永遠の旅路を思わせるように、地平線の彼方に向かって続いている。
ラリーと俊介はひと言も口を利かず、自分たちを吸い込もうとする前方の闇を見つめていた。
風を切り、夜を走ることが、生まれる前からの宿命のようだった。
やがて行く手――前方に目映く曙光が差し始めた。
太陽は一瞬の光芒を地平線に沿って走らせてから、ゆっくりとその姿を現した。
きらびやかな朝日を浴び、サンバーナーディノ・フリーウェイをひたすら東に向かって走った。
やがて北に転針してサンガブリエル・リヴァー・フリーウェイに入った。
アーウィンデイルは、遠くシエラ・ネヴァダ山脈の南端から続く蒼茫たる山並みを見渡せる、緑の多い美しい街だ。フリーウェイを降りて街路に入ると、森や林、そして屋根の低い家々が、朝日の中に眩しいばかりの色合いを強調されてみえた。
ウィルマー通り二十三番地にやってくると、ビヴァリーヒルズ並みの豪邸が立ち並ぶ閑静な住宅街だった。家と家の間は何と四分の一マイル近く離れているが、それはおのおのの豪邸の庭の広さゆえだ。
どの家の庭も、おそらくはアストロドームがすっぽりと収まるに違いなく、しかも緑が多いため、建物は方々に点在して、鬱蒼と繁った森の木立に屋根が埋もれるように見えていた。
ロバート・マックスウェルの屋敷はゆるやかな丘陵の上にあり、他の家に負けず劣らずの広さだ。しかしながら、周囲の家々と違って、ものものしいコンクリの高く頑丈な塀に囲まれていた。庭にはインディ・ジョーンズ・シリーズのロケ隊がやってきそうなぐらい広い林があって、その上、驚いたことに、ゴルフコースひとつぶんはありそうな芝生が青々と広がっている。
守衛所のある門前の前をゆきすぎて、二百ヤードばかり行ったところにあるヒマラヤ杉の林の中にマツダ・サバンナを停めると、ラリーは背筋を伸ばした。コチコチに凝った肩をほぐしている。
マックスウェルのオフィスに朝いちばんで電話を入れ、上院議員の犯罪の証拠を握っていることを告げた。本人は電話口には出なかったが、キャスリーン・ウェイドと名乗る女性秘書が受けた。やがて向こうからオフィスに電話がかかり、マックスウェルが直に会いたい旨を告げてきた。
カニンガムとネイトたちFBI捜査官の目論見は当たっていたわけだ。
車窓を下げたウインドウに肘を載せて、ラリーが相棒を見た。
「いいか、とにかく上院議員との話を引き延ばして、奴の口からいわせることだ」
「こっちが撃ち殺される前に、騎兵隊は来るんだろうな?」
俊介はさすがに不安そうな顔をしている。
「信じるしかないよ」ラリーが片眉を上げていった。「ぼくらには選択肢はなかった。それに彼らがいったように、無計画に殴り込みをかけたって、たちまち制圧されておしまいだろうさ」
「〈ワイルドバンチ〉になりそこねたわけだな」
そういって俊介は相棒の顔を見た。「じゃあ、悪いがここで下りてくれ」
「本当にお前ひとりでいいのか?」
「そういう段取りだからな」
俊介が答えたように、マックスウェルに面会するのは一名。ふたりでノコノコと出向いていけば、こちらの切り札を見せるようなものだからだ。どちらが行くかをコイントスで決めようといったラリーを制して、俊介がいった。
――こういう役には俺がお誂え向きだってことは、もうわかったるだろう?
たしかにそうだとラリーは思った。
今、俊介のシャツの下には盗聴器が仕込まれている。〈ワイヤー〉と呼ばれる超小型で高性能の送信機である。彼らの会話は離れた場所で待機しているカニンガムとネイトの車両に届くはずである。それらは録音され、証拠となる。
FBIとともに市警のSWATが、私邸の近くで出動準備を整えているはずだ。ラリーは徒歩で彼らと合流する予定だった。
車外に出たラリーはサバンナの後部トランクを開けて、細長いアタッシェケースを取り出した。
それを地面に置いて、車内にいる相棒を見た。
俊介は運転席に移ってステアリングを握ったところだった。
「死ぬなよ」
車窓を下ろし、相棒が笑う。「分かってる。バックアップを頼んだぞ」
「まかせとけ」
「じゃあ、カニンガム捜査官たちによろしく」
車窓を閉じると、サバンナがゆっくりと走り出す。
ラリーはその場に立ち尽くすように、来た道を戻っていく車を見送った。
俊介はマックスウェル邸の前に車を停めた。
守衛所には男が二名。だが、出てくるでもなく、ただこっちを睨んでいる。
「えらいところに来ちまった。ハワート・ヒューズか、ロスチャイルドの御殿だな」
ステアリングに腕を載せながら俊介が独りごちた。
下着の下に装着した高感度マイクが、彼の声を拾っているはずだ。
しばし私邸を見つめていた。
ふいに守衛所の横にある大きな門扉がゆっくりとスライドを始めた。
敷地の林に挟まれた小道を、黒いリンカーン・コンチネンタルがやってきて、守衛所の真横に静かに停まった。
ドアを開き、出てきたのは黒いスーツの男が三人、ごていねいにも全員がそろいのスモークグリーンのサングラスをかけて、シークレットサーヴィス風に渋く決めている。
「ちくしょう」俊介が舌打ちをした。「連中のほうがファッションセンスがいい」
男たちがゆっくりと歩いてきて、サバンナの鼻面の正面に横並びになって立った。
「ミスタ・ナリタ。マックスウェル上院議員がお前と面会する」
サングラスの男のひとりがいった。
それぞれがあまりにも似通った格好をしているため、誰が口を利いたのかわからなかった。
さながら同じ鋳型から生産されたような黒いフォーマルスーツの三人は、服装に合わせたとしか思えないピカピカの黒いリンカーンに乗り込み、守衛所の横で車を方向転換させ、小道を戻り始める。
俊介はみすぼらしいサバンナを走らせ、高級車の後に続いた。
針葉樹の林に挟まれただだっ広い庭。いや、庭というよりも森だった。ヒマラヤ杉やスプルースの林立する中を、きれいな舗装路が右に左にカーブを描きながら続く。ところどころにスチールポールに取り付けられた監視カメラがあり、サバンナの動きに連動するように角度を変えている。
ようやく前方に屋敷が見え始めた。
黒塗りのリンカーンは小魚のようなサバンナを従えて、ゆっくりとマックスウェル邸に向かって走った。
左右に木立が切れて、ゴルフ場のような広大な芝生エリアの向こうに邸宅が見えた。
それはクラシカルな建築意匠で、いわゆるコロニアル形式の豪邸だった。三階建で、無数のアーチ型窓と張り出し窓、屋根の傾斜した部分にも小さなドーマーの窓が幾つもついていた。棟飾りは矢尻を模したもので、三つある大きな煙突は煉瓦でできていた。
玄関前では、低木に囲まれた前庭の芝生を踏みつけて、同じような黒服の男たちが数人、横一列に並んで待っていた。
俊介は車を停め、外に出た。
屋敷の正面玄関の豪壮な扉が、ふいに音を立てた。グレーの高級スーツを着た初老の男がそこから出てきた。
男はポーチの石段を降りて、俊介の前に立った。
ロバート・マックスウェルだった。かつて面会した弟のジョゼフにどことなく似ているが、彼のようなピーター・ローレ風の姑息さは感じられない。見事なブロンドの髪を後ろに撫でつけ、鷲鼻が隆起していた。政治家としての威厳を保とうとしているのか、背筋を伸ばし、堂々と胸を張っている。
「LAの探偵、シュンスキー・ナリタだな」
俊介は笑った。
「シュンスケだよ。ロシア系じゃなく日系だ」
彼はいったん口を噤み、わざとらしくうなずいてから、こういった。
「君を待っていた」
「上院議員どのがわざわざ表までお出迎えとは驚くよ。とんだ有名人になったもんだ。近いうちにCNNの取材が入るかもな」
マックスウェルが不快な表情を見せた。
「くだらない冗談をいうために、わざわざ私のところに来たのかね」
「これは失礼。ジェントルな取引のために参上つかまつった」
俊介の声に彼はうなずく。
「ならば入りたまえ」
踵を返すマックスウェル。
俊介は歩き出し、黒服の男たちの間を抜けた。そして邸内に入った上院議員に続いた。
ドアが閉まるとともに男たちに包囲され、荒々しく身体検査をされた。ショルダーホルスターに差し込んだM686。愛用の拳銃が取り上げられる。
下着の下に装着したワイヤーという盗聴器は、今は超小型化していて、衣服の上から手で触れたぐらいではわからなくなっている。裸にされないかぎりバレないとカニンガムが太鼓判を押していたが、それでも気が気でない。盗聴器から発信される電波はデジタルで、しかも特殊に暗号化されているため、まず傍受は不可能だという。それを信じるしかない。
さらに念入りに袖の先からズボンの先までチェックされ、ようやく解放された。
黒服のひとりが俊介を案内する。後ろを数名がついてきた。
アラベスク模様が刺繍されたふかふかの絨毯を踏みながら、全員でしずしずと歩く。
緊張しないといえば嘘になる。
マックスウェルが犯罪に関与した証拠を握っているという情報は、もちろんブラフである。それが明らかになるのは時間の問題。その時間をどこまで引き延ばして、本人の口から事実をしゃべらせるかだ。
バスケットボールのコートがふたつは入りそうなほどに広い応接室だった。
大きな暖炉。高級そうなソファなどの家具。壁にはマックスウェル家の先祖らしい巨大な肖像画がいくつかかかっていた。
そんなだだっ広い空間の一角で、ロバート・マックスウェルが尻がすっかり沈みそうなほどに柔らかなソファに座り、脚を組み、葉巻をくゆらせて俊介を待っていた。
彼は向かいのソファに案内され、そこに座らされた。
ガードの男たちはほとんどが部屋を出て行ったが、二名だけがその場に残った。
どちらも黒のサングラスに黒いスーツ。マックスウェルの後ろに回り、少し互いの間を空けて立ちつつ、油断なく日系人の探偵を見張っている。もちろん、腰あるいは脇の下には物騒なものが仕込まれているはずだ。
ふいに傍らの扉が開き、メイド服を着た小柄な若い娘がトレイに載せた酒のボトルとグラスを運んできた。それを俊介の前のテーブルに置いた。
マックスウェルが組んでいた脚を戻し、風変わりな形のボトルを取ると、無造作に栓を抜き、凝ったデザインのクリスタルグラスに酒を注いだ。
「これはカミュのキュヴェ、三十七年ものという限定品のコニャックだ。おそらく君が十年は働いたって手に入れられることがない高級酒だよ」
そういいながらグラスをとり、無造作にあおった。
グラスをテーブルに戻し、二杯目を注ぎながらいった。「遠慮せずに飲んでくれ」
俊介がフッと笑ってグラスを手にした。香りを楽しみ、ひと口であおった。
「さすがに凄いな。ひと口で天国に逝きそうだ」
マックスウェルはニコリともしなかった。
「さて――」
葉巻の煙をくゆらせながら、彼は目を細めた。「さっそく本題に入ろうか。ミスタ・ナリタ」
☆
ラリーは重たいアタッシェケースを抱えたまま、木立の間を抜けて歩いた。
FBIの捜査官たちの居場所はスマートフォンのアプリでわかっている。位置情報を頼りに歩くうちに、木の間越しに黒い車両が並んでいるのが見えてきた。スーツ姿の男たちが何人か回りに立っている。SWATらしい黒の制服姿の警官もいる。
突然、現れたラリーを見て全員が緊張した顔になった。
中にはスーツの下に手を入れた者もいる。
が、そこにいたカニンガムが片手で制した。サングラスを外していった。
「ナリタは邸内に入ったようだな」
ラリーがうなずき、足元にアタッシェケースを下ろした。
「それは?」
カニンガムの質問を無視して、ラリーはケースを開く。ウレタンクッションのデコボコの上に横たわっているのはオフィスから持ち出したスタームルガー・ミニ14オートマティックライフルだ。三倍の望遠スコープにくわえてレーザーデバイス社のグリーンレーザーサイトを装着してある。
それを見たカニンガムの表情が険しくなる。
「君はあくまでも保護の立場でわれわれといるんだ。私闘は許されない」
ラリーは・二二三口径の細くくびれた弾丸を弾倉に装填しながらいった。
「相棒がひとり危険の渦中にいるんだ。ぼくはできるかぎりのバックアップをする。銃の所持と携行ライセンスは持っているし、正当防衛で銃を使うのはアメリカ市民の自由だ」
フル装填した弾倉をライフルに叩き込み、ラリーは立ち上がってスリングで肩掛けをした。
カニンガムは渋面で彼を見ていたが、眉根を寄せて向き直る。
「仕方ない。ついてきたまえ」
彼は近くに停めてある黒いダッジのヴァンに歩み寄り、リアゲートドアを開いた。
ラリーが続いて車内に入る。
ヴァンのカーゴルームはハイテク機器に囲まれた異様な空間だった。スーツ姿の男女が四名、通信装置や傍受装置の前に座り、緊張した顔で計器や画面に見入っている。カニンガムの相棒のネイトの姿もあった。
「どういう段取りになってるんですか」
ラリーの質問にカニンガムがうなずく。
「マックスウェル本人が犯罪に関与したという証拠を掴まないとわれわれは動けない。そのことはシュンスケ・ナリタにも伝えてある。会話の流れでそれを引き出してくれたら、その時点でわれわれは私邸内に突入する」
「俊介の安全は?」
一瞬の間があった。
「できるかぎりのことはする。だから、信じてもらいたいのだ」
「それは何の策も講じていないということじゃないですか」
痛いところを突かれて、カニンガムが目がかすかに動いた。
「一気に武力制圧をすれば、向こうもナリタに手を出せはしない」
ラリーは愕然としたまま、黙ってかぶりを振った。
「われわれは君のことをよく知っている。その射撃の腕も、経歴も調べてある。だが、公務に勝手に個人の私情を交えることは許されない」
「だったら!」
ラリーは声を荒げ、カニンガムに詰め寄った。「あんたたちFBIが市民に、こんな危険な協力を依頼する権利はあったんですか。そんなことが許されるんですか!」
カニンガムはわざとらしく肩を上下させて吐息を投げた。
「それは承知の上だった」
「ぼくもやるべきことをやるだけです」
「われわれはチームで動く。君はチームのメンバーではない。単純なことだ」
「だから、ぼくひとりで動きます。あなたたちの邪魔はしない」
そのとき、カーゴルームの奥にいたネイトがやってきた。
「様子がおかしい。ワイヤーの受信が途切れがちなんだ」
カニンガムの表情が変わった。
ヘッドフォンをつけた黒髪の女性が座っているコンソールのスイッチを入れる。傍受の音声が外部スピーカーに切り替わった。
――〈ヘルウインド〉のメンバーがひとりずつ殺害されたとき、俺たちは何度か……居合わせている。ダニエル・アッシュ……チャーリー……シンゴも相棒の近くで撃たれた。それ……。
雑音がひどく入り、音声が途切れがちになっている。
やがていっさいが途絶えた。雑音すら消えてしまった。
「どういうことだ」
カニンガムが焦り顔でいった。
「受信側の問題ではないことがわかっています」
若い女性担当官がそういった。
「だとすると、ナリタに装着した発信器か」
「あるいはジャミングがかけられているのかもしれません」
「莫迦な。最新のデジタル暗号で秘匿送信をしているはずだ」
「科学技術なんてしょせんはイタチゴッコじゃないか」
ラリーがいうと、カニンガムは苛立ちの表情で彼を睨んだ。
――あんたの弟……自分で死んだわけ……関与してる……。
俊介の声が途切れがちに飛び込んできている。だんだんと受信状況が悪化しているようだ。
「こんな状態じゃ、会話の一部を捉えても証拠にならんぞ」
ネイトが腕組みをしながら、そうつぶやく。
「捜査官。トラックが来ます」
車外にいたサングラスにスーツの男が声をかけてきた。
見れば、青とオレンジの組み合わせ文字で〈FedEx〉と大きく書かれたコンテナを搭載した白い大型のトラックが、ゆっくりとマックスウェルの私邸に向かうところだった。
「カニンガムさん。あれを停めてもらえますか。ぼくに考えがあります」
彼はラリーを見て、また外に目をやった。
☆
「ジョージ・フェントンとレイ・ゴーニック。名前に覚えは?」
俊介が訊いた。が、マックスウェルは首を振る。「聞いたことのない名だな」
「じゃあ、クリスチャン・ウォルター・ゴドノフはどうだ」
「知らん」
「三人とも殺し屋だ。どうやらひとりはご存命のようだが、最初のふたりは死んだ。そのうちの一名が殺しの仕事について白状している。それを証拠として持っているということだ」
「録音か?」
「今はデジタルタイプの高性能の超小型レコーダーがあるんだよ。スマートフォンにだって、そんな機能がついてるのを、あんただって知ってるんじゃないか?」
「よかろう」
マックスウェルは向かいに座る俊介を睨むようにいった。「君はそれらの一連の殺しの裏側に私がいるという。では、その証拠とやらを見せてもらおうか」
俊介は笑った。
ふかふかのソファに座ったまま、背もたれに肘をかけ、脚を組んだ。
「それをここに持ったまま、ノコノコとあんたの目の前に座ってるほどの莫迦じゃないってことぐらいわかるだろう? ある場所に預けてあるんだ」
「ある場所?」
「あんたが知らない場所さ。俺がそこに連絡をしなければ、自動的に効果を発揮する手順だ」
すると上院議員が薄笑いを浮かべた。
「もともと身に覚えのないことを、どこの誰がしゃべったからといって罪になるかな? その何とかという殺し屋の口から私の名が出たとしても、それが嘘でたらめでないという証拠もない」
「だが、警察はあんたを引っ張ることはできる。大統領になるという噂の上院議員が殺人幇助の容疑をかけられたとしたら、それに飛びつくマスコミはわんさかいるだろうな」
マックスウェルは眉をひそめた。鉛のように重くわだかまる怒りを抑えているのだろう。
この機会を逃さず、パニックに追い込むことだ。そうすれば彼は自分の口からしゃべる。
外に待機しているFBIが動くのはそのときだ。
当然、そうなれば俊介は危機に直面することになる。そこをどう切り抜けるかが問題だ。
「弟さんはお気の毒だったな」
だしぬけに切り出されて、ロバート・マックスウェルの片眉が上がった。
「金遣いが荒く、悪びれもせずに自分の銀行から大金を横領しては強盗を装って自作自演でごまかしてきた。そんな弟がいちゃ、あんたもさぞかし迷惑だったろう? 目の上のたんこぶどころか、将来、有望なあんたの足を引っ張るだけの不出来な弟が、あっさりとくたばってくれてすっきりしたんじゃないのか」
「ジョゼフはたったひとりの兄弟だった。侮辱するのは許さん」
「遺体はまだ戻っていないはずだ。警察が死亡の状況を徹底究明しているんだよ。拳銃をくわえての自殺ということだが、弾丸の貫通角度や周囲の硝煙反応などを調べれば、不自然な点がいくつか出てくるだろう。それに遺体の複数箇所には明らかな打撲の痕跡があったようだ。不審死……というか、明らかな他殺だろうな」
「安易に推測でものをいっちゃいかんな、探偵」
「ところが正確な情報さ。LAPDには、ちょっとしたコネがあるんだよ。ハロルド・ナルティ部長刑事のことは知ってるんじゃないか。殺し屋が殺し損ねて、ちゃんと生きてるぜ」
俊介は身を乗り出すようにして、マックスウェルの顔の前でいった。「つまり、あんたは俺たちに関しちゃ、ドジを踏み続けてる。あんな三流の殺し屋を傭ったりするからだ。大統領の椅子を狙う上院議員どのにしちゃ、手抜かりもいいところじゃないか」
マックスウェルの顔がひきつっていた。
顔が赤くなっているのは酒の酔いばかりではなさそうだ。
「私をおちょくると後悔することになるぞ」
「後悔はしたくないが、その前に話のメインテーマと行きたいんだが、よろしいかな?」
俊介の言葉にマックスウェルが反応した。湯気を吹き出しそうな憤怒の顔がわずかにゆるんでいた。
「聞こうじゃないか」
「問題の会話を録音したICレコーダーの本体をあんたに売りたい。むろん、コピーなしだ」
「身に覚えのない罪をでっち上げた会話とやらに、私がいくら払えと?」
「二千万ドル。税抜きでだ」
「何のジョークだ、探偵」
「大富豪のあんたからすれば、小遣い程度じゃないか」
ふいにマックスウェルが笑い始めた。
コニャックの瓶を掴むと、高級酒を無造作にグラスに注ぎ、それを一気に半分あおった。
グラスを置いて、いった。「君にコメディアンの才能があることはわかったが、そんな莫迦げた話を私に持ちかけるのは無意味だ」
俊介はわざとらしく肩を持ち上げた。
「残念ながら商談は不成立だ。情報はマスコミに渡すことにするよ。少しは謝礼が出るだろうさ。さて、帰るとするか」
立ち上がろうとした俊介を、マックスウェルが片手で制した。
「待て」
「俺はあんたと高級酒を飲みにきたわけじゃないんだ。話し合いが決裂したら、さっさとおいとまするよ。それとも――」
上院議員の後ろに立つ黒背広に黒いサングラスの二名を指差した。「そのメン・イン・ブラックみたいなコンビが、ボールペンみたいなもので俺の記憶を消去するのかい?」
「記憶ではなく、君そのものを消去することもできるのだぞ」
マックスウェルの声に、俊介はひそかに笑った。
短気で直情径行な男だという噂だったが、なるほどと理解した。この調子なら、あっさりと乗ってくるかもしれない。
「俺が戻らなければどうなるか、いわなかったっけな?」
「君はこの場でそのICレコーダーとやらの在処を白状するだろう。そもそも、そんなものが存在すればの話だがな」
「よかろう」俊介はいった。「白状するよ。ICレコーダーなんて存在しない。でっち上げなんだ」
「なんだと?」
「それであんたは満足だろう?」
「私を愚弄するつもりか」
「素直に言葉を受け取ってくれ、上院議員。じゃあ、帰るよ」
出口に向かおうとした俊介は、背後に金属音を聞いた。
立ち止まり、ゆっくりと肩越しに振り返る。マックスウェルの向こうに立っていたふたりが、黒い拳銃をかまえている。さらに正面入口のほうから、待機していた他の黒スーツの男たちが戻ってきた。それぞれ手に拳銃や短機関銃を握っていた。
「WOOOOPS!」
俊介がまた肩をすぼめた。「やっこさん。馬脚を露したぜ」
胸の付近にあるはずの小さなマイクに向かって、俊介はいった。
「ゴドノフたちを傭ったのはあんただな」
「そうだ。私が傭った。不出来な弟の不始末を、尻ぬぐいしなければならなかったからだ」
マックスウェルは怒りに震えていた。火を噴き出しそうな双眸で睨んでくる。
「出てこい!」
振り向きざま、彼は怒鳴った。
応接間への別の出入口のドアが開き、赤毛の殺し屋が姿を現した。
モスグリーンの軍用コートに身を包み、編み上げのブーツを履いている。片手に銃身の長い大型リヴォルヴァーを握っていた。
「いよう、”ブラッディベア”。相棒があんたを仕留め損ねたが、おかげでまた再会できたな」
ゴドノフは靴音を立てて俊介の前に歩いてきた。
右手の無骨な大型拳銃を向けてくる。ステンレス製の・四五四カスール。グリズリーを倒すための拳銃だ。
「あのときは、わざとお前らを殺さなかった。おかげでこうして面と向かっていられる」
「今さら何のつもりだ。我が社に就職したいのなら、ウエブサイトから申し込めるぜ」
ところが、そんな冗談が通じる相手ではなかったようだ。
「今まで幸運に助けられてきたお前たちも、そろそろ悪運が尽きる。殺す前にじっくりとその顔を拝みたかった。恐怖に怯える顔をな」
大型拳銃の銃口を俊介の額に当てた。拇指で撃鉄を起こす。
輪胴が回転した。
俊介は真顔になった。
待機しているFBIには上院議員の犯罪の証拠が伝わったはずだ。もう、そろそろ動いてくれないと、こっちの命がやばそうだ。しかし私邸の外にはそれらしい気配もなかった。
ふいにゴドノフが口角を吊り上げて笑った。
拳銃を俊介の顔に向けたまま、左手で無造作にシャツを引き裂いた。
そして胸にテープで留められた超小型のマイクを掴んで引きちぎった。
「ワイヤーをつけて来邸していることは織り込み済みだ」
ゴドノフは無表情のまま、いった。「最新のデジタル無線のようだが、こっちにも最新のジャミングができる装置があるということだ。上院議員のさっきの言葉は外には洩れていない」
俊介はうなずいた。
「そういうことか」
「外に警官隊が待機しているのだろうが、彼らは空振りのまま、帰ることになる」
「ここで俺を撃てば、いやでも銃声が聞こえるぜ。そしたら外に待機しているFBIがSWATとともに突入してくる」
するとゴドノフはまた含み笑いを見せた。
「それでいいんだ」
俊介が真顔に戻る。「何だと?」
「お前はあくまでも不法侵入。われわれは正当防衛で君を撃ったといえばいい」
拇指で起きた撃鉄を戻しざま、殺し屋は無造作に大型拳銃の太い銃身を彼の額にあてがった。
☆
フェデックスの貨物トラックが、広大な庭を抜ける道を走っていた。
やがて運転手が減速し、トラックが停車した。キャップをかぶった若い運転手がドアを開けて車外に出ると、リアゲートドアを開いた。ラリー・ステインシュネイダーが、スタームルガーのライフルを肩掛けしたまま飛び降りた。続いてSWATの黒い制服姿の二名が、それぞれM4A1アサルトライフルとレミントンM700ライフルを肩から吊したまま、路上に下りる。
運転手は何事もなかったかのように口笛を吹きながら、運転席に戻った。
無言のまま、素早く繁みに飛び込む三名をちらと見てから、ドアを閉め、またトラックをゆっくりと走らせ始めた。
ラリーは走った。SWAT隊員の二名もあとに従う。
森の木立を抜けて、やがてマックスウェルの豪邸がすぐ近くに見える場所までやってくると、下草に腹這いになって双眼鏡を目に当てた。
あらかじめFBIのカニンガムから私邸の図面のコピーをもらっていた。おそらく俊介は邸内の左翼に位置する広い応接間に通されているはずだ。大きな窓には頭上から注がれる太陽光が当たっているが、ラリーたちがいる場所からなら、ガラスの反射光はない。
室内には人影が確認できた。ラリーではなく、黒っぽいスーツ姿の男たちだ。
マックスウェルの姿も死角になっているのか、こちらからは見えなかった。
傍に横たえていたルガーミニ14のバイポッドを起こして、逆V字の脚を立てた。ストックを片付けしてスコープを覗く。
隣ではSWATのふたりが、同様に伏射の姿勢を取っている。
M4A1は近接戦闘用なのでこの距離では役に立たないが、レミントンM700なら狙撃には最高の銃だ。
「失礼。ミスタ・ステインシュネイダー。私を覚えておいでですか?」
M4をかまえている若い隊員が声をかけてきた。
ラリーは振り返る。そういえば見覚えのある顔のようだ。細面の白人で、ティーンエイジャーのようにそばかすが顔に散っている。
「マイケル・マクファーソンです。四年前、LAPDの警官をしていたとき、射撃教官だったあなたに仕込まれました」
「ああ」ラリーが破顔した。「大勢を見てきたが、覚えてるよ。君は優秀だったな」
マイケルは隣の若い隊員を紹介した。
「私は今回、バックアップです。こっちはジョージ・グレイザー。元陸軍少尉です。フォート・ブラッグじゃ、常に上位の狙撃手でした」
「それは頼もしい」
紹介された彼はSWATと白いロゴが刺繍されたキャップのツバをつまんで上げた。
「ステインシュネイダーさんの噂は聞いてます。いっしょに作戦に参加できて光栄です」
「ラリーでいい。ぼくも君たちをマイクとジョージと呼ぶから」
ふたりの隊員が笑った。
ラリーは真顔に戻ってスコープを覗いた。
「中に動きがあったら躊躇せずに撃つぞ」
「動きって?」とマイク。
そのとき、アラベスク模様の大きなガラス窓の向こうに俊介の姿が見えた。
「あれだ」
ラリーがそういった。
両手を挙げながら立っている。その顔に銀色の大きな拳銃が向けられているのがはっきりと確認できた。それをかまえているのは――”ブラッディベア”ゴドノフだった。周囲にいる男たちも、拳銃を握っている。
その拳銃を振るって、ゴドノフが俊介の頭を殴る。
もんどり打って俊介が倒れた。
こみ上げてくる感情をラリーが抑える。
「射撃用意」
彼は低い声でいった。「ぼくは赤毛の男を撃つ。ジョージは他の連中を狙え」
「了解」
答えた彼は、M700ライフルのボルトを引いて戻した。
ラリーもミニ17のボルトを引いた。レーザーサイトのスイッチは、グリップを握る拇指の位置にある。その上にそっと指の腹を載せた。
☆
大型拳銃を持ったまま、ゴドノフは数歩、後ろに下がった。
頭部を接射すれば、正当防衛が成り立たなくなるからだろうと俊介は理解した。
だから、離れた場所から撃つつもりだろう。いずれにせよ、あんなどでかい口径の弾丸を喰らった、さすがにひとたまりもない。頭を吹っ飛ばされてあの世行きだ。
逆襲しようにも、チャンスはなさそうだった。
「ゴドノフ。こんな場所ではよせ。私の家を血で汚すつもりか」
ロバート・マックスウェルは窓際に立って、こちらを見ていた。
片手をズボンのポケットに入れている。
殺し屋が舌打ちをした。
「ハウスクリーニングの費用ぐらいケチるなよ。大富豪だろうが」
「そういう問題ではない。弟もここで死んだ。これ以上、この美しい屋敷を他人の死に場所にしたくないのだ」
「なるほど、冷血漢のあんたにとっちゃ、弟のジョゼフも赤の他人だったわけだ」
俊介の皮肉に、マックスウェルが憤怒の顔で振り向いた。
そのとき、彼らの後ろの壁に小さな緑色の光点が出現した。ゴドノフとマックスウェルは気づいていないが、俊介はそれを横目で捉えていた。
ラリーだと悟った。
相棒が外にいる――!
「貴様にそれをいわれたくないな」
マックスウェルは鼻の上にかすかに皺を寄せながら、俊介を睨んでいる。
「だったら、早いとこ片付けようぜ」
ゴドノフがまた拳銃を俊介に向けた。
光点は緑に輝きながらゆっくりと壁を移動し、俊介の前に立つゴドノフの腰の辺りから胸、顔へと這い上がってきた。殺し屋が異変に気づいて目を剥いたとき、それはまさにゴドノフの額の真ん中に光っていた。
「SHIT」
そうつぶやきざま、ゴドノフが撥ねるように横に飛んだ。
同時に銃声がして、壁に銃弾がめり込み、白煙を散らした。
外から聞こえた銃声は数発。立っていた黒いスーツの男たちが、躰や頭を射貫かれて、次々に倒れてゆく。逸れた銃弾は近くの壁に無数の孔を穿ち、あるいはコンクリに火花を散らし、鋭い音を立てて跳弾する。
俊介は姿勢を低くしながら、すぐすぐ近くにいたスーツの男に飛びかかった。
素早く拳をふるってこめかみを打ち据える。最前、彼の身体検査をし、拳銃を奪ったひとりだった。床に仰向けに倒れた、その服の中をまさぐり、腰のベルトに差し込んであったステンレス製のリヴォルヴァーを見つけた。
愛用のM686。素早くシリンダーを振り出し、装弾を確認して戻した。
室内はまだパニック状態だった。何人かの応援が部屋の外から飛び込んできたが、外から撃ち込まれる銃弾になすすべもなく、遮蔽物に身を隠すしかない。床にはすでに数名の死体が転がっている。
俊介はゴドノフとマックスウェルを捜した。
ふたりの姿は影も形もなかった。
すぐ近くの扉が開きっぱなしだった。そこに向かおうとしたとたん、黒スーツの男がひとり、中腰になって拳銃を向けてきた。俊介はまともにその銃口を覗いていた。
撃たれる。
そう思った瞬間、外から銃声がして、男の頭を銃弾が貫通した。
血飛沫を飛ばしてスーツの男がもんどり打って倒れた。
「ラリー。助かったよ」
そういって俊介は走り出す。
歯を食いしばりながら、広い応接間を横切った。拳銃をかまえ、扉を開いて外の通路へと飛び出す。
☆
俊介を狙っていた男を仕留めたのはグレイザーだった。
伏射の姿勢のまま、M700ライフルのボルトを引いた。排莢口から煙をまとった空薬莢が斜めに飛び出した。
「さすがに、いい腕だ」
ラリーが彼の背中を軽く叩いた。
「このまま行くぞ」
ラリーの声とともに、グレイザーとマクファーソンが立ち上がる。
「応援を待たなくても?」
「待ってたら日が暮れるよ、マイク」
ラリーがそう答えて笑った。
ふたつのライフルはその場に残置し、三人でマックスウェル邸に向かって走った。
マクファーソンはM4アサルトライフルを肩掛けしている。それが走りの動きに揺れてガチャガチャと音を立てている。
「君らは正面から頼む。ぼくは裏から回る」
「了解」
マイク・マクファーソンが返礼をし、相棒のジョージ・グレイザーとともに離れていった。
ラリーは腰のホルスターからブレンテンを抜き、スライドを操作して初弾を装填する。銃口を下向きにかまえたまま、低木の木立を抜けた。
ちょうど邸の正面入口のドアが開き、揃いの黒スーツのふたりが出てきた。
ひとりは短機関銃、もうひとりはポンプアクションのショットガンをかまえている。
ラリーは真横に走った。足音を聞いて振り向くひとりが、フルオートで発砲してきた。
走る足元に白い着弾の煙が生じた。
目の前にある灌木に、ラリーは飛び込んだ。そのまま芝生の上で転がり、地面の段差を利用して相手からの射線をかわしながら、腹這いで移動した。
数メートル進んで、杉木立の間から顔を出した。
――出てこい、くそったれ!
ボディガードの男が叫んで、潅木の繁みに向かって、ヘッケラー&コックMP5をフルオートで乱射した。ところがラリーからほど遠い、まるで当て外れの場所に着弾している。
――レオン、奴を捜すんだ。
短機関銃の男にいわれて、後ろでショットガンをかまえていたもうひとりが頷く。
ラリーは履いていたエアジョーダンのバスケシューズを脱ぎ、低木の繁みから少し出たところに目立つように置く。それからまた腹這いに進み、伏射の姿勢でブレンテンをかまえた。
レオンと呼ばれた男は姿勢を低くして、目を凝らしながら林の下生えを注視している。
彼がほくそ笑んだ。
――そこだ!
男は短機関銃を撃った。エアジョーダンを置いた近くの繁みが、無数の弾丸を受けて細かな枝葉の破片を飛ばした。銃声の余韻が消える前に、ラリーが中腰になって、ブレンテンを二発、撃った。男は呆気に取られた顔のまま、胸の真ん中に二カ所の弾痕をうがたれ、大の字になって吹っ飛んだ。
もうひとりがあわててショットガンを腰だめにかまえた。
寸前、ラリーはふたたび大地に身を投げていた。
繁みの隙間から銃口を突き出し、続けて六発を速射で撃った。男がものもいわずに、ショットガンを放り投げ、背中から立木に叩きつけられた。
ふたりとも倒れると、ラリーは空の弾倉を落とし、予備を銃把に叩き込んでから歩いた。草叢に転がっているエア・ジョーダンのシューズを履く。
近くに落ちているレミントンのショットガンを拾い上げた。
死んだ男のポケットから掴みだした十二ゲージの散弾をチューブ弾倉に装填しながら、屋敷の裏庭に回り込むと、芝生が植え込まれた広いスペースの真ん中にプールがあった。
ビーチパラソルや水に浮かぶビニール製の椅子。
人けはない。
勝手口の扉に近づこうとしたとき、その扉がふいに開いてボディガードがひとり出てきた。
ラリーが目の前に立っているとは、夢にも思わなかったのだろう、彼は一瞬、ぽかんと口を開けていたが、我に返るや、あわてて扉を閉めて引っ込んだ。
ラリーは裏口の真正面から、扉に向かってショットガンを腰だめで三発、撃ち込んだ。
木造りのパネルに大穴が開き、側面の彩光窓もめちゃめちゃに粉砕された。最後の空ケースを弾き出し、彼は銃の下側にある装填口から、三発の薬包を弾倉に押し込むと、ポンプを動かして薬室に送り込んだ。
扉の向こうから、うめき声と脚を引きずるような音がした。
彼はその音を追って銃口を横にローリングさせ、扉の近くにある上げ下げ窓に散弾をぶち込んだ。壊れた窓ガラスから血まみれの白い手が絹のカーテンを掴むのが見えた。
カーテンが映画〈サイコ〉のシャワールームのシーンのようにプチプチと音を立てて外れていき、男といっしょに床に落ちた。
扉を蹴破って中に入ると、そこは邸内に幾つかあるだろう応接室のひとつだった。さっきの男は、窓際でカーテンを大事そうに抱き締めたまま、俯せに息絶えていた。
背後でリノリウムの床を踏みつけるかすかな音がした。
ラリーは近くの安楽椅子の後ろに飛び込んだ。
ほとんど同時に男がひとり、M4A1アサルトライフルを持って部屋に入ってきた。連続射撃音とともに銃口近くのマズルブレーキから星型に炎が走り、ラリーが隠れた革張りの椅子にプスプスと穴が開いた。無数の・二二三口径弾が、あっさりと椅子を突き抜け、彼の頭を掠めてカーペットに抉り込む。
ラリーは反対側に転げ出しながら、ショットガンを男に向けた。
男はその大きな銃口をまともに見て、弾丸の尽きたアサルトライフルを投げ捨てると、戸口から廊下に逃げ出した。
立ち上がったラリーが追っていくと、彼は二階へ続く回り階段を駆け登ろうとしているところだ。その後ろ姿を狙って、ポンプアクションをやりながら二発、撃った。急カーヴを描いて上の階へ続く木の手摺が、爆発したように木っ端を散らし、同時に男がのけ反って階段を落ちてきた。
死体が彼の足元に転がってくると、ラリーはステップに足をかけて登ろうとした。
二階に足音がした。
女のハイヒールらしい硬い音だ。
ラリーは弾丸のなくなったショットガンを手摺に立てかけ、腰に差し込んでいたブレンテンを抜き出して、セフティを外した。
回り階段を女がゆっくりと降りてきた。
飴色のソフトスーツに同じ色のタイトスカートを身につけた、長い黒髪の白人の女だ。
氷のような冷たい笑みを口元に浮かべながら、ラリーに近づいてきた。階段の途中で、彼は途惑っていた。突然、場違いな世界に現われたその若い女を見上げた。
濡れたサイドウインドウに原色のネオンサインがギラギラ光りながら滲み、素晴らしい速さで後ろにすっ飛んでいく。
T型コンソールの端にあるスピードメーターは、ぴったりと時速百マイルを示していた。エンジンの回転計は六千五百rpmをとっくに越えていて、針はイエローゾーンからレッドゾーンを指そうとしている。他の車は一台も走っておらず、定規で引いたがごとき一直線の道だけが、永遠の旅路を思わせるように、地平線の彼方に向かって続いている。
ラリーと俊介はひと言も口を利かず、自分たちを吸い込もうとする前方の闇を見つめていた。
風を切り、夜を走ることが、生まれる前からの宿命のようだった。
やがて行く手――前方に目映く曙光が差し始めた。
太陽は一瞬の光芒を地平線に沿って走らせてから、ゆっくりとその姿を現した。
きらびやかな朝日を浴び、サンバーナーディノ・フリーウェイをひたすら東に向かって走った。
やがて北に転針してサンガブリエル・リヴァー・フリーウェイに入った。
アーウィンデイルは、遠くシエラ・ネヴァダ山脈の南端から続く蒼茫たる山並みを見渡せる、緑の多い美しい街だ。フリーウェイを降りて街路に入ると、森や林、そして屋根の低い家々が、朝日の中に眩しいばかりの色合いを強調されてみえた。
ウィルマー通り二十三番地にやってくると、ビヴァリーヒルズ並みの豪邸が立ち並ぶ閑静な住宅街だった。家と家の間は何と四分の一マイル近く離れているが、それはおのおのの豪邸の庭の広さゆえだ。
どの家の庭も、おそらくはアストロドームがすっぽりと収まるに違いなく、しかも緑が多いため、建物は方々に点在して、鬱蒼と繁った森の木立に屋根が埋もれるように見えていた。
ロバート・マックスウェルの屋敷はゆるやかな丘陵の上にあり、他の家に負けず劣らずの広さだ。しかしながら、周囲の家々と違って、ものものしいコンクリの高く頑丈な塀に囲まれていた。庭にはインディ・ジョーンズ・シリーズのロケ隊がやってきそうなぐらい広い林があって、その上、驚いたことに、ゴルフコースひとつぶんはありそうな芝生が青々と広がっている。
守衛所のある門前の前をゆきすぎて、二百ヤードばかり行ったところにあるヒマラヤ杉の林の中にマツダ・サバンナを停めると、ラリーは背筋を伸ばした。コチコチに凝った肩をほぐしている。
マックスウェルのオフィスに朝いちばんで電話を入れ、上院議員の犯罪の証拠を握っていることを告げた。本人は電話口には出なかったが、キャスリーン・ウェイドと名乗る女性秘書が受けた。やがて向こうからオフィスに電話がかかり、マックスウェルが直に会いたい旨を告げてきた。
カニンガムとネイトたちFBI捜査官の目論見は当たっていたわけだ。
車窓を下げたウインドウに肘を載せて、ラリーが相棒を見た。
「いいか、とにかく上院議員との話を引き延ばして、奴の口からいわせることだ」
「こっちが撃ち殺される前に、騎兵隊は来るんだろうな?」
俊介はさすがに不安そうな顔をしている。
「信じるしかないよ」ラリーが片眉を上げていった。「ぼくらには選択肢はなかった。それに彼らがいったように、無計画に殴り込みをかけたって、たちまち制圧されておしまいだろうさ」
「〈ワイルドバンチ〉になりそこねたわけだな」
そういって俊介は相棒の顔を見た。「じゃあ、悪いがここで下りてくれ」
「本当にお前ひとりでいいのか?」
「そういう段取りだからな」
俊介が答えたように、マックスウェルに面会するのは一名。ふたりでノコノコと出向いていけば、こちらの切り札を見せるようなものだからだ。どちらが行くかをコイントスで決めようといったラリーを制して、俊介がいった。
――こういう役には俺がお誂え向きだってことは、もうわかったるだろう?
たしかにそうだとラリーは思った。
今、俊介のシャツの下には盗聴器が仕込まれている。〈ワイヤー〉と呼ばれる超小型で高性能の送信機である。彼らの会話は離れた場所で待機しているカニンガムとネイトの車両に届くはずである。それらは録音され、証拠となる。
FBIとともに市警のSWATが、私邸の近くで出動準備を整えているはずだ。ラリーは徒歩で彼らと合流する予定だった。
車外に出たラリーはサバンナの後部トランクを開けて、細長いアタッシェケースを取り出した。
それを地面に置いて、車内にいる相棒を見た。
俊介は運転席に移ってステアリングを握ったところだった。
「死ぬなよ」
車窓を下ろし、相棒が笑う。「分かってる。バックアップを頼んだぞ」
「まかせとけ」
「じゃあ、カニンガム捜査官たちによろしく」
車窓を閉じると、サバンナがゆっくりと走り出す。
ラリーはその場に立ち尽くすように、来た道を戻っていく車を見送った。
俊介はマックスウェル邸の前に車を停めた。
守衛所には男が二名。だが、出てくるでもなく、ただこっちを睨んでいる。
「えらいところに来ちまった。ハワート・ヒューズか、ロスチャイルドの御殿だな」
ステアリングに腕を載せながら俊介が独りごちた。
下着の下に装着した高感度マイクが、彼の声を拾っているはずだ。
しばし私邸を見つめていた。
ふいに守衛所の横にある大きな門扉がゆっくりとスライドを始めた。
敷地の林に挟まれた小道を、黒いリンカーン・コンチネンタルがやってきて、守衛所の真横に静かに停まった。
ドアを開き、出てきたのは黒いスーツの男が三人、ごていねいにも全員がそろいのスモークグリーンのサングラスをかけて、シークレットサーヴィス風に渋く決めている。
「ちくしょう」俊介が舌打ちをした。「連中のほうがファッションセンスがいい」
男たちがゆっくりと歩いてきて、サバンナの鼻面の正面に横並びになって立った。
「ミスタ・ナリタ。マックスウェル上院議員がお前と面会する」
サングラスの男のひとりがいった。
それぞれがあまりにも似通った格好をしているため、誰が口を利いたのかわからなかった。
さながら同じ鋳型から生産されたような黒いフォーマルスーツの三人は、服装に合わせたとしか思えないピカピカの黒いリンカーンに乗り込み、守衛所の横で車を方向転換させ、小道を戻り始める。
俊介はみすぼらしいサバンナを走らせ、高級車の後に続いた。
針葉樹の林に挟まれただだっ広い庭。いや、庭というよりも森だった。ヒマラヤ杉やスプルースの林立する中を、きれいな舗装路が右に左にカーブを描きながら続く。ところどころにスチールポールに取り付けられた監視カメラがあり、サバンナの動きに連動するように角度を変えている。
ようやく前方に屋敷が見え始めた。
黒塗りのリンカーンは小魚のようなサバンナを従えて、ゆっくりとマックスウェル邸に向かって走った。
左右に木立が切れて、ゴルフ場のような広大な芝生エリアの向こうに邸宅が見えた。
それはクラシカルな建築意匠で、いわゆるコロニアル形式の豪邸だった。三階建で、無数のアーチ型窓と張り出し窓、屋根の傾斜した部分にも小さなドーマーの窓が幾つもついていた。棟飾りは矢尻を模したもので、三つある大きな煙突は煉瓦でできていた。
玄関前では、低木に囲まれた前庭の芝生を踏みつけて、同じような黒服の男たちが数人、横一列に並んで待っていた。
俊介は車を停め、外に出た。
屋敷の正面玄関の豪壮な扉が、ふいに音を立てた。グレーの高級スーツを着た初老の男がそこから出てきた。
男はポーチの石段を降りて、俊介の前に立った。
ロバート・マックスウェルだった。かつて面会した弟のジョゼフにどことなく似ているが、彼のようなピーター・ローレ風の姑息さは感じられない。見事なブロンドの髪を後ろに撫でつけ、鷲鼻が隆起していた。政治家としての威厳を保とうとしているのか、背筋を伸ばし、堂々と胸を張っている。
「LAの探偵、シュンスキー・ナリタだな」
俊介は笑った。
「シュンスケだよ。ロシア系じゃなく日系だ」
彼はいったん口を噤み、わざとらしくうなずいてから、こういった。
「君を待っていた」
「上院議員どのがわざわざ表までお出迎えとは驚くよ。とんだ有名人になったもんだ。近いうちにCNNの取材が入るかもな」
マックスウェルが不快な表情を見せた。
「くだらない冗談をいうために、わざわざ私のところに来たのかね」
「これは失礼。ジェントルな取引のために参上つかまつった」
俊介の声に彼はうなずく。
「ならば入りたまえ」
踵を返すマックスウェル。
俊介は歩き出し、黒服の男たちの間を抜けた。そして邸内に入った上院議員に続いた。
ドアが閉まるとともに男たちに包囲され、荒々しく身体検査をされた。ショルダーホルスターに差し込んだM686。愛用の拳銃が取り上げられる。
下着の下に装着したワイヤーという盗聴器は、今は超小型化していて、衣服の上から手で触れたぐらいではわからなくなっている。裸にされないかぎりバレないとカニンガムが太鼓判を押していたが、それでも気が気でない。盗聴器から発信される電波はデジタルで、しかも特殊に暗号化されているため、まず傍受は不可能だという。それを信じるしかない。
さらに念入りに袖の先からズボンの先までチェックされ、ようやく解放された。
黒服のひとりが俊介を案内する。後ろを数名がついてきた。
アラベスク模様が刺繍されたふかふかの絨毯を踏みながら、全員でしずしずと歩く。
緊張しないといえば嘘になる。
マックスウェルが犯罪に関与した証拠を握っているという情報は、もちろんブラフである。それが明らかになるのは時間の問題。その時間をどこまで引き延ばして、本人の口から事実をしゃべらせるかだ。
バスケットボールのコートがふたつは入りそうなほどに広い応接室だった。
大きな暖炉。高級そうなソファなどの家具。壁にはマックスウェル家の先祖らしい巨大な肖像画がいくつかかかっていた。
そんなだだっ広い空間の一角で、ロバート・マックスウェルが尻がすっかり沈みそうなほどに柔らかなソファに座り、脚を組み、葉巻をくゆらせて俊介を待っていた。
彼は向かいのソファに案内され、そこに座らされた。
ガードの男たちはほとんどが部屋を出て行ったが、二名だけがその場に残った。
どちらも黒のサングラスに黒いスーツ。マックスウェルの後ろに回り、少し互いの間を空けて立ちつつ、油断なく日系人の探偵を見張っている。もちろん、腰あるいは脇の下には物騒なものが仕込まれているはずだ。
ふいに傍らの扉が開き、メイド服を着た小柄な若い娘がトレイに載せた酒のボトルとグラスを運んできた。それを俊介の前のテーブルに置いた。
マックスウェルが組んでいた脚を戻し、風変わりな形のボトルを取ると、無造作に栓を抜き、凝ったデザインのクリスタルグラスに酒を注いだ。
「これはカミュのキュヴェ、三十七年ものという限定品のコニャックだ。おそらく君が十年は働いたって手に入れられることがない高級酒だよ」
そういいながらグラスをとり、無造作にあおった。
グラスをテーブルに戻し、二杯目を注ぎながらいった。「遠慮せずに飲んでくれ」
俊介がフッと笑ってグラスを手にした。香りを楽しみ、ひと口であおった。
「さすがに凄いな。ひと口で天国に逝きそうだ」
マックスウェルはニコリともしなかった。
「さて――」
葉巻の煙をくゆらせながら、彼は目を細めた。「さっそく本題に入ろうか。ミスタ・ナリタ」
☆
ラリーは重たいアタッシェケースを抱えたまま、木立の間を抜けて歩いた。
FBIの捜査官たちの居場所はスマートフォンのアプリでわかっている。位置情報を頼りに歩くうちに、木の間越しに黒い車両が並んでいるのが見えてきた。スーツ姿の男たちが何人か回りに立っている。SWATらしい黒の制服姿の警官もいる。
突然、現れたラリーを見て全員が緊張した顔になった。
中にはスーツの下に手を入れた者もいる。
が、そこにいたカニンガムが片手で制した。サングラスを外していった。
「ナリタは邸内に入ったようだな」
ラリーがうなずき、足元にアタッシェケースを下ろした。
「それは?」
カニンガムの質問を無視して、ラリーはケースを開く。ウレタンクッションのデコボコの上に横たわっているのはオフィスから持ち出したスタームルガー・ミニ14オートマティックライフルだ。三倍の望遠スコープにくわえてレーザーデバイス社のグリーンレーザーサイトを装着してある。
それを見たカニンガムの表情が険しくなる。
「君はあくまでも保護の立場でわれわれといるんだ。私闘は許されない」
ラリーは・二二三口径の細くくびれた弾丸を弾倉に装填しながらいった。
「相棒がひとり危険の渦中にいるんだ。ぼくはできるかぎりのバックアップをする。銃の所持と携行ライセンスは持っているし、正当防衛で銃を使うのはアメリカ市民の自由だ」
フル装填した弾倉をライフルに叩き込み、ラリーは立ち上がってスリングで肩掛けをした。
カニンガムは渋面で彼を見ていたが、眉根を寄せて向き直る。
「仕方ない。ついてきたまえ」
彼は近くに停めてある黒いダッジのヴァンに歩み寄り、リアゲートドアを開いた。
ラリーが続いて車内に入る。
ヴァンのカーゴルームはハイテク機器に囲まれた異様な空間だった。スーツ姿の男女が四名、通信装置や傍受装置の前に座り、緊張した顔で計器や画面に見入っている。カニンガムの相棒のネイトの姿もあった。
「どういう段取りになってるんですか」
ラリーの質問にカニンガムがうなずく。
「マックスウェル本人が犯罪に関与したという証拠を掴まないとわれわれは動けない。そのことはシュンスケ・ナリタにも伝えてある。会話の流れでそれを引き出してくれたら、その時点でわれわれは私邸内に突入する」
「俊介の安全は?」
一瞬の間があった。
「できるかぎりのことはする。だから、信じてもらいたいのだ」
「それは何の策も講じていないということじゃないですか」
痛いところを突かれて、カニンガムが目がかすかに動いた。
「一気に武力制圧をすれば、向こうもナリタに手を出せはしない」
ラリーは愕然としたまま、黙ってかぶりを振った。
「われわれは君のことをよく知っている。その射撃の腕も、経歴も調べてある。だが、公務に勝手に個人の私情を交えることは許されない」
「だったら!」
ラリーは声を荒げ、カニンガムに詰め寄った。「あんたたちFBIが市民に、こんな危険な協力を依頼する権利はあったんですか。そんなことが許されるんですか!」
カニンガムはわざとらしく肩を上下させて吐息を投げた。
「それは承知の上だった」
「ぼくもやるべきことをやるだけです」
「われわれはチームで動く。君はチームのメンバーではない。単純なことだ」
「だから、ぼくひとりで動きます。あなたたちの邪魔はしない」
そのとき、カーゴルームの奥にいたネイトがやってきた。
「様子がおかしい。ワイヤーの受信が途切れがちなんだ」
カニンガムの表情が変わった。
ヘッドフォンをつけた黒髪の女性が座っているコンソールのスイッチを入れる。傍受の音声が外部スピーカーに切り替わった。
――〈ヘルウインド〉のメンバーがひとりずつ殺害されたとき、俺たちは何度か……居合わせている。ダニエル・アッシュ……チャーリー……シンゴも相棒の近くで撃たれた。それ……。
雑音がひどく入り、音声が途切れがちになっている。
やがていっさいが途絶えた。雑音すら消えてしまった。
「どういうことだ」
カニンガムが焦り顔でいった。
「受信側の問題ではないことがわかっています」
若い女性担当官がそういった。
「だとすると、ナリタに装着した発信器か」
「あるいはジャミングがかけられているのかもしれません」
「莫迦な。最新のデジタル暗号で秘匿送信をしているはずだ」
「科学技術なんてしょせんはイタチゴッコじゃないか」
ラリーがいうと、カニンガムは苛立ちの表情で彼を睨んだ。
――あんたの弟……自分で死んだわけ……関与してる……。
俊介の声が途切れがちに飛び込んできている。だんだんと受信状況が悪化しているようだ。
「こんな状態じゃ、会話の一部を捉えても証拠にならんぞ」
ネイトが腕組みをしながら、そうつぶやく。
「捜査官。トラックが来ます」
車外にいたサングラスにスーツの男が声をかけてきた。
見れば、青とオレンジの組み合わせ文字で〈FedEx〉と大きく書かれたコンテナを搭載した白い大型のトラックが、ゆっくりとマックスウェルの私邸に向かうところだった。
「カニンガムさん。あれを停めてもらえますか。ぼくに考えがあります」
彼はラリーを見て、また外に目をやった。
☆
「ジョージ・フェントンとレイ・ゴーニック。名前に覚えは?」
俊介が訊いた。が、マックスウェルは首を振る。「聞いたことのない名だな」
「じゃあ、クリスチャン・ウォルター・ゴドノフはどうだ」
「知らん」
「三人とも殺し屋だ。どうやらひとりはご存命のようだが、最初のふたりは死んだ。そのうちの一名が殺しの仕事について白状している。それを証拠として持っているということだ」
「録音か?」
「今はデジタルタイプの高性能の超小型レコーダーがあるんだよ。スマートフォンにだって、そんな機能がついてるのを、あんただって知ってるんじゃないか?」
「よかろう」
マックスウェルは向かいに座る俊介を睨むようにいった。「君はそれらの一連の殺しの裏側に私がいるという。では、その証拠とやらを見せてもらおうか」
俊介は笑った。
ふかふかのソファに座ったまま、背もたれに肘をかけ、脚を組んだ。
「それをここに持ったまま、ノコノコとあんたの目の前に座ってるほどの莫迦じゃないってことぐらいわかるだろう? ある場所に預けてあるんだ」
「ある場所?」
「あんたが知らない場所さ。俺がそこに連絡をしなければ、自動的に効果を発揮する手順だ」
すると上院議員が薄笑いを浮かべた。
「もともと身に覚えのないことを、どこの誰がしゃべったからといって罪になるかな? その何とかという殺し屋の口から私の名が出たとしても、それが嘘でたらめでないという証拠もない」
「だが、警察はあんたを引っ張ることはできる。大統領になるという噂の上院議員が殺人幇助の容疑をかけられたとしたら、それに飛びつくマスコミはわんさかいるだろうな」
マックスウェルは眉をひそめた。鉛のように重くわだかまる怒りを抑えているのだろう。
この機会を逃さず、パニックに追い込むことだ。そうすれば彼は自分の口からしゃべる。
外に待機しているFBIが動くのはそのときだ。
当然、そうなれば俊介は危機に直面することになる。そこをどう切り抜けるかが問題だ。
「弟さんはお気の毒だったな」
だしぬけに切り出されて、ロバート・マックスウェルの片眉が上がった。
「金遣いが荒く、悪びれもせずに自分の銀行から大金を横領しては強盗を装って自作自演でごまかしてきた。そんな弟がいちゃ、あんたもさぞかし迷惑だったろう? 目の上のたんこぶどころか、将来、有望なあんたの足を引っ張るだけの不出来な弟が、あっさりとくたばってくれてすっきりしたんじゃないのか」
「ジョゼフはたったひとりの兄弟だった。侮辱するのは許さん」
「遺体はまだ戻っていないはずだ。警察が死亡の状況を徹底究明しているんだよ。拳銃をくわえての自殺ということだが、弾丸の貫通角度や周囲の硝煙反応などを調べれば、不自然な点がいくつか出てくるだろう。それに遺体の複数箇所には明らかな打撲の痕跡があったようだ。不審死……というか、明らかな他殺だろうな」
「安易に推測でものをいっちゃいかんな、探偵」
「ところが正確な情報さ。LAPDには、ちょっとしたコネがあるんだよ。ハロルド・ナルティ部長刑事のことは知ってるんじゃないか。殺し屋が殺し損ねて、ちゃんと生きてるぜ」
俊介は身を乗り出すようにして、マックスウェルの顔の前でいった。「つまり、あんたは俺たちに関しちゃ、ドジを踏み続けてる。あんな三流の殺し屋を傭ったりするからだ。大統領の椅子を狙う上院議員どのにしちゃ、手抜かりもいいところじゃないか」
マックスウェルの顔がひきつっていた。
顔が赤くなっているのは酒の酔いばかりではなさそうだ。
「私をおちょくると後悔することになるぞ」
「後悔はしたくないが、その前に話のメインテーマと行きたいんだが、よろしいかな?」
俊介の言葉にマックスウェルが反応した。湯気を吹き出しそうな憤怒の顔がわずかにゆるんでいた。
「聞こうじゃないか」
「問題の会話を録音したICレコーダーの本体をあんたに売りたい。むろん、コピーなしだ」
「身に覚えのない罪をでっち上げた会話とやらに、私がいくら払えと?」
「二千万ドル。税抜きでだ」
「何のジョークだ、探偵」
「大富豪のあんたからすれば、小遣い程度じゃないか」
ふいにマックスウェルが笑い始めた。
コニャックの瓶を掴むと、高級酒を無造作にグラスに注ぎ、それを一気に半分あおった。
グラスを置いて、いった。「君にコメディアンの才能があることはわかったが、そんな莫迦げた話を私に持ちかけるのは無意味だ」
俊介はわざとらしく肩を持ち上げた。
「残念ながら商談は不成立だ。情報はマスコミに渡すことにするよ。少しは謝礼が出るだろうさ。さて、帰るとするか」
立ち上がろうとした俊介を、マックスウェルが片手で制した。
「待て」
「俺はあんたと高級酒を飲みにきたわけじゃないんだ。話し合いが決裂したら、さっさとおいとまするよ。それとも――」
上院議員の後ろに立つ黒背広に黒いサングラスの二名を指差した。「そのメン・イン・ブラックみたいなコンビが、ボールペンみたいなもので俺の記憶を消去するのかい?」
「記憶ではなく、君そのものを消去することもできるのだぞ」
マックスウェルの声に、俊介はひそかに笑った。
短気で直情径行な男だという噂だったが、なるほどと理解した。この調子なら、あっさりと乗ってくるかもしれない。
「俺が戻らなければどうなるか、いわなかったっけな?」
「君はこの場でそのICレコーダーとやらの在処を白状するだろう。そもそも、そんなものが存在すればの話だがな」
「よかろう」俊介はいった。「白状するよ。ICレコーダーなんて存在しない。でっち上げなんだ」
「なんだと?」
「それであんたは満足だろう?」
「私を愚弄するつもりか」
「素直に言葉を受け取ってくれ、上院議員。じゃあ、帰るよ」
出口に向かおうとした俊介は、背後に金属音を聞いた。
立ち止まり、ゆっくりと肩越しに振り返る。マックスウェルの向こうに立っていたふたりが、黒い拳銃をかまえている。さらに正面入口のほうから、待機していた他の黒スーツの男たちが戻ってきた。それぞれ手に拳銃や短機関銃を握っていた。
「WOOOOPS!」
俊介がまた肩をすぼめた。「やっこさん。馬脚を露したぜ」
胸の付近にあるはずの小さなマイクに向かって、俊介はいった。
「ゴドノフたちを傭ったのはあんただな」
「そうだ。私が傭った。不出来な弟の不始末を、尻ぬぐいしなければならなかったからだ」
マックスウェルは怒りに震えていた。火を噴き出しそうな双眸で睨んでくる。
「出てこい!」
振り向きざま、彼は怒鳴った。
応接間への別の出入口のドアが開き、赤毛の殺し屋が姿を現した。
モスグリーンの軍用コートに身を包み、編み上げのブーツを履いている。片手に銃身の長い大型リヴォルヴァーを握っていた。
「いよう、”ブラッディベア”。相棒があんたを仕留め損ねたが、おかげでまた再会できたな」
ゴドノフは靴音を立てて俊介の前に歩いてきた。
右手の無骨な大型拳銃を向けてくる。ステンレス製の・四五四カスール。グリズリーを倒すための拳銃だ。
「あのときは、わざとお前らを殺さなかった。おかげでこうして面と向かっていられる」
「今さら何のつもりだ。我が社に就職したいのなら、ウエブサイトから申し込めるぜ」
ところが、そんな冗談が通じる相手ではなかったようだ。
「今まで幸運に助けられてきたお前たちも、そろそろ悪運が尽きる。殺す前にじっくりとその顔を拝みたかった。恐怖に怯える顔をな」
大型拳銃の銃口を俊介の額に当てた。拇指で撃鉄を起こす。
輪胴が回転した。
俊介は真顔になった。
待機しているFBIには上院議員の犯罪の証拠が伝わったはずだ。もう、そろそろ動いてくれないと、こっちの命がやばそうだ。しかし私邸の外にはそれらしい気配もなかった。
ふいにゴドノフが口角を吊り上げて笑った。
拳銃を俊介の顔に向けたまま、左手で無造作にシャツを引き裂いた。
そして胸にテープで留められた超小型のマイクを掴んで引きちぎった。
「ワイヤーをつけて来邸していることは織り込み済みだ」
ゴドノフは無表情のまま、いった。「最新のデジタル無線のようだが、こっちにも最新のジャミングができる装置があるということだ。上院議員のさっきの言葉は外には洩れていない」
俊介はうなずいた。
「そういうことか」
「外に警官隊が待機しているのだろうが、彼らは空振りのまま、帰ることになる」
「ここで俺を撃てば、いやでも銃声が聞こえるぜ。そしたら外に待機しているFBIがSWATとともに突入してくる」
するとゴドノフはまた含み笑いを見せた。
「それでいいんだ」
俊介が真顔に戻る。「何だと?」
「お前はあくまでも不法侵入。われわれは正当防衛で君を撃ったといえばいい」
拇指で起きた撃鉄を戻しざま、殺し屋は無造作に大型拳銃の太い銃身を彼の額にあてがった。
☆
フェデックスの貨物トラックが、広大な庭を抜ける道を走っていた。
やがて運転手が減速し、トラックが停車した。キャップをかぶった若い運転手がドアを開けて車外に出ると、リアゲートドアを開いた。ラリー・ステインシュネイダーが、スタームルガーのライフルを肩掛けしたまま飛び降りた。続いてSWATの黒い制服姿の二名が、それぞれM4A1アサルトライフルとレミントンM700ライフルを肩から吊したまま、路上に下りる。
運転手は何事もなかったかのように口笛を吹きながら、運転席に戻った。
無言のまま、素早く繁みに飛び込む三名をちらと見てから、ドアを閉め、またトラックをゆっくりと走らせ始めた。
ラリーは走った。SWAT隊員の二名もあとに従う。
森の木立を抜けて、やがてマックスウェルの豪邸がすぐ近くに見える場所までやってくると、下草に腹這いになって双眼鏡を目に当てた。
あらかじめFBIのカニンガムから私邸の図面のコピーをもらっていた。おそらく俊介は邸内の左翼に位置する広い応接間に通されているはずだ。大きな窓には頭上から注がれる太陽光が当たっているが、ラリーたちがいる場所からなら、ガラスの反射光はない。
室内には人影が確認できた。ラリーではなく、黒っぽいスーツ姿の男たちだ。
マックスウェルの姿も死角になっているのか、こちらからは見えなかった。
傍に横たえていたルガーミニ14のバイポッドを起こして、逆V字の脚を立てた。ストックを片付けしてスコープを覗く。
隣ではSWATのふたりが、同様に伏射の姿勢を取っている。
M4A1は近接戦闘用なのでこの距離では役に立たないが、レミントンM700なら狙撃には最高の銃だ。
「失礼。ミスタ・ステインシュネイダー。私を覚えておいでですか?」
M4をかまえている若い隊員が声をかけてきた。
ラリーは振り返る。そういえば見覚えのある顔のようだ。細面の白人で、ティーンエイジャーのようにそばかすが顔に散っている。
「マイケル・マクファーソンです。四年前、LAPDの警官をしていたとき、射撃教官だったあなたに仕込まれました」
「ああ」ラリーが破顔した。「大勢を見てきたが、覚えてるよ。君は優秀だったな」
マイケルは隣の若い隊員を紹介した。
「私は今回、バックアップです。こっちはジョージ・グレイザー。元陸軍少尉です。フォート・ブラッグじゃ、常に上位の狙撃手でした」
「それは頼もしい」
紹介された彼はSWATと白いロゴが刺繍されたキャップのツバをつまんで上げた。
「ステインシュネイダーさんの噂は聞いてます。いっしょに作戦に参加できて光栄です」
「ラリーでいい。ぼくも君たちをマイクとジョージと呼ぶから」
ふたりの隊員が笑った。
ラリーは真顔に戻ってスコープを覗いた。
「中に動きがあったら躊躇せずに撃つぞ」
「動きって?」とマイク。
そのとき、アラベスク模様の大きなガラス窓の向こうに俊介の姿が見えた。
「あれだ」
ラリーがそういった。
両手を挙げながら立っている。その顔に銀色の大きな拳銃が向けられているのがはっきりと確認できた。それをかまえているのは――”ブラッディベア”ゴドノフだった。周囲にいる男たちも、拳銃を握っている。
その拳銃を振るって、ゴドノフが俊介の頭を殴る。
もんどり打って俊介が倒れた。
こみ上げてくる感情をラリーが抑える。
「射撃用意」
彼は低い声でいった。「ぼくは赤毛の男を撃つ。ジョージは他の連中を狙え」
「了解」
答えた彼は、M700ライフルのボルトを引いて戻した。
ラリーもミニ17のボルトを引いた。レーザーサイトのスイッチは、グリップを握る拇指の位置にある。その上にそっと指の腹を載せた。
☆
大型拳銃を持ったまま、ゴドノフは数歩、後ろに下がった。
頭部を接射すれば、正当防衛が成り立たなくなるからだろうと俊介は理解した。
だから、離れた場所から撃つつもりだろう。いずれにせよ、あんなどでかい口径の弾丸を喰らった、さすがにひとたまりもない。頭を吹っ飛ばされてあの世行きだ。
逆襲しようにも、チャンスはなさそうだった。
「ゴドノフ。こんな場所ではよせ。私の家を血で汚すつもりか」
ロバート・マックスウェルは窓際に立って、こちらを見ていた。
片手をズボンのポケットに入れている。
殺し屋が舌打ちをした。
「ハウスクリーニングの費用ぐらいケチるなよ。大富豪だろうが」
「そういう問題ではない。弟もここで死んだ。これ以上、この美しい屋敷を他人の死に場所にしたくないのだ」
「なるほど、冷血漢のあんたにとっちゃ、弟のジョゼフも赤の他人だったわけだ」
俊介の皮肉に、マックスウェルが憤怒の顔で振り向いた。
そのとき、彼らの後ろの壁に小さな緑色の光点が出現した。ゴドノフとマックスウェルは気づいていないが、俊介はそれを横目で捉えていた。
ラリーだと悟った。
相棒が外にいる――!
「貴様にそれをいわれたくないな」
マックスウェルは鼻の上にかすかに皺を寄せながら、俊介を睨んでいる。
「だったら、早いとこ片付けようぜ」
ゴドノフがまた拳銃を俊介に向けた。
光点は緑に輝きながらゆっくりと壁を移動し、俊介の前に立つゴドノフの腰の辺りから胸、顔へと這い上がってきた。殺し屋が異変に気づいて目を剥いたとき、それはまさにゴドノフの額の真ん中に光っていた。
「SHIT」
そうつぶやきざま、ゴドノフが撥ねるように横に飛んだ。
同時に銃声がして、壁に銃弾がめり込み、白煙を散らした。
外から聞こえた銃声は数発。立っていた黒いスーツの男たちが、躰や頭を射貫かれて、次々に倒れてゆく。逸れた銃弾は近くの壁に無数の孔を穿ち、あるいはコンクリに火花を散らし、鋭い音を立てて跳弾する。
俊介は姿勢を低くしながら、すぐすぐ近くにいたスーツの男に飛びかかった。
素早く拳をふるってこめかみを打ち据える。最前、彼の身体検査をし、拳銃を奪ったひとりだった。床に仰向けに倒れた、その服の中をまさぐり、腰のベルトに差し込んであったステンレス製のリヴォルヴァーを見つけた。
愛用のM686。素早くシリンダーを振り出し、装弾を確認して戻した。
室内はまだパニック状態だった。何人かの応援が部屋の外から飛び込んできたが、外から撃ち込まれる銃弾になすすべもなく、遮蔽物に身を隠すしかない。床にはすでに数名の死体が転がっている。
俊介はゴドノフとマックスウェルを捜した。
ふたりの姿は影も形もなかった。
すぐ近くの扉が開きっぱなしだった。そこに向かおうとしたとたん、黒スーツの男がひとり、中腰になって拳銃を向けてきた。俊介はまともにその銃口を覗いていた。
撃たれる。
そう思った瞬間、外から銃声がして、男の頭を銃弾が貫通した。
血飛沫を飛ばしてスーツの男がもんどり打って倒れた。
「ラリー。助かったよ」
そういって俊介は走り出す。
歯を食いしばりながら、広い応接間を横切った。拳銃をかまえ、扉を開いて外の通路へと飛び出す。
☆
俊介を狙っていた男を仕留めたのはグレイザーだった。
伏射の姿勢のまま、M700ライフルのボルトを引いた。排莢口から煙をまとった空薬莢が斜めに飛び出した。
「さすがに、いい腕だ」
ラリーが彼の背中を軽く叩いた。
「このまま行くぞ」
ラリーの声とともに、グレイザーとマクファーソンが立ち上がる。
「応援を待たなくても?」
「待ってたら日が暮れるよ、マイク」
ラリーがそう答えて笑った。
ふたつのライフルはその場に残置し、三人でマックスウェル邸に向かって走った。
マクファーソンはM4アサルトライフルを肩掛けしている。それが走りの動きに揺れてガチャガチャと音を立てている。
「君らは正面から頼む。ぼくは裏から回る」
「了解」
マイク・マクファーソンが返礼をし、相棒のジョージ・グレイザーとともに離れていった。
ラリーは腰のホルスターからブレンテンを抜き、スライドを操作して初弾を装填する。銃口を下向きにかまえたまま、低木の木立を抜けた。
ちょうど邸の正面入口のドアが開き、揃いの黒スーツのふたりが出てきた。
ひとりは短機関銃、もうひとりはポンプアクションのショットガンをかまえている。
ラリーは真横に走った。足音を聞いて振り向くひとりが、フルオートで発砲してきた。
走る足元に白い着弾の煙が生じた。
目の前にある灌木に、ラリーは飛び込んだ。そのまま芝生の上で転がり、地面の段差を利用して相手からの射線をかわしながら、腹這いで移動した。
数メートル進んで、杉木立の間から顔を出した。
――出てこい、くそったれ!
ボディガードの男が叫んで、潅木の繁みに向かって、ヘッケラー&コックMP5をフルオートで乱射した。ところがラリーからほど遠い、まるで当て外れの場所に着弾している。
――レオン、奴を捜すんだ。
短機関銃の男にいわれて、後ろでショットガンをかまえていたもうひとりが頷く。
ラリーは履いていたエアジョーダンのバスケシューズを脱ぎ、低木の繁みから少し出たところに目立つように置く。それからまた腹這いに進み、伏射の姿勢でブレンテンをかまえた。
レオンと呼ばれた男は姿勢を低くして、目を凝らしながら林の下生えを注視している。
彼がほくそ笑んだ。
――そこだ!
男は短機関銃を撃った。エアジョーダンを置いた近くの繁みが、無数の弾丸を受けて細かな枝葉の破片を飛ばした。銃声の余韻が消える前に、ラリーが中腰になって、ブレンテンを二発、撃った。男は呆気に取られた顔のまま、胸の真ん中に二カ所の弾痕をうがたれ、大の字になって吹っ飛んだ。
もうひとりがあわててショットガンを腰だめにかまえた。
寸前、ラリーはふたたび大地に身を投げていた。
繁みの隙間から銃口を突き出し、続けて六発を速射で撃った。男がものもいわずに、ショットガンを放り投げ、背中から立木に叩きつけられた。
ふたりとも倒れると、ラリーは空の弾倉を落とし、予備を銃把に叩き込んでから歩いた。草叢に転がっているエア・ジョーダンのシューズを履く。
近くに落ちているレミントンのショットガンを拾い上げた。
死んだ男のポケットから掴みだした十二ゲージの散弾をチューブ弾倉に装填しながら、屋敷の裏庭に回り込むと、芝生が植え込まれた広いスペースの真ん中にプールがあった。
ビーチパラソルや水に浮かぶビニール製の椅子。
人けはない。
勝手口の扉に近づこうとしたとき、その扉がふいに開いてボディガードがひとり出てきた。
ラリーが目の前に立っているとは、夢にも思わなかったのだろう、彼は一瞬、ぽかんと口を開けていたが、我に返るや、あわてて扉を閉めて引っ込んだ。
ラリーは裏口の真正面から、扉に向かってショットガンを腰だめで三発、撃ち込んだ。
木造りのパネルに大穴が開き、側面の彩光窓もめちゃめちゃに粉砕された。最後の空ケースを弾き出し、彼は銃の下側にある装填口から、三発の薬包を弾倉に押し込むと、ポンプを動かして薬室に送り込んだ。
扉の向こうから、うめき声と脚を引きずるような音がした。
彼はその音を追って銃口を横にローリングさせ、扉の近くにある上げ下げ窓に散弾をぶち込んだ。壊れた窓ガラスから血まみれの白い手が絹のカーテンを掴むのが見えた。
カーテンが映画〈サイコ〉のシャワールームのシーンのようにプチプチと音を立てて外れていき、男といっしょに床に落ちた。
扉を蹴破って中に入ると、そこは邸内に幾つかあるだろう応接室のひとつだった。さっきの男は、窓際でカーテンを大事そうに抱き締めたまま、俯せに息絶えていた。
背後でリノリウムの床を踏みつけるかすかな音がした。
ラリーは近くの安楽椅子の後ろに飛び込んだ。
ほとんど同時に男がひとり、M4A1アサルトライフルを持って部屋に入ってきた。連続射撃音とともに銃口近くのマズルブレーキから星型に炎が走り、ラリーが隠れた革張りの椅子にプスプスと穴が開いた。無数の・二二三口径弾が、あっさりと椅子を突き抜け、彼の頭を掠めてカーペットに抉り込む。
ラリーは反対側に転げ出しながら、ショットガンを男に向けた。
男はその大きな銃口をまともに見て、弾丸の尽きたアサルトライフルを投げ捨てると、戸口から廊下に逃げ出した。
立ち上がったラリーが追っていくと、彼は二階へ続く回り階段を駆け登ろうとしているところだ。その後ろ姿を狙って、ポンプアクションをやりながら二発、撃った。急カーヴを描いて上の階へ続く木の手摺が、爆発したように木っ端を散らし、同時に男がのけ反って階段を落ちてきた。
死体が彼の足元に転がってくると、ラリーはステップに足をかけて登ろうとした。
二階に足音がした。
女のハイヒールらしい硬い音だ。
ラリーは弾丸のなくなったショットガンを手摺に立てかけ、腰に差し込んでいたブレンテンを抜き出して、セフティを外した。
回り階段を女がゆっくりと降りてきた。
飴色のソフトスーツに同じ色のタイトスカートを身につけた、長い黒髪の白人の女だ。
氷のような冷たい笑みを口元に浮かべながら、ラリーに近づいてきた。階段の途中で、彼は途惑っていた。突然、場違いな世界に現われたその若い女を見上げた。