Chap.3

文字数 3,121文字

 茂手木さんと別れてから、私と千川さんは病院を後にした。スナオさんは病院に残った。千川さんが指示したからだ。
 ――家族からなるだけ話を聞き出せ。とくに武富さんが手を焼いていたっていう生徒の名前。
 人から話を訊き出す技術――とくに女性からだけど――に関して、スナオさんは折り紙付きだ。
 私と千川さんは、武富さんの事故現場へ向かった。栃乙女ちゃんの調べによると、そこは武富さんの職場である市立風見中学校から車でおよそ二分の距離だ。
 事故が起きたのは武富さんの帰宅途中、四日前の午後九時過ぎ。
都心からは離れた、郊外の町だ。緩やかな坂道の途中、ガードレールがひしゃげている。見下ろすと三、四メートル下の畑には抉れた跡が残っていた。除去しきれない細かなガラスの破片も見受けられる。畑と反対側は小高い山の斜面。
「ブレーキ痕もなし、と」
 資料と見比べながら千川さんはアスファルトを観察する。
「防犯カメラもないな」
「通報したのは車の落下音を聞いた近隣住民だそうですね」
 私は坂の下に並ぶ民家を見下ろす。
「車が落ちる瞬間は見ていないんですよね」
「……君、スナオの仮説一を考えてる? 事故が作為的なものって。百歩譲って、二つの仮説で現実的なのは二だけだ。いまのところ」
 そして二の場合はけっきょく武富さんの自業自得という話になる。
「ま、武富先生が早く目覚めてくれれば話は楽なんだけどな」
 もちろんそうだ。でも目覚めない場合を考えて、スナオさんは千川さんに依頼をした。
 ほどなく、スナオさんから電話がきた。
『クラスの問題児の名前はわかった。和枝さんも元教員だから、家でよく相談を受けたらしい』
「早いな。奥様をナンパしたんじゃないだろうな」
『千川くん、僕をなんだと思ってるの』
スナオさんは不服そうにいった。不謹慎です、と私も千川さんを小突く。
『生徒の名前は、玉木響(たまき きょう)

 和枝さんの知る限りによると玉木響はステレオタイプな問題児だった。授業妨害、他校の生徒への暴力、煙草やバイクの無免許運転疑惑もあるとか。千川さんは「古き悪しき不良少年か」となぜか感心したようにいった。
 私は試しにその名前でネット検索してみたのだけど、本名で登録しているSNSがヒットした。鍵アカウントでもなかった。ほんの一時間足らず前に、〈またゲーセン来たwwwww〉とつぶやいている。ゲームセンターに行くことの何がそんなに面白いのかは皆目不明だけれど、一時間ならまだゲームセンターに滞在中かもしれない。
 さっそく千川さんは風見中学校の近くのゲームセンターを回るという。
「あの、私がいうのもなんですけど、関係あるんですかね。事故と、玉木という生徒さん」
「ないだろ、たぶん」千川さんは即答する。
「もしも。スナオの仮説二が的中し、玉木とかいうガキんちょが武富の頭痛のタネだったとして。飲酒したのは武富の責任だ。ま、俺的には玉木がムカつく担任が事故るように細工した、って仮説一の展開の方が面白いけど」
「可能性は低くても玉木くんを探しますか?」
「スナオの依頼を受けてしまった以上、できるだけのことはするよ」
 ですよね、と妙にほっとして頷く。千川さんがそういう人であるということは知っていた。わざわざ確認してしまったのは、最近会っていなかったせいかもしれない。
 玉木響は、二件目に入ったゲームセンターで、あっさり見つかった。
 格闘ゲームの筐体を囲む男子グループがいた。土曜日なこともあり私服だけれど、体型や顔立ちで中学生とわかる。ピアスをしていたり、髪を染めたりしている子もいた。
騒がしい笑い声が響く。SNSの写真と照らし合わせ、プレイ中の黒いパーカーの少年が玉木響だとわかる。響本人も、周りも競い合うような声量でしゃべっている。離れた位置からだと言葉が認識できず、高低入り交ざる少年たちの声は、乱打される太鼓の音のようだった。
「死んだーっ!」
 響が叫び、立ち上がって筐体を蹴った。二発、三発と蹴る。周りは止めず、ゲラゲラ笑うばかりだ。
「壊れちゃいますよ!」
 怒鳴った私に、一斉に中学生たちの目線が注がれる。純粋な笑顔から、白けたような笑みに変わる。
「すいませーん」と、一人が棒読みでいった。髪が短いので気づかなかったけど、その子だけ女の子だ。
「うざ」と響が声を上げる。そして「壊れちゃいますよ!」と、裏声で私の声真似をした。どっと笑い声が起きる。「よせよバーカ」と笑いながら女の子が背を叩く。
「おばさん怒る? こわくねーよ」
 響が答える。おばさん。人生で初めておばさんと呼ばれた衝撃に固まってしまう。中二からすれば大学生は、おばさん……?
 響たちは全員、私など目に入っていないかのようにゲームを再開しようとする。
「ちょっと! 待ちなさい」
 近づき、椅子の背を叩く。舌打ちと共に響が振り返った。薄い眉が上下に動き、切れ長の吊り目が私を縦に切る。髪は茶色い。
「誰っすか。店員っすか? 違うっすよね絶対。関係ない人黙っててくれます?」
「だれにでも注意をする権利はあります!」
「あのさ、子どもだからって舐めんなよ」
 響の声は低く、なかなかにどすが効いている。けれど、あいにく中学生の脅しで動じるには、ここ二年で経験を積みすぎた。
「子どもの自覚があるなら大人のいうことを訊きなさい。それに、たとえ大人でもマナーは守らなきゃならないんです」
 響が眉を寄せた。
「は? あんたなんなの。つーかなんで敬語なの。きも」
「敬語は癖です。私たちは君に用事があって」
「たち? 一人じゃん」
「え?」
 今気づいた。隣に千川さんがいない。
 振り向くと、真剣な顔でクレーンゲームに興じる脅迫屋の姿があった。
「……。ちょっと待っててください」
 響に言い置いてから千川さんのもとへ駆け寄る。
「何をしてるんですかっ」
「ん? 見たら久しぶりにやりたくなって」
 コインは投入されていた。私はレバーボタンを適当に押して強制的に終了させた。
「おい!」
 唇を尖らす千川さんの腕を引っ張って、響たちのもとへ連れて行く。千川さんは腕を組み、いたって真面目な顔で響をじっと見た。
「お兄さん、何者なわけ?」
「ふうん。金坂澪には『おばさん』で、年上の俺を『お兄さん』か。女は舐めてかかるが、大人の男にはビビるか? ガキんちょ」
 響と友人たちの表情に、感情が走った。怒り、警戒心、緊張感。きっとそういうのが入り混じったものが。千川さんは睨まれたけれど意に介した様子もなく切り出した。
「武富先生のこと訊きたいんだ。担任だろ?」
「は?」
 今度ははっきりと戸惑っていた。
「先生のこと好きだった?」
「はぁ? 別に……」
「じゃ、みんな事故ってうれしいわけ?」
 すると、苛立った様子で響が立ち上がった。他の子たちより抜きんでて大きい。一七〇センチの私より高いくらいの身長だ。響は進み出て、友人たちを背にして千川と向き合った。千川は笑みを浮かべた。
「武富先生の事故に、君はかかわってる?」
 響の目が大きく見開かれた。
「何いってんだよ。武富は勝手に事故ったんだろ」、「こんなの無視して帰ろうぜ」と、友人たちが口々にいう。
 千川さんはやれやれ、という顔で近くにあったエアホッケーの台に腰かけた。さっき中学生を叱った手前、私は「そこ座っちゃだめです」と口を出す。千川さんは譲歩してやる、という態度で下り、台に寄りかかるにとどめた。そして響たちを見渡し、宣言した。
「ガキんちょども。今からおまえたちを……教育する」
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