囲われた街

文字数 2,588文字

人生には節目というものが往々に在るべくして在るものだ。
それを通り過ぎることで例えば人格、思想、価値観が全て一変する、というのはいささか過言であろうが。
奇しくも同じ読みの名を持つ私が節目というものについて考えると言うのはたちの悪い下手な洒落のような気がするけれど。
それでも今、私は三度目の節目を迎えているので、これを機に、今まで逃げて背けて隠してきた二つの節目を、掘り返して蓋を開けてひっくり返すことにしようと思う。
言うならただの自己満足だ。この行為にはなんの意味も無い。百も承知だ。それでもいい。けじめってのも大事だろう。さて、始めようか。

私は昔、ただの人間だった。普通と言うには知識欲が過ぎていたが、無力な人間だった。昼夜他を顧みない勢いで貪欲に知識を増やしていた。どれだけ知ろうとしても知りえないことがあるだけで憤りを感じ、吐き気がした。だから益々拍車をかけるように知識量は増え、周りとの隔たりは深くなっていった。どれだけ優れた機械を持っていようと使わなければただのがらくたと同じように、私は膨大な知識を持ちながらそれを使わなかった。つまり、思考をしなかった。これがどれだけ愚かなことか、今の私ならば一蹴できる。
そんな愚の骨頂であった私の前に現れたのは悪魔のようなあいつだった。悪魔というには人間より人間のようだった。少なくとも、私よりは人間に見えた。
あいつは言った。自分は知りたいことを全て知り得ることが出来る身体を持つ。それほどまでに知識を欲するのなら自分の身体を譲ろう、と。私は二つ返事で飛びついた。あいつは声を上げて喜んだ。
つまり私はあいつの身体を自分のものとするということで、その時点で私は消えるという。思想や記憶は残ると言っていた。あいつは私が乗り移った時に消えるらしい。
あいつはその直前に不安げに言った。お前は知りたいことを全て知ることが出来る重圧に耐えられるのか、加えてこの身体は恒久だ、本当に良いのか、と。私は答えた。知らないことがあるより何万倍もいい。恒久など、いくらでも知り得る可能性があるということでなないか、素晴らしい。良いに決まっている。あいつは私の顔を見て憐れに思うような目をし、そして黙った。
こうして私は人間としての生を失い、恒久の身体と永久の時間、全てを知る自分を手に入れたのだ。これが、一つ目の節目。所謂ターニングポイント。ここでターンすればよかったものを、生き続けている。

さて進めよう。ここからは更に転落して行く。

そして、私は知った。あいつの言っていた意味を。知りたいことを全て知ることが出来る重圧というものを。全てが見えるということを。最初は喜んでいたのだ、切望したものだったのだから。でもつまり、知りたいと思ったことが分かるということは、誰かの心情すら分かってしまうということなのだ。ちょっとでも『どう考えているんだろう』と思うだけで膨大な思想が視界を圧迫するのだ。
苦しくて苦しくて、私は思った。そう、私は人間という自分や普通の生活、私を気にかけてくれる家族や友人、その全てを失って初めて『思考』したのだ。
果たして、自分の選択は正しかったのか。
答えのない問いだった。そして私は間違いを認めなかった。それ故にまた、苦しむのだ。
だが、長年の夢が果たされることを思えば耐えられないことは無かった。
その上私は性格が悪かった。こんなくだらなく愚かな身の上話を人間の方々に話し、その反応を読んで楽しむ、という堕落した遊びを楽しんでいた。そしてその頃に出会ったのが、まぁ照れくさいが、未来の恋人、というやつだった。いつものように性格の悪い遊びをして、反応を読んでいた時、彼は可哀想に、と言って私の手を取ったのだ。声に出して。そして心の中では気味が悪い、怖い、と語っていた。思わず苦笑した。何をしているんだこいつは。でも、よくよく見れば、可哀想、という思想も持っていた。全体の内のたった一部も一部、何にもならないその一部に支配され深くも考えず行動に移してしまったのだ。私の手を握るその手が震えている。それでも真っ直ぐにこちらを見つめている。後悔も垣間見える。
声を上げて笑った。馬鹿じゃないの、なんて。惚れてしまった。ああ、くだらない。全く。人間を捨ててから得るものが多すぎるんだ。本当に。
紆余曲折を経て、私たちは二人では暮らし始めた。そして暮らし始めて五、六年ほど経った頃だろうか。戦争が始まった。この時私たちは人目につかない森の奥に住んでいた。外に出なければ巻き込まれまい。私はそれが苦では無かった。だが彼は違った。外に出たいと何度も言った。しかし戦火に巻き込まれてしまっては悲しい。戦争が終わるまではなんとしても彼をここに留めておかなければならない。だけど何度言っても彼は納得してくれなかった。相当ストレスも溜まっていたのだと思う。ある日、自殺した。首を切った。血だまりが、足元まで伸びてきていた。
初めて、後悔した。
生きたことを、後悔した。
自分の選択を、後悔した。
私が彼を縛らなければ、選ばなければ。
私が、居なければ。
これが二つ目。
私は何でも見える知れることに嫌気がさした。ならば、何も見えなくすれば良い。
両目を潰した。
純白の木蘭は、私の両手の赤を憐れむように囲んでいた。

両目が見えなくなったからと言って、全てを知る私の特性は変わらない。目が見えなければ、と言うように、耳元では変わらずザッピングのような情報が流れる。それでも、視界が塞がれたことで少し余裕もできた。
きっと、死のうと思えば手段はある。
いつかのあいつのように、愚かな昔の私のような人を探し、この身を譲り渡せばいい。
でもそうしないのは、これがきっと贖罪だからだと思う。

封鎖された街に来た。恋人が死んだ人外が呼ばれ、収容されるらしい。
私は人外なのだな、と今更ながら切なくなる。
底抜けにコミカルな管理人は言った。
「言うならここは第二の人生。人外だらけなら人間となーんも変わらないでしょ?」
声だけで一通り案内し終わった後、管理人は私に問いた。
「上手くやっていけそう?」
ありえないことでも口に出し続ければ本当になるらしい。
そんなわけない。
でも、信じたい。
「知らない」
そう。
私は何も知らない。
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