第八章 瞼の裏の太陽に

文字数 1,403文字

    第八章 瞼の裏の太陽に

 この国の太陽への崇拝は特別なものがある。
 テオティワカンのピラミッドの頂上で見上げた太陽、神を信じない私でさえも、この巨大建造物に突き動かされた文明に神秘を感じずにはいられない。また、土産物として並ぶブリキの太陽を手に取ると、そこに秘められた魔法があるのでは、と疑ってしまう。何よりも、この恵が降り注ぐ大地に湧き実る熟された果実の生気は、はち切れんばかりだ。
 しかし、時として残酷に、石を積み上げる者を焼き、触れられない程に金属は熱せられ、サボテンしか育たぬ荒野を生み出す。日中の荒ぶる陽射しに私は幾度となく追いやられ、たまらず逃げ込んだ天井の高いひんやりとした教会のステンドグラスから放たれる極彩色の光の中で、静かに過ごした。

 それまで晴れ渡っていた空が突然塞ぎ込む。憂鬱な黒雲が遮るように太陽と私達の間へと入り込み、スコールが大きな音を立て降り始める。汚染された塵も、幾度も踏み固められた路上のゴミも、悲しみを陽気に歌うサルサも、慌てふためく露天商も、私達を包んでいたもの全てを洗い流し、雨漏りを受け止めるバケツに打たれたリズムを聴きながら、人々は庇の下から黙って空を伺う。沈黙する太陽…… 第三者の介入は対等な立場を与えたが、雲の向こう側で躍起になってギラギラ燃える太陽を想うと、私は少し不憫に思った。

 ただ、いつかの荒野を歩いた日の太陽には、恨み節の一つも言いたくなる。思い返せば、太陽に誘われるまま歩き出したに違いない。まんまと私は罠に引っ掛かったわけだ。死という言葉すら思い出せないほど朦朧とさせる熱波が襲い、オロオロと踏み出す歩みに引き摺られる小石交じりの砂のざらついた音だけが、生へと僅かに私を繋ぎ止めていた。行動が単純であるからなのか、混濁する思考を止められない暴走する意識との戦い、偶然、眼の前に放り込まれた死が私を救った。結局、根競べに負けなかったが、確実に太陽は私を殺そうとした。

 朝の洗面台の鏡の中に捕らえた背後に立つ太陽、日中の干上がりそうな水溜りに遊ぶ太陽、夕刻のすれ違う若い女の銀の髪飾りに一瞬きらめいた太陽…… 頭上にあるだけが全てではなく、至るところから私を見ていた。歴史の記憶の中に、交わす言葉の中に。
 陽の落ちた酒場で会った華奢な男の左手の甲には刺青の太陽が輝いていた。男は酒を何杯も煽った末に、泣きながら刺青を悔やんでいると言った。
「俺はこいつを掴み損ねたんだ! なぜ手の内側に刺青を彫らなかった?」

 田舎の漁村にも太陽があった。
 夕陽に黒く焼けたジャングルから注ぎ込む川と海の交わる河口で、漁師が水面に滲み込んだ桃色の太陽を目掛け大きな白い投網を打ち込んでいた。
 朝日の訪れに波は高らかと重い波しぶきを上げ、サーファー達の眠りを覚ます。
 午後の煌々と照る陽の下で、弛んだロープにぐったりとぶら下がる水着や洗濯物、潮風に交じった甘い洗剤の香りが鼻をついた。
「今日は、どのくらいで乾きそうだ?」
「まあ、焦るな、たった三十分程だ、カラカラにしてやる」
 メキシコの太陽と語らう昼下がり。木陰でハンモックに揺られながら、私は太陽について考えた詩を書いた。

捕らえられた この世の時間の運行 
存在なくして意識の中心にまで及び
因果の事象 行き着く先 始まりも然り
信じる心に宿る幸せ
迷い悩み 天を仰ぐ
瞼の裏に焼き付く姿を想えど やがてお前は消え去る
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み