ぼくと雄太

文字数 2,686文字

 物心ついた時から、雄太(ゆうた)はいつもぼくの隣にいた。

 雄太の実家は、子沢山だったため、雄太を育てる余裕がなかったそうだ。
 うちは、田舎住まいだけど、お金持ちだった。
 だから、施設に入れるくらいならと、ぼくの両親は、赤ん坊だった雄太を引き取ったらしい。
 その直後、お母さんのお腹にぼくが宿っているのが発覚したと聞いている。

 ぼくと雄太は誕生日は離れているけど、上手い具合に学年は同じだった。
 早生まれで体が小さく、内気なぼくを、雄太はいつも気にかけてくれていた。

 足が速く、頭も切れる雄太はみんなの人気者だった。
 特に、缶蹴りとかくれんぼは、常に雄太の無双状態で、ぼくも密かに誇らしかった。

 子供時代のぼくらはトイレ以外はいつも一緒にいた。
 小学校は全校生徒でも、10人しかいなかったので、ぼくと雄太は6年間、ずっと同じクラスだったのだ。

 毎日、野山を駆け回り、お風呂で泳ぎ、夜は同じベッドで眠った。

 そんなぼくらを両親も、お手伝いさんたちも優しい笑顔で見守ってくれていた。

 何気ない毎日の一つ一つが、星屑みたいに輝いていた最高の少年時代だったと思う。

 だけど、幸福な時代は永遠ではない。

 ぼくも雄太も、周りの友達も、いつまでも子供ではいられなかった。

 小学校6年生の秋の夜、雄太はぼくのベッドにお腹を出して寝転がりながら、ある秘密を打ち明けてきた。

「おれさ、(あおい)のこと好きだ」

 葵とは、ぼくらのクラスのマドンナの女の子の名前だ。
 色が白くて、大人しい性格の、触れると砂糖菓子みたいに壊れてしまいそうな美少女だった。

 雄太は、最近にきびが出来始めた頬を朱色に染め、いかに葵がかわいらしく、すてきな女の子かを早口気味で語った。

 ひと通り聞いたところで、ぼくはたずねた。

「つまり、雄太は葵に恋してるってこと?」

 ぼくはまだ、恋を知らなかった。

 葵がいい子なのはわかるけど、付き合いたいとかは思わなかったし、他の子に対してもそんな感情を抱いた経験はなかった。
 雄太は一瞬口ごもったが、ぶっきらぼうに答えた。

「そうだよ。恋してる」

 やっぱり雄太はいつもぼくの先を生きているんだな、と感心した。

「じゃあ、告白しなきゃね」

「う、うん……」

 が、雄太はいつまで経っても告白を実行した様子がなかった。

 年が明け、ぼくがいい加減告白するようにせっついたところ、秋の終わりにフられていたと返されてしまった。

「みっともないから、お前には言いたくなかったんだよ」

 学校の帰り道、わざと霜のおりた地面を歩く雄太の背中がやけに小さく感じられて、ぼくはそれ以上何も言えなくなってしまった。


 中学に進むと、ぼくらは5キロ離れた学校に通うようになった。
 ぼくは自転車に乗ったが、雄太は『体づくりのため』といつも徒歩で走っていた。

 中学は1学年3クラスあり、ぼくらは別々のクラスになった。
 最初は寂しかったけど、すぐにお互い他の友達ができ、離れていても気にならなくなった。
 家でも別々の部屋を持つようになり、二人で話す機会はぐっと減った。

 雄太の良くない噂が耳に入るようになったのは、この頃からだった。
 そのせいか、彼はみるみるうちに荒み、不良グループに入ってしまった。
 中2になる頃には、学校にあまり行かなくなり、家も留守がちになった。

 隣の中学の不良と喧嘩をし、相手に噛み付いて、警察沙汰になりかけるという事件も起こした。
 事件が起こる度、雄太の悪い噂は更に広がった。

 中3の春、久しぶりに雄太と一緒に下校した。
 世界中を威嚇して歩く雄太に、ぼくはずっと胸にしまっておいた雄太の悪い噂についてたずねた。

 しかし、雄太は問いに答えず、『もう俺に関わらねえ方がいいぞ』と言った。

 ぼくを置き去りに、雄太は全速力で、山桜が咲き乱れる山道を駆け上って行ってしまった。
 自転車を押していたぼくは、遠ざかっていくたくましい背中を、ただ見送った。
 お父さんが見ていた、昔のやくざ映画の高倉健の背中が何故か雄太に重なった。


 それっきり、雄太は姿を消した。


 時は流れ、ぼくは、僕は大人になった。

 ある日、会社の先輩と共にキャバクラに行った。
 その店は、いわゆる高級キャバクラというやつに当たるらしい。

 経営者は僕と同い年で、10代の頃から、都内のキャバクラを黒服として渡り歩き、20代の若さで独立開業に至ったやり手実業家だ。店がある新宿界隈では、異形の夜王という二つ名を持ち、伝説化している。
 その種の稼業の宿命か、裏では反社会的な組織もあるが、彼は器用に違法のラインを超えずに大成した。

「本気で奴を協力者(エス)にするつもりか?」

 VIPルームに通されると、スキンヘッドにワイシャツの隙間から覗く金連のネックレスが眩しい先輩、権藤巡査部長(ごんどうじゅんさぶちょう)が耳打ちしてきた。

「ええ。奴は子供の頃の親友です。中学の途中までは、兄弟みたいに育ちました」

 権藤部長は不気味なものでも見るように、僕を見返した。

「お前、一緒に住んでたって冗談だろ? 噂では、化けも……」

 言いかけて、部長は言葉を飲み込んだ。
 部屋のドアが開き、夜王が姿を現したのだ。

 権藤さんのどんぐり眼が見開かれた。
 目の前に現れた男の姿を現実と受け止められないのだ。
 先輩、こんなことでビビってたら、マル暴担当の刑事(デカ)失格ですよ。

 夜王は、絶句する権藤さんに冷ややかな視線を投げかけ、大きく跳躍し、ガラステーブルの上に着地し、僕を睨みつけた。

「忘れたのか? 俺に関わるなと言っただろ」

 中学生の時より、さらにドスが効いた声で、雄太は凄んだ。
 小柄な体躯にも関わらず、貫禄にあふれている。年齢より老けた顔立ちは、彼があれから修羅の道を歩んできたことを証明していた。
 でも、僕はもう怯えない。
 ずっと君の背中しか見れなかった、弱々しい自分は卒業したんだ。

 僕は警察手帳を雄太に見えるように掲げた。

「雄太、僕に力を貸してくれ。猫又組の連中を追ってるんだ。お前なら、色々知っているだろ」

 やなこった、と雄太は顔を逸らしたが、くるりと巻いた尻尾は、元気よく左右に揺れていた。
 どんなにいきがっても、所詮、人面犬。
 嬉しいと尻尾をちぎれんばかりに振ってしまう癖は、治っていなかった。
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