第7話 警部

文字数 2,480文字



 警察署(PD)にたどり着いたのは黄昏がもう終わる頃だった。

 中央で車に乗った時と、市警察前で降りた時では、後者のほうが私の嫌悪感が大きく育っていた。昔から(ハコ)は嫌い。マッポはもっと嫌い。

 あえて車の中に銃や薬を置いてこなかったのも、私がいない間に勝手に調べられる事を疑っていたからだ。それぐらい、この建物にいる人間を信用していなかった。

 だが今は状況に追い立てられていた。私だって母親だ。ブライアンへの対抗心が占めるのは心のわずかな部分。娘の身が心配なのは神に誓って言える真実だ。

 ここまで来ると、犯罪に巻き込まれた可能性が捨てきれなかった。警察に相談すれば、自ら事件性を肯定する事になるのだけれど、それをためらっている精神的な余裕がなかった。


 私の相手をしたのは眼窩を覆う大柄のサングラスをかけた、マテオと名乗る黒人で中年の男性だった。会話してすぐ、喋る度に耳たぶを擦るクセが目立つ事に気づいた。

「そうでしたか。それはご心配でしょうな」マテオ警部は私の話を聞きながら、安っぽい黄色のプラスティック製のボールペンで、ノートを叩いていた。

「それで、メイヴィスさん。娘さんの行方が分からなくなったあなたは、ジェイミーの父親の介入を疑って、彼の会社を尋ねた。だが元旦那はオフィスから姿どころか、籍ごと消え失せていたと言うわけですな」

「ええ、そう」

「まったく不思議な話です!」

「信じないって言うのかしら」

「いや、奇妙だと申し上げただけですよ」

 警部の元に、アシスタントの女性がフォルダとコーヒーを持って現れた。

「ありがとう、リンダ。いや、マーシャ……ああ、また間違えてしまった。彼女怒ったろうな。まだこの署に赴任して2週間しか経ってないものでね……失礼、取り寄せた資料を読ませて戴きますので1分、お待ちください」

 マテオは背もたれに寄りかかり、コーヒーをすすりながら書類に目を通し始めた。私も肩の力を抜いて、出された飲み物に口を付けた。

 コーヒーカップと前髪の隙間から、署内の様子を伺ってみた。私の嫌いな警官だらけだ。ヘルメットを机に置いて、ドンキンドーナッツを頬張る年老いた男。童顔の若い警官たちが今日の捕り物について、卑猥な冗談を交わしている。

 彼らのやけに大きな拳銃と手錠(ワッパ)から目が離れない。何もやましい事などない(薬はまだ飲んでないから)はずなのに、この場の雰囲気が私を犯罪者の気分にさせてしまう。だから警官と歯医者(D.D.S)は嫌いなんだ。

 若い警官がいきなりこっちに顔を向けたので、私はコーヒーの残りを飲み干す事に集中した。

「こんなつまらねえ見回りなんて、俺らが出向くまでもねえよ」彼は大声で言った。「そーいう仕事はさ、状況判断が出来ない適任者に任せときゃあいいんだよ」

「まったくだ、イーサン」

 こういう負の匂いのする陰湿な会話に敏感な私は、すぐに誰のことを言っているのかわかった。

 どんな職場でも学校でも、人が3人集まりゃ始まるやつだ。しかも人生に疲れた中年がターゲットかよ。やっぱり警察なんて、くだらない場所だ。私は心の中で罵った。と同時に、今まで何の感情も無かった目の前の中年男に少しだけ同情の念が沸いた。

 当の本人はどこ吹く風で、先程より集中して、真面目な顔になっていた。彼の視点が書類のある一点でピタリと止まっているような気がする。やがて警官は書類を降ろし、沈黙して考え始めた。私は突然周りから監視されているような違和感を感じた。沈黙が2人の間に漂う。

 マテオが前置き無しに聞いてきた。「娘さんが行方不明な割には落ち着いてらっしゃいますね」

「……どういう意味?」

「メイヴィスさん、先程私があなたからお貸し頂いた物を覚えていますか?」

「?」

「ひとつは免許証(ライセンス)、それと――」

社会保障番号(SNS)だろ。これ、物忘れのテストか何か?」

「いえいえ、そうではない。これは形式的な質問で、誰にでも尋ねるものです。それでは続けます――それであなたは現在、マリファナ、ヘロイン、コカイン、覚醒剤(アンフェタミン)、もしくはMDMA等を服用なさってはいませんか? もしくは数日以内に接種した事実があるとか?」

 カチンときた。さっから人の感情逆なでしやがって! 同情して損した。「はあ? 私、これでも母親なんだけど? 警部さん、ラリったままやってられる程、子育てが甘いと思ってんの?」

 マテオは手を上げて制した。「失礼をお詫びします。決してあなたをからかうつもりではありません」

「じゃあ何だっていうのさ!」

「……ここにあなたの社会保証番号からダウンロードした個人情報があります。これによるとあなたには何の犯罪歴も無い。模範的で善良な市民と言えるでしょう」

 そこに載ってないヤツを数に入れなければね。心が皮肉らずにいられない。しかしマテオの口ぶり――誉めているようで何かが違う、もったいぶった言い方が引っ掛かった。

「ひとつあるとすれば、あなたはつい最近まで精神病院(シュリンク)に通っていた履歴があるということです」

「……今度は私が狂ってるって言いたいのね」

「こうやってあなたと話をしていて、とてもそうは思えないんです」警部は否定しなかった。「むしろ狂っているのが()なのかと思えるぐらいです」

「回りくどい言い方して 私をぶちこみたいのに出来ないんでしょう? はっ! 善良だかんね。だったらさっさと娘を探しなさいよ。ついでに夫の令状(フダ)も請求したらどう?」

 マテオはふぅとため息をついた。そして胸元でこっそりと、小さな十字を切った。神よ。この口の悪い信徒に投げかける次の言葉が、どうかこの怒れる心に鎮静剤のように染み入り、事実として認識されますように――。

「この記録によれば、あなたは離婚歴どころか結婚歴もない女性、そうなっているんですよ」
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