第40話 代償

文字数 1,122文字


「試合が気になるかい?」

 体の要所に鍼を打ちながら藪下が訊いてきた。

「はい」

 カイトが簡潔にこたえる。
 ラジオの実況では7回を終わっても両軍の0行進がつづいている。

「間に合わせるよ」

 藪下が断言した。
 そういえば、施術を受けてから左足の痺れがうそのように消えた。
 この状態なら打席に立てるかもしれない。

「だが……」

 なぜか藪下がいい淀んだ。

「だが、なんですか?」

 うつぶせの状態で首だけねじって藪下の表情をうかがう。
 その先をいおうかいうまいか迷っているようだ。

「Tell me. いってください」

 多分、この鍼灸師はわかっている。

「……おまえさん、このアレは事故の後遺症ばかりじゃないね」

「!」

 やっぱりだ。不調の根本的な原因が他にあることを探りあてられてしまった。

「先生。このことは……」

「大丈夫。患者の守秘義務は守るよ」

 施術が終わってカイトはベッドから降りた。床に足をつけてもなんともない。

「タクシーを呼んでやろう。いまから飛ばせば、ぎりぎり間に合うかもしれない」



「ありがとうございました」

 両足で立てて動ける。
 当たり前のことがいまは嬉しい。
 雑居ビルの玄関前にタクシーが到着したようなので、カイトは携帯用の杖をしまうと、つい調子に乗って階段を一段飛ばしに駆け下りた。

 足が空を滑る。まだ完全に感覚がもどってなかった。
 おのれのうかつさを悔やみながらカイトは転倒を覚悟した。

 ふわり。
 綿につつまれたような感覚で体を抱きかかえられた。
 見事なキャッチだ。
 顔が近い。アイドル並のルックスの美少年だ。とっさに抱き留めてくれたようだが、はて? どこかで見たような……。

「Thank you!」

 とりあえず礼をいった。

「きみ、外国人?」

 発音からわかったようだ。興味をかられたように美少年が訊いてきた。

「Yes. でも日本語も話せるよ。ありがとう!」

「大丈夫みたいだね。……じゃあ。気をつけて」

 さわやかな笑みを浮かべると、美少年は階段をあがって藪下診療室のなかへ消えた。

(あのコもどこかケガをしているのだろうか)

 そんなことを考えながら待たせてあったタクシーに行き先を告げて乗り込む。
 走り出したタクシーに揺られながらしばらくすると、ふいに記憶が甦った。

「そうだ、タチバナだ!」

 思わず声がでた。バックミラー越しに運転手が不審な目を向ける。
 立花樹(たちばな・いつき)だ。今年の春選抜の優勝校投手だ。専門誌のグラビアページを飾った男が、なぜこんなところに……。

 その先は考えなくてもわかる。だれもが華やかな栄光と引き替えに代償を払っているのだ。
 カイトは瞬く間に回復したおのれの左足を触った。自分もこの先、代償を払いつづけるのだろうか?



   第41話につづく

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み