第3章 ダンディとスノッブ

文字数 715文字

3 ダンディとスノッブ
 こうした時代風潮に対し、ウジェーヌ・ドラクロワのような画家は「ダンディ(dandy)」を標榜する。『現代生活の画家(Le Peintre de la vie moderne)』(一八六三)によると、ダンディは精神主義や禁欲主義と境界を接した「自己崇拝の一種」であり、「独創性を身につけたいという熱烈な熱狂」であって、「民主政がまだ全能ではなく、貴族政がまだ部分的にしか動揺し堕落してはいないような、過渡期にあらわれ」、「デカダンス頽廃期における英雄主義の最後の輝き」である。

 そのダンディが嫌悪するのはブルジョア的な「スノッブ(snob)」である。一九世紀の半ば、イギリスの小説家ウィリアム・メイクピース・サッカレーの作品を通じてその言葉が普及したように、スノビズムは神の死と共に出現している。スノッブは、鈴木道彦の『プルーストを読む』によると、「一つの階層、サロン、グループに受け入れられ、そこに溶けこむことを求めながら、その環境から閉め出されている者たちに対するけちな優越感にひたる人々」である。世間体ばかりを気にするブルジョアはこのスノッブの典型である。

 けれども、ドラクロアを賞賛しつつも、阿部良雄の『群衆の中の芸術家』によると、彼はダンディを自称することはない。貴族政が完全に後退した社会において、スノビズムがあまりに凡庸であったとしても、「後光の紛失」した時代である近代に、ダンディズムは陳腐なアナクロニズムにすぎない。そういったダンディズムを目指すこと自体が凡庸なスノビズムである。モデルニテの浸透した民主政は貴族政のアンチテーゼではない。ダンディ対スノッブという素朴な図式はいささか古臭い。
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