文字数 6,371文字

        二

〝本当になにもできないのか?〟
 それが実際に聞こえた声か、内なる叫びだったのか、(じゅん)には判然としなかった。だが身体がひしゃげそうなほどの勢いで落下する自分と、空中で一瞬すれ違ったものの姿はなぜか明確に捉えることができた。
 クロ!?
 ぼろぼろの黒マントをはためかせ、空中に佇んでいたのは黒衣の九十九(つくも)(がみ)。相変わらず深くかぶったフードで顔を隠したまま、クロは落下する潤をただやり過ごした。
 しかしその姿に想起され、潤の頭にクロの言葉がよみがえった。三日前、潤を貶めたときのものだ。
言霊(ことだま)は世の(ことわり)を変成させ、究めれば森羅万象の再創造が可能となる〟
 あのときクロは言霊を使い、【愛】の字で創造した巨大な手で潤を拘束した。
〝なにを欲し、なにを望むか。欲望こそ究極の希望。あとはそのイメージを、詳細に描けばいい〟
 あのときクロは【愛】の刀――〝断裁〟を顕現させ、潤に斬りかかった。
〝欲望とイメージを言霊の両輪に〟
 あのとき潤もまた、言霊によって【愛】の盾を生み出した。
(まな)の雫を垂らせば、花開くは自在なる世界なり〟
!?
 天啓を得たような衝撃を受け、潤は心で呟いた。できるかもしれない。いや絶対にできる、と。
 絶望で染められていた頭が一瞬で晴れた。明晰な意識が戻り、それと同時に希望……いや、欲望を実現させる信念が心に噴きあがった。
 潤は自問する。
 俺はなにを欲し、なにを望む? 必要なものはなんだ? 力? 自分を救い、オンとナノコを救える強い力? 大切なものを守り抜く力。そうだ。ならイメージしろ。力なんて曖昧で抽象的なものじゃダメだ。それは武器なのか? 防具なのか? 魔法や超能力なのか? 詳細で具体的なイメージで言霊を引きずり出すんだ。
 意識の矛先が記憶の中を突き進む。最適なイメージの鍵がきっとどこかにあるはずだ。
 見つけだせ。手に入れろ。死が迫る今、その現実の(ことわり)を崩す方法を。この空の中、命をつなぐ起死回生の策を。あるだろ。きっとあるはずだ。死への落下を止め、今すぐオンとナノコの元へ飛んでいくすべが。
 意識が鋭敏に、貪欲にほとばしる。
 もっとだ。想像は無限にして自在だ。現実を軽々と飛び越え、力強く生きていく。自らを生かしてくれる。
 それは常識なんかにとらわれない。ひとの〝想い〟はそんな脆弱じゃない。どこまでも無敵だ。
 そう、無敵の存在。
 意識は現実の壁を突き破り、ついに非現実の領域に突入する。
「無敵の……存在?」
 潤はハッとした。
 これならいける!
 手繰(たぐ)り寄せたものは、なじみのあるフィクションの力。非現実の力。けれどそれこそ今の潤の欲望にかなう、詳細なイメージの爆弾だった。潤は迷うことなくそれを言霊の火で爆発させた。
百戦(ひゃくせん)練磨(れんま)!――ジレンマ!!
 声は四方に広がり、つぎの瞬間、その響いた範囲に大量の【愛】の光文字が出現した。大きさは数センチのものから、一メートル以上のものまで。大小無数の【愛】の字は周辺の空域で瞬いたあとで、一斉に潤の元へ集い、その身を覆っていく。
 そしてそれらのうち背中に集合した【愛】の字は、互いに結合しつつ広がり、見る見るうちに双翼を成した。
【愛】の集合体が創出した翼。その上部の雨覆(あまおおい)は厚く、下部の風切羽(かざきりばね)は軽やかになびく。色は白に塗りかえられ、まるで天使の翼だ。それがバサッと、一度羽ばたいただけで潤の落下は止まった。
 天使の翼で空を駆るヒーロー。それこそが、潤が言霊で顕現させたもの。ここ最近、携帯ゲーム機で盛んにプレイしていた人気3Dアクションゲーム『ツバサ・ガーディアン』の主人公、自身が名づけたその名は――百戦錬磨ジレンマだ。
 なじんだものゆえ具体的なイメージが可能となり、言霊へ結実できたというわけだ。
「オン……ナノコ」
 上空を見上げた潤の背中で、その意志を汲みとった翼が再び羽ばたく。潤は浮上をはじめ、上空目指してぐんぐん加速。その間にも、潤を覆う【愛】の光文字が結合と変性を続け、百戦錬磨ジレンマの魔を祓う銀色和服となって、身体を着飾っていく。
 猛然と上昇を続ける潤は、瞬きもせず目を凝らした。
 無事でいてくれオン、ナノコ。
 そのふたりの姿はまだ見えない。だが空の彼方に黒い点を発見し、潤はそれを睨みつけた。点は三つ。ダテンダカツだ。奥歯を噛み、さらに翼を躍動させる。天使の翼が風を裂き、弾丸のごとく空を突き進む。視界の中の点が大きくなっていき、三体のダテンダカツの巨躯と、その場の状況がくっきりと浮かび上がった。
 懸命に逃げ回っている陽気箒とミライドラゴンがいる。それをしとめようと飛び交っているのは、二体のダテンダカツだ。そして――。
 いた!
 残った一体、邪霧(じゃきり)で創られたレプリカの肉塊の尻尾に、ぎりぎりと締め上げられているオンとナノコを見つけた。苦悶にゆがんだふたりの顔は鬱血して赤紫色になり、逃れようと手足を動かしているが、それも弱々しい。レプリカはそんなふたりを尻尾を左右に振り回していたぶり、オンとナノコは悲鳴を上げた。
 怒りのあまり理性が飛びそうになりながら、潤はイメージした。天使の翼と銀色和服だけでは、百戦錬磨ジレンマは不完全。敵と戦うには、強力な武器が必要だ。
「いでよ刀幻強(とうげんきょう)! こたえよ銃王(じゅうおう)夢塵(むじん)!」
 潤の声に反応し、右手と左手に残っていた【愛】の光文字が結合していく。
 右手の【愛】の集合体は前方に向かって伸長し、潤の背丈の半分ほどになると緩やかに反り返って、片刃の長刀へ。叢雲(むらくも)のような波紋と〝幻〟の刻印が目を引く刀身は鮮やかな銀白色となり、その柄が潤の右手に握られる。
 片や左手の【愛】の集合体は、拳より二回り以上大きい拳銃を組成していく。全体的にシャープな形状で、銃王たるクラウンを横にした銃口と、異様に細長い銀色銃身に施された〝夢〟の刻印が銃王夢塵の特徴だ。
 そのグリップを左手に収め、百戦錬磨ジレンマのふたつの武器を手にした潤は、それらが自身に絶妙にフィットする感触を覚えた。天使の翼はすでに自在に動かせるが、刀幻強や銃王夢塵も、長年使いこなしてきたかのように操る確信がある。
 ゲームキャラを再現し、自身と融合させたことで、ゲーム操作の経験が己の体感に反映されているようだ。
 戦える!
 潤は飛行スピードを落さないまま、右手の長刀、刀幻強を握りなおした。顔の前で右腕を折り曲げ、それを構える。レプリカの野太い尻尾はすでに眼前。
「ふたりを離せ!」
 (ぎゃく)袈裟斬(けさぎ)りの太刀筋で刀幻強を振り払った。レプリカの醜い尻尾は両断され、その狭間を潤が通り過ぎた直後、切断面から血しぶきのごとく邪霧が噴きだした。絶叫するレプリカ。切断された尾は形を失い、紫紺の邪霧となって漂う。が、それもすぐにキィンッと、邪霧の消失音を響かせて消え失せた。
「夫……くん?」
「夫……さん?」
 解放されたオンとナノコを、慌てて飛んできたミライドラゴンが背で受け止めた。
 潤はゴンドラ胴体横の虚空に降り立ち、怒気を放つレプリカに、今度は銃王夢塵の銃口を向けた。
「この弾丸(たま)が、きさまの悪夢のピリオドだ」
『ツバサ・ガーディアン』における百戦練磨ジレンマの決め台詞のひとつだ。
 潤は銃王夢塵を、レプリカダテンダカツの脳天目掛けて発砲した。ゲームと同じく紅の銃弾が飛び出し、紅の弾道を描く。
 レプリカがよける間もなく、銃弾は眉間に命中し、渦巻く穴を開けて貫通した。ピタッと静止するレプリカ。つぎの瞬間、その弾痕が広がることで竜の形は失われ、不定形の邪霧となった。程なくして、虚空に散じたそれは消失音とともに消滅する。
「夫くんが生きてた、生きててよかったぁ」
「うれしすぎて……ひぐっ……涙が止まらないのですぅ」
 オンとナノコがミライドラゴンから身を乗り出し、潤に抱きついてきた。声を上げて泣くふたりに潤は「心配かけてすまない。来るのが遅くなってごめんな」と、彼女たちの無事に安堵しつつ謝った。
「それにしても名授(めいじゅ)さま。その頭の上の数字はなんなのダ? とてもかっこいいのダ」
 ミライドラゴンが、潤の頭上に羨望のまなざしを向けていた。オンとナノコもそれに倣い、とたんに涙で濡れた目を丸くした。
「お、夫くんに神数? しかも超すごい!」
「これは伝説のアレなのです!」
 ただ事ではなさそうな〝アレ〟が気になり、潤もなるべく頭を傾けないようにして頭上に視線を向けた。空間に浮かんだ漢数字がなんとか確認できる。
【百】。
 潤は目を瞬かせた。だが間違いなくそこには九十九神の神数(かみかず)らしき漢数字【百】が表示されている。
 なんだこれ? 人間の俺に神数? しかも【百】って……?
 戸惑う潤をよそに、オンとナノコは興奮気味に声を上擦らせた。
「奇跡……これ奇跡だよ。あたしの頭じゃよくわかんないけど、夫くんが超パワーアップして神になったってことだよね?」
「ええ、愛の奇跡なのです。夫さんは九十九神を超えた上位神、伝説の〝百神(ももがみ)〟さんに転身して、これからは…………そう、百夫(ももおっと)さんなのです」
 そういえば、以前オンナノコが神数の説明をした際、そんな話が出た気がする。あくまで言い伝えだが、九十九神の最大神数【九十九】を超えた〝百神(ももがみ)〟、〝千神(せんかみ)〟、〝万神(よろずがみ)〟、さらには最極神〝八百万(やおよろず)〟といった上位神が存在するとかどうとか。
「すごいよ、百夫(ももおっと)くん!」
「さすがなのです、百夫(ももおっと)さん!」
 ちょっとモルモットに聞こえてイヤだ。
 自分が百神なんてきっとなにかの間違いだと、あらためて頭上に目を凝らしたときだ。
 パタッ。
 不意にそんな音とともに、潤の神数【百】が、束になった数字パネルがめくられたように動き、【九十九】になった。ダテンダカツの【八九】が【厄】になったときと同様だ。
 しかも続いてパタッ。【九十九】の一の位の【九】が動き【九十八】となり、パタッ、パタッ。止まることなく【九十七】、【九十六】、【九十五】と数字を減らしていく。まるでカウントダウンだ。
「あ」
 カウントダウンで思い出した。ゲーム『ツバサ・ガーディアン』の百戦錬磨ジレンマは無敵の強さを誇るが、空を飛び、刀幻強(とうげんきょう)銃王(じゅうおう)夢塵(むじん)を手に戦えるのはわずかに百秒。かなり短い。それがジレンマだから、その名をつけたのだ。ちなみに百秒が過ぎれば、全裸の普通の男に戻ってしまう。なぜ全裸かは謎だ。
「やべえっ、これ違うぞ。神数(かみかず)とか百神(ももがみ)とは関係ない。俺がこの姿で戦える時間だ!」
 オンもナノコもミライドラゴンも目が点になっている。だが一から説明していたら、あっという間に時間切れで戦闘不能だ。潤の頭上の神数……いや百戦錬磨ジレンマの活動時間は、今この瞬間もカウントダウンを続けているのだから。
「ああ、もう、説明はあと! 今はダテンダカツの邪霧を一刻も早く祓うんだ!」
「名授さまのおっしゃるとおり! いつまで皆で悠長に話してるんっすか~!?
 聞こえてきたのは、陽気(ようき)(ほうき)の切迫した声だった。
「いいっすか皆さん! 皆が会話中だからって、敵さんが空気読んで攻撃しなかったわけじゃないっすよ! ほら見て! おいらが涙ぐましい頑張りで敵を引きつけてたっす!」
 陽気箒は孤軍奮闘。上昇、下降、旋回を俊敏に使い分け、多彩なフェイントも交えて二体のダテンダカツを煽りつつ、そのいかずち攻撃をかわしている。
「でも限界っす! おいらしょせん竹箒だから! こんな怪物と戦えっこないんすよ! 無理無理! めっちゃ怖い! ちびりそうっす! もうさっきから怖すぎて身体がなんだかボーッとするっていうか、妙にカッカ、カッカッと熱くて、熱くて――」
 陽気箒の穂先から煙が出ていた。
「――て、おいら燃えてたっす! あっつ! やばい、これやばいっす! 古い竹箒は想像以上に燃えるっすよ! あばばばばば」
 箒の穂先をバタバタ動かし、消火を試みる陽気箒。その背後に迫るレプリカダテンダカツを見て、潤はとっさに銃王夢塵を発砲した。紅の弾丸は、陽気箒に爪を振り上げたレプリカの肩に命中。レプリカはひと声上げてのけぞり、そのまま開けた大口から頭上目掛けていかずちを放った。だがそこには陽気箒も潤たちもいない。
「?」
 レプリカの行動に誰もが不審なものを感じたとき、オリジナルダテンダカツがそのいかずちに向けて自らもいかずちを放った。ふたすじのいかずちは空中で衝突し、雷鳴とともに融合。爆発的な雷光で、辺り一帯を埋めつくした。
 苛烈な雷光は、潤たちの視界を奪った。まともに目を開けていられない。光源から顔を背けて細目で見通せるのは、隣にいるオンやナノコの姿が関の山。二体のダテンダカツを完全に見失っている。もしこの状況で襲われたらひとたまりもない。
 いったん退くか?
 潤がそう考えたときだった。
「ぎょぎょぎょ、あたいらの出番なのですう」
 小鳥の囀りを思わせる高音が聞こえ、オンの着物の(たもと)からなにかが飛び出した。
 極薄の黒レンズ胴体に、せわしく動くフレームの尾びれと背びれ。パッドの部分が小さな頭になっている眼鏡型の魚。二体一対となって空中を泳ぐ姿を見て、潤は驚いた。
「ウワッシカイガマックロダ!?
 昨日、潤の生み名修行によって、千鶴(ちづる)のサングラスから誕生した九十九神だった。
「怖くてオンさまの袂に隠れてたですう。けど、今はあたいらがお役に立てるはずですう」
 ウワッシカイガマックロダは潤の顔に接近すると、そのまま横向きになって、潤の両目を黒レンズ胴体で覆った。
「見える!」
 千鶴のサングラスだったウワッシカイガマックロダ。その名残を残す黒レンズ胴体が雷光の氾濫を遮り、潤の視界を確保した。と同時に、潤にはこちらに猛然と迫ってくるレプリカダテンダカツが見えた。むき出しの牙と凶悪な爪、肉塊尻尾の鋭利な先端まで前方へ向けて、獲物をしとめようと飛んでくる。
「させるか!」
 潤は天使の翼を羽ばたかせ、身を躍らせた。レプリカに向かって滑空しつつ、銃王夢塵を腰の帯に差し、刀幻強を両手で握りなおす。刀身を水平に構え、そのままレプリカと接触。牙の覗く大口に切っ先を突き入れ、
夢幻(むげん)に散れ!」と、ゲームにおける百戦錬磨ジレンマのもうひとつの決め台詞を叫ぶ。
 飛行速度を生かし、レプリカの首から胴、そして尻尾まで一気に斬り裂いた。
 交差したレプリカと潤が、背を向けあったまま虚空で静止する。直後、レプリカの巨躯はくしゃっと崩壊。紫紺の邪霧になった直後、消失音を立てて消滅した。
 そしてその影響だろうか、周囲を満たしていた雷光の明度が急激に弱まった。
「夫くん見て! ダテンダカツが逃げる!」
 オンがミライドラゴンから身を乗り出し、上空を指差した。潤も仰ぎ見る。空の彼方には、遠ざかっていくオリジナルダテンダカツの姿があった。いつしか陽光を遮って現れた黒雲に、すでに隠れかけている。
「夫くん、あたしも!」「夫さん、わたくしも!」
 オンとナノコの声が重なった。
「一緒に!」
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登場人物紹介

古賀崎 潤(こがさき じゅん)


十三歳の中学生。

故郷、上雲津の守り神のパートナーになり、つくも神の世界に関わっていくことになる。


守り神のオンナノコ


上雲津の地を守護する守り神。

責任感が強く、上雲津のつくも神と人々が大好き。潤のことはそれ以上に愛している。

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