第十二話 百薬草が咲いた時

文字数 2,546文字

 イワンの誕生日の二日前、百薬草は三十㎝ほどに大きくなり、花を付けた。
 百薬草の花はピンク色で百合に似た大きな花だった。
 花を見たジャックが感嘆の声を漏らす。
「何とも綺麗な花だな」
「こんなダンジョンのどこにあるとも知らぬ村でも、花は咲くんだな」

 風呂屋に行き、風呂上りにオレンジ・ジュースを飲んでいた。
 椅子に座って休んでいると、馬活と一緒になった。
 馬活がにこやかな顔で話し掛けてくる。
「一日の汗と泥を流す風呂は実に気持ちがいいですな。朝の散歩同様に実に気分がいい」
「本当ですね。こうして風呂上りに涼しい場所で飲む冷たい飲み物はまた格別です」

 馬活は興味を示して尋ねる。
「時に蛍石さん、家で花を育てているとか。生長は順調ですかな」
「あれ? 誰に聞いたんですか? 明後日のイワンさんの誕生日プレゼントにしようと思って育てていました」

「花の話を聞いたのはトニーニさんからです。それで、よろしければ、その花を見せていただけませんか」
「いいですよ。この後、家に来ますか?」

 馬活を伴って家に帰る。馬活は百薬草を見ると顔を(ほころ)ばせる。
「おお、これは、素晴らしい!」

 馬活が手を合わせると、何もなかった空間に筆とスクロールが現れる。馬活は流れるような筆捌きで、立派な百薬草の絵をスクロールに描く。絵が完成すると蛍石に渡した。
 絵の出来栄えに蛍石は目を奪われた。
「さすが、ダンジョン書家ですね。慣れたものですね。白黒の絵なのに花が活き活きと描かれている」

 馬活は感じの良い顔で告げる。
「では、このスクロールに記した百薬草の絵を蛍石さんに進呈しますよ。先日、泥棒に加担したお詫びです」
「気になさらなくていいのに。でも、せっかくですから、貰っておきますね」

 馬活は穏やかな顔で頷いて、帰っていった。
 馬活の描いた絵を見て、ジャックが感心する。
「それにしても見事な絵だな。まるで、本物のようだ。今にも絵から飛び出してきそうだ」
「俺も絵の価値はよくわからないけど、いい絵だってのはわかるよ」

 翌日、ダンジョンに下りて商売をしていると、鏡花がやって来る。
 鏡花の表情は、冴えなかった。
「こんにちは、フローライトさん。百薬草の花は、咲きましたか?」
「綺麗(きれい)な大輪の花が咲いたよ。どうしたの?」

 鏡花は躊躇(ためら)いがちに切り出した。
「実は理由があって、百薬草を探しているんです」
「百薬草は安いものじゃないけど、そんなに希少な品じゃないだろう?」

「そうなんですけど、今、地上では百薬草がないんです」
 あげられるものなら、あげたかった。
「いやあ、でも、俺も使うからな」

 鏡花が真摯な顔で頼んだ。
「お金ならどうにかしますから、売ってもらえませんか。明日にも必要なんです」
(弱ったな。今からじゃ、イワンへの貢ぎ物を用意できないぞ)
「お願いします」と鏡花は深々と頭を下げる。
 鏡花の顔を見ると、心底、困っているようだった。

「わかった、なら、百薬草を上げるよ。ただし、交換にダンジョンの外でしか手に入らない物が欲しい」
 鏡花は真剣な顔で約束した。
「わかりました、難しいですが、何か用意します」

「引渡しは明日になる。だが、ここは、ダンジョンだ。明日に会えるとは限らないから、会えなかった時は諦めてくれ」
「わかりました。では、明日、ダンジョンにまた来ます」

 家に帰ると、百薬草の鉢がなかった。
「あれ、ジャック。百薬草の鉢はどうした?」
 ジャックが首を(すく)める。
「トニーニがやって来て、これがイワンへのプレゼントだろうと、持っていったぞ」

 トニーニの態度に苛立った。
「勝手なことをしてくれるぜ」
 蛍石はトニーニの家に行った。トニーニはあっけらかんとした顔で蛍石を迎える。
「どうした蛍石、そんな血相を変えて。何か、トラブルか?」

「何か、じゃないだろう、俺の家から持っていった百薬草を返してくれ」
 トニーニは素っ気ない態度で要求する。
「返すのはいい。だが、代わりに、イワンさんに贈るプレゼントを置いていってくれ」

「だから、百薬草を明日にダンジョンに持っていって、プレゼントと交換してくるんだよ」
 トニーニは目を細めて、苦い顔で説教する。
「なあ、蛍石よ。俺だって、現場には現場の事情があるってのは理解している。だから、お前が探索者と取引しても、口を酸っぱくして注意することはしなかった」

「何だよ、急に?」
「だが、今のお前はやり過ぎだ。特定の探索者と親しくなっている。これは、まずい兆候だ。だから、今回は命令する。あの女とは手を切れ」

 蛍石はトニーニの命令に反感を覚えた。
「でも、取引しないと、誕生日プレゼントは手に入らない」
 トニーニは怖い顔で強い口調で釘を刺した。
「あるだろう。百薬草の鉢植えが。いいか、蛍石よ。俺は、お願いしているんじゃない。警告でもない。あの女と手を切れ――は命令だ。そこを、履き違えるな」

 トニーニにこうも厳しく言われると、引き下がるしかなかった。家に帰って思案する。
(困った状況になったぞ。百薬草を、どうやって取り戻そう)
「どうした、蛍石よ? 何か困りごとか? 儂でよければ相談に乗るぞ」

 蛍石はトニーニとのやり取りを話した。
 ジャックは哀れむ顔で意見した。
「残念だが、蛍石よ。今回はトニーニが正しい。蛍石は特定の探索者と親しくならないほうがいい」
「しかし、鏡花は困っている。助けてやりたい」

 ジャックは暗い顔で質問する。
「蛍石よ。お前が泥棒をした探索者を殺す時の話だ。お前は抑えきれない暗い楽しみを見出した経験は、ないか?」
 ジャックの言葉に、どきりとなった。ジャックが厳しい顔で諭(さと》す。
「あるんだな? お前はもう人間ではない。ここでその女性探索者と親しくなっても、何かの拍子に残酷な暗い衝動に突き動かされたら、どうする?」

「あいつは、泥棒を働くような人間ではない」
「本人に盗む意志がなくても、事故はある。その時に後悔しても遅いぞ」
 ジャックとは言い争っても無駄だと思った。
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