姉妹 (5)

文字数 6,726文字

「いや、ほんとあんときはびっくりしたよ。この人死ぬ、と思った。なあトシくん」
「タケちゃんの仲間に囲まれて姿が見えなくなったときは、先輩の葬式思い浮かべたね」
「俺もびっくりしました。まさかセンセーが入ってくるなんて思わなかったんで」
 時刻は二十一時五十分。風史がいよいよ楽しそうだ。
 庭をざっと片付け、六人は今リビングにいた、奈緒の両親は既に寝室に上がったようだった。
 観音山でのタケルの脱退式からちょうど一ヶ月。一ヶ月前のことはついこないだのように感じるのに、一週間前のことはひどく昔に感じる。
 この明るい雰囲気が「いいこと」なのか「よくないこと」なのか、マサキにはわからなかった。
 話題になっている本人は、笑顔を浮かべつつ、あまり言葉を挟まないで聞いていた。
 さっきから口も動かしながら手でメールの着信もチェックしていたトシが「きた」と鋭く言った。さっと空気が引き締まった。
「一号から。〈時間と場所はどうする?〉だって。どうする?」
「場所は向こうに任せる。時間は夕方、六時、十八時以降。それなら仕事も終わってると思う」
 言いながら、「わたしを待つ必要があるのか」と一瞬よぎった。
「じゃあそれで送信するよ」とトシ。周りから異論が出なかったことにほっとした。
 それから二、三分後、二号からもメールが返ってきた。
「返事は?」
「一号からの返事がくるまで待とうか」
「二人が一緒にいる可能性はない? それか連絡取り合っている可能性は?」
 風史が言った。マサキはすぐに答えた、が。
「そこまでこっちが考える必要はないだろう、……いや、あるのか、あるな」
 二人が一緒にいる、あるいは連絡を取り合っているとしたら、同じ時刻に別々の場所で「会おう」と言うことはできない。
 ――そこか。しまったな。
 心の中で舌打ちした。いつも初歩が抜けている。
「奈緒さん、メールしてて二人が同調しているような気配がありましたか?」
「している」と考えるほうが妥当だろう。奈緒がまた少し俯いて。その横顔をじっと見つめる。見つめる資格を持っている、優越感。
 俯いたままの奈緒の口がゆっくり動いた。
「わかりません。あんまりたくさんメールなんかしないほうがいいと思ったし、こっちから、こうして、とかも言わないようにしてたから」
「正解です。うん」
 できることならメールのやりとりなんかしたくない、姉のために仕方なくしている。その考え方は正解だ。
 仕方なくそっちの言いなりになる、という姿勢もマサキの望んだとおり。奈緒が俯き加減のまま小さく頷いた。
「じゃあ、トシ、一号と同じように送ってくれ」
 まず一号から〈じゃあ十八時で。どこかわかりやすい場所で待ち合わせする?〉と返ってきた。「危険だな」マサキが呟く。
「やつらの車に乗せたくない」
 怪しまれるかもしれないが、ちょっと強気でいこう。
「現地集合にしてくれ」
 もし向こうが萎えたら、仕方ない、やり直すしかない。
 一号に送った直後に二号からも同じ内容のメールがきた。十分ほど後、一号からメール、そこから五分経たずに二号からも返ってきた。
「時間は十八時、場所はホテル『ラグランジュポイント』、一号と全く同じだね」
「決定的だな」
「同調」以外の意味もあったが、面倒なので説明はなし。
「いちおう、わたしの考えを言う、こうしたほうがいいんじゃないか、ていうのがあれば言って欲しい」
 作戦と言うほどのこともない。奈緒が二人と一緒に部屋に入る。その後から男どもが部屋になだれ込んで一号二号を袋にする。
「なんの捻りもない。力技。神さんあんた、長生きできそうにないな」
「太く長く、じゃなくて、太く短く」
「先輩のあそこと一緒」
「そうなのか?」
「はい、だってかせい」
「おいやめろ! 指で表すんじゃない!」
 親指と人差し指を使って「これくらい」とやっているトシの腕を慌てて叩き落した。
「ちっさ!」と言って爆笑する風史、タケルも笑っている。奈緒は……、控えめに笑っていた。

 ホテル『ラグランジュポイント』について。
 場所はトシがタブレットPCで調べたが、そこにはヤバイ噂がいくつもあるという。
 作戦がまとまった後、タケルが仲間に電話をかけた。数分後、タケルに電話がかかってきた。
「けっこうヤバイホテルみたいっすね、そこ。言ったら、なんでもアリみたいな感じっす」
 いわゆる援助交際によく使われる場所で、あきらかに十七歳以下の女の子を連れたカップルがよく利用するので有名だという。輪姦まがいの利用もあったり。
「レイプ……」
 幸雄が呟いた。バックに暴力団がついている、という話も。
「他にも友だちが言ってたんすけど」
 薬中の若い男女が「最中」に死亡、警察も救急車も呼ばず、「二人」はどこかに消えた。
「そんな話がけっこうあるらしいっすよ」
「俺もあの辺いったことあるが、普通のカップルが気安く入れる雰囲気ではない」
 風史が少し表情を引き締めて言う。「サイト」に「あがった」ことがあるのだろう。
 ――予想通り。
 ヤツラがよく使う「定宿」があるんではないか、とは思っていた。
 その場所は、ある意味予想以上ではあった。誰の顔も不安そうだった。
 マサキの中にも当然ある。しかし。
「逆に、こっちがなにやっても騒ぎにはならん、ということだな」
 その場に溜まった不安を幾らも和らげないかもしれないが、そのことが、実際に始まったときには利いてくるような気がした、なんとなく。

 マサキたち客人もシャワーを借りて「お休み」となって家の電気が消えたのは、日付が変わって三十分ほど経つころ。
 マサキ、風史、トシ、タケルの四人はリビングで、幸雄はリビングの隣、美穂の〝いる〟客間で。
 心地よいアルコールと疲労感がそれぞれに深い眠りを届けるのにそれほど時間はかからなかった。

 日曜日の朝、リビングを占拠しているということもあって起床はみな早かった。朝食もご馳走になり、午前八時、マサキはみんなに先立って島方家を後にした。風史、トシ、タケルの三人は、幸雄がアパートまで送っていくということになっていた。
 夕方までの時間を、マサキは想像した。仕事でよかったかも。そう思った。
蝉の声が喧(かまびす)しい。夏の太陽は見えない、灰色の暑い朝だった。
 
『真理は虚構の構造をしている』。
  精神分析家ジャック・ラカンの言葉として本に紹介されていた。
「嘘」あるいは「見せかけ」が、実は「真理」の断片である。
 ドイツ人建築家ブルーノ・タウトは日光東照宮を「キッチュ」と評したという。「キッチュ」とはドイツ語で「まがいもの、俗悪なもの」という意味。
 二十世紀の始めに活躍し、日本に住んでいたこともあるタウトには、日光東照宮はまさに「虚構」と映った。しかし、それを見る日本人には将軍の「力」として確かな効力を持っていた。
 日本人にとっては、それこそ「真理」と映った(ている)。
「日本人はどの国民よりも、仮面のほうが仮面の下の現実よりも多くの真理を含むことをよく知っている」。これもラカンの言葉として本に紹介されていた。
 ――だとしたらなおさら、やつらを潰さなければならない!
 マサキが踏み込めない一線を、やつらは簡単に越える。
「偽っている」のはマサキのほうかもしれない。であれば、そこにこそ「人間としての真理」があると考えることはできる。
「正義」「倫理」あるいは「プライド」「矜持」。「袋」にすることが正しい方法ではないかもしれないが、引いてしまったら負けだろう。
 ――ちょっと、大袈裟かな。
 「おっさんになった」のか。それとも「切羽詰っている」のか……。

 マサキから〈今から出る(汗)〉のコメントがグループラインに上がったのがおよそ十七時五十分。「やつら」は既に二十分も前にきていた。
 美穂のブログには「四人でレイプされた」というようなことが書かれていたが、映像から確認できたのは二人、いずれの動画においても同じ人間だと思われる。
 やはりというか、「二人」は同じ車でやってきた。
 駐車場の奥のほう、風史のインプに風史と幸雄、トシとタケルがタケルのムーブに。駐車場は六、七割ほどうまっていた。奈緒は近くのコンビニで待機している。
 近くといっても車で十分はかかる。ここは、かつてタケルの脱退式をやった場所からもかなり離れた所である。
 周りに民家はほとんどない、木々に囲まれた寂しい場所だった。
 幸雄が腕時計を見る。十八時二分。「これ以上は待てないな」という判断に風史も頷いた。
 幸雄が奈緒に〈頼む〉と送信。マサキがくるのが恐らく二十分ころ。
「二十分を過ぎてこなかったら、俺たちだけで入りましょう」
 幸雄の言葉に風史がまた頷いた。幸雄の感情を押し殺した声。十分、奈緒が到着、出迎えに車から出てきた「二人」は幸雄のよく知る「二人」で間違いなかった。
 三人が駐車場からいなくなって五分、もう三人とも部屋に入ったであろう。
 風史が車越し、タケルに「頼む」と頷く。ホテルの外にバイクの音が集まってきた。
 タケルが車を出る、すぐに戻ってきた。
 二十分、四人が車の外に出た。薄汚れた軽自動車が、駐車場にゆっくり入ってきた。

「神さん、なんだそのかっこは」
「着替えもしないで急いできたんだよ」
 白のワイシャツを腕まくり、下は黒のズボン。マサキのユニフォーム(自前)。仕事中は黒の前掛けもつけるが、流石に外してきた。「すまん」と三人に深く頭を下げた。五人がホテルの入り口に向かう。そこに一人が加わった。
「あのときはほんとすいませんでした」
 ある意味いかがわしいマサキに礼儀正しく挨拶したのは、タケルが属していた族のリーダー北村。
「ああ、おお、どうも」
 威張っていいのか謙遜していいのかわからない、中途半端な返しでその場をしのぐ。そのリーダーを先頭にして六人はホテルに入った。
「しかし……」
 佇まいに尋常ならざる空気が漲(みなぎ)っている、ホテル『ラグランジュポイント』。素敵な名前なのに。重力に魂を引かれた人間たち……。
 あんな話を聞いた後だからだろうか。よくもこんな場所に女の子一人呼び出したものだ。強気なのか、焦っているのか。
 リーダー北村が受付で話をする。受付から出てきた男が六人の先頭に立って歩き出した。北村が「上の人に話を通してもらっておいた」のだそうだ。
「サトルさんかな?」
 歩きながら、マサキがタケルに小声で聞く。
「わかんないっす。でも、どっちにしてもサトルさんの耳にも入ると思います」
 タケルの笑顔はちょっと引きつっているように見えた。すまん、謝ったのは心の中で。
 二階に上がり、六人プラス一人が部屋の前に立つ。
 マサキが幸雄の肩に手をかけた。体は少し冷たいようだった。幸雄が苦しいことはマサキにもわかるが、その深さ大きさ、形などはわからない。
 ドアを前に、想像は同時に部屋の中にも及ぶ。中を、奈緒を思うとき、マサキの体は内側から弾けそうになる。
 幸雄の肩に手をかけたまま「リーダー」と北村の耳に顔を近づけた。「はい」と小さく頷いて、北村は少し離れて電話をかけた。それを見ながら。
「あんたはここに残ったほうがいい」
 幸雄の、何かを訴えるような視線がマサキのそれとぶつかった。
「援軍もくる。人数は十分に揃っている」
 マサキの言葉を裏付けるように、またタケルの言葉も裏付けるように、十人ほどの若い男たちが集まった。
 態勢は整った。マサキが頷くと、幸雄は目を逸らし、一歩、部屋から離れた。
 マサキが残りの顔を一つずつ確認する。「よし」と小さく声をかけると、受付がドアに鍵を挿した。カチリ、音がする、ドアが、開く、薄暗い、室内に。
「奈緒ちゃん!」
 
「いってきます」
 外は白い夏だった。白く焼ける夏。「古いもの」は燃え、その下から「新しいもの」が生まれてくる、キラキラ輝く夏。
 金曜日は定退日だ。定退日ということを思うと、また「週末」を過ごすかのような感覚に襲われる、また先週のような。
 不安、苦しい、やるせない、それでいて、充実したやりがいのある、とっても疲れる週末がまた……。

 人間を確認するより前に、マサキは大声で叫んでいた。ほとんど同時に部屋の中に踊りこんだのはタケルと北村。泡を食ってこっちを見つめる佐々木と倉橋に飛びかかった。
 男二人は裸だった。裸の男たちなぞより先にマサキの視界がとらえた、ベッドの上の奈緒は下着姿。
「奈緒ちゃん!」
 改めて叫んだ、それは「助けにきたぞ!」ではなく、早く体を隠せ、という叫び。
 奈緒はすぐに布団にくるまった。体を押さえ込まれながら、佐々木と倉橋は大声を出してもがいている。
 北村の押さえる佐々木の手から、風史がカメラを奪い取った。マサキは倉橋に近づき、肩の「LP」を見ると、無言で頬を張った。掌がとても痛かった。
 奈緒に声をかけるべく向き直ったマサキの背後を風が抜けた。タケルの仲間かと思った。
「ささきぃぃ!」
 族のリーダーを払いのけ、入れ替わり裸の男に踊りかかったのは幸雄。それが会社の同僚だと理解したのは倉橋のほうが早かったかもしれない。
 何かを観念したか、倉橋はがくっとおとなしくなった。
 佐々木も静かになった。そのときはまだ、自分を殴っているのが小松崎幸雄だとわかっていなかったかもしれない。
 風史が幸雄を後ろから羽交い絞めにして止めた。佐々木は動かなかった。マサキも、他の誰にも言葉はなかった。
 ただただ呆然と眺めるだけのマサキの後ろで、布団にくるまって奈緒が服を着る。 
 前と後ろ等分に意識を分けている己の姿が、床に横たわって微動だにしない二人の男と重なり合った。
 恥じることはない。その瞬間、狂ったように同僚を殴りつけ殴り疲れている幸雄の姿こそ受け入れ難いものであった。恥じることはない、恥じることはない……。

 その後、佐々木と倉橋に服を着させホテルを出た。
 インプレッサには風史、助手席に幸雄、後部の真ん中に倉橋、両脇に北村とその仲間が乗る(倉橋に付き添ってくれ、というマサキの言葉に、幸雄は黙って従った)。
 マサキの軽には、助手席にトシ、後部左側に佐々木、右にタケルが乗り、それぞれの家へと向かった。
 奈緒が何をされたのか、聞いてなどはない。出ていく二台の車を見る彼女の、色のない瞳が不気味だった。

 二人の家にいき、パソコンのHDや可搬記憶媒体、デジカメのメモリーカードなど、データが記録できるものはおよそ全て回収し、再び『ラグランジュポイント』に戻ってきた。
 二人を駐車場の地面に座らせ、マサキが見下ろす。奈緒が二台のビデオカメラをマサキに手渡した。うん、と頷く。
「風さん、トシ」声をかけると、二人から奈緒にビニール袋が一つずつ渡された。駐車場の外は闇。光が却って闇を厚くする。
 その闇からは、マツムシなどに紛れていまだに蝉の声が漏れていた。時刻は二十時。マサキの腕の汗はいっこう引かない。
 カシャン!
 響いた。奈緒が袋をコンクリの地面に投げつけた。中には回収した記憶媒体がつまっていた。音にびっくりして肩をすぼめた二人に、マサキが言葉を投げ落とす。
「これは、あの部屋に隠していたカメラだ。どういうことかわかるよな?」
 マサキはちらっと幸雄を気にした。ホテルの、建物の中や周辺がざわつく気配は一向にない。
「小松崎幸雄に預ける。どうするかは彼次第だ」
 二人に背を向け、幸雄に近づいてビデオを渡した。軽くなった右手で肩を叩く。そこにはなんの「思い」もこもっていない。後は幸雄次第だ。
 そのまま奈緒に近づいた。叩きつけた拍子に袋が破れ、辺りに散乱したHDやらメモリーカードやらUSBメモリーやらを拾い集めた、それをまた奈緒に持たせる強さは、マサキにはなかった。
「先輩」とトシが大きなビニール袋を持ってきてくれた。マサキの車に入っていたものだろう。そこに入れ直した。
 抜け殻のように、奈緒は俯いて立ち尽くす。マサキは一つ大きく息を吸い、鼻から出した。その瞬間、マサキは「主人公」になる。
「よく、頑張った」
 ふっ、と奈緒が倒れかかってきた。右肩に奈緒の額を受ける、右の掌で彼女の頭を撫でた。
 小刻みに震える頭を、ワイシャツに軽く押し付ける、右肩が温かかった。
 ――やっぱり、姉妹だな。
 涙の温度は、姉妹で同じだった。
 大好きな漫画の主人公の決めゼリフ、お姉ちゃんは読んでいたが、妹は知っているだろうか?
 映画にもなってしまって、真面目に使うことは冷静に恥ずかしくもあるが、他に相応しい言葉は見当たらなかった。
 ――よく頑張った。
 自分にも、みんなにも使っていい言葉だった。あえて、妹以外に使う気はなかった。
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