第12話 密室

文字数 1,969文字

 応接間には重苦しい雰囲気が漂っていた。秘花(ひめか)と僕が咲倉(さくら)家の面々に紹介された部屋だ。長方形のどっしりしたローテーブルを囲んで三人掛けと一人掛けのソファがそれぞれふたつずつ置いてある。
 部屋の中には僕と秘花の他に七人の人間がいた。咲倉彰秀、鵜沼(うぬま)秀子、鵜沼誠司と(みぎわ)(まさる)。家政婦の大野万里子、メイドの志藤(しどう)由未利(ゆみり)、万里子の夫でコックの大野博信である。大野博信と顔を合わせるのは初めてだ。使用人三人は戸惑い顔でドアに近い一隅に固まり、咲倉家の人間は当然の如く三人掛けのソファふたつを占拠している。汀優は不貞腐れたむっつり顔で一人掛けのソファで足を組んでいる。僕と秘花は窓際で庭を眺めていた。庭木が邪魔になるが、空中庭園が半分くらい見える。
 僕たちはそれぞれに事情聴取を終えて、待たされているところだった。テーブルの上にはコーヒーセットとサンドイッチの大皿が出されていた。昼食の時間はとうに過ぎて、今はもう夕方である。コックの大野さんがありあわせの材料で作ったサンドイッチを、僕らは黙ってもそもそと食べた。颯子先輩と楽しく昼食の席を囲むはずだったのに、なんでこんなことになってしまったんだろう……。
 胸に鋏を突き立てられて絶命していた颯子先輩のことを思い出すと、頭がぐるぐる回ってパニックになりそうだ。僕は先輩の奇妙なほど穏やかだった死に顔を脳裏から押しやり、疑いの目で一同を眺めた。
 僕と秘花が空中庭園を離れたのはほんの十分足らずのことだ。しかも、異変を察してすぐに僕は温室に駆けつけたのだ。それなのに鍵のかかった温室の中に犯人の姿はなかった。いったい誰が颯子先輩を殺したんだ?
 こいつらの中の誰かがきっと犯人だ。あのとき屋敷にいなかった汀優は除くとして、咲倉家の人間と使用人の中に颯子先輩を殺した奴がいる。咲倉彰秀は除外してもいい。空中庭園で物音がしたとき、僕たちと一緒にいたのだから。あのとき、この応接間にいたのは彰秀だけだ。鵜沼秀子と誠司はどこにいたんだろう。使用人たちに颯子先輩を殺す動機はあるんだろうか。
 そんなことを脈絡なく考え続けていると、ミルクをたっぷり入れたコーヒーを静かに飲んでいた秘花が、ひとりごちるように囁いた。
「あの温室には出入口は一箇所しかないわ。窓は開いていたけど、どれも細長くて人間が出入りできる幅はない。それに、温室の周りにはびっしりと白い柴桜が植えられていたの。どこも踏み荒らされた場所はなかったわ」
 僕が先輩の亡骸をぼんやり見下ろしている間に、秘花は温室の様子を抜かりなくチェックしていたのだ。
「密室だったってこと?」
「密室状態だったのは確かだと思うわ。……それと、あれはどういう意味なのか」
「あれって?」
 秘花はカップを出窓に置き、ポシェットから取り出した携帯をいじって僕に示した。内蔵カメラで撮影した写真だ。いつのまに撮ったのだろう、気が動転していた僕は秘花が温室を調べていたことにも写真を撮っていることにも全然気付かなかった。
 写っているのは、こぼれた紅茶で床に書かれた文字らしきものだった。僕は思い出した。伸ばされた先輩の指。颯子先輩が最後の力を振り絞って残したメッセージ。ダイイング・メッセージだ。
 僕は携帯の画面をじっと睨んだ。明るいオレンジ茶のタイルに紅茶で書かれているのでとても読み取りにくい。
「……カタカナ二文字だよな、これ。ウ……ヌ……かな? ウヌ?」
 何だろう、と思うまもなく、いきなりソファの方で金切り声が上がった。室内が静まり返っていたので、独りごちたつもりが聞こえてしまったらしい。
「冗談じゃないわ、あたくしたちが犯人だとでも言うつもり!?
 叫んだのは鵜沼秀子だ。息子の誠司も迷惑そうな顔で僕らを睨む。
「マンガじゃないだ、子どもの推理ごっこで犯人扱いされちゃたまらないな」
 嘲られて反射的に僕はムッとした。僕はともかく、秘花はあんたなんかよりずっと頭がいいんだぞ。人間的にも絶対ずっと上等だ。秘花の推理力は警察官である伯母だって一目置いているくらいなんだからな。
 そっと秘花が僕の腕に触れる。まったく表情を変えず、秘花は静かに尋ねた。
「失礼ですが、事件が起きたときどちらにいらっしゃいましたか」
「私は頭痛がしたのでね。自室で休んでいましたよ。ここはもともと私の実家なんですから、自室くらい今でもありますとも」
 つんけんと秀子は顎を反らす。秘花が視線を向けると、誠司は肩をすくめた。
「外をぶらついてたよ。言っとくけど、空中庭園がある庭とは屋敷を挟んで反対側だ」
 何のアリバイにもならないと思ったが、僕は黙っていた。秘花は続いて使用人に尋ねた。
「……皆さんは?」
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