第5話

文字数 6,119文字

   ここのかんや、とおかんや
   朝そばきりに、昼だんご
   夕餅食っちゃあ、ぶったたけ

 外から子どもたちの歌う声が聞こえてくる。
 旧暦10月10日、今の暦で言えばおよそ11月の半ばであるが、この日は地域で十日夜(とおかんや)と呼ばれる行事のある日である。

 夕方6時を過ぎて、外はすでに真っ暗であり、昼の暖かさが嘘のように気温もぐっと下がってくる。
 子どもたちは、暗さにも寒さにも怯むことなく、むしろ闇の深まりとともに活気づいていく。
 夜出歩くことを正式に許される特別な日であれば、無理もない。
 子どもたちの大きな歌声に続いて、「ザァザァザァ」という音が聞こえてくる。
 藁を束ねて縄で巻いた「藁鉄砲」を持ち、歌を歌っては藁鉄砲で地面を叩いて家々を回っていた。

 子どもたちの歌が、ひときわ大きい。
 ザァザァザァ。
 ガラガラと家の戸が開いて
「おお、きたな」
 女の声が外に出ていった。
「餅くれぇ」
「はいはい、持ってげ持ってげ」
 女と子どもたちのやり取りが聞こえてくる。
 ここは、村の若衆頭の家である。
 家の奥の間に、30歳から40歳ほどの男たちが5人、膝を付き合わせるように集まっていた。
 子どもたちが庭に入ってきてから、男たちは誰も一声も発せず、息をつめるように口を閉じている。
 
 藁鉄砲を持った子どもたちがくると、家の者は子どもたちに餅を渡した。
 この餅は「九日夜(ここのかんや)の餅」といい、十日夜の前日に作って準備しておく。
 餅を無事にもらったのだろう、子どもたちの歌は隣の家へと移ったようだった。
 ザァザァザァ。

 十日夜は、子どもが餅をもらい歩くだけではない。
 この後、村の大人たちは、やはり九日夜の餅を持って、辺りで「みたち山」と呼ぶ山に登る。
 山の中腹にある鎮守の社にお参りし、餅を供(そな)えるのである。
 供えるものは餅だけではない。
「人」を供える。
 
「心配することはねぇ、毎年やってることだ。だいじょぶだいじょぶ」
 集まった5人の内の一人が言った。

「人を供える」と言っても、ほんとに生け贄となって命を捧げるわけではない。
 鎮守の社の裏手に、さらに山を登っていく道が続いている。
 20分ばかり登ると、少し開けた場所に出る。
 そこに、高さが大人ほどある大岩がある。しめ縄が巻かれており、社の御神体とされていた。
「供え」に選ばれた人間は、その御神体の前で一晩を過ごし、夜が明けたころ降りてくる。
 ここまでが、この辺りの十日夜の行事であった。

「供え」に選ばれるのは、十代の未婚の女性ということになっている。
 その若い女性を一人きりで夜の山に残すわけではなく、数人のお供がつく。
 お供は大抵5、6人で、その者たちと一緒に、朝、山を降りてくることになる。
 あくまでも形式的なものであり、その年の感謝と翌年の祈願を神様に示す形ばかりの「捧げ」であった。

「そう、心配することはねぇ、今年もみんなで酒飲んで終わりだ」
 別の一人が言った。
 御神体の前に「供え」の女性が過ごせるよう、小さな天幕を設け、お供たちは、その天幕の前で、火鉢や焚き火で暖をとりながら、酒を飲んで夜を明かす。

「心配するな、かずちゃん、今年に限って、なんかあるなんてねぇ。いや、なんかあったって、俺たちが絶対に守ってやるから」
 その言葉には、明るさ以上の強さがあった。空(から)の明るさではなく、実の詰まった強さ、重さがあった。
 和人(かずひと)の腕が、痛いほど強くつかまれた。その腕力から痛いほどに伝わってくる、隣に座る秀一(しゅういち)の思いの強さだった。

「今年に限って」
 この言葉が、和人の気持ちを沈ませる。
 この年は、稀(まれ)に見る凶作だった。
 空梅雨に始まり、涼しい夏、秋の長雨。そう言えば、空梅雨の前に季節外れの霜もあった。
 米をはじめとする農作物が軒並み不作で、餓死する者の心配をするほどだった。
 村の古老が「30年ぶり」とも「50年ぶり」とも言うほどの大凶作になっていた。
 
 そんな有り様だから、今年の「十日夜」は例年とは違った意味合いを持っていた。
 行事が、単なる形式では済まされない、「十日夜」という器になみなみと村人の思いが注がれていた。

 と言っても、やることは変わらない。
 例年と同じく、御神体の地で、「供え」の女性が過ごす天幕の前で、空が明るくなるまで酒を飲んで起きていればいい、だけだ。

 のはずだ。

「40年前の大凶作の十日夜のときは、忘れもしねぇ、あのときは」
 古老が、妙なことを思いだした。 
「供えの女とお供の男たちが誰一人、山をおりてこなかったもんだ」
「そうだったそうだった。あのときは、村中総出で山の中を探し回ったが」
「誰も、何も見つけらんなかった」
「そうだそうだ、一人残らず、跡形もなく、消えちまったんだ」
 そうだあの時は、……云々。
「30年前」でも「50年前」でもなく、「忘れもしない40年前」などと言うあたり、胡散臭さを感じなくもないが、その古老たちの言うことは、村の人々の不安をあぶり出すには十分だった。

「だいじょぶ、俺たちが絶対に守る」
 秀一は若衆頭であり、和人と秀一は同級生である。秀一の強い思いが、和人の不安をむしろ押し広げるようだった。
 今年の「供え」に選ばれたのは、和人の娘さち「さち」だった。さちは、13歳である。

 和人にとって、さちは一人娘であり、さちにとって、和人は一人親であった。
 和人とその妻は、数年前に離婚している。妻、元妻は、村を離れて自分が生まれた土地へと帰っていった。
 それ以来、男手一つ、と言ったら言い過ぎだが、両親の手も借りながら、和人はここまで娘を育ててきた。

 ――どっちが育ててもらったんだか。

 十日夜が終わったすぐに、次の年の「供え」は決まる。今年、さちが「供え」をつとめることは、一年前から決まっていた。
「供え」は、この地域の女子にとっては、ある種の通過儀礼でもある。「やりたい」と自ら手を挙げる者もいないが、「嫌だ」と言う者もいない。
 広い地域ではないため、場合によっては2回目を経験する者もいた。

 かつては、20代の既婚女性が「供え」をつとめた、などという話もある。
 あくまでも形式的なものにすぎない。
「そう、形ばかりだ、心配ねぇさ、今年だって」
 和人の呟きが合図であったかのように、「供え」の行列は、秀一を先頭に、若衆頭の家をゾロゾロと出発した。
 十日の月が、空高くから、見下ろしていた。

 社に餅を奉納する様子は、神事として村人たちが見守る中で行われる。
 かがり火が照らす境内で、神主が幣帛(へいはく)を振りながら祝詞(のりと)を唱える。
 唱え終わり、神主が社に向かって頭を下げるときには拍手と歓声が上がっていた。
 ここで一度、「供え」が登場する。白装束に身を包んださちが、神主と向き合い、神主から言葉をもらう。

「山の神様、今年もお恵みを、ありがとうございました。来年も、お恵みを、よろしくお願いします」
 さちの、澄みきった声が境内の隅々に行き渡る、拍手と歓声が「どっ」と、さっきよりもはるかに大きく沸き上がった。
 
 神事が終わる。
 ここから上にあがるのは、「供え」の女性とお供たちだけである。

 ――なにが有難いものか。 

 何を恵んでくれたというのか。
 今年に関しては、山は、神様は何も与えてはくれなかった。

 ――これでもし、俺たちから「何か」を奪うようなことでもあったら……。

 昼間は春を思わせるような暖かさだったが、夜が更けると寒さが押し寄せてくる。
 焚き火の火が揺れていた。風がなく、今年は言っても比較的過ごしやすい十日夜であろう。
「一昨年は雪が舞っててな、寒かったいな」
「ああ、風も強くてな、死んじまうかと思ったな」
 アッハッハッハ!
 大きな笑い声だ。
 秀一の計らいもあり、今年はお供の人数も増えて、10人の大人たちが御神体まで上がっていた。賑やかさも例年以上。

 笑い声は、村まで聞こえているだろうか。

 みんなの白い息が闇を上っていく。
 月は、頂を過ぎて下がり始めている。雲のない夜空に星が輝く。和やかに、時間が過ぎていた。

 日付が変わって1時間ほど過ぎた。月は既に西の山影に姿を消していた。
「お父さん、トイレ」
 小屋からさちが出てきて言った。白装束の上に綿入りの半纏などを幾枚か羽織っている(装束の下には、股引を重ねてはいている)。
「わたし、行きますよ」
 すっと、「ゆうちゃん」が立ち上がってくれた。
「ああ、すいません」
「供え」が若い女性であるため、お供には女性も加わる。「ゆうちゃん」は、和人よりいくつか年下だが、よその地域から嫁いできた女性だった。
 こういった行事には積極的に参加してくれる。

 例年は、日が変わって1時2時ころ静かになるのだが、今年は話し声笑い声が切れない。
 人数が多いからだろうが、和人は気にくわない。
 和人も、話に加わり、笑い声をあげてはいるが、

 ――いい気なもんだ。

 酒が入っているせいもあるだろうが、最早、和人と不安を分け合う人間はいそうにない。

 ――結局、真剣に心配していたのは、俺だけだ。 
 
 4時を過ぎた。
 あと1時間、1時間半ほどで夜が明ける。
 さすがに静かになっていた。
 焚き火の中で木がはぜる音が心地よく、火が、火の揺らめきが、いつの間にか人を眠らせ、そして目覚めさせる。

 ふと、和人が目を覚ます。眠ってしまったらしい。
 慌てて周りを見回すが、変わったところはない。
 目を開いている者も、静かに火を眺めている。
 立ち上がる、少しよろけた、足下を確認しつつ、テントに近づいた。
「……」
 声をかけようかと思ったが、やめた。中から寝息が聞こえていた。
 腕時計を見る。4時35分。
「ふぅぅ」
 息を吐き出す。白い息が、いつもと変わらない日常を思わせた。ほんの一瞬、十日夜であることも忘れた。
「うぅ」
 寒さで震えた。それが、今の状況を改めて認識させる。
「あと1時間だ」
 首を回して周りを見る。少し、霧が出てきていた。

 尿意に襲われて、和人は、焚き火から離れて、木々の間に数歩踏み込んだ。
 ――わざわざ林の中に入ることはなかった、何を恥ずかしがってんだ。
 自分を笑った。小便が出始める、
 ――そうか、やっぱり少し離れてよかったんだ。
 と、自分の行動に改めてうなずいた。
 小便が地面に落ちる音が響いた、それこそ恥ずかしいほどに。
 自分のためではない、他の人の迷惑にならないように、わざわざ木の間に入ったんだろう。
「もうちょっとだな」
「!」
 いきなり声をかけられ驚く。放水が、少し手にかかる。
 声は、秀一だった。近づいてきていたことに全く気づかなかった。
 
「もうちょっとで夜が明ける、明るくなる。あと少しだ」
 そう、あと少しで、夜が明ける。
「ありがとう」
 思わず、口から出ていた。立ちションしながら言うセリフでは、ないか。
 涙が溢れそうになった自分を、和人は「ばか」にして、ごまかした。酒のせいだ。
 話をそらす。
「霧が出てきたな」
「そうだな」
 気温が下がっている証拠だが、朝が近い証拠でもあった。
「みんなを起こすぞ。最後まで気を緩めずに、みんなでさっちゃんと一緒に山を降りよう」
 秀一は、用を足しにきたわけではなく、和人に声をかけると、すぐに戻っていった。
 明け方の5時前とは思えないほど、秀一はハツラツとしていた。その様子に、和人は心底救われる。

 ――やはり、秀一は、俺のこと、娘のことを、ほんとに思ってくれていたんだ。
「よし」
 小さく、自分を励ました。

「起きろ、みんな起きろ、あとちょっとだ」
 背後で、若衆頭の元気のいい声が聞こえた。早朝の山に響き渡る。
「さあ、最後まで気を引き締めて、みんな」
 がんばろう。
 の声が、聞こえなかった。
 さすがに、声が大きすぎる、この時間にしてはハツラツとしすぎていると思って自重したのだろうか。
 らしくない。それこそ、最後まで秀一らしさを出しきって欲しかった。
 御神体の前に戻ろうと、和人が振り向いた。

 ……。

 焚き火の燃える音がしている。パチパチと、火の中で木がはぜる音。霧の中で、ゆらゆらと火明かりが揺れる。
 だけだった。
 火が燃えているだけ。火だけが音を立て、動いていた。
 
 そして誰もいなかった。

 天幕の入り口がわずかに開いている、中には、誰も、いない。
 藁を広げた上に布を敷いた寝床が、あるだけ。

 ――そんな、ばかな……。

 娘がいたはずの、その場所で、そこに突っ伏して、父は、和人は、泣いた。
 ただただ、泣いていた。
 声も出なかった。

 村を総出の捜索は一週間ほど行われた。
 しかし、誰も見つからなかった。
 何も。何一つ。
 
 やはり、見つからなかった。

 その一週間は、気味の悪いほど穏やかな日が続いた。
 老人がつぶやく。
「御講凪(おこうなぎ)か」

 翌年。
 前の年の分を取り返すような豊作に見舞われた。
 その豊作を喜ぶものは、誰もいなかった。

 そしてまた、旧暦10月10日がやってくる。
 十日夜がやってくる。
 九日夜の餅の準備して。
 今年も、子どもたちが藁鉄砲を持って家々を回っている。

 十日夜の行事自体、ほとんどの村人は中止を望んだ。
 
 ただし、一部の人間、決して一人ではない数人が、十日夜の行事を続けることを強く推した。

 その一人は、和人だ。

 和人は、「供え」も行うべきだと主張した。
 その主張に同意する者も数人いた。

 さすがに「供え」をすることは、許されなかった。

 餅を奉納する神事もなし。翌日の昼間、餅だけ持って社に奉納するということで、反対していた者たちも納得した。

「子どもたちには、元気に藁鉄砲を叩いてもらうんべぇ」
 
 子どもたちの歌声がひときわ大きい。
 ザァザァザァ。
「きたきた」
 入り口のほうで母親の声がする。ガラガラ、戸が開いた。
「餅おくれ」
「ちょうだい」
「はいはい」
 母親が子どもたちに餅をあげるために外に出たようだ。
 ここは和人の家である。和人の家の奥まった一間に、5人の男が集まり、膝をぶつけるように座っていた。
 中には「ゆうちゃん」の旦那もいる。
 秀一の兄も入っている。
 いずれも、かけがえのない親しい人を失った者たちだった。
 
 一年前のあの時、和人は見た。
 霧の中で動く影を。
 それは、人とも獣ともつかない。ただ、恐ろしく素早く動く、音もほとんど立てず。
 どれほどの数がいたのかはわからない。
 10ということはない。5つかそこらだ。
 それなのに、ヤツラは、あっという間に、そこにいた10人からの人間を、山の奥に連れ去った、引きずり込んだ。
 そんなモノがすぐ近くの山にいる。
 放っておいていいはずがない。

 許せるはずがない。

「絶対に捕えてやる」
 娘を、兄を、妻を、親しい者たちを奪ったモノドモを、なんとしても捕まえてやる。

 八つ裂きにしてやる!

 5人の男が、ひどく張りつめた顔つきで、子どもたちがいくのを、じっと、待っていた。

   ここのかんや、とおかんや
   朝そばきりに、昼だんご
   夕餅食っちゃあ、ぶったたけ 
 
   ザァザァザァ
   ザァザァザァ



季節の言葉:十日夜、御講凪
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