第32話 依里子、『出会いは最悪』を体験する

文字数 1,742文字

 トレイをキッチンのテーブルに置いて洗い物を流しに移し水を出したところで、来訪を告げるチャイムが鳴った。貴禰が言っていた時間かっきり。なんて几帳面。急いで水を止め、手を拭きながらインターフォンの応答ボタンを押した。

「はい」
萬松(ばんしょう)宅配です」
「どうぞ」
 そう応えて裏口の施錠解除ボタンを押すと通話が切れ、ほどなくして、勝手口の磨りガラスを嵌め込んだ扉に背の高い影が映った。開けると、自分と同年代の男が箱を抱えて立っていた。

「どうも、萬松宅配です」
 先ほどと同じ名乗りを繰り返し、松吉(まつよし)幸樹(こうき)は抱えていた箱を台所の床へ置いた。一重の目がきりりとした感じの青年、というのが、依里子が抱いた第一印象。年齢は、自分と同じか、少し上くらい? 宅配サービス会社の社員なのか、運送のバイトなのかはわかりかねたけれど、とりあえず感じのよい笑みであいさつをしておくことにした。シンパは、多いほうがいいしね。

「はじめまして、三森と申します。こちらの久住貴禰さんの成人後見人をさせていただくご縁をいただいて、こちらで暮らさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いします」
「ああ、あんたが“より子さん”か。貴禰さんたちから、話は聴いている。俺は松吉、萬松宅配の、この地域の宅配サービス担当だ」
「あ~あ、あのお高いお野菜の」

 自らが持つ数少ない武器の1つと自負している甘い笑顔にも顔色一つ変えず淡々と自己紹介し、よろしくの一言も無く、あまつさえ「お前のことはよくわかっている」とばかりの物言いに軽い苛立ちを覚えて、依里子は半ば反射的に棘のある応えを返した。言った途端にはっとして、取り繕おうと口を開くより速く、
「…まあ、確かに他より高いよな。だけど、闇雲に高いわけじゃない。それだけ、ものがいい。工場じゃなくて、外の畑で有機農法で育てているし。卵も健康に育てた地鶏のもの、肉や魚も、ストレスの少ない環境で、成長ホルモンなんか使わずに育てたもの。すべてが、合成じゃない」
 まるで物のわかっていない相手に言い聞かせるように、呆れを含んだ口調でそう返される。苛立ちが増し、そんな自分に困惑した。いつもならこんなの軽くいなすのに、というか、そもそも苛立ったりなんかしないのに。なぜか我慢できなくて、だめだと思いつつさらに棘を含んだ言葉を投げつけた。

「それにしても高いですよ。他の有機農法の高級食材だって、ここまで高くないわ」
「屋外で土から育てるなんて、今どきそうないだろ。肥料も、牧場からの“天然物”を使っているし、きっちり手間暇かけているんだよ。配送もこうして人手でやっているし、その分どうしても、割高にはなる」
「人件費、ね。なら、あなたには悪いけれど、食材の品質が同じで、オートローバーで無人配送するところとかに、切り替えたほうがいいかもしれないわね」
「勝手に決めるなよ。週2回、配達は見守りの役割も兼ねているんだから」
「見守り? ならもう必要ないわよ、私がここに住むことになったんだもの」
「あんたが来たから、だよ。これからはあんたと貴禰さん、2人きりだし」
「! どういう意味よ!? 私が貴禰さんを虐待するとでも?」
「する、とは言わないけど、しない、とも言えない。あんたのこと、誰もよく知らないんだし」
「!!」

 むかつく、何なのこいつ?
 日ごろの自分からは考えられないようなやり取りで言い合いがエスカレートし、依里子は眦を険しくして固まってしまった。と、背後に人の気配がして、肩が知らずピクリと動く。振り向くより速く、その背後に目をやった配達人(まつよしだっけ? ばんしょうだっけ?)が、どうも、と声を上げた。

「どうしたの、大きな声を出して」
 廊下のほうまで聞こえてきたわ、そう言いながら貴禰がやって来た。
「お料理と食材を届けに来ただけですよ」
「そう。依里子さんとのごあいさつは、済んだのかしら?」
「“ごあいさつ”ね。そうですね。ごあいさつな言葉をいただきました」
 ごあいさつの、と言うところをわざと「な」と言って、にやりと笑いかけてくる男に、依里子は、そうです、と無愛想な一言を返す。まだ猫を被っているべき相手に何をやっているのか、と内心で自分を叱咤するけれど、どうしても感情をうまく抑えることができなかった。
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