第6話

文字数 1,525文字

 それから、大輝殿は学校帰りに町を巡回するようになった。

 亮太は宣言通り、町の人たちの空気を抜いていった。歩いていると、すっかり圧縮されて薄型になった人たちが、地面にぺらぺらと散らばっている。彼らの話によると、亮太は神出鬼没に突如現れると、あの強力な空気抜きで空気を吸引し、煎餅のようにぱりぱりになるまで許してくれないらしい。その時間わずかに三十秒だという。

 大輝殿はぱりぱりになった人を探して見つけると、懸命に空気を入れてさしあげた。相手の身体の大きさにもよるが、完全に膨らますまで三分から五分はかかる。ダブルアクションとシングルアクションの違いもあろうが、入れるのは抜くより手間がかかる。大輝殿がひとりぶんの空気を入れる間に、亮太は何倍もの数の空気を抜いてしまう。

「追いつかないね」
 大輝殿は一渡り空気を入れ終わると、ううんと伸びをしてからため息をついた。
「どうしよう、メカねこ」
 私は右脚を上げてみた。
「だめだよ。亮太にミサイル撃っちゃ」
 残念である。
「隣町の小学校に通ってるって言ってたよね。行ってみようかなあ」

 そんなわけで大輝殿と私は歩いて隣町に向かった。道中、ニャー太が原っぱでシャドウボクシングをして遊んでいたので、一緒に行こうと言うとついてきた。

 隣町はもうみんな大体ぺらぺらとしていた。コンビニのひさしの下などに、何十枚もの風船が折り畳んで重ねられ、ぶうぶう文句を言っている。
 大輝殿は、重かろうと、一枚一枚ばらして置き直した。ニャー太がそれを引っかきまわしたり、私が丁寧にアイロン掛けしたりした。大輝殿は空気を入れてあげたい様子であったが、さすがにきりがない。

「そろそろ電動空気入れが必要なのかなあ。量をこなさなきゃいけないとなると、手動じゃ駄目だよね。でもなんだか気持ちがこもっていない感じでいやだなあ」

 効率と感情のジレンマをテーマに悶々と悩みながら歩く大輝殿だったが、どうやら思考と一緒に身体も道に迷ってしまったようだ。同じ道を何度もまわっている。

 歩いていると交番をみつけた。
 机の上に畳まれたおまわりさんに小学校までの道を尋ねると、今日の風向きだと行けないと言う。

「ここからだと小学校には、北東の風が吹いているときでないと行けないよ」

 風に吹かれてじゃなくて足で行くんだよ、と大輝殿は言ったが、おまわりさんは、よくわからないよと答える。

「それに注意した方がいい。近頃、カラスが出るんだ」
「カラス?」
「町の上空を旋回してる。クチバシで突っついて、空気の入った人たちを破裂させて回ってるらしい。かなり危ないという話だ。あまり出歩かない方がいい」
「そうなんだ。じゃあ、空気、入れない方がいいですか?」
 大輝殿が空気入れを掲げると、おまわりさんはそうだねと言う。
「空気が入っていなければ、突っつかれても割れないからね。そういう意味では、あの子に空気を抜かれちゃったのは良かったのかもしれない」
「亮太のこと?」
「知ってるのかい? ひと月ほど前やってきて、いきなり空気を抜いていっちゃった。こら、逮捕されたいのかって注意したけど、できるもんならしてみろって返されちゃってね、そのまま抜かれちゃったんだ。まあ、できないんだよね逮捕、私。風船だから」
「亮太がご迷惑おかけしました」
 大輝殿がぺこりと頭を下げると、おまわりさんは笑う。
「以前は、ときどき空気を入れてくれる優しい子だったんだよ。でも、いつの頃からか、ちょっと扱いの難しい子になっちゃってね。馴染めない子っていうのはいるよね」

 話を聞きながらうなずく大輝殿の顔は、どこかさびしげなのである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み