遺愛鈇看忌

文字数 1,346文字

 気が付いたら海だった。いや、正確には海岸だった。何もゴミの落ちていない綺麗な海岸だった。そして、濁りのない綺麗な海だった。一体、ここは何処なのだろう? 海辺と言うこと以外、何も分からない。海岸沿いに歩いて行けば、誰かに会うだろうか? そうでなければ、この場所には何の手掛かりもない。
 海岸沿いに歩いても歩いても、誰にも遭わなかった。いや、それどころか鳥も飛んでいない。海岸に打ち上げられた海草すら見当たらない。本当に、ここは何処なのだろう。



 歩けども歩けども、人に出くわさない。これは、自分の居る場所は無人島の類と言うことなのだろうか。ならば、どうやって此処まで来たのか。それが、全く思い出せない。記憶の糸を手繰れども手繰れども、その先には何もない。ただ、とても大切なことを忘れているのだけは確かだ。
 海とは逆側を見るも、コンクリートで固められた急斜面。いや、コンクリートが使用されているならば、人の手が入っているだろう。コンクリートは、雨風で徐々に風化する。表面がボロボロでない辺り、あまり昔では無い、そんな時間に人の手入れがなされている筈だ。
 人の居る場所へ続く道を探し、海岸を更に歩いた。おかしい、ずっとコンクリートの急斜面が続くばかりで、道が見つからない。海とコンクリートの壁に挟まれたエリアを、歩いても歩いても道が見つからない。
 それに、妙に静かだ。細波の音はしている。だが、細波の音しか聞こえない。草木の擦れる音や風の音、それすら聞こえてこない。
 自分の胸に手を当て考える。ここに至るまで、何が有っただろうか? けれど、何も思い出せなかった。仕方なく、少しでも手掛かりを探そうと海岸を歩き続けた。

 海岸を、ぐるぐるぐるぐる。いや、回っているのかも謎である。だが、迷いの森の類は回っているのではないだろうか? そんなことを考えながら進むと、そこには小屋が在った。海の家にしては小さく、それでいて物置小屋よりは大きい。もしかしたら、誰か居るのではないかと淡い期待を抱きながら、小屋を覗いた。
 小屋の中には、木製の机が在るが椅子はない。また、神棚と思しき装飾を施された箱。人の気配はない。木製の机の上には、様々な食べ物が乗せられたプレート。だが、食べ物と認識したそれが、食べ物と思ったそれが、何という料理名なのかは全く分からない。



 味は分からない食べ物。だと言うのに、凄く魅力的だ。何時作られたかすら分からない食べ物。材料が何かも分からない食べ物。なのに、物凄く惹かれてしまう。これは、この小屋の所有者が用意した食べ物なのだろう。だが、食べ物を用意した当人は見当たらない。
 小屋に別の部屋が無いかと探れど、廊下に続くドアどころか窓もない。全くもって、理解できない。小屋の中で、誰かが来るのを待った。だが、誰も来なければ気配もない。物音がしなければ空気の流れも無い。ただ、机の上の食べ物だけが、やたらと魅力的に思えて仕方が無かった。
 これ以上小屋に居たら、食べ物に屈してしまいそうだ。だから、誰かが戻ってくると言う期待を捨て、小屋を出た。すると、何故か海とは逆側に伸びる小道を発見した。この小道、小屋に入る前は無かった。いや、進行方向から死角だっただけだ。これで、海岸からは離れられる。
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