第3話

文字数 896文字

あの日、香織が放課後の音楽室で弾いた曲は、真由美が今まで聞いたこともないものだった。途中で演奏が途切れがちになったり、もたつくところもあったが、その調べは朝の陽光のように明るく、ところどころは昼間の青空の下でステップを踏みたくなるほど軽快で、そして最後は夕暮れの胸に染み入るような甘さが伝わってきた。それがジャズだと真由美は初めて知った。
初めて作曲したの、どう思う?そう尋ねる香織の頬は薄っすら赤みを帯びていた。真由美がとても良いと感想を述べても、彼女は納得せず、おかしいと思えるところがあったら何でも言ってとせがんだ。
どうしてそんなにこだわるの?真由美は聞いた。香織の顔がみるみるうちにりんごのように赤くなったのは、外の暮れていく夕日が差していたからだけではないだろう。彼女はやっと吉川という合唱部で指揮をしている同級生の名をかすれた声で口にした。どうやら明日、式の後に二人きりになって彼に聞かせるらしい。真由美は、微笑みながら香織の肩を押し、頑張って、と励ました。


「実は式の後聞いてもらったら、彼、ボソッと『いいんじゃない』といったきり、あたしを音楽室に置いてきぼりにしたのよ!だからてっきり振られたと思って、真由美には黙っていたの」
そこで香織は一呼吸置くと、
「それから音大に上がってから、彼とまた再会して、ちょっと付き合ってた。今度は君のジャズがもっと聞きたい、って言われたから」
「へえ、そんなこと言われたの」
「でもまたしばらくして、彼が就職したら、お互い急に忙しくなって、ある日二人で大喧嘩しちゃったのよ。そうしたら彼、あたしの家から出て行ったきり、帰ってこなっかったわ」
香織は、ため息をついた。
「まだ彼のこと、想っているの?」
「まさか!あんなクズ、もうあたしとは何にも関係ないわ」
そう吐き捨てながらも、香織の顔がこわばっていたのを真由美は見逃さなかった。香織の両手には今、いくつもの指輪が目に入るが、左手の薬指には何もはめていない。ひょっとして、あの人付き合いの悪かった彼女が今日同窓会にわざわざ来た理由は……。真由美の頭にふと、こんな考えが浮かんだ。

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