山の中、霧の中

文字数 2,503文字

 気がつくと、庭の縁側に座っていた。日本庭園風の庭で、半径二メートルほどの小さな池に赤と白のマダラ模様の鯉が泳いでいる。あたりは霧がひどく、あまり遠くまで見渡せない。家の門の方から声がした。聞き覚えのある声だった。私は靴を履いて、家の門まで歩いて行った。門の近くまでくると、「おーい」という声が大きくはっきりと聞こえた。友人が二人、門の外で手招きをしながら私を呼んでいた。
「ここはどこだろうか?」 
 と、私は二人に尋ねたが、二人は首をかしげるだけだった。
 先ほどまでひどい霧であたりがほとんど見えなかったが、今はいく分見えるようになってきた。どうやら、この小さな日本庭園付きの家は、山の中にぽつんと建っているらしかった。周囲には他の家は見当たらず、山の斜面と森が広がっているだけだった。
「今日もどうせ雨だな。」と、唐突に友人の一人が言った。
「この辺が?」私がそう言うと、
「いや、学校の方がだよ。ここのところ、いつも雨なんだ」と友人の一人が答えた。
なぜ唐突に学校の方の天気の話になったのか、少し不思議に思ったが、友人二人は特に気にもせずに山の斜面の方に歩いて行ったので、私もそれに着いていくことにした。
 少し先の木々の間に、鹿がいた。私は、鹿のいる方を指差して、友人二人の肩を叩いた。二人は特に驚いたりせず、鹿の方を見ているだけだった。普段であれば、私と同じように、鹿のいない都会で生活をしている友人二人は、鹿や野生動物を見れば驚いて興奮しそうなものだが、特に無反応だった。私はこちらの気配をさとられないように、しゃがんで鹿の様子をうかがおうとしたが、友人二人は、そんなことはお構いなしに、森の中、鹿のいる方へと歩いていってしまった。私も彼らに着いて行こうとしたところで、鹿のいる方とは反対方向からドドドドという地鳴りが聞こえてきた。私は足を止めて、音のする方を見た。猿の大群がこちらに向かって走ってきている。私は猿の大群の進路を避けるように脇に尻餅をついた。怒涛のような猿の群れが、目の前を一瞬で通り過ぎていった。
 いったい何だったのだろうか、と考えていると、今度は、私の背丈よりも体長の長い巨大なワニが、猿の群れを追いかけ、ものすごい速度で地面を這っているのが見えた。私は驚いて、また恐怖して、地面を這いながら、やっとの思いでその場から離れた。しかしながら、私の努力も虚しく、ワニは急に猿たちを追う足を止めると、私の方にぐいと首を向けた。うねうねと四肢を動かしながら、木々の間を縫って、こちらにものすごい速さで近づいて来る。
 私は全力で逃げた。しかし、ワニの方が走る速度が速く、徐々に距離が縮まってきた。ワニに追いつかれる直前、私は右に飛んで避けた。ワニは急にその前進する巨体を止めることができず、直線に走っていったが、目の前は急斜面になっていた。ズザザザザッと勢いよく音を立てて、滑り落ちていく。私は震える体をなんとか起こして、下の方を覗き込むと、五メートルほどの急斜面の下に、巨体を唸らせて怒りの唸り声を上げるワニがいた。ただ、懸命に四肢を動かしているが、突起物のほとんどない急斜面のため、登ってくることはできないようだった。しばらく見ていると、ワニはおとなしくなって、その場で動かなくなった。
 私はその場に座り込んで、ほうっと一息ついた。その時だった。足場の地面が崩れた。私は急斜面から落ちそうになりながら、その瞬間、なんとか両手で斜面の端をつかんで滑落を免れた。ただし、体は斜面に投げ出された状態で、私は必死に両腕に力を込めて、体を引き上げようとした。が、先ほど走り回った影響か、思った以上に体が疲れていて、自身の体を引き上げることができない。何とか、その場でわずかな突起にしがみついているのが精いっぱいだった。斜面の下をちらと見ると、おとなしかったワニが、歓喜のうなり声を上げ、必死に斜面を登ってこようと、元気に全身をくねくねと動かしている。
 いよいよ腕の感覚もなくなってきた。ああ、下のワニに食われてしまう。。そう思った、まさにその時、私の手を何かが力強くつかんだ。見上げると、先ほど鹿を追いかけ、どこかに行っていた友人の一人だった。友人はわたしの片方の腕をつかみ、思い切り引っ張り上げようとする。しかし、足元が悪く踏ん張りが効かないのか、なかなか引っ張り上げられない。それに友人の足元も崩れてきていた。もうダメだ。そう思ったところに、もう一人の友人も現れ、私のもう片方の手を取った。友人二人は渾身の力で、一気に引っ張り上げてくれた。
 私は無事に斜面の上に救出された。
 ワニはいまだ四肢を激しく動かして、斜面を登ろうとしている。見ると、ワニの大きく裂けた口の周りにはべっとりと血がついていた。おそらく、さっき追いかけていた猿の群れの中に犠牲になった猿がいたのだろう。私はその姿を見たとき、ゾッとしたと同時に、助かった、とホッとした。
 「もっと安全なところに行こう」と友人たちに声をかけようと振り返ると、2人の姿が見えない。どこに行ったのだろう。叫んで呼ぼうとするが、そこで、陽が落ちてあたりが急に暗くなっていることに気が付いた。私は怖くなって、家に戻ることにした。あたりが暗闇の中、少し遠くのほうで、ぼうっと薄く光るものが見えた。おそらくあれが家だろう。暗い夜道をしばらく手探りで歩いていく。背筋がぞっとして寒気がした。幸い、家には数分でたどり着いた。家の鍵はなぜだか空いていた。日本庭園風の小さな庭を横切り、疲労困憊の体を動かして、縁側から家に入った。はて、この家は結局誰の家だったかな、という疑問が頭の片隅に浮かんだが、極度の疲労から、私はすぐに目の前のソファに横になり、眠りについた――。
 

 翌朝、目が覚めるとすごくお腹が空いていた。
テーブルの上にバナナとりんごがあったので、齧り付いた。急いで食べたので少しむせた。
窓から外を見た。霧の濃い朝だった。庭の小さな溜め池で、鯉が1匹泳いでいた。どこからか、私を呼ぶ、聞き覚えのある声が聞こえた気がして、冷や汗が一筋、背中を流れるのを感じた。
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