ヘイっ!

文字数 4,990文字

「あ、宇宙人でもいいよ。」
 俺が中二、姉ちゃんが高一。確か、夏休みの前日だったと思う。何がきっかけでそんな話になったのかは、覚えていない。ただ、もしも俺たちに恋人ができたらという話の流れで、オカンはその相手が男でも女でも外国人でも「構わん。」と言った。それだけでも、オカンらしいなぁと思ったのに、最後にそう言ったもんだから、俺と姉ちゃんはとりあえず笑って聞き流した。今考えると、それくらい俺たちを信用しているという意味だったんだろう。あの頃の俺だって、言葉そのまま、オカンが本気でそう思っているとは夢にも思っていなかった・・・ただ、姉ちゃんは違った。 
 姉ちゃんがあの恋人をオカンの家に連れてくると聞いた時、姉ちゃんと俺の解釈のずれを知った。オカンの、「宇宙人でもいいよ。」は、もちろん現実になる体ではない。そのつもりで「宇宙人でもいいよ。」と言ったはずだ。だったら、オカンはどうするんだろう。
「今、何時?」
「え?」
 キッチンから出てきてオカンが言った。俺は、オカンの顔を見る。リビングの壁に大きな時計があるのに、それを見る事もせず、ダイニングテーブルの上に並べられた、自分の手料理を舐める様にして見ている。何のチェックだろうか・・・いや、単に時計を見る余裕などないのだろう。
「六時三十八分」
 俺は、そんなオカンの代わりに時計を見て答えた。
「そう。」
 オカンは呟く様に言った。
 俺が実家に帰ってくるのは一年近くぶりだった。十八歳で家を出て、実家からバスで一時間くらいの町で一人暮らしを始めた。その時から働いているコンビニで雇われ店長になったのは二年前。仕事が忙しいので、近距離でもなかなか帰って来れなかったけど、今日は休みを取って帰って来た。母子家庭で育った俺としては、重要な場面には立ち合う責任のようなものが自分にはあると感じていたからだ。
「七時っち、遅いね。」
 オカンはやっと料理から目を離し、ダイニングテーブルに着く。俺の向かい側ではなく、俺の隣に並んで座る。
「仕事が終わってからやけ、仕方ないやろ。」
 俺は椅子を少し横にずらしながら言った。
「あんたも、ごめんね。わざわざ休み取って、来てもらって。」
「それ、何回言うん?」
 そう言って、俺は軽く笑うとトイレに行きたくなり、席を立った。
「宇宙人っちさ・・・こんなもん食べるんやろか?」
 迫り来る時間を前に、出来るだけ現実を遠ざけようとしてきたが、絶望的な気持ちに手首を掴まれた。尿意は引っ込み、俺はゆっくりと椅子に座り直す。
「てか、宇宙人とか何かの冗談やろ。」
 俺は、大袈裟に笑って言う。
「毎回、わざわざ写真に細工でもしたん?あれは、どう見ても人間やないやろ。」
 オカンにそう言い返されて、姉ちゃんが送ってきた写真を思い出す。照れ臭そうに笑う姉ちゃんの頬にピッタリと頬?あれは、頬か?そのような部位をくっつけて笑っている?いや、あれは笑っているのか?きっと笑っている類の表情の恋人が写っていた。全てが未確認のため、いちいち疑問符が付く。
 その写真を送って来た姉ちゃんは、恋人はサンタクロースという有名な歌のタイトルの様に、
「恋人は宇宙人」
 と言った。冗談だろうと思ったが、それ以降も度々、姉ちゃんが送ってくる恋人の写真や話から、冗談ではなさそうだという結論がほぼ出ている。そして、それは間もなくして確定するだろう。
 ピンポーン
 家中に響くインターホン。
 俺とオカンは、体がビクっと反応して、シンクロのように光るモニターを見た。遠目でわかる。姉ちゃんだ。姉ちゃんの顔が見えたわけじゃない。散々、写真で確認してきた恋人がモニター越しでもグロついていたからだ。
「はーい。」
 オカンは、椅子から立ち、玄関へ向かう。
 ガンッ
「痛っ。」
 オカンがリビングを出ようとした時、ドアに足の小指をぶつけて、一瞬うずくまった。だがすぐに立ち上がると、再び玄関へ歩きだす。
「オカン、大丈・・・夫・・」
 俺も慌てて、オカンの後を追う。
 オカンは玄関のドアノブを握ったまま、静止していた。やはり足の小指が痛むのか・・
「オカン・・大丈・・・」
 俺がそこまで言うと、オカンは急に背筋を伸ばし、ドアを開けた。まるで、何かを払う様な勢いだった。
「ただいま。」
 姉ちゃんが、幸せそうに笑っている。今の俺たちの心情から程遠い表情がドアの先にあった。そして・・・その隣に、恋人がいる。確定だ。ほぼではない。紛れもなく確定だ。写真で見るよりなんか・・・水っぽい。残念ながら、顔はマスクを取ったプレデターに酷似していて、体は足を伸ばしたETの様だ。スーツを着ているから、そこから出た手足のグロさが誤魔化されているような気がしなくもない。体液なのか、何なのかスーツの所々がヌメっとしていた。
「おかえり。どうぞ入ってー。」
 オカンは呆然と立ち尽くす俺に構う事なく、笑顔で二人を招き入れた。俺は、ハッと我に返り、邪魔にならぬよう、身が縮こまる。俺の前をオカンも姉ちゃんも、そして恋人も通り過ぎてリビングに入っていく。俺は、恋人が通過してできた、ローションの様な液体を避けながら後に続いた。
 姉ちゃんと恋人はダイニングテーブルに用意されたオカンのご馳走様を見下ろしている。そんな二人を見たオカンはにっこり笑って言った。
「とりあえず、座って、食べよう。お腹空いたやろ?」
 オカンの向かいに姉ちゃんと恋人が並んで座る。俺は、オカンの隣に座った。
「お母さんごめん、こんなに用意してくれたのに、ヘイはご飯食べれんのよ。」
 姉ちゃんがそう言うと、恋人のヘイ・・は頭を下げた。その時、ネチョっと音がした。
「あぁ、やっぱりね。先に聞いとけばよかったわ。」
「いや、言ったよ。」
「あ、そうやった?ごめんごめん。」
「私、後で食べたいけ、持って帰るわ。」
「うんうん、そうしたらいいよ。じゃ、下げてしまおう。」
 オカンは立ち上がると、料理をキッチンに下げ始める。姉ちゃんもそれを手伝った。俺も何かしようと、ヘイの目の前に置かれた皿に手を伸ばす。その時だった。ヘイの額と思われる部位から垂れてきた体液が俺の伸ばした手の甲に落ちてきた。俺は叫び声を上げそうになったが、オカンが目にも止まらぬ速さでエプロンから布巾を取り出して、俺の手から体液を拭き取った。
「死にゃーせん。」
 オカンは一言そう言うと、またにっこり笑って他の料理も下げていく。俺はヘイの皿から手を引いて、大人しく腰を下ろした。
 全てが去ったテーブルには、ヘイの体液以外、残っていなかった。きりがないので、おかんはヘイの体液を拭く事はしなかった。
「夏芽から、あなたの話は聞いてますよ。とてもいい方みたいで、良かったです。」
 オカンはヘイに笑いかけながら言った。
「ナツメ、イイニンゲン」
 ヘイが喋った。カタコトの日本語だが、ちゃんと言葉だった。声はほぼ、ボビーオロゴンだ。
「あはは、そうですか。」
「ヘイはね、とにかく優しいんよ。いつも私の味方でおってくれてね、一緒におって鬱々するような気持ちも無くなったんよね。」
 それはいい事だ。年がら年中梅雨時ですの姉ちゃんが、太陽のような明るさだ。本当に幸せそうに見える・・うん・・・良かった・・はぁ・・よかった・・はぁ・・あれ?なんだ、これ・・何かドキドキする・・顔が火照ってきた・・どうしたんだろう、胸が苦しいな。
「そうね、それは本当良かったやん・・ヘイさんのご両親にはもう会ったん?」
 俺は答えが気になり、胸を押さえながら姉ちゃんを見た。
「それは・・」
 姉ちゃんが何か言おうとして、ヘイはそれを遮るように話し出す。
「ニンゲン、チガウ。オカサン、オトサン、イナイ。」
 喋るヘイを俺は見ていた。蟹の腹のような口の部分が大きく開き、周りの触覚のような足が話す度にウジャウジャした。その一本一本が見た事も無いような色で光沢していて、美しい芸術作品の様だった。ヘイを見ていると、俺の鼓動はどんどん早くなった。胸が苦しい。愛おしさでその触覚に触れたくなる。
「大丈夫?」
「え?」
 オカンが心配そうに俺を見ている。
「あんた、何か息が荒いけど。」
「はぁ、はぁ、何でやろ・・はぁ。」
「なんか、私もさっきから暑いんよね、はぁ・・おかしいね、窓開けようか。」
 そう言ってオカンが椅子から立ち上がった時、ヘイの腕がニョキニョキと伸びて、リビングの窓を器用に開けた。俺とオカンと姉ちゃんはそれを見るなり、
「かっこいい。」
 と口を揃えていた。
「え?」
 俺はそう言った自分に驚いて、姉ちゃんを見る。姉ちゃんはうっとりした顔でヘイを見つめていた。俺の言った事など気にしていない。何だか不安になって、オカンを確認する・・信じられない・・おかんも恍惚とした表情でヘイを見ていた。一体何がどうなっている?俺は苦しい胸を押さえながらヘイを見た。ヘイの口元で触覚はゆっくりとうねり、瞳の無い白い目は苦しいそうな俺を捕らえている。その間も、あの体液は滴り落ち、テーブルを汚していた。ベチョッと音がして、不快なはずなのに卑猥な気持ちになる。
「シゴト・・タイヘン、ダイジョブ。ワタシ、イツデモ、マモル。」
 オビーオロゴンの声だと思っていたものはエンヤの歌声に変わっていた。脳内で反響し、優しさに包まれている。俺は心から
「ありがとう。」
と言った。
「ガンバリスギナイデ。」
 俺はヘイの言葉に胸が締め付けられ、涙がこみ上げる。
「ヘイは優しいね、いい子やわ。お母さんも好きになりそう。うふふふふ。」
 おかんの気持ち悪い笑い声に頭を叩かれた。涙は引っ込み、ほどかれた心身は締め直される。俺は頭を振り乱し、どう考えてもおかしな状況を整理する。どうしたんだ。何なんだこの気持ちは、
「好きだ。」
 無意識に結論を口走っていた。
「俺も、ヘイが好きだ!」
 いや、もう叫んでいる。実家の中心で宇宙人に愛を叫んでいる。
「はぁ?・・・あー、あんたもしかして。」
 姉ちゃんは何故か呆れた顔をして立ち上がると、俺の手を引っ張って風呂場に連れて行く、一体何だと言うのか。
「何処よ?」
「え?」
「どこに付いたん?」
「何が?」
「ヘイの液、付いたんやろ?」
「あ、さっき手には付いたけど。」
「その手、出して。」
 俺は言われたまま、ヘイの液が付いた右手の甲を差し出す。姉ちゃんはシャワーを出すと、ボディソープで俺の手をごしごしと洗う。シャワーのお湯で泡は綺麗に流れていき、排水溝に吸い込まれていく。その様と同じに俺の動悸は消え、火照る体は冷め、視界が鮮明になっていった。
「どう?まだ好き?」
「え?誰を?」
「ヘイよ!」
「ヘイ?いやいやいやいやいや、ないないない。」
「そうやろね。ヘイのバカタレ、変な液だしてから。」
 姉ちゃんはため息をつくと、洗面所のタオルで手と足を拭き、そのタオルを乱暴に俺へ投げつけた。俺の足元に落ちたそのタオルを拾い、同じように手と足を拭くと、リビングに戻る姉ちゃんを追った。
「えっ」
 姉ちゃんがリビングの開いたドアの前で突っ立っている。俺はどうしたんだろうと姉ちゃんの真後ろまでいく。姉ちゃんが突っ立って見ていた光景が目に入って来た。
 おかんとヘイが抱き合っている・・・・
「おかん!」
 おかんは俺の声に驚いてヘイから離れた。
「お母さん、ヘイの事、好きになったわ。」
 顔を赤らめ、体をくねくねさせながらそう言うおかんは、ヘイのヌメった体液よりもはるかに気持ちが悪かった。
「シャワー浴びさせたがえぇわ。」
 姉ちゃんはそう言うなり、くねくねするおかんの腕を掴み俺に引き渡した。
「風呂場、連れてって。」
「わ、わかった。」
 俺はおかんを引き受け、そのまま風呂場に向かった。背後で
「ヘイッ!」
 と言う、犬をしかりつけるような姉ちゃんの声を聞く。とんでもない宇宙人だ。体液で人を恋に陥れるとは。
 俺はおかんに事情を説明し、シャワーを浴びてもらう事にした。さすがに一緒に入るわけにもいかないので、脱衣所から出て扉を閉める。少しして、風呂場の扉が閉まった音がする。すぐにシャワーが流れ始めた。俺は凄く疲れた気分で、その場に座り込む。
 あの液で地球を侵略しにきたとしたら相当な策士だな。
 シャワーの音が止んだ。風呂場のドアが激しく開く音がする。
「お母さん、やっぱり宇宙人は無理やわ。」
 
 【完】


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