思う壺

文字数 2,000文字

「もう本当にね、久寿軒さんの思想を全部言葉にしていただければと思います。大丈夫です。少々ヒートアップされたとしても、編集でカットもできますし、忌憚のないご意見をお聞かせください。久寿軒さんの、なんていうのかな、魂の叫びですかね、真実の語りというかな、そういうものを視聴者は求めているんです。ええ、もちろんぼくもその一人です。久寿軒さんの口から生まれた言葉には力があります。言霊というのかな、なにかが宿っていますよ。感じます、ええ、間違いなく。だからね、台本なんてものは要らないんですよ。ぼくはね、あえて用意しませんでした。そんな作り物があるとね、本質というのかな、うやむやになってしまいます。久寿軒さんにはそんなものは必要ありません。今日はね、久寿軒さんのすべてをさらけだしていただきたいです。どうぞよろしくお願いいたします!」
 わたしがなにか言うより先に、中年のディレクターは「はい、そろそろ本番だよ!」とスタッフに向かって声を張りながら行ってしまう。
 スタジオに設営されたセットはシンプルなものだった。白い壁、白い床、白い机に白い椅子。わたしは一人そこに座って、じっとカメラと対峙している。あれが回りはじめたらスタート。思いを語りはじめなければならない。
「久寿軒さん! 緊張も遠慮も要らないですからね、もう本当にね、かましてください!」
 ディレクターがにこやかに振りかえり、わたしもあいまいに笑みを返す。台本はないが、番組概要が簡潔に記された一枚紙だけは渡された。
【新番組・思う壺 初回ゲスト:久寿軒壮一郎 偉大なる思想、偉大なる功績で多くの人々を魅了し救済してきた久寿軒氏。キリバスでの講演会や代々木公園でのライブなど、その活動は幅広い。今宵、氏の魂の叫びと共鳴し、最前線の多様性を開拓する】
「久寿軒さん! 期待してますよ!」
 この一本気なディレクターに何度も何度も「わたしは楠木です」と言ったが「わかってますよ、久寿軒さん!」と返されて、こんな状況に陥っている。
 久寿軒という字面を見て驚いた。こんな珍しい苗字があるのか、いや芸名か、いやいや芸名っていうかこいつ何者だ?
 愕然としながら概要を幾度となく読みかえしても、ヒントのかけらも見当たらない。というか胡散臭さしか読みとれない。具体的になにをしている人物なのかがさっぱりわからないのに、やたら崇められている傾向には危険なにおいがする。
 クスノキ違いです、と言おうとしたら、長いわりに空っぽな冒頭の説明に押しまかされてしまった。久寿軒氏の顔くらい見分けられないのか? それともわたしはそんなに久寿軒氏に似ているのか? もしくは顔出しNG? 本日解禁か?(別人だけど)
「久寿軒さん! ちなみになんですけど、このスタジオ次の予定ないんで、もう本当にね、いくらでも話してください」
「いえ、あの、わたし今日ヨーグルト……」
「もちろんね、途中休憩入れますし、ヨーグルトご所望ならご用意いたしますんでね」
 特売のヨーグルトを買いに行く途中で捕まったのだ。その未練さえもあっけなく蹴散らされてしまう。
「では、本番まいります! 五秒前、四、三、二……」
 ディレクターが無言で手を振る。サイケデリックな音楽が流れ、目の前のモニター画面に【思う壺】という妙に間の抜けた文字がぽこぽこ浮かびあがる。そもそもなんなんだ、この番組名は。誰の思う壺なんだ? ディレクターの? 視聴者の? わたしの? あなたの?
「あっ……クスノキ、です。初回のゲストに呼んでいただけて、光栄です。ええと、わたしの思想、というか座右の銘ですけども、罪を憎んで人を憎まずみたいな感じですね。何事も、その、人に対して寛容にと言いますか、動じずに、対処することです。そうですね、例えば人違いをされて、よくわからない物事に巻きこまれたとしても、まあ、怒らずに、きっとなにか意味があると……意味はあるはずだと、そう思いたいものです。すべてのことに意味は、きっとあると。どんなに小さくても、なにか意味はあると。そうじゃないと、なかなかやっていけない時代と申しますか、世の中と申しますか、真っ新な気持ちで、何色にも染まれるようなゆとりを持って……そう、ヨーグルトみたいな。ヨーグルトは体にいいですし……」
 だらだらと取り留めのない話を垂れ流しにして何分経過しただろうか。ディレクターが「はい、一回休憩入れます!」とタオルを投げいれた。わたしは瞬間、肩で息をした。途切れ途切れのつたない話し方のくせに、無意識に呼吸を止めてしまったようだ。
 ディレクターがつかつかと靴を鳴らして近づいてくる。口を真一文字に結んだ難しい顔で、わたしを凝視してくる。
「あの……お気づきになったかと思うんですが、わたしは」
「いい」
「え?」
「最高です!」
 ディレクターは親指を力強く立てて、にかっと黄ばんだ歯を見せた。
 最高かよ。
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