季節は、冬。
雪がちらちらと降る庭園が見える縁側でずっと膝を抱えていると、寒さに強いぼくでも、手足が凍えてくる。
はぁー、と真っ赤になった指先を息であたためて、からだをきゅうっ、と丸めた。
眉をはの字にして、ここからは少し離れたところにあるシロ様のお部屋を見つめる。
いつもは、ずっとふたりでいられるお部屋。でも、今日は『だめ』なんだ。
今晩は、『満月』だから。
✿✿✿✿✿
シロ様は王子様だからか、もののけのちから――妖力――がすごく強い。
妖力って、お月様の力にものすごく影響を受けやすい。
普通なら、満月だととっても体調がよくなるのだけれど、シロ様の妖力は、あまりに『強すぎ』て。
満月の日は、他のもののけの妖力や『穢れ』を敏感に感じとりすぎてしまって、よく熱を出してしまう。
今、寝込んでしまっているシロ様のお部屋には、お医者様と、特別に認められたひとしか入れない。
あと、ぼくにはもうひとつ、入っちゃ『だめ』な『理由』があるんだ。
『よそもの』のぼくは、「けがらわしい」んだって。鬼の国の偉いひとたちが言っていた。……だから、「だめ」。
でも、クレナイ様だけは、「むしろあの犬っころを部屋へぶち込んだほうが、シロは元気になるんじゃないか? ああでも、いろいろトんでるだろうから、犬っころのが危険かな……」って言ってくれていたって、コガネ様が教えてくれた。なにが危険なのかぼくにはよく理解できないけれど、やっぱりクレナイ様はきっと、優しいひと、なんだと思う。シロ様が恋をするのもわかってしまう。
あっ、えと、コガネ様っていうのは――……。
✿✿✿✿✿
「じゃあ、お大事にしなさいよ〜」
噂をすれば、独特な甘やかさのある渋い声とともに、大きくてたくましいからだのオスの鬼が、シロ様のお部屋から出てきた。
「コガネ様!」
このひとが、コガネ様。鬼の国一番のお医者様で、いつもたくさんの鬼たちを、けがや病気から助けている。
金色の髪をおかっぱに切りそろえていて、口には真っ赤な紅。つややかな紫のドレスの上に白衣を着こなす、とってもおしゃれなお兄さんだ。
「あら、クロちゃん! あったかいお部屋にいなさいって言ったでしょぉ、もう〜。こんなに冷たくなって〜……」
手に持っていたお医者様の道具がいっぱいつまった革のかばんを、さっと横へ置いて、とても大きな手で、ぼくの両手をがしがしさすってくれる。お仕事柄、お水をいっぱい使うからだろう、その手のひらはすごくがさがさしていたけれど、心までぽかぽかするくらい、あたたかかった。
「ありがと、です。……ちょっとでも、シロ様の近くがよくて。あの、シロ様のお加減、どうですか?」
「そうねぇ、やっぱり少し熱はあるけど、今回は大分楽だって仰ってたわ」
「よかった……、いや、えと、シロ様がほんの少しでも苦しいのは全然よくない、ですけれど!」
「――本当に、シロ様は幸せ者ね」
「えっ、そんな……」
「あーあ、アタシもこんな風に心配してもらいたーい! セクボのイケメンだったら尚よし♡♡」
たくましいからだをぎゅうう、とその腕で包みこみ、くねくねするコガネ様。
オスの鬼もメスの鬼もみんな、コガネ様のいないところで、そんなコガネ様のことを「みっともない」って『わらう』。ぼくはそれが耳に飛びこんでくると、いつもしゅん、としてしまうんだ。だってぼくは、コガネ様はだれよりも――……。
✿✿✿✿✿
そのまま5分くらい『アタシの理想のイケメン論』っていうのを『熱弁』してくれていただろうか、コガネ様は、はたと我に返る。
「あらやだ、アタシったらまたやっちゃったわ。ごめんねぇ、クロちゃん。こーんなムキムキしたおっさんの癖トークなんて、気持ち悪いだけよねぇ……」
「そんな……!!」
ぼくは、とっさに反論していた。
「むきむきとか、関係ない、です! コガネ様はいつもとってもきれいでおしゃれにしてるし、優しくて、『たおやか』で……だれよりも『おとめ』です!!」
「……!」
コガネ様は目を見開く。ぼくは、ドレスと同じ色の、そのきれいな紫の瞳を、強く強く見つめかえす。だって本当に思うんだ。コガネ様はだれよりも素敵な『おとめ』だって。
「あーん、なんてカワイイの! 食べちゃいたい♡!!」
「そっ、それは困るですっ」
ぼくをがしっと掴んで、頭をなでまわすコガネ様。やっぱり力は強くて、ちょっと苦しい。
「そんなカワイイ子に、アタシからのプレゼント。はい、どうぞ♡♡」
「……?? これはなに、ですか?」
コガネ様は、すぐ横にあった革のかばんの中から、白いお洋服のようなものを取り出して、ふふん、と得意げにぼくへ渡してくれた。
「白衣よ、アタシたち医療担当の鬼が着てるのと同じ。穢れを祓う術がかけてあるの。ちゃんとクロちゃんに合うサイズだし、尻尾の穴も開けてあるのよ♪お風呂でも入ってこれを着れば、上のオヤジどもも文句なんて完全に言えなくなるでしょ! 全く、クロちゃんの何がけがらわしいのかしら。あいつらこそ、あの真っ黒なお腹を綺麗に洗って、出直してほしいわ!!」
「あ、あはは……?」
ぼくは手渡された、優しい香りのする白衣をぎゅっと握って、つぶやくように訊く。
「本当に本当に、ありがとうです、コガネ様。でも……どうしてこんなに、ぼくに優しくしてくれる、ですか? ぼくは、『じゃまもの』、なのに……」
おずおずしながら尋ねると、コガネ様は、ふふっ、と勝気に笑って、大きなからだをぼくの耳によせ、ささやいた。
「『オトメ』ってね、恋する子を応援したくなっちゃう生きものなのよ♡」
「……え」
ぼくは目がまん丸になる。どうしてわかってしまったんだろう、ぼくのシロ様への気持ち。
「ち、違う、です、そういうのじゃなくて、ぼくは、あの」
「アタシは応援してるわよ? 誰かを大切にしたいと思った気持ちはそれごと、大切にしてあげてね♪」
後ろ手に手をひらひらさせて、去ってゆくコガネ様。
ぼくは心がくすぐったくなるくらいうれしくて。コガネ様が見えなくなるまで、深く深く、お辞儀をした。
✿✿✿✿✿
シロ様に病気をうつさないよう、お風呂でからだを隅々まで、きれいに洗う。
ぷるぷると全身の水をほろって、からだを拭くのもそこそこに、新しい着物へ袖を通そうとしたとき。
「……あれ、もしかして……?」
ぼくはその名案に、目を輝かせた。
✿✿✿✿✿
「――ん……」
「ご、ごめんね。シロ様。そっとしたつもりだったんだけれど……」
シロ様のおでこの濡れ手ぬぐいを替えていたら、シロ様が目を覚ましてしまった。
「……クロ……? 別室に、いるはずなのに……これは、夢……?」
シロ様は、まだちょっとぼんやりしているのか、目がとろんとうるんでいて、かわいい。
「本当に、本当のぼくだよ! えと、コガネ様が白衣を作ってくれたの! シロ様が、『穢れ』ない術もかけてくれて……!!」
「『穢れ』、なんて、あなたには……。……ああ、嬉しい。確かにこれは、クロのぬくもり。あとで、コガネにお礼を……」
ぼくの手を握ったシロ様は、ようやく意識がはっきりしてきたみたいで、ぼくをそのお月様色の瞳に、はっきり認める。
「……って、クロ!? びしょ濡れじゃないですか!?」
心底驚いた様子で、お布団から飛び起きたシロ様に、ぼくは、そういえばそうだったなぁ、と、自分のからだを見返しながら答えた。
「あっ、うん。早くからだきれいにして、シロ様に会いたかったから! 拭いてる時間がもったいなくて……」
「そ、それは嬉しいですが……、っ!?! しかもクロ、そそ、その白衣の下、素肌……、っ!!!?」
「うん! ぼくのばい菌で、シロ様が風邪を引いちゃわないように! 『穢れ』を祓う白衣だけにしてみました! どやぁ、だよ!」
ぼくは自慢げに、立ちあがってくるっとその場で回ってみせる。
「〜〜っ!!!?!!?」
シロ様は、口をぱくぱくさせて、震えだしてしまった。その後、急にスっと下を向いたかと思うと……。
「シロ様?」
「……すみません、クロ。ちょっといいですか」
つぅっと涙を流し、ぼくに向かって、『合掌』した。
「シシシ、シロ様!!? どうしたの!?」
「ありがたすぎて……」
「ありがたい?!?」
「いえ、こちらの話です……」
……? よくわからないけれど、シロ様、悲しかったのかな。からだが苦しいのに、ひとりぼっちでいなきゃいけないなんて、きっと、……つらくって、さびしい。
「シロ様……」
お布団でからだを起こしていたシロ様に跪いて、そのすべすべの頬を、優しくなでる。
「もう、『孤独』、じゃないよ」
「……――」
シロ様は、せきを切ったように、ぎゅっとぼくを抱きしめた。そして少しすると、からだを離してぼくの目を見つめる。
その顔は、すごく切なそうで、あたたかかった。
「……クロ。そうまでして、私の傍にいてくれようとした気持ち、とてもとても嬉しかった。でもね、どうか躰をきちんと乾かして、着物を整えてきてください。このままではあなたが、風邪を引いてしまう」
「でも、その間、シロ様がひとりぼっちになっちゃう」
「大丈夫。私はその隙に、畳にでも頭を打ちつけて、心頭滅却していますから……」
「シロ様、落ち着いて! それは『控えめに言って奇行』だよ?!」
ぼくは、シロ様が頭を打ちつけはじめる前に、あわてて立ちあがる。
「えと、すぐ着替えてくるから! いい子で寝ててね、シロ様!!」
「クロ!」
「?」
「……ありがとう」
シロ様がへにゃっと、柔らかく笑った。
「……うん! これからはもっともっと、ずっと一緒だよ、シロ様!!」
ぼくはシロ様の胸に飛び込み、頬ずりしたい気持ちを抑えて、駆けだした。
✿✿✿✿✿
【おまけ】
後日、執務室には。
全快を果たし、わなわなと震えつつ、以下のように力説するシロと。
「濡れそぼった躰に白衣だけとか!! 据え膳かと思ったわ!! 迸らせるのを涙だけにとどめた私は偉すぎるよな、クレナイ〜!?!」
「はいはい、エラいな。ほんとエラいから仕事しろ」
相変わらず淡々と書類をこなす、クレナイがいたそうな。
【終】