第10話 ルイカと老騎士の願い③

文字数 2,985文字

 地平線へと沈みゆく夕日を浴びて、茜色(あかねいろ)に染まった地面に大勢の陰影が横たわる。

 長い年月を経て、(ようや)く完成と言える水準にまで漕ぎ着けることができたルイカオリジナル魔法【金ダライ召喚】は、見た目とは裏腹に極めて高度で繊細な召喚魔法となっており、理想的な音色を奏でるためにはタライの大きさは元より、高さ、タイミング、衝突させる部分など職人レベルでの調整が必要なのである。

「うーん……最後ちょっと音程がズレた気がする。精進せねば」

 反省することを忘れない勤勉なルイカは、後腐れをなくすためにモップの力を借り特別な範囲治癒魔法を発動し、その場に倒れていた者全員を全快以上に回復させると、ヤエヌの聖地へ向け出発する明日に備え、ライザーが用意してくれた客室で休息することにしたのである……


「ねえ、ルイカ……本当は気付いてるんだろ?」

 ふかふかのソファーの上にだらしなく寝そべり、(あらかじ)め用意されていた果実酒を注いだワイングラスを傾けるルイカに向かって、モップはライザーが話さなかったことについて尋ねる。

「まあね……」

 元気そうに振舞っていたライザーであったが、節々に見せる衰えまでは隠すことはできない。

「しかも、過度回復するためにタライまで落としちゃってさ」

 ルイカが発動した特別な範囲治癒魔法は、一般の治癒魔法での回復が困難な緊急の場面で使う応急処置的な回復魔法で、対象者を一時的にオーバースペックな状態にすることができるのだが、ルイカが全力を(もっ)て発動した今回の場合、その効果は数日間に(わた)り持続する。

「モップ、そういうこと言わないの」

 モップの解析魔法を発動したわけではないので断言することは出来ないが、ルイカはライザーの抱える症状に心当たりがあり、そのついでとしてライザーの冒険に同行することを決めたのだった。

「ふーん、後から後悔して泣いても慰めてあげないからね」

 モップはそう言うとテーブルに用意されていた魔石の欠片を全部平らげ、ガーネットがちりばめられたブレスレットに姿を変えるのだった。

「もう、モップったら、捨て台詞なんて何処(どこ)で覚えたのかしら。お母さん、行く末が心配だよ」

 ルイカはそう呟いてブレスレットを優しく()でると、明日に備えて就寝するのだった……


 老騎士の旅立ちとしては申し分のない好天に恵まれ、旅支度を済ませたルイカ達は大勢の人達に見送られながらギオバルト子爵邸を後にする。

「特に用事がなければ直接向かうけどいい?」

 ルイカ達を乗せた馬車は目的地であるヤエヌの聖地へ向け進路を取り、ギオバルト子爵邸から北東へ伸びる街道を進んで行く。

「ああ、それで構わんよ。今回の旅の目的は一つだからな」

 ガチガチのフルプレートで集合場所に現れたライザーを皆で必死に説得し、なんとか軽装にすることに成功したルイカだが、どれだけ説得しても愛用しているバスターソードだけは頑なに譲らず、馬車が揺れる度にライザーが背負っているバスターソードが御者台に当たってトントンとリズムを刻むのだった。

「了解。じゃあヤエヌの聖地到着まで体力を温存しておいてね」

 ルイカの愛馬である馬車馬ブランドンに先導され街道の終着点に到着したルイカ達は、そのまま休むことなくヤエヌの聖地へ続く道なき道を進んで行くのだった。

「……ルイカ、囲まれてるよ」

 街道が終わった所でカーバンクルの姿に戻ったモップが、指定席であるルイカの肩の上で立ち上がると声を上げる。

「これは人の気配だな……野盗か?」

 旅にはお約束の野盗達である。

「そうみたいね。この先の開けた場所で待ち伏せしてるみたいだから、そこまで知らない振りして進めば手間も省けるんじゃない?」

 ルイカは特に気に掛ける素振りも見せず、野盗達が待ち伏せしている開けた場所まで移動すると、野盗達が仕掛け易いように馬車を停めるのだった。

「おいっ、止まれっ!」

 ルイカが馬車を停めたのと同時に、草むらに隠れていた野盗達が一斉に飛び出してきて馬車を囲む。

「命が惜しければ、馬車から降りて前に出ろ」

 なんともまあ月並みな展開ではあるが、マニュアルに忠実なのは悪いことではない。
 ルイカは無詠唱で魔法を発動し、ブランドンと馬車を繋いでいる全てのハーネスを解除して、野盗の要求通りに馬車から降りる。

「ちっ、ガキと年寄りだけじゃ売り物にはならんな」
「お頭、こいつの背負ってるバスターソードも汚くて売り物にはなりませんぜ」

 大人しく指示に従ったルイカとライザーを品定めした男達が、時化(しけ)た獲物に不満を漏らして唾を()く。
 これもまたマニュアルに忠実な台詞なのだが、ルイカとライザーの逆鱗に触れる禁句であることをこの男達は知る由もなかった。

「ブランドン、やっておしまい」

 怒りの()もったルイカの力ある言葉に反応したブランドンが鳴き声を上げ全速力で突っ込むと、頭に生えた二本の角で次々と野盗達を宙に舞わせる。
 愛用のバスターソードを(けな)されたライザーも怒りに震えながら剣柄に手を掛けると、ルイカの特別な治癒魔法の効力により全盛期水準まで戻った筋力で軽口を叩いた野盗を滅多打ちにする。

「ぐっ、何なんだ此奴(こいつ)ら、バケモンじゃねーか」

 ルイカの逆鱗に触れた野盗を仕切っていた男は腰を抜かして後退りするが、目の前に悪魔のような表情を浮かべたルイカが立ちはだかる。

「焼かれたい? 凍りたい? それとも切り裂かれたい?」

 三属性の攻撃魔法でお手玉しながら迫るルイカを前に恐怖の限界に達してしまった哀れな男は、魂の抜けるような奇声を上げ失禁すると泡を吹いてその場に倒れ込むのだった。

「なーに勝手に気絶してんのよっ」

 怒りの矛先を失ったルイカは、わなわなしながら声を荒げると、収まらぬ怒りを少しでも発散するため男の髪の毛をチリチリにする。

「相変わらず鬼畜だな……」

 愛剣を(おとし)めた男をぼっこぼこにしたライザーは、変わらぬルイカの鬼畜振りに昔のことを思い出すのだった。

「ああこら、ブランドン。そんなの食べたらお腹壊すよ」

 倒れている複数の野盗へ悪戯(いたずら)の限りを尽くしたルイカは、(ようや)溜飲(りゅういん)が下がり周囲に視線を向けると、遠くで倒れている野盗の髪の毛を毟り取るブランドンの姿が飛び込んでくる。

「ルイカ殿、この者達をどうしようかの」

 髪の毛毟りを辞めようとしないブランドンを馬車に繋ぎ直したルイカは(しば)し考えると、モップの力を借りて魔法を発動する。

「自分達の足で歩いて自主してもらえばいいんじゃないの?」

 ルイカはそう言うと、空間から羊皮紙とペンを取り出してライザーに手渡す。

「ここに一筆書いてこの人達に持たせれば、街の兵隊さんが対応してくれるでしょ」

 ルイカの提案を受け入れたライザーが自身の署名を入れた手紙を(したた)めると、ルイカはそれを受け取って魔法を付与し、野盗を仕切っていた男の額に張り付ける。

「これなら目立つから間違いも起きない起きない」

 ルイカが指を鳴らすと、暗示が掛かった野盗達が一斉に立ち上がり、ロルカの街へ向かって歩き始めるのだった。

「相変らずルイカ殿は規格外だな」

 バスターソードに付いた汚れを丁寧に拭き取ったライザーは御者台(ぎょしゃだい)に戻ると、去って行く野盗達を一目見て豪快に笑う。

「何言ってんの? こんなの普通だよ、ふ・つ・う」

 ルイカも御者台(ぎょしゃだい)に腰掛けて手綱を持つと、目的地であるヤエヌの聖地へ向け改めて馬車を進ませるのだった……
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