8、ウエスカの大聖堂と公園

文字数 1,148文字

ウエスカではサン・ペドロ・エル・ビエホ修道院を出た後は大聖堂に行きました。作品集は下の写真から入ってください。
このウエスカの大聖堂の写真はチャットノベルの表紙にも使っています。訪れた時にそこにいたスペインの方に手招きされて中に入ったらちょうどミサが始まる時間でした。
よいタイミングで行かれるように余が考えた。
ウエスカの大聖堂ではスペイン人の信者の方に混ざってミサを体験するという貴重な経験をしました。大聖堂の中はステンドグラスが美しかったです。
修道院暮らしの長い余にとって大聖堂の中の美しさは格別であった。
それからホテルに戻ってチェックインをして、翌日のモンソンへの行き方をホテルの人に聞きました。サラゴサ、ウエスカ、モンソン、リェイダとまわる長距離バスが1日に何本かあって、駅の隣にバスターミナルもありチケットも駅の中で買えると教えてもらいました。
ウエスカは小さな街で、ホテルから旧市街にある修道院や大聖堂、そして駅も歩いて行ける距離にありました。最初に翌日のバスチケットを買い、その後、駅の2階にあるレストランに入りました。ランチコースが12ユーロでした。
ランチで選んだ前菜のサラダです。味はまあ普通でした。
メインのサーモン料理です。上にかかっているソースがジャムが入っているのかかなり甘口で付け合わせのグリンピースも多過ぎて、あんまりよくなかったです。
デザートはものすごくおいしかったです。
その後駅を出て近くにあるミゲル・セルベート公園に行きました。
駅近くですがかなり広い公園です。
余は新しい時代のものはよく見えないが、昔に作られた修道院や大聖堂、それから公園など自然の場所はよく見える。
ミゲル・セルベートの銅像です。
横から見たところです。
訪れた時は知らなかったのですが、スペインで購入した本によると、ウエスカの公園も最初は別の人の名前がつけられる予定だったのが、1976年にミゲル・セルベート公園と名前が正式に決まり、同じころ銅像も作られました。
でも最初は公園の掃除もきちんとされていなくて、銅像に落書きがされるということもありました。本の著者やその他の研究者はウエスカに来た時に公園の状況を見て怒り、役場に文句を言ってきちんと管理することを約束させたそうです。
今はもう公園はきちんと掃除されていて、落書きなどはありません。
かわいらしい家もあります。
子供用の遊具もあって市民の憩いの場所になっています。
それから旧市街に戻り、ウエスカの博物館に入ろうとしましたが、閉館の15分前(5時閉館)で中に入ることはできませんでした。その博物館には後の時代の画家が描いた『ウエスカの鐘』の絵も展示されていたので、見ることができなくて残念でした。
『ウエスカの鐘』は余にとって大きなトラウマになっている。
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