第5話 発作

文字数 4,084文字

「約束です。納得できるように説明してください」

 僕は教室の壁掛け時計を見る。十一時半を指していた。

「ああ。約束だしな。ボクの処女を捧げよう」

「……」

 ロリババア先生は不穏な言葉を吐きながら、胸元に手を突っ込み。
 僕が社会的に抹殺されることを恐れていると、先生はなにかを取り出す。錠剤の包装パックだった。

「嬢ちゃん、のじゃロリ」

 小夜さんと美紅ちゃんに呼びかける。

「ヒナちゃん、なんの用事かな?」

 子どもを相手にする口調の小夜さんに対し、年上の九十九先生は一瞬だけ顔をしかめる。
 その後、にこにこと笑ったのだけれど、微妙に引きつっていて逆に怖い。
 中身はあまり入っていないミネラルウォーターのペットボトルを、ロリ先生は床に置く。蓋を外し。

「君たちの未来のためだ。ちょっとだけ我慢してくれ」

 そう言うと、九十九先生は小夜さんの口に手を突っ込む。

「はぐっ」

 呻いた小夜さんの顎を上に向け、先生はペットボトルを蹴り上げた。
 ミニスカートがパサッと音を立て、めくれ上がる。ほっそりとした太ももの上に、クマさんがいた。

 僕は目をそらそうと天井を見上げる。
 すると、ペットボトルが反転するところだった。
 そのまま、ボトルは小夜さんの口に吸い込まれていく。

 ゴク、ゴク。
 小夜さんの喉が動く。

 少し飲んだ後、ペットボトルは床を転がった。幸い、量が少なかったので、わずかに濡れただけである。

 なに、これ?
 動画を投稿したら、けっこう評価されそう。

「さあ、のじゃロリよ。ああなりたくなかったら、てめえで飲め」

「くっ、妾は寛大ゆえ、そなたの願いを聞いてやるのじゃ」

 美紅ちゃんはうんうんとうなずくと、謎の錠剤を飲んだ。

「そろそろだな。むっつり君よ。ロリババア病の真の恐ろしさを目蓋に焼き付けやがれ」

 担任が乱暴に言い終えた時である。

「うー、まだ眠いのにー。誰が、私を起こしたのよー」

 小夜さんが眠そうに目をこする。
 また、ボケが?

「そ、そうね。みんな氏んじゃえ」

 あれ?
 ボケだとしても、さっきまでとキャラが違わなくない?

 病気により、小夜さんの思考回路は人と異なってる。
 それでも、ボケているだけで、一貫してお嬢様ではあった。

 なのに、今は不健康で病んでるキャラというか。三日ぐらい寝ずにソシャゲや動画を見てる廃人的な雰囲気が漂っている。

「あー、知らない人がいるー」

 僕に気づいた彼女は言う。

「おにいちゃん、私の敵? だったら、許さない。世界と一緒に滅ぼして、あげる?」

 小夜さんの身体を持つ何者かは、血走った目で僕を睨んできた。
 直感を裏づけるかのごとく。

「こいつは小夜の別人格だ」

 九十九先生は、この状況を知っていたらしい。

「元々、彼女は見当識(けんとうしき)障害を抱えている」

「見当識障害?」

 思わず声が裏返った。悪夢が僕の脳内を駆け巡る。

「簡単にいうと、日時や場所、方向の認知に支障が生じる状態だ」

 ふざけていた九十九先生は教師の顔をしていた。

「さっき、教室をトイレだと思い込んで、ご褒美汁を発射しただろ。見当識障害ゆえに起こることだ」

 場所の認識が歪んだということか。

「今の彼女は認知の歪みが極端になって、自分すら正しく認識できなくなっているのだ。人格が不安定になっている」

「えっ?」

「わかりやすく言うと、多重人格になるんだよね」

「ウソでしょ?」

「マジさ。詳しい説明をしたいが……童貞君、覚醒した真祖の相手をしてくれないか?」

 九十九先生が美紅ちゃんを指さしたのだけど、なんか変。
 左手で右手を必死に押さえて、歯ぎしりしている。

「くっははは」

 なぜか高笑いし。

「妾を微睡の世界から呼び覚ましただけでなく、悪しき空を見せるとは……。日向、そちは良い性格をしておるのう」

 鋭い眼光で、美紅ちゃんは九十九先生を睨んだ。

「真祖よ。待て。今度の件、彼に全責任がある」

「真祖って? いや、僕はなにもしてな――」

「一度にいろいろ言うな」

 九十九先生の発言により、美紅ちゃんが僕をじろじろ睨む。変なクスリを飲む前より、圧倒的に威圧感が増してるというか。

「むっつり君。今の美紅は吸血鬼の真祖になりきってるから」

「えっ?」

 まさかの二重人格二人目?

「ほほう。そちは我が眷属ではないか」

「は、はあ」

 怖いので、僕は適当に頭を下げる。

「ならば、こたびは若い男の血をいただくとしよう」

「は、はい?」

 僕が意味不明さに首をかしげていたら、美紅ちゃんは僕の背中に手を回してきて。
 柑橘系の酸っぱい匂いが鼻孔をくすぐって。
 雰囲気に酔いしれていたら。

 ――がぶっ。
 首筋にチクリとした痛みを感じた。

 金色の糸みたいなものが頬を撫でる。
 振り返る。金のツインテールが揺れていた。
 もしかして、美紅ちゃんに噛まれたの?

「そうだ。真祖は吸血鬼の王。人間の血液を欲してるんだ。ボクも何度噛まれたことか」

 怖っ。ガクガクぶるぶる。震えていると、美紅ちゃんこと真祖は離れていく。

「うむ。実に美味じゃった。やはり、若い男の精は良いのう。ニンニクが混ざっているが、妾は弱点を克服しておる。怖れるに足らぬぞ」

 真祖は両手を腰に当て、猛々しく笑う。
 そういえば、朝食の精力料理にニンニクが使われていた気もする。

 って、女子中学生に血を吸われるのはマズい。いろんな意味で。
 どうすんの、これ。

 ため息を吐いていると、小夜さんが目に映った。
 彼女はノートに筆ペンで一心不乱に文字を書いている。

「呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪」

 病んでる?

「九十九先生、なにを飲ませたの?」

 ため口になってしまった。

「なにって。彼女たちさー、一日一回こんな感じの発作を起こすんだ。ボクはクスリを使って、時間を早めただけ。むっつり君に見てほしくて」

 うわっ。さすがに引く。

「ひどいじゃないですか? 彼女たち病人なんですよ!」

「……そうだな。でも、ボクがクスリを飲ませなくても同じ結果になっていた」

「……」

 先生の言う通りだ。
 僕はロリババア病の少女に目を向ける。

 小夜さんは涙を流しながら世を恨み。
 美紅ちゃんは興奮して叫んでいる。

 クソ。
 なんとかしてやりたい。
 ふたりとも、自分の意思とは無関係だろうに。

 病人といえば、おばあちゃんの顔が脳裏をよぎる。
 僕は、おばあちゃんを守れなかった。
 いや、それ以前にも……。小学生の時、近しい人を亡くした幼なじみを、僕は黙って見守るしかできなかったんだ。

 もう、誰かを助けられないのは嫌だ。
 だから、福祉科に進んだんじゃないのか。

 まるで、僕の想いを見透かしたかのように。

「今まではボクが鎮静剤を打ってきたんだ」

「くっ」

「ただでさえ、ふたりには大量の薬を飲ませている。身体には相当な負担がかかっているだろう」

 先生はやや低い声で言う。

「ここからが本題だ」

 九十九先生は僕を見つめる。透明な水色の瞳は澄み渡っていた。

「鎮静剤の場合、軽く二時間ほど眠らせるんだ。加えて、さっきも言ったように薬の負担もある。できるなら、使いたくない手段である」

「そうですね」

「だが、君の力を行使すれば、鎮静剤に頼らずとも……いや」

 九十九先生は懇願するような眼差しを僕に向けた。

「もしかしたら、ロリババア病を治すこともできるかも」

「えっ?」

 唐突すぎて、間の抜けた声が漏れた。

「君、突然だけど、異能持ちって言われたら?」

「えっ、僕が?」

 つい質問に質問で返してしまう。

「ああ。君は、《癒やし手(ケアラー)なのだ」

 九十九先生の目は笑っていない。冗談ではなさそうだ。

「どういう力なんです?」

 僕が訊ねたら。

「右手を出せ」

 命令が飛んできた。僕は言われたとおりにする。

「ボクの指示は絶対だ」

「はい」

 幼い先生は小夜さんに近づく。

「こんな世界なんて滅んじゃえ! ポイズン」

 血眼になって呪詛の言葉をまき散らす彼女へ、教師は手を伸ばし。
 ブラウスとスカートの隙間に指を突っ込み。

 がさっ。思いっきり持ち上げる。

 白いお臍が露わになり、ピンクのブラもちらついている。

「な、なにを!」

 僕が目を逸らしたら。

「今だ。臍に手を当てろ!」

 先生は戦場で指揮する上官のように尖った声を出した。

「で、でも」

「恥ずかしがるな。介護ではないが、君だけに許された治療行為だ」

「わかりました」

 僕は先生に言われたとおり、手のひらを少女に近づける。頬は青ざめ、息が荒く、全身が痙攣していた。

 なめらかな素肌に触れた、その時だった――。
 僕の手が暖かなオレンジ色に輝きだして。
 謎の光を浴びた小夜さんは、

「はぁぁんんっつ! しょ、しょこがいいにょおぉぉぉぉ❤❤❤」

 艶めかしい声を出しながら、悶絶する。めくれ上がった服からブラジャーがチラチラ。一拍遅れて、膨らみが豪快に動いた。

「なにが起きたの?」

 変な発作でなければいいけど。不安になっていると。

「(すーはー)」

 小夜さんは穏やかな顔をして、深呼吸をする。
 大丈夫なの? 見守っていたら。

「あれ、私……また記憶が混濁していたみたいですね」

 彼女はキョロキョロと辺りを見渡し、僕と目が合うと。

「あっ、はじめまして。結人(ゆうと)さん。先ほどは粗相をしてしまい、大変失礼しました」

 立ち上がった小夜さんは、四十五度の角度まで深々とお辞儀をしたのだった。
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登場人物紹介

伊藤 結人(いとう ゆうと)

中学生時代に祖母の介護をした。

福祉の勉強をすべく、福祉科があるヴァージニア記念高校に入学する。

が、どうやら特殊な能力があるようで、ロリババア病の少女たちの介護をすることに。

神凪 小夜(かんなぎ さよ)

家がお金持ちのお嬢様。

才色兼備な優等生だったのだが。

ロリババア病を発症し、ボケている。

結人と同じクラスで、彼に介護される。

ご飯を食べたことを忘れたり、家にいるのに外出したつもりだったり。

天道 美紅(てんどう みく)

元テニス選手。中学生ながら、プロに勝ったこともある。

ロリババア病を発症し、のじゃロリになる。

結人と同じクラスで、彼に介護されるのだが、傲岸不遜で結人を眷属扱いしている。

中二病を患う中学三年生。

青木 穂乃花(あおき ほのか)

幼なじみ。優しくて、尽くしてくれる子。爆乳。

結人の傍にいたくて、ヴァージニア記念高校の普通科に進学する。

小夜と美紅に振り回される結人を助けるも、小夜たちには複雑な感情を抱く。

敗北する幼なじみと思いきや。

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