黒 不知火(クロガネ シラヌイ)の場合
文字数 2,803文字
今日は金曜日。
BAR『ミゼラブル』も流石に金曜日だけは、お客様で混み合う。
常連から新顔まで様々だ。
やっとゴールデンタイムを乗り切って、一段落。
大量の洗い物を横目に、溜息混じりに煙草に火を点ける。
疲れたなぁ。明日休んじゃおっかなw
そんな都合の良い事を考えていたら、入口の扉が強めに開いた。
『まだやっとるかの。』
綺麗な白髪に立派な髭を蓄えた老人が立っている。
まるで逆さ絵みたいな強面ね。
(短い一服だったわ。)
急いで煙草を消す。
いらっしゃいませ。カウンター席になさいますか?
『そうするか。別に煙草は消さんでも良かったのに。すまんかったのぉ。』
いえ。失礼しました。コートをお預かりします。
(アンティークなコートね。使い込まれているけど、質が良いからかしら、味がある。)
ご注文はいかがなさいますか。
『そうじゃの。ウォッカをショットで貰おうか。』
畏まりました。
(『畏まりました』は本来、『あなたの顔怖いですね。』って意味もあるから正式な使い方ねw)
ロシア産ウォッカをショットグラスに注ぐ。
『BARなんて久々じゃの。昔はよく沢山の部下を引き連れて来たもんじゃ。カァァァ!ウォッカは、この喉と食道が熱くなる感じが堪らんのぉ!』
『お代わりをくれ。』
畏まりました。
『ウォッカはウチの会社がロシアに工場を建てた時に覚えたんじゃ。ロシアは極寒じゃからの。ウォッカで暖まらんとやってられん。』
お酒お強いんですね。
『元々酒は強いんじゃが、ロシア人と一緒に飲んでても、奴等が先にぶっ倒れておったわ!』
『良い事を教えてやろう。ロシア人はウォッカばっかり飲んでるから、酒が強いって思うじゃろ?でも実は違うんじゃ。確かにロシア人は右手にはウォッカを持ってるんじゃが、左手には必ずと言って良いほどオレンジジュースを持ってるんじゃよ。ウォッカをストレートで飲むのは、よっぽどの酒好きか、何にも知らない日本人くらいのものじゃ。』
ロシア人のイメージ崩壊ですね。
『そうじゃろ?・・あの頃は何もかも輝いていたのぉ。』
『それが今はどうじゃ。顔は皺だらけ、寒くなりゃ身体の節々も痛む。物忘れも酷くなって、何をしに来たか忘れ、終いには忘れた事を忘れる始末じゃ。』
微笑みながらも寂しげな表情。
『それが仕事に差し障る事も多くなって来た。そろそろ儂も引退して、会社も息子に譲らにゃならんかもな。老兵は去りゆくのみ。』
そうなんですね。
私には充分お元気そうに見えますけど。
『ハッハッハ!そうか!確かに気力まで年老いてはいかんな!』
そう言うと、老人は少し物思いに耽っていた。
『よし!それじゃこうしよう!儂が若い頃はショットグラスのウォッカを10杯は軽く飲めたものじゃ。如月さん。同じだけウォッカを用意してくれんか。もし10杯飲み切ることができたなら、儂は現役を続行する!もし飲めなんだら・・・引退して息子に会社を譲る!!』
いきなりなんて事言い出すんですか!
差し出がましい様ですけど、やめておいた方が良いんじゃありませんか。
ウォッカ10杯だなんて、失礼ですが、そのお歳では無謀です。命に関わるやも知れません。
『心配してくれてありがとう。でも儂は決めたんじゃ。こうでもしないと引退の踏ん切りがつかん!如月さんには迷惑はかけん!やれせてくれんか!』
・・・承知致しました。
(このBARを棺桶にするつもり⁈頑固ジジイ!もうどうなっても知らないんだから。)
『儂がトイレに行っている間に準備しておいてくれよ。』
バックヤードにショットグラスを並べ、丁寧に注いで行く。
老人がトイレから戻って来る。
『準備出来たかの?』
はい。準備整いました。
本当に宜しいのですね。
『それじゃ始めるとするかの!』
老人は大きく深呼吸をする。
一杯・・二杯・・ゆっくりとウォッカを喉に流し込む。
三杯・・四杯・・・・五杯。
老人の顔がみるみる紅潮していく。
大丈夫ですか?もうやめた方が・・。
『何を言う。まだまだこれからじゃ!』
六杯・・・七杯・・・。
そこで老人のショットグラスを持つ手が止まった。
もう限界ですよ。止めましょう!これ以上は危険です。
『小娘がっ!儂は、今迄の人生で何度も大きなピンチを乗り越えてきた。大正生まれの根性と忍耐力を舐めるでない!』
(完全に限界を超えてるわね。酔っ払ってキャラも崩壊気味。)
八杯・・九杯・・・。
無理矢理喉へ流し込む。
『ハァハァ・・あと一杯じゃな・・・。』
老人の吐息が荒さを増す。
『儂の生涯現役に乾杯!』
最後の一杯を勢い良く飲み干す。
『なぁ・・飲めたじゃろ・・。』
老人はヨロヨロとカウンターに倒れ込んだ。
し,死んだ!
マジか。だから言わんこっちゃない!
これじゃBAR『ミゼラブル』じゃなくBAR『デッドマン』になってしまうわ。
ん?それも結構カッコいいかもウフフ・・ってふざけた事考えてる間に救急車を呼ばなきゃ!
スマホを手に取ったその時・・カウンターから地鳴りの様な大きなイビキが聴こえてくる。
ふぅぅ。良かった。眠っただけかぁ。
大正生まれのイビキって凄いのねw
そんな時、BAR扉が開き、スーツ姿の若い男性が立っている。
「父さん。またこんな所で酔い潰れて。」
「ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。いつもどこかの店で酔い潰れてるんです。専属運転手にこの辺りで下ろしたって聞いて探してたんですが。」
元気なお父様ですね。
「元気過ぎて困ってるんです。さぁ父さん行くよ。お酒は程々にって主治医からも言われてるだろ。」
若い男が老人の肩を持って持ち上げる。
『お前、迎えに来たのか。儂は気持ち良く飲んでたのに。お前は本当心配性だな。』
『先に車に行っててくれ!すぐ行くから。』
「分かったよ。すぐ来てね。」
若い男は深々と会釈をして店を出て行く。
『如月さん。無茶を言って、付き合わせてしまってすまんかった。』
いえ。お身体を大事にして下さいね。
『ああ。ありがとう。』
『・・・会社は息子に譲る事にしたよ。ウォッカ10杯もロクに飲めない様じゃ【黒コーポレーション】の社長は務まらん。』
『会長として気長に余生を楽しむ事にするよ。ロシアにも、また行ってみたいもんじゃな。』
それならお酒は程々にして下さいね。
『ハッハッハ!そうするよ。それとこれは今夜のお代じゃ。半分は水代みたいなものじゃがの。アンタの思い遣りは伝わったよ。』
またのお越しをお待ちしております。
黒塗りの車を見送りながら、煙草に火を点ける。
なんだ6杯目からは水だってバレてたのか。
無理しちゃって。
でも大正生まれの【スピリッツ】は勉強させて頂きました。
私も、いつかあんな頑固ババァになるのかしら。
・・・ゾワッと寒気を感じて、そそくさと店内に引っ込む。
男性トイレに置かれている血圧の薬の空を片付けながら、鏡を観る。
疲れた顔の昭和生まれが写っている。
明日は休み!休み!
さっき頂いた多過ぎるお代で、明日はエステでも行きますか!w
BAR『ミゼラブル』は不定休である。