証言Ⅰ

文字数 8,445文字

 ホプキンスが呼びかけると、ひとりの小柄な男が証言台に現れた。
「証人。名前と職業を述べよ。」
 裁判長が男に問いかける。
「へい、旦那。承知しました。」
「だ…旦那?」
 裁判長は少し困惑の表情を浮かべた。
 それを意に介さず、小柄な男は胸を張って答えた。
「あっしの名はジョン・スターン。職業は…“魔女狩り副将軍”でさぁ!」
「は?」
「え。」
 裁判長はもとより、今度はマリアも困惑の表情を浮かべる。
 スターンの言葉を聞いたホプキンスは、苦虫をかみつぶしたような表情浮かべた。
 彼はため息をつきながら、眉間を指で押さえてつぶやいた。
「その自己紹介はやめろと何度言えばわかるんだ。スターン。」
「どうしてですかい兄貴!こんなに格好いいのに!」
〔そんなに格好いいかなぁ…?〕
 裁判長はホプキンスに視線を向けた。
「この男と貴公は知り合いなのか?」
「知り合い…というか、一応コイツはオレの部下だ。仕事のな。」
〔つまり、おんなじ魔女ハンターということね…。〕
 ホプキンスは再びため息をつき、スターンを見やる。
「後、兄貴と呼ぶのもやめろ。オレのことは“将軍”と呼べ。」
 スターンは陽気に応じる。
「わかりましたぜ!兄貴!」
 ホプキンスはガックリと肩を落とした。
〔…全然わかってないじゃない。〕
 マリアは思わず内心でツッコミをいれた。
 木槌の音が響く。
「では、そろそろ証言に移ってもらおうか。」
 裁判長は証言台に向き直り、証人を見据えた。
「準備はよいな。証人。」
「もちろんでさぁ!旦那!」

<ジョンの証言:魔女の印と針刺しについて>
 スターンは語り始めた。
「実は、ここだけの話なんですがねぇ…。」
「魔女とそうでない者を区別するときに、そいつの肌に《魔女の印》が有るか無いかで調べる方法というのがあるんでさぁ。」
「でも、この印ってのは魔女によって全然違っていましてねぇ…。」
「見ただけで判断するのはちょいと難儀なわけなんですわ。」
「じゃあどうやって見つけるのかって?旦那、今そう思ったでしょ。焦らない焦らない。」
 裁判長は疲れた表情を浮かべ、頭を振った。
「魔女の印には、面白い特徴がありまして…」
「それは、刺しても傷がつかず、血が出ないってことなんですわ。」
「…そこで登場するのがコイツでさぁ。」
 スターンは懐から柄の付いた針を取り出した。大きさは手のひらに収まる程度だ。
「コイツで怪しい箇所をつつき回せば、どんな形をしていようが関係ねぇ。」
「血の出ないところが《魔女の印》って寸法でさぁ。」
「そして、こうやって針を使って印を探すことを、あっしたちの業界用語で《針刺し》っていうんでさぁ。」
〔なんて嫌な業界なの…。〕
「ところで、旦那。あのシーズとかいう娘のことなんですがねぇ。」
 マリアは思わず身を乗り出した。
「ご存じだと思いますがね。あの娘、右手の甲に火傷の痕がありまして。」
 彼女は思い出した。シーズの右手の甲には、確かに火傷の痕があったことを。
「あっしもこの商売をやって長いですからねぇ。これだと直感したワケで。」
もはや、彼が何を言おうとしているのかは明白だった。
 スターンは針をおもむろに頭上に掲げた。
「そこにこの“相棒”を刺してみたら…案の定、一滴の血もでなかったんでさぁ!」
 観衆がどよめいた。
「つまり。あの娘の右手の甲に《魔女の印》があった以上…」
彼は観衆に見せつけるように、針を証言台に突き立てた
「ヤツは間違いなく魔女ってこったぁ!」
 観衆のどよめきが強さを増した。
『おいおい、マジかよ。あんなぶっとい針を刺されても血が出なかったなんて…。』
『まさに魔女と呼ぶにふさわしいわね…。奥様もそう思うでしょ?』
 彼らの間から漏れ聞こえる心ない言葉がマリアに突き刺さる。
 木槌の音が響き渡り、教会の中は再び静寂を取り戻した。
「…証人。貴公の証言はしかと聞き届けた。」
 裁判長はそう言うと、マリアの方へと顔を向けた。
「では、弁護人マリア・アバークよ。《尋問》を始めよ。」
「…《尋問》…。」
 彼女の全身に緊張が走った。
「…ただし、注意してもらいたい。」
「汝(なんじ)がこの《尋問》で、検察側の示した“一つ目の証拠”を崩せなかった場合…」
「即刻、審理は打ち切り。裁判は終了となる。」
 裁判長はあごをなでた。
「となれば当然。被告人は魔女と認定され…火刑に処されることになるだろう。」
〔そ、そんな…。まさか…。〕
一瞬、まともに呼吸ができなくなるほどのプレッシャーがマリアを襲った。
裁判長直々の宣告は、彼女の精神を揺さぶるには十分だった。
「…だから言っただろうが。お嬢ちゃん。これが《魔女裁判》なんだよ。」
「少しでも疑いが残れば、被告人は即処刑。単純なルールだろ?」
「くだらねぇ言い争いなんて必要とされてねぇんだ。」
「ここは魔女に鉄槌を与えるためだけにある、裁きの庭なんだからなぁ。」
あまりの衝撃にほぼ放心状態のマリアへ、ホプキンスは容赦の無い言葉を浴びせた。
 その顔は心底楽しそうだった。
〔ぐっ…負けてはダメよ。マリア・アバーク。〕
 彼女は頭を振って意識を取り戻した。
〔針で刺して傷も出血もないなんて…そんなことあり得ない。〕
 必死に頭を頭を働かせる。
〔間違いなく、何らかのカラクリがあるはず。〕
〔必ず暴いてみせる…。こんなところで躓(つまづ)くわけにはいかない!〕
「………………。」
 目を閉じ、息を大きく吐く。
「…かしこまりました、裁判長。弁護側は《尋問》を始めます。」
 目を開けたとき、その声はもはや震えてはいなかった。


「スターンさんと言いましたね?聞きたいことがあります。」
「へい。なんでやしょう?」
 スターンは軽い調子で応じた。
「…《魔女の印》についてです。」
「この印は、刺しても傷つかずそこから出血もしないという話でしたが…本当ですか?」
「当ったりめぇよ。あっしは長いこと兄貴の下でこの商売をやってきたんだ。」
 スターンは鼻白んだ。
「今まで捕まえた魔女に、印がねぇヤツはいなかった。…神に誓ってもいいですぜ。」
「…では、今までその印にはどんな種類がありましたか?」
「今まで、ですかい?」
 彼は腕を組んだ。
「ええっと、そうだな…妙な形のアザとか、でっかいホクロとか、変な入れ墨とか…」
 ホプキンスは、わざとらしく大きな咳払いをした。
「そ、それと、もちろん!火傷の痕もありましたぜ。」
 スターンは慌てて付け加えた。
「…そうですか。では、質問を変えます。」
「次は、あなたのその“相棒” のことについてです。」
 マリアは証言台に突き立っている針を指さした。
「それは、どこで製造されたものなのですか?」
「コイツかい?コイツは、馴染みの鍛冶屋に作ってもらった特注品なんでさぁ。」
「特注品…ですか?」
「そうなんで。実は――」
「―――――――――。」
「――――――。」
「―――。」
 大して中身があるようには思えないこのようなやり取りが、何度か繰り返された。
 ホプキンスは、遅々として進まない尋問に段々と不満を募らせていった。
 こちらに対する攻撃の材料がない相手は、牛歩戦術に出たに違いない。
 不満が頂点に達した彼は、尋問を遮り声を上げた。
「裁判長殿。…ちょっといいか?」
「…なんだ。ホプキンス検事代理。」
「こんな尋問は時間の無駄だ。」
「所詮これが、このお嬢ちゃんの限界なんだよ。」
「牛歩戦術で、女々しく被告人の寿命を引き延ばすくらいしか能がねぇのさ。」
 彼は口調を緩めず、続けざまに容赦の無い言葉を放った。
「お嬢ちゃん。テメェがこのまま、このくだらねぇ尋問を続けるってなら…」
「今ここでもう一度。被告人に《針刺し》をしてやったって構わねぇんだぜ?」
「…!」
 不意にマリアは思い出した。
裁判の直前、シーズとの面会を許されたときのことを。

* * * * * * * *

被告人の控え室――その実態は、教会の地下にある牢屋である。
壁に取り付けられた松明だけがその暗闇を照らしていた。
マリアは係官に案内され、目当ての牢の前までやってきた。
彼女がシーズと会うのは3日振りのことだった。
係官に監視されながら、鉄格子越しに面会はおこなわれた。
「マリア。あなたが、あたしの弁護をしてくれると聞いたわ。とっても嬉しい。」
 しかし、次に彼女が告げた言葉は、彼女にとって衝撃的なものだった。
「…でもね。あたし、もしかしたら本当に魔女なのかもしれない…。」
 その憔悴しきった様子を見たマリアは、驚きを隠せなかった。
 いつもの快活とした彼女の面影はどこにもない。
「な、なに言ってるの。そんな事あるわけないじゃない。」
 マリアは慌ててシーズの言葉を否定した。
 それでも、目の前の親友の表情は暗かった。
「…もしかして、理由があるの?」
 彼女は静かに頷いた。
 幼なじみであるマリアは、シーズのことをよく知っていた。
 昔から彼女は、天文学が好きで理屈っぽい女の子だった。
 根拠の乏しい噂話など、あっという間に一蹴してしまうタイプだ。
 無論、魔女の存在など端っから信じていなかった。
〔こんなことを言い出すからには…何か理由があるに違いないわ。〕
 シーズはポツリポツリと話し始めた。
「捕まってここに入れられた最初の日のことなんだけど…」
「入れられてしばらくしてから、鎧を着けた大男と小男が来たのよ。」
「鎧男が『検査を始めるぞ』とか言ったとたん、小男が懐から変な針を取り出したの。」
「そして、あたしの右手を見たとたん『この火傷の痕が《魔女の印》に違えねぇですぜ。兄貴。』なんて言い出してさ…。」
 彼女は自分の右手にちらりと視線を移した。
「その後、変な椅子に座らされて、右腕を器具に固定されたの。」
「そ…それで、小男が急にその針を、あたしの手の甲に振り下ろしたのよ…。」
 そのときのことを思い出したのか、シーズの額には脂汗が滲んでいた。
「ちょ、ちょっと待って!右手を見せて!」
 マリアは反射的に鉄格子の隙間から彼女の右手を取り、目を皿のようにして眺めた。
 しかし、その手にはなんの異常も見られなかった。カサブタすらない。
 マリアが普段から見慣れている、火傷の痕があるだけだ。
「あれ…?」
 シーズは手を引っ込めた。
「なんの変わりもないでしょ。…これが、理由よ。」
マリアの心に衝撃が走った。
「ま、まさか…そんなことって…。」
「そう。“無傷”なの。…人間なら、絶対あり得ないわね。」
 シーズは自嘲気味に笑った。
「あの2人は右手を確認した後、あたしの拘束を解いて、満足そうに去って行ったわ。」
 一通り話し終えると、彼女はうなだれた。
「あたしはもう、どう考えたらいいか…わからない。」
 このとき、マリアの脳裏をある“閃き”が駆け抜けた。
 その“閃き”をシーズに伝えようとしたとき、彼女はボソリとつぶやいた。
「なんにせよ、もう二度と…あんな目には遭いたくないわね…。」
 その言葉を聞き、マリアは押し黙った。

* * * * * * * *

彼女は、あのときの“閃き”を思い出していた。今までは緊張のせいで、すっかり失念していたのだった。
と同時に、あのとき自分が押し黙った理由も思い出していた。
この“閃き”を実行に移すためには、シーズに協力してもらった方が遙かに都合はいい。
しかし、言動から見て彼女が《針刺し》にトラウマを抱えていることは明白だった。
〔もう一度ここで《針刺し》をやっても構わないですって…!〕
 ホプキンスのこの提案は、実はマリアの“閃き”にとって渡りに船とも呼べるものだった。
そして、現実問題として彼女は攻めあぐねていた。
 それゆえに、彼女は苦悩した。
 当たっているかもわからない自らの“閃き”を信じ、親友をこの場に引きずり出すのか…。
 それとも。親友のトラウマに配慮し、この千載一遇のチャンスを見送るのか…。
〔………………………。〕
 彼女の出した答えは――
「…わかりました。」
「弁護側は、検察側の提案に同意します。被告人を証言台に呼んでください。」
「もう一度、《針刺し》をおこなってもらいましょう。」
「なっ…なんだと!?」
 ホプキンスは耳を疑った。
 彼は、《針刺し》がされた人間にどういった影響をもたらすのか、知り抜いていた。
 『おまえは人間ではない』と目の前で宣告してやるようなものだ。
 もう一度やろうものなら、被告人に掛かる負担が相当なものになることは、想像に難くない。
 ゆえに、弁護側がこちらの提案に乗ってくるとは夢にも思っていなかった。
「…アンタ、自分が何を言ってるのか分かってんのか?」
 いつもの《お嬢ちゃん》とバカにした呼称を使う気にはならなかった。
 彼には、マリアの意図がまったく読めなかったからだ。
 そんな彼の思考をよそに、木槌の音が鳴り響く。
「…ホプキンス検事代理。」
 裁判長がホプキンスの方へと視線を動かした。
「弁護側の同意が得られた。検察側は早速、被告人召喚の用意をするように。」
「…あ。ああ。承知したぜ。裁判長殿。」
 彼は指を鳴らして係官を呼びつけると、すぐさま指示を飛ばした。
 ――少し経つと、係官に連れられた被告人が法廷に姿を現した。
「被告人よ。検察側の提案に対する弁護側の賛意により、貴様に法廷で、もう一度(針刺し)をおこなうことになった。」
 シーズは目を大きく見開き、マリアの方を向いた。
 その顔には、困惑と動揺、そして恐怖が色濃く表れていた。
「では、ホプキンス検事代理。検査を始めよ。」
 裁判長が促した。
 ホプキンスはマリアの真意を測りかねていたが、一旦思考を打ち切った。
 彼は証言台のスターンへと短く命令を発した。
「スターン。…やれ。」
 スターンは証言台から針を引き抜くと、シーズの右手を乱暴に掴み、証言台に押しつけた。
しかし、そこまでしたにも関わらず、彼は執拗に柄を握り直していた。持ち方が定まっていないようだった。
 そのうちに持ち方が決まったのか、彼女の火傷の痕に狙いを定めた。
 そして、容赦なく振り下ろされた針が、そこに突き刺さった。
声にならない絶叫が、シーズの口から迸(ほとばし)る。
 しかし、彼女の鮮血がその手から迸ることは――なかった。
教会の中は恐ろしいほどの静寂に包まれた。
時折、被告人の嗚咽が空しく響く以外、誰も物音すら発しなかった。
「…はっはっは!見ろよ…これが《魔女》だ。」
 しばらくして、この沈黙をホプキンスのせせら笑いが破った。
 今となっては彼は、心配など杞憂に過ぎなかったのだと確信していた。
 大して考えもせず、売り言葉に買い言葉で応じてしまい、撤回するタイミングを逃した。
大方、そんなところだろうとホプキンスは見当を付けた。
そんな矢先。突然、マリアが口を開いた。
「…検察側の主張は理解しました。弁護側に異議はありません。」
 『勝った』――ホプキンスは心の中で勝利を宣言した。
 シーズの表情には、深い絶望が刻まれた。
「しかし、最後に確認させてください。」
「スターンさん。あなたの“相棒”を少しの間だけ、お借りしてもいいですか?」
彼は言われるがまま、マリアに“相棒”を手渡した。
すでに勝利を確信したホプキンスは、それに異議を唱えることはなかった。
「持ち方には気をつけてくだせぇよ。大事な“相棒”なもんで。」
〔………………。〕
 彼女はそれを受け取りながら、出し抜けに聞いた。
「…それと。もうひとつ、確認したいことがあります。」
「この針は、以前地下牢で被告人に対して使用したものと、同一のもので間違いありませんね?」
「当たりめぇよ!なんで別のもんを使う必要があるんで?」
「そうですか。…それを聞いて、安心しました。」
 マリアはそう言うと、柄を何度か握り直し、逆手に持った針を法廷中に見せつけるように高々と掲げ――
 躊躇いなく自らの左手の甲に振り下ろした。
『…え?』
「…は?」
 裁判長、証人、被告人、観衆たち――誰もが我が目を疑った。
ホプキンスでさえ例外ではなかった。
 確かに針を刺したはずなのに、マリアの手から出血がまったく見られなかったからだ。
無傷の左手を眺めながら、彼女はつぶやいた。
「…なるほど。こういう《カラクリ》だったんですね。」
「…ど、どういうことだ?弁護人?」
 裁判長は心なしかうわずった声で、マリアに尋ねた。
「ま、まさか。汝も魔女―」
「そんなワケないでしょう。」
 マリアは裁判長の言葉を遮った。
「よく、見ていてください。…これが魔女を生み出す《カラクリ》です。」
 そう言うと、彼女は針の柄の部分を右手に持ったまま、針の先端に左手の人差し指を当て、力任せに押し込んだ。
 すると――“針は柄の中へと引っ込んだ”。
「な…なんと!?」
 驚愕する裁判長をよそに、マリアは話を続けた。
「単純な仕掛けです。刺したとき、針が柄の中に収納されるようになっているんです。」
「柄にはまっているこの“栓”を抜けば、この仕組みが動くようになっているみたいですね。」
 マリアは、スターンが柄を握り直しながら“栓”を抜き取る瞬間を見逃さなかった。
 そして、彼女に渡す前にそれをコッソリ戻していたことも。
掌にのせた小さなネジのような“それ”を彼女は裁判長に見せた。
 あのときの“閃き”とは、まさにこれだった。
 実は地下牢でシーズの話を聞いたときから、マリアはこの仕掛けを疑っていた。
しかし、当時の彼女には、この“閃き”を検証するに至って、2つの問題があった。
 一つ目は、現物を手にできる機会には恵まれそうにもないこと。
 二つ目は、肝心の“針を収納する仕組み”の構造が解明できていなかったこと。
 また、仮にこの2つを解消できたとしても、法廷に持ち込む際には三つ目の問題が立ちはだかった。
 地下牢で使われた針と法廷で使われた針が、同一であることを立証しなければならない。
 別のものでると開き直られた場合、証拠がないため、それ以上の追求ができないからだ。
 物的証拠を基にした追求は不可能。つまり、誰かの証言を利用して立証する以外に方法はなかった。
 この3つの問題を一気に片付けられる可能性のあるチャンス――
 それが、『法廷でもう一度(針刺し)をおこなってもいい』というホプキンスの提案に他ならなかった。
 そこで《カラクリ》を見抜けなければ、即座に裁判は終わってしまっていたに違いない危険な賭けだった。
 しかし、マリアは親友のトラウマを抉(えぐ)ってでも、この危険な賭けに飛びのった。
 『親友に恨まれても構わない』という覚悟の上で。
 ただでさえ不利なこの裁判で、このような絶好の機会が再び巡ってくるとは、到底思えなかったからだ。
 結果として、彼女は賭けに勝利した。それは同時に、ホプキンスが示した“一つ目の証拠”が音を立てて崩れ去ったことを意味していた。
「…ホプキンス検事代理。これはいったい、どういうことだ?」
 裁判長はホプキンスを見つめた。そのまなざしには、明確な疑念がこもっていた。
「…さぁてね。何のことやらわかんねえなぁ。」
 彼はそんな視線など、どこ吹く風で肩をすくめた。
「部下が勝手にやったことだ。オレは知らん。」
「そ…そんな、兄貴!?」
 ホプキンスの発言に、スターンが悲鳴のような声を上げた。
〔いや。あなたがこの《カラクリ》を知らなかったはずないでしょ…。〕
 マリアは半ば呆れながらホプキンスに視線をやった。
 証拠の一角を崩されたというのに、彼のその態度は崩れていなかった。。
「…正直驚いたぜぇ。弁護人さんよぉ。」
 しかし、ホプキンスがもうマリアのことを“お嬢ちゃん”と呼びかけることはなかった。
「でもよぉ。《魔女裁判》の本領はここからだ。」
 彼は相も変わらず不敵な笑みを浮かべた。この程度では、まったく堪えていないようだ。
「裁判長殿。検察側は、更なる証人の召喚を要請するぜ。」
「“二つ目の証拠”について審理をおこなうために必要な証人だ。…構わないだろ?」
「…召喚を許可する。」
 どこか諦めたような様子でつぶやくと、裁判長は木槌を振るった。
 いつの間にか現れた係官たちがスターンとシーズを連れ、法廷の外へ去って行った。
ホプキンスはまたしても、大きく指を鳴らす。
「証人。入廷の許可が出た…入ってこい。」
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