常夜灯の家

文字数 6,483文字

   常夜灯の家
                            鵺 村 静 (ぬえむら せいご)
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          ◇おことわり
            文の途中、文字と文字との間に、半角分の空白があらわれる場合
があります。これは、作者の意図によるもので、句読点につぐゆる
い区切りを示します。作者はこれを「半読点」と呼んでいます。
ただし、行末(ぎょうまつ》には使用しません。
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 二十世紀の終わりから二十一世紀にかけて、この国では、明治以来の大きな社会的変化が起きていた。空き家、つまり住む人のいない家が、急激に増えたのである。
 その背景には、人々の行動パターンの、うねりにも似た変容があった。多くの人が、大都市か その圏内に住むことをえらび、その結果、それ以外の多くの地域で人口が減少したのである。
 ある映像メディアが、人口減の自治体を日本地図上に赤く色づけして見せたことがあった。それは、衝撃的なものであった。ただ日本列島を、赤く塗りつぶしただけの地図のように見えたからである。それもそのはずだ。色付けされていないのは、五か所か六か所の大都市だけで、いずれも面積としては意外なほど小さく、赤い色にかき消されて、列島が、すべて赤いように見えたのであった。また、生まれてくる子どもの数も激減しているという。ますます 事は深刻と言わざるを得ない。
 ここF村も過疎化の例にもれなかった。ほかの多くの地域と同様、昔から農業中心の村(現在は町制)である。中心部に、ささやかな商店街があるが、表の扉が閉まったままの店が少なくない。中心から数百メートルも離れれば、すぐにのどかな田園地帯となる。
 そんな田んぼの中を、巾が、五~六メートルもある、一本の用水路が通っていた。それは、くねくねと曲がりながらこの町を南北に分断していた。というのは、地図上の境界線の役目をしているだけではなく、不動産としての土地の価値、下水処理などの行政上の扱いなどにおいて、用水路の南側と北側とでは、大きな較差があったのである。北の価値は、南の半分と言われていた。
 用水路には、洪水時対策として、大きな水門が設けられていた。水門のすぐ北側に、安直なつくりの一軒家があった。十年ほど前に、都会から移ってきた五十代と見られる夫婦が、新築して住んでいた。着工当時、「よりによって、あんなところへ建てねぇでもよさそうなもんだがなぃ」と、地区の者らが陰口を言い合った。それももっともなことだったかもしれない。ただでさえ、不便な場所である上に、目の前の自動式水門が、一定以上の降水があったときには、水を側流に落とさざるを得ず、その時の轟音が、尋常ではなかったからである。
 用水には、転落防止のフェンスを設け、両岸の堤は簡易舗装が施されて、幅一メートルあまりの道路になっていた。「用水道(ようすいみち)」と呼ばれていた。堤を補強し、あわせて自転車が通行できるようになっていた。
 先述の家は、周囲を取り巻く農地からすれば、一メートルほどの(かさ)上げがしてあったが、一階の軒が、用水道の高さとほぼ同じだった。
 この辺りでは、新築の際に「建て前」と呼ばれることを行う習慣があった。建物の骨組みが出来上がったところで、その高い所から、建築主や棟梁などが、菓子や銭の入った「おひねり」をばらまき、近くの村人や子供らに受け取ってもらう。たくさんの人が集まるほど縁起が良いとされた。そのあと、地区の主だった人を招いて供応をする。どの家を招待すべきかは、慣例で決まっていた。家数が少ない村の割には、相当な数の人を招かねばならない。いわゆる地縁がそれだけ強かったということであろう。宴席には、極上の酒を出す。また、料理がふんだんに出されれば、客人の機嫌は好い。
 だがこの家は、これら一連の慣行を一切 行わなかった。入居して何日か経ったころになって、自分の家から見える範囲 五、六軒を適当に訪ねて回って、引っ越してきた旨を告げた。ただそれだけだった。
 このことは、地区の者たちの反感をかった。また、農業らしいことを全くしていなかったから、近くの家々──といっても、最も近い家で二百メートルは離れていた──とも絶縁状態と言ってよかった。「(はな)もひっかけない」という慣用語があるが、まさしくそんな関係だった。
 そのようにして日が経つにつれて、その家も住人も、地区の者たちの意識から遠のき、存在さえ忘れ去られたようになった。そうして、いつの間にか地区の者たちから、空き家だと思われるようになっていた。
 いつのころからか、妙な噂が流れるようになった。❝あの空き家には、常に小さな灯明だけがともっていて、消えたためしがない❞ というのである。
 初めは、一部の中学生の間での話にすぎなかった。そこを通る人はひじょうに少なく、何人かの男子中学生と、休日の昼間、気まぐれにやってくる小学生たちぐらいなものである。
 小さな灯明と言うからには、暗くなってからでなければ気づかない。おそらく、学校帰りに友達の家かお店に寄るなどして遅くなり、近道をしようとして、たまたまこの道を通った男子中学生が言い出したことであろう。陽が落ちて、しかも黒い影のようになっている一軒家に、ぽつんと、小さな光だけがともっていれば、不審に感じるのは自然なことかもしれない。
 ときおりこの道を使うある中学生が、休日で居間に居合わせた四十代の父親と母親に話しかけた。
 「学校でな、友達がな、水門の下の一軒家は空き家じゃに、なしていつもちっけな明かりばついとるかの と言いよった。おいも何度かみた。暗くなってから通れば、ほかの明かりはついとらんに、ちっけなのだけついとぉは、なんとしたこつかな」
 父親と母親は、「なん」と言ってたがいに眼を見合わせた。村の暮らしは変化に乏しい。二人は、強く興味をひかれた。だが、この辺りの人は、多弁を良しとしない。ただ、「あっちゃこっちゃするもんでねぇ」と言ったきりだった。
 だが次の日の昼過ぎ、父親は、妻に「ちっと……」とだけ言い残して外出した。妻は、夫がどんな用向きで出かけるのか、おおむね理解していた。父親が向かったのは、先輩格の農家のところである。思いをつつみかねて、早口に言った。
 「水門の下の家はよ、どげになりよってるがかの」
 「あいや。なんのこつかと思えば、あん家のこつか。そんなもん知らんがい。なしておれに聞くげか」
 「いやさ。いま誰もすんどらんに、ただ年中、こまぁい明りばついとぉ言うもんがありよるで」
 「だれがいう」
 「だれいうこんもねぇがし」
 「ふううん」
 先輩格の表情が変わった。
 「ほんのごっとすりゃ、今どきのこととも思えんはなしじゃの。おんめさ、これは、はや誰ぞに話したがか」
 「いんにゃあ、はなしとらん」
 「なれば、一刻もはよう区長様にご注進せずばなるみゃぁぞ」
 二人はなぜかこっそりと、しかし急いで、北に一キロほどの区長の家に向かった。区長は、還暦を過ぎていて、手持無沙汰な日々を送っていた。子どもらはみな成人し、孫もいるが、都会で暮らしていて、さっぱり顔も見せない。妻は多趣味で、踊りだ、お花だ、パッチ何とかだと言って、しょっちゅう家にいない。二人は区長に、かなりの尾ひれをつけて語った。区長は言った。
 「わしは区長じゃからして、耕地(地域の意)の住民の安全を守る義務があるもんちゃと、日ごろから思うとるが、おんめさら、どう思わする」
 二人は口をそろえていった。
 「そりゃもう、そりゃあ」
 「とすれば、耕地内の一軒一軒のアンピをたしかむるも、区長の、いやでもせずばないこととは思わんねぇか」
 「そりゃもう、そりゃあ」
 三人の思いは一致していた。つまりすぐにでも様子を見に行きたかった。有り体に言えば、それは、少年時代の探検ごっこに出かける前の心持に似ていた。しかし一人前の大人である。おのずから逡巡の気持ちが湧いた。それに、そもそもあの家について、三人が三人とも何も知らない。空き家ということになっているが、実地に確かめたわけではない。前もって考えておくべきこともある。
 用もなく訪ねたはいいが、人が出てきて用件を聞かれたらどう答えるのか。実際に空き家だったとしても、現状はどうなっているのか。「灯明」と言うが、本当のところは何なのか。いろいろのことが考えられる。どうでもいいような気がするし、ほうっておけないような気もする。自分らが、想定外の目に遭うのもご免だ。三人の談合は、すぐには終わらなかった。
 しかし彼等は決断した。この際、真実を確かめるべきだ。もしかして人がいたとしても、近所と交流がなく土地の事情に疎い家だ。区長の肩書をちらつかせれば、何とでも言い訳が立つだろうということになったのである。
 三人が区長宅を出たのは、五時を過ぎていた。冬の日はすでに落ちている。区長は懐中電灯、先輩格はなぜか草苅鎌、中学生の父親は大きめのシャベルを握っていた。
 あたりに気を配りながら、水門下(すいもんした)の一軒家に近づき、十メートルほどのところまで来ると、歩みをゆるめて家全体をくまなく見まわした。そうしてまるで盗人か、獲物に忍び寄る捕食者のように姿勢を低くして、家の南面の真ん中あたりまで来た。
 道幅は狭く、流れに面した側にはフェンスが張られているものの、その家の側つまり耕地の側は急斜面になっていて、冬の枯草がまばらに生えているだけだ。うっかりすると、高さ二メートルほどを滑って、その家の庭先へ転げ落ちる恐れがある。
 三人は、路面にしゃがみこんだ。すると、目線がこの家の二階の床とほぼ同じ高さになる。家は横長の二階建てで、水路と平行に建っている。三人のいる道からは、数メートルほど北に退いている。この家にとっては堤が高いので、日照を得るためにはその程度の幅が必要だったのであろう。そこには、花壇や畑にした形跡があったものの、雑草が、わが物顔に生い繁っている状態だった。
 やっぱり空き家のようだ、とそのとき三人は思った。道の方からしゃがんで見る限り、カーテンが引かれ、雨戸も全部 閉め切ってある。無論、中の様子は分からない。だが、左右に少しずつ移動しながらよく見ると、なんと、中学生の語ったとおり、確かに下の階の雨戸と雨戸の隙間から、一点の、ごく小さな赤い光がともっているのがわかる。中ほどの部屋の天井に近い位置と見える。
 一階を確かめるなら、正式に訪問する以外にない。二十メートルほど下流に行って、この道から農道に()り、畔道を戻る。そうするとその家の玄関に突き当たるような格好になっている。
 三人が建物のやや手前に立った。すると区長は、大きく深呼吸をしてから中に向かって呼びかけた。
 「よかおばんでがすぅ」
 なぜか、いつもの声と違っている。
 三人は、全神経を集中した。
 しかし中から応答はない。やっぱり、と思ったが三人は慎重だった。
 寸時ののち、今度は先輩格が素っ頓狂(すっとんきょう)な声で呼びかけた。
 「ほんにま、よかおばんでがあんす」
 だが物音ひとつしない。
 すると中学生の父親が、ほかの二人を飛び上がらせるような大声で叫んだ。
 「もうしも、区長さんがハァおいでなすってでやすで」
 相変わらず家の中は静まり返ったままである。
 三人は顔を見合わせた。そうして無言で頷きあった。空き家であることを共に確認し、次の行動に移ろうという合図である。
 三人は、南側すなわち堤と建物にはさまれた、草深い庭へと回り込んだ。するともうこの三人は、この世から消えたようになる。水路の高い堤と、この建物自体が目隠しの役目を果たして、ほぼ完全に彼らの姿を隠すのだ。
 三人は、少し大胆になってきた。まず、小さな光のもれている部屋のあたりへと進んだ。見ると、確かに部屋の高い位置で、小さな明かりがともっている。
 三人が、ここで引き返していれば何事もなかったであろう。だがもはや三人にその気はなかった。「明り」の正体を確かめないではいられなくなっていた。
 南側には、中に入る方法がなかった。それで、今度は西側に回り込んだ。建物から一メートルばかり離して、ニッコウヒバのような、枝葉(えだは)の密な針葉樹が七~八本植えてある。西風対策であろう。姿勢を低くしながら、建物と針葉樹との間を進むと、掃き出し口があった。縦が三~四十センチ、横が一メートルあまり、板づくりの二枚の戸を、左右に引き違える種類の小さな扉である。
 懐中電灯は持ってきたものの使わなかった。誰かに気付かれるのを、おそれたのかもしれない。二、三度 小さな扉を左右に揺すると、長い間 固着していたものがほんの少しだけ動く時の、ガリッという音がした。同時にほんの少し隙間ができた。すかさず一人がスコップの先をその隙間に差し込んだが、それ以上は動かなかった。それで、スコップを、少し開いた隙間と樹木の枝に渡して、スコップに思い切り寄りかかるようにして押した。すると、梃子の力でズズズという音とともに扉が開いた。この小さな掃き出し口は、施錠がしてなかったと見える。
 時刻は、夕方の六時を()うに回っている。中腰で中をうかがうが、真っ暗で何も見えない。あの明かりはどの部屋なのか。長靴を脱いで、掃き出し口から順に にじるように入り込むと、すぐに強い臭気におそわれた。三人が入りきったところで懐中電灯を点けた。
 案の定、人気(ひとけ)は全くない。また、家財道具のような物も見られない。がらんとした部屋だ。三人はやや拍子抜けのような感情を抱きつつ、隣の部屋に通じるふすまを開けた。その瞬間である。三人は押し殺した叫びのような奇声を発し、その(にじ)り口からわれ先に外に出ようとした。
 それもそのはずである。懐中電灯が照らし出したものは、掛け布団から顔と首をのぞかせた、人間の遺体だったからである。
 三人は外に出るとすぐに掃き出し口を閉めた。そうして暗がりの中で、 ただただお互いの顔を見合った。言葉がなかったのである。それぞれ他者の長靴を履き違えていたが、気づいている者はいなかった。
 ややあって、区長が、呼吸を荒くし唇を震わせながらおもむろに口を開いた。
 「こんげなこつになろうとは思わなんだが、それもこれもおのが不徳の致すところじゃ。かくなったるうえは、今からじんじょうに警察ば出頭して、包み隠しなく申しあぎゅう思うが」
 言われた二人に、返す言葉はなかった。そうして、すっかり暗くなった二キロほどの道のりを、警察署に向かって無言で歩いて行った。来た時と同じように、ひとりは懐中電灯を、ひとりは草苅鎌を、そしてもう一人はスコップを握りしめていた。

 三人が、数日間にわたって警察の厳しい取り調べを受けたことは言うまでもない。しかし最終的に、起訴されるにはいたらなかった。名前も公表はされなかった。
 地方新聞は、孤独死という視点で、この事件を取り上げた。記事は伝えた、「遺体はこの家の主婦で、就寝中に亡くなったものである。死後、三か月が経過していた。夫は、この家に移り住んで間なしに病死していた」。そうしてさらに、「親切な三人の村人の、隣人を思いやる気持ちが、死者の発見につながった。小さな明かりが、大きな役割を果たした」と書いた。
 つまり、「灯明」などと仔細ありげに言われたものは、天井から吊り下げるタイプの照明に付属している小電球、ただの夜間灯だったのである。

 三人は、それまで親戚同然に付き合ってきた間柄だったが、その後、甚だしく疎遠になったという。(完)
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