Ⅴ 戦禍

文字数 2,994文字

「シスター。私はいま嘘を……」
「よろしいのです。主は私たちの罪をお赦しになっています」
 修女のはにかむ威厳とやさしさに、私はここでもまた救われる思いがした。
「心のひろい神様でよかった」
「K教授をごぞんじなんですか」
「子どものころ校舎に入ってしかられました」
「いたずらっ子だったんですね」
 言葉の余韻に母性の笑みがうかぶ。私はすかさず言った。
「この先に池があるはずなんですが」
「池、ですか?」
「はい。小さな貯水池です」
「その池のことでしたら、いまはもうありません。くわしいことはわりませんが、水を引いていた川にたくさんの魚が()くようなことがおこって。けっきょく(せき)をとめて埋めてしまったそうです。ちょうどゴルフ場の農薬が問題になっているときでしたから」
 西にひろがる緑地公園にはその川(『野川(のがわ)』)が流れている。それは清らかな細流で、清冽な分流のほとりでは、わさびを作っていたと聞いたこともある。
 私が話そうとしたオタマジャクシの話しも、わさびとおなじ笑えない昔ばなしになってしまった。もうこの話しはできない。
「シスター。ゴルフボールの中はどうなっているかごぞんじですか」
「いいえ、知りません」
「まずゴルフボールをブロック塀や路面でこするんです。そうして表面の白い皮をぜんぶむきとるんです。すると中は細くて薄いゴム糸をぐるぐる巻にした毛毬のようになっていて、それを指ではじくとなん本かのゴムがパチパチッとほどけて、それがまた線香花火みたいで、さらにどんどんほどいていくと中から梅干のようなゴムの玉がでてくるんです。それは巻痕でシワシワなうえにブヨブヨしていて、なおも釘で穴をあけると中からドロッとした黄色い液がでてくるんです。その液がなんともいえないくさい臭いで、たまらずにその玉を、こう放り投げるんです」
 シスターは呆気にとられていた。私はピッチングフォームを解いて言った。
「すいません。つまらない話をして」
「いいえ、とてもたのしいお話でした」
「家の近くがそのゴルフ場で、よく忍びこんで遊んだものですから」
「ゴルフ場で?」
「そうです。そこでコンバットごっこをするんです」
 シスターは小首をかしげた。
「戦争ごっこです。ゴルフ場の林やバンカー、アップダウンの地形がちょうどいいんです」
「お近くにお住まいなんですか」
「いえ、昔のことです。いまは……」
 いまはもう、なにも残っていない。生れた家も、登った栗の木も、待つ人も訪ねる人も、そこにはいない。
「このチャペルへはそのころにいらしたんですね」
「泣きたいときの行場所は、いつもここでした」
 修女は得心したようにうなずくと、近くの信者席に腰をおろした。脚を通路においた横すわりの姿勢で。私もおなじようにすわりなおし、彼女とは通路を挟み斜にむきあうかたちになった。

  #戦禍

「このチャペルは明治十九年に建てられたそうです」
 シスターは会堂を見やりながら言った。
「一〇〇年以上たってますね」
「本校の創立は明治八年です。キリスト教の禁教政策が廃止されたのは、なん年だかごぞんじですか」
「不勉強で」
「明治六年です。しかしそれはキリスト教を公認し、信教の自由を保障するというものではありませんでした。明治政府は条約改正の外交手段として形式(かたち)ばかりの、口先ばかりの禁制解除をおこなったにすぎなかったのです。その証拠に私たちミッションスクールに徴兵猶予の特典は与えられませんでした。そればかりか国民を臣民とし、天皇を現人神(あらひとがみ)とする国家主義は、その権力で世論を操作し、排斥運動を煽動し、ついにはキリスト教の宗教教育、儀式のいっさいを禁止したのです。明治三十二年、チャペルの献堂式からわずか十三年後のことでした」
 前史の弾圧そのままにくり返される迫害。その光景が生生しくうかぶのか、修女の(ひとみ)は隔世の虚空を見つめている。
「大正になって大学に認可はされましたが、それもまた大学を国策に利用するための巧妙な布石にほかなりませんでした。昭和に入ると学園の生奪権は跳梁するファシズムの掌によってにぎられ、国体をふりかざし、不敬を楯にとる軍部に突きつけられた御真影奉戴という踏み絵を前にして、私たちは廃校か迎合かの選択を迫られていました。そのころだそうです、学園の精神である礼拝堂をまもるために、この森に移したのは」
「それでは、もとはちがう場所にあったのですか」
「最初は現在の教会堂がある場所に建っていたそうです」
 現在の教会堂は正門を入り、桜並木をぬけた先にある。たしかに場所的にはそここそがふさわしい。神社の本殿も鳥居をくぐった参道の先にある……。
 私は、なるほどと納得するとどうじに〝秘密の塀〟の謎がとけた気がした。正門のゲートは軍に供出させられたのではないだろうか。金属不足をおぎなうために寺院の鐘や仏像まで持っていったというから、その可能性は大いにある。しかしそれを口にだすことはしなかった。なにより話しの腰を折りたくなかった。私はちいさくうなずき、話しのつづきを待った。
「やがて戦争がはじまり、戦況が悪化してくると、この森も安全とはいえなくなりました。その当時、お隣の自動車工場では戦闘機をつくっていたそうです。そのために空襲の集中攻撃をうけるというので、いそいでチャペルの屋根を黒く塗ったそうです」
「瓦をですか」
「はい。じっさい空襲がはじまると、お隣の工場へは池ができるほどの大きな爆弾がたくさん落ちたそうですが、ここへはひとつの爆弾も落ちなかったそうです。主が私たちのチャペルをお護りくださったのです」
 私は小学校の社会科見学でその自動車工場に行ったことがある。係の人に案内されて宏大なエンジンの組立ラインを見学したが、案外簡素な設備にがっかりしたのを憶えている。無論シスターが言うような戦争の傷跡はそこにはなかった。
 それでも戦時下の重要な軍需会社である航空機工場が、敵空襲の重点爆撃目標にされたことは想像できる。その渦中にこのチャペルが一発の焼夷弾もうけなかったというのは、やはり奇蹟というよりほかないのかもしれない。
「終戦は私たちにとっても大いなる福音でした。戦後しばらくはこのチャペルが使われたそうですが、その後の復興とともに現在の教会堂が建てられ、それ以降はそこで全校的な行事や音楽祭がおこなわれるようになりました。ですからたとえ卒業生でも懐かしさでここへくる人はありません」
 最後の言葉は私の嘘が(はな)から看破されていたことを語っている。シスターはただ、卒業生でもない私がどうしてK教授のことを知っているのか、そのわけを確かめたかっただけなのかもしれない。
「シスターはK教授をごぞんじなんですか」
「お名前だけは」
「と言いますと」
「本校では毎年十一月に、学園の創設や発展に尽された先人をしのぶ『先人祭』という行事がおこなわれます。その偉功を讚え、献身に感謝を捧げるのです。K教授は戦後の再建に尽された貢献者であり、偉大な神学者であり、敬虔なクリスチャンであった。その聖者のお名前を私たちが忘れることはありません」
 十一月なら『先人祭』は終わったばかり。私は歴史どうよう教義にも疎いが、それでも尋ねずにはいられなかった。
「シスター、あなたはなぜお祈りを」
「あなたはなぜここに」
「それは……」
「行き場をうしない、救いを求めてくる人を、主は決してお見棄てになりません」
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