その27 逃がすの、今日じゃ

文字数 494文字

 タンスやテレビが運び出され、寂しくなったリビングに単調な音が響いている。もう水替えは要らない。コンセントを抜き、エアーポンプを引き上げた。両手で水槽を持ち上げ、ゆっくり家の外へ出て水路へと向かった。アカを素手で捕まえたのはここじゃった、と思い出す。元おったところに返すだけじゃ、と自分を納得させた。水路脇に水槽を置き、底に横たわる円筒を拾い上げた。この筒は雨樋(あまどい)のパイプの一部。プラスチックだけど丈夫だ。中を(のぞ)くと、両方のハサミを天井にぶつけて威嚇(いかく)していた。怒っとる姿も見納めじゃな。

 お姉ちゃんはキモイ、といってアカに餌の煮干をあげることもしない。転校前の告白に失敗したのか、今日は一層不機嫌だ。本当は怖いんじゃろな。ハサミは痛そうじゃけど、可愛い奴ぞ。

 水槽の水と砂利を流し、改めて筒を持ち上げた。アカは筒の中で縮こまっていた。アカだけを水路に落とそうかと思った。が、慣れた住処(すみか)ごとの方が優しいと判断し、静かに筒を水路の底に置いた。それでも驚いたのか、アメリカザリガニは筒から飛び出て、ハサミを振り上げた。さようなら。空の水槽を抱え、家まで走った。明日はもう、懐かしい広島じゃ。

[了]
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