第33話 二百年前の話 ①

文字数 2,672文字

 ちょっと待て。話がでかすぎる。人を凍らせて未来へ転送する?

「俺たちを下層階へ送ったときみたいにか」

「よく分かってるじゃない」

 いや、だとしても二百年の凍結状態など誰も成功するかどうかなんて分からないのではないか? アークにはそれができたのか? 

 俺の疑問を全て答える気にアークがなるのは何年先だろう。諦観の念が顔に出ていたからか、アークはこの店では素直になれるのか、微笑むことをやめた。その掘りの深い瞳はアンヌ・フローラに見せられた最初の書類の病み上がりの患者に見えた写真とそっくりだ。

「多くの命は二百年という歳月に堪えられず失われた。
 俺は百年早く目覚めて、自身には手術を施し若返りを保ちながら、目覚めていない人間も見守っていた。
 そうこうしているうちに病にかからないで生き残った人類のほんの一握りのグループが、このアルザスを形成した。
 いわゆるノアの子孫(ノーデ)たちだよ。
 彼らはもちろん選ばれて生き残ったけど、神に選ばれたノアなんていう人種じゃないことぐらい分かるでしょ? 
 睨まないで、俺が選んだんじゃないよ。
 もっと、そう研究熱心な……本筋を外れるからこれくらいにするよ。
 建国されてすぐのアルザスでは病の治療方法もあるにはあった。
 だが、被験者となる病の人間がいなかった。
 一人残らず俺が凍らせたからだね。不安定な薬だけが手に入った。
 俺はニノンも二百年待たさずに目覚めさせることにした。
 彼女は、案の定、病のせいで若返りをはじめて現在までの百年を過ごした。
 その不安定な薬を与えて様子を見ていたら、その薬は副作用があったんだよ。
 彼女は、感情を失くしていくんだ。
 それでも、彼女には生きていて欲しい。
 だから、彼女の精神の昇天日は記憶がほとんどなくなった五十年前の五月一日に決めた。
 君と君の友達のマルコを拾った日と同じさ。
 あの日から彼女は感情を失い続けている。
 姉さんは、別の個人になってしまったとしても俺はその肉体を生存させていたい」

 俺はニノンの虚ろな瞳を覗きこむのが忍びなかった。彼女は今も兄の傍に控えながら、彼の告白を耳を貸すでもなく何を思って、何を見つめているだろうか。彼女の視線の先には冷たい床が広がるばかりだ。

「二百年後に行けば、この感染症は治る病になると思った。俺は医者であって科学者じゃなかった、あのときはまだ。冷凍保存技術が確立されるまで何年かかるかも分からなかった。なら、俺が俺自身の手で凍らせるしかないだろ」

「だからって全人類を凍らせる必要があったのか」

「あいつらが俺を裏切ったのが悪いんだ」

 アークは何かにすがるような、怒りに満ちた眼差しで俺を睨んだ。俺を通して誰かを見ている。取り乱しようは、これまで誰かに見せたことがないのではないか。

 すぐに自分でもそのことに思い至ったのか、視線を反らすように自嘲した。俺の傷口の縫合もいつの間にか終わっていた。ここで言葉を選ばなければ、アークはもう口を閉ざしてしまうだろう。

「俺はマルコが死んだことをなかったことにしたいって思ってる。それが無理でもマルコを存在させたかった。
 今でも思うんだ。
 ときどき、マルコがもしロボットだったらUコードシステムに殺されずに済んでこんな辛い思いしなかったんじゃないかとか。
 マルコがロボットになってもマルコっぽい感情さえ握っていてくれたらそれでよかったんだ。
 でも、今はあのUコードシステムが俺を苦しめるんだ。
 あんたと違って俺は誰かの裏切りにあったとかじゃない。ただの自己満足と言えばそうだ。
 だからあんたが、ニノンをこういう状況にしてでも生き永らえさせた理由を知りたいんだ」

 アークが開口一番に俺を黙らせることを覚悟していたが、俺の話にじっと耳は傾けていて、施術は終わりだと告げた。そのあと、片付けやらで俺のことは完全に無視だ。俺も麻酔で動けないのでアークより先に作業を終えたニノンをじっと見上げていた。

 アークが戻ってくるなり、ニノンを遠ざけ、俺を簡易ビーニールで覆った。まるで死体袋に詰められたみたいだ。チューブがあって、中に酸素が送られてくる。感染症にかからないように集中治療室みたく隔離しているようだ。

「君の麻酔が後十分ほどで切れたら、ここを出るよ。だけど、あんな話で俺と馬が合うとでも思ったの?」

 いつの間にか警報音も鳴りやんでいて、アークは自分にだけアイスティーを入れなおしていた。俺は苦笑した。こいつは本当素直じゃないよな。

「二百年前の話なんだろ。何がおかしくて、何が正しいかなんて俺には分かりっこないんだ。昔話として聞かせてくれてもいいんじゃないのか」

「知ってる? 本音で話し合いをしたい場合、場所を選ぶことをお勧めするよ。ここは仮にも俺の第二の職場。職場っていうのはリラックスできないものなんだよ」

「悪かったよ。でも、もうくつろいでるだろ自分だけ」

 ニノンに紅茶菓子を持ってこさせて、電子テーブルを触りだした。卓上のパネルが上層階の気温を映し出している。それだけでなく、上層階のドームから見える本物の空の天気まで調べている。上層階の気温なんて年中ほぼ一定に保たれているし、天気予報を見るのは星の愛好家ぐらいのはずだ。

「冗談を言い合う仲なのはマルコだけで十分でしょ。俺はニノン以外の人間には関心がない。それどころか全員殺そうとしたも同じなんだよ。救うつもりがあったのかも今となっては分からない」

 アークの二百年前の話は、古びた絵本の内容ではなく、とても最近のことのようだった。一つの国しか存在しない今と違って、国がたくさんある。ビル群が並び、どこも上層階ほどの水準を誇った都市が乱立していたという。

 国も百を越え、今のエルザスかアルザスかという争いもとても小さな問題だそうだ。この星という単位で温暖化による危機が迫っていた時期もあった。

 それも温暖化(メサ)冷却()装置()の登場で危機は去ったという。ざっと大まかな概要を流し読みのように喋ったアークは、自分たちのことを話す段階になって、言葉にすることで感情を失くしていくようだ。

「温暖化問題が一段落したころ、世界的に蔓延した病が早若病。俺は二百年前存在していた国、ランセスで医者をしていた。ニノンの幼児化を防ぐために、各国の医者と情報を共有したんだよ」

 不服と言わんばかりの顔で、俺に微笑む。

「ランセスって、今の上層階の連中の国はどれぐらい幅をきかせてたんだ? お前はひょっとしてランセス人じゃないのか?」

 アークはかぶりをふった。面倒で仕方がないといった様子だ。
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