開戦と誤解(執筆者:美島 郷志)

文字数 5,821文字

 私達を案内しに来たのは、私をあの暗い部屋の中に閉じ込めた麗人だった。麗人はまず私の顔を見るなり、目を伏せて、顔をしかめた。彼なりに謝罪のつもりらしく、もっとちゃんとした謝り方があるだろうと問い詰めようとしたら、察してくれと言わんばかりの流し目で無視された。彼にもなにか事情があるらしい。

 で、彼の名前は「セブン」と言うらしい。女王様の側近で、身の回りや政務の手伝いをしている、いわゆる秘書みたいな人だ。首筋や手首にハートのタトゥーがあるのはちょっと可愛らしいなとは思うが、それ以外は基本的にお役所に居そうな真面目系のお堅い人だ。せっかくの好青年っぽい人なのに、その性格の悪さと金髪は本当に損していると思う。今度美容院で黒に染めてきなさい。

 セブンに連れられて、私は緊張で膝ガックガクなのに対し、南方さんは軽いお散歩気分で鼻歌歌いながらスキップしてる。もしかしてこの子もの凄く大物なの? これから女王様に会いに行くんだよ? 友達の家に遊びに行くんじゃないんだよ? わかってる?

「着いたぞ。入れ。」

 セブンに促されるまま、私たちは大扉の中をくぐった。

 一目で、私は別世界に来たのだと認識させられた。

 外はどちらかというとローマっぽい感じだったが、部屋の中はちゃんとヨーロッパな雰囲気で、赤い絨毯や高そうな置物、色鮮やかなツボや装飾品や工芸品が壁にある縁という縁に飾られている。そして壁一面がモノトーンに仕上げられていて、ここはいわゆる「不思議の国のアリス」のお城なのだと認識した。

 つまり……女王様も、不思議の国のアリスみたいな……? 確か凄く残酷な性格だった気がするんですが……。

「女王様、お連れしました。」

 そう言うとセブンは跪き、右腕を胸に当てて敬礼する。

 赤いじゅうたんが伸びる階段の向こう、そこからゆっくりと近づいてくる彼女は、とても滑らかな足取りでこちらへ向かってくる。

 とても背が高い、しかし誰もが憧れるすらりと伸びた背筋は美しく、お人形のような顔立ちでありながら凛々しい目つき、ドレスの裾に隠れて見えない足取りは、それだけで気品を感じさせ、見下す者を圧倒するようだった。

 しかしその瞳は、あまりにも暗く、冷たい。まだ死んだ魚の方が輝いて見える程に曇っていた。

「……おい、女王様の御前だ。頭を下げろ。」

「構わないわ。そのままでいて。」

「し、しかし女王……」

「セブン、いつも言っているでしょう? 女王はあくまで建前であって、その本質は違うと。」

「ですが……」

「いいから立ちなさい。でないと話が進まないわ。」

「……かしこまりました。」

 女王に言われて立ち上がるセブンは凄く不満げに私達を睨んだ。

 まぁ、真面目なあなたはそうだろうけど、私は結構助かっちゃったなぁ……。

「最初に言っておくわ。私はあなたに用はないの。あなたに用があるのはこっち。」

 女王は気だるげに顎を使って、私に後ろを振り返るように促した。私が言われるがまま後ろを振り返ると、閉まっていた大扉が突然、バンッ! と大きな音を立てて開いた。

「ヒマリ! 良かった! 無事だったのね!」

 現れたのはスノウ様だった。スノウ様は遠目でもわかるほどに涙を浮かべ、真っ白なドレスの裾を持ち上げながらこちらに駆け寄ってくる。

「スノウ様!? どうしてここに!?」

「チェシャから連れていかれたと連絡があって、いてもたってもいられなくて! 本当に無事でよかった! 大丈夫? 怪我とかしていないかしら?」

「あ、あの、大丈夫ですから……少し離れていただけると……。」

 スノウ様はよっぽど心配してくれていたのか、私をぎゅっと抱きしめて離そうとしてくれない。それと怪我の確認とは言え、普段触られないような所を触られてしまうとちょっとくすぐったい……。

「ヒマリ、すまない。私の力不足で……。」

「チェシャ! 身体は大丈夫?」

「あぁ。お陰様で、な……。」

 チェシャも付き人として同行してくれたらしい。チェシャは私に元気そうな笑顔を見せると、セブンの方をギロリと睨みつけて牽制する。

「……スノウ、扉は静かに開きなさい。品が削がれるわよ。」

 感動の再会はよそに、女王様がスノウ様に向けてそう言うと、スノウ様はすぐに険しい表情になり、女王様へと向かっていった。

「お姉さま! 今度という今度は我慢できません! なぜ私の大切な友人を幽閉なんてしたんですか!? どうして三日も、あんなおぞましい場所へ閉じ込めたのですか!?」

 スノウ様は激昂した。あんなに優しそうだったスノウ様が、鬼も裸足で逃げ出すような剣幕で女王様へ詰め寄っていく。しかし、女王様へと続く階段の手前で、セブンに前を遮られる。

「どきなさいセブン! これは私とお姉さまの問題です!」

「いくらスノウ様と言えど、これより先はご遠慮願います。」

「女王しか登れぬ階段だからですか!? 知れたことではありません! そこをどきなさい!」

「これ以上進もうとするのであれば反逆者と見なします! それでよろしいか!?」

「私はお姉さまをお慕いしております! だからこそ言わねばならないのです! こんなことは、悲しみを繰り返すだけだと! だからそこをどきなさい!」

 女王様の下へ駆けあがろうとするスノウ様とそれを止めるセブン。二人とも一歩も譲ろうとはせず、それを眺めていた女王様は、深い溜め息を一つ吐いた。

「……スノウ。――」

 そして、低く重くのしかかる声が発せられ、身の毛がよだつような体を締め付けられる視線が飛ぶ。

「小さい頃、一緒によくあそこで反省させられたわね。二人で抱き合って怖がったのが懐かしいわ。そして、あなたは私の唯一の妹よ。――」

 スノウ様が、その圧に押されて唾を飲みこんだのが目に見えた。

「――だから、私にあなたを殺させないで。愛しい妹スノウ。」

 その場にいた誰もが凍り付いた。人を殺すこともいとわぬ悪魔のような瞳の輝きは、直に見つめれば気が狂ってしまいそうなほど禍々しく、そのあまりの迫力に、セブンを押しのけようとしていたスノウ様の腕が下がる。

「……それでも、やはりこんなの間違っています。」

 しかし、スノウ様の拳は固く握られ、周囲が冷たく、プリズムのような輝きを放ち始めた。

「お姉さま……あの凛々しく可憐な、皆を励まし希望だったお姉さまは、どこへ行ってしまわれたのですか?」

 やがてスノウ様の足元から、真っ白なシャーベットのような物が浮かび始めた。雪だ、スノウ様の足元から雪が浮かび始め、周囲の空気も少しずつ凍え始めている。スノウ様の頬を伝う涙が徐々に凍り付き、姉を思う心の流線が悲しく輝いている。

「……そう、本気なのね、スノウ。いいわ、あなたがその気ならやってみなさい。」

 それなのに、それを見つめる女王の眼差しはあまりに優しく、むしろ少し安堵しているようなものだった。

「私は……少し、休ませてもらおうかしら。」

「ハート様!!」

 女王が瞳を閉じ、セブンが女王の下に駆け寄った、その時だった。また後ろの扉が、今度は何かで勢いよく叩かれたような大音で開いたのだ。


『革命だー!! スノウ様を援護しろー!!』

『俺達の手で、スノウ様を女王にするんだー!!』

『滅びろハートアイランド! スノウ万歳ー!!」


 雪崩れ込んだのは若い男達だった。それぞれ思い思いの武器を手にして、一目散に女王へと猛突してくる。

「ヒマリちゃん危ない!!」

 声がしたのも束の間、私は南方さんに腕を引っ張られ柱の陰に引っ込まされた。

「えっ、なになに!? どうなってるの!?」

「しっ! 見ちゃダメ!」

 私は南方さんの手に目を覆い隠され、事態が呑み込めないままその場にうずくまった。

「やはり情報通りか!! スノウ! 貴様女王の妹君でありながら!!」

 セブンが迷うことなく懐の細剣を抜き、スノウの首目がけて一目散に飛び込んだ。

 しかしその剣尖は届かない。間に入ったチェシャが剣を抜き、セブンの剣をいなして体当たりする。突き飛ばされたセブンは無造作に転がり、すかさずチェシャが追い打ちをかけようとする。

「おやめなさいチェシャ!! それよりも……。」

 スノウは仰天していた。彼らが自分の名前を叫びながら、何をしているのかがわからないのだ。だが彼らの持っているそれが、明確な殺意の下であるものだというのは瞬時に理解できる。

 そして、それが誰に向けられているものなのかも。

「【露よ、その身を凝らせ、その身を晒し、荒れ狂うもの共を鎮めよ!!】」

 両腕を広げたスノウは大気中から白くなった水蒸気を集め、それを瞬く間に白い雪へと変質させていく。やがてそれは山一つほどの量へ膨れ上がった。

「【アイシクル・プロミネンス】!!」

 掛け声と共に振りかぶられた腕の先を這うように、白雪から生み出された竜が牙をむき出しにして青年たちに襲い掛かる。竜の体に触れた者達はことごとく雪に覆われ、その動きを封じられていく。

『スノウ様!? どうして!!』

「なにかは知りませんが……お姉さまに刃を向けるのなら容赦はしません!!」

 動揺する青年たちに、スノウは凛として言い放った。それを見ていたセブンは困惑し、剣を握る手の力を緩める。

「なぜだ……これはどういうことだ?」

「それはこちらのセリフだ、セブン。これは何だ? なぜスノウ様がハート様を殺すなど……。」

「何? スノウ様はハート様に、クーデターを企てているのではなかったのか?」

「クーデター? ふざけるな! スノウ様とハート様の仲はお前も知っているだろう!? なぜスノウ様がハート様を殺さねばならない!?」

「バカな……ではなぜ彼らは……。」

 チェシャとセブンは、互いの言い分に耳を疑っていた。セブンは、スノウが現れたのはハートを殺すためで、ヒマリはその言い分に過ぎないと考えていた。故にヒマリを餌におびき出し、返り討ちにしてやろうと画策していたのだ。対してチェシャも、ヒマリを無断で区の中に入れたスノウを心配してついて来たのだが、まさかそんなことになっているとは夢にも思わない。

 共に傍に使える二人が葛藤していた、その時だった。

『……違う、あいつはスノウ様じゃない! スノウ様の偽物だ! アイツらはグルだ! 構わず殺せ!』

 一人がそう叫び、スノウに向かって武器を投げつける。

「【スノウ・ドーム】!! ……一体何を言うのです!? 私は本物です!」

「おのれぇ!! ……誰だ! スノウ様を愚弄する奴はこの私が許さん!!」

 困惑を深めるスノウと激怒するチェシャ、青年たちは更に勢いづき、城の間は混沌を深めていく。

 そんな収拾のつかなくなってきている事態に、一人、溜め息を吐くものがいた。

 彼女は、コツンとその足を鳴らす。

「……くだらない、やってる事が野犬だわ。革命だかクーデターだか知らないけれど、もう少し頭を使いなさいな。猿でももう少しまともにやるわよ?」

 コツン、コツンと鳴る足音は、ゆっくりと階段の端へ近づいていく。それを一段一段ゆっくりと降りていくと、ついにスノウのすぐ傍まで辿り着いた。

「――ただ、人の命を狙うのなら、自分も覚悟はできているのよねぇ!!?」

 明らかに激昂しているその声に、スノウははっと我に返って振り返った。

 女王が、深く息を吸いこむ――。

「……いけませんお姉さま!!」

 始まりは、その間に響き渡る麗らかな高い声。ゆっくりと旋律をなぞっていく音の波は、心臓の鼓動を加速させ、体中の血を湧き上らせる。叫び、呪い、穿つ。脳の髄までその歌声が響いた時、脳天からぐるりと回った眼球が、行き場を失って頭蓋の中を転げまわるような快楽。やがて身体の奥から込み上げてくる物に耐えきれず、吐き出せばどろどろとした世界が瞬く間に真紅に染め上がっていく。

 一人、また一人とそのリサイタルに耐えきれず、最期の旋律が城の間を反響すると、無慈悲な静寂が余韻を嘆き、静まり返る。

「……【罪と踊る狂想曲(パナンス・トゥ・カプリチオ)】。」

 女王は息を切らしながら、静かにその瞳を閉じた。

「お姉さま……そんな……そんな……。」

 スノウはただの肉塊になり果てた青年たちの夢の後を見つめ、その涙を覆い隠した。

「んぅ……なんか……凄く気持ち悪い。」

 南方さんの手が離れて、目に飛び込んでいたのはスノウ様が顔を覆い隠して泣いている姿だった。それだけじゃない、その先にはぐちょぐちょになった何かと、明らかに絨毯の色ではない赤色が散らばっている。

「な……なにこれ……一体なにがどうなって……。」

 さっきとは全く違う景色に、私は何が起こったのか飲み込めないままでいると、ドサッと、何かが倒れるような音がした。

 音のした方向で、女王様が倒れているのが見えた。

「女王様!?」

 私はおぼろげな足取りで女王様に駆け寄り、その体を抱き上げた。遠目で見ていた時よりもはるかに小柄で、身体の線が細く今にも崩れ落ちてしまいそうなぐらいだ。だがそんな華奢な体に似合わない高温の熱が、彼女の全身を包み込んでいる。

「すごい熱……早く病院へいかないと……。」

 息も荒く、このまま死んでしまったらどうしようと、恐怖が私に囁いてくる。

「女王様を早く医務室へ!! 急げ!!」

 するとセブンが、叫び声を上げながら誰かを呼びつけ、私の腕の中から女王様を乱暴に奪い取り、どこかへ走っていく。私はただそれを呆然と見つめながら途方に暮れていた。

「お姉さま……どうして……どうして……。」

 スノウ様の悲しい声に引き寄せられ、私はその肩に身を寄せた。スノウ様はとても動揺しているみたいで、城の間に流れる無言の空気は、とても居心地のいいものでは無くなっていた。

 スノウ様が落ち着いて、その後私が彼女の目の前に広がるものが何かを悟った時、猛烈な吐き気が私を襲ったのは言うまでもない。
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