第4話

文字数 2,311文字

 ついに、九十八個(・・・・)を集めたという男が現れました。スライという名の、悪い噂しか聞かない男です。彼と付き合いのある者は、揃って彼を「ずる賢く、卑劣な男」と評しました。彼の顔はネズミに似ていたので、「スライは俺たちの財を盗み、食い潰すネズミだ」と言う者もありました。
 スライの悪評は、王様の耳にも入っていました。王様が望む「誠実な男」とは対極の位置にいるスライ。彼と愛娘の結婚は、地獄の業火に焼かれるよりも辛いことです。
 王様は、上手く理由をつけて追い払おうと試みます。
「スライとやら、九十八個のエメラルドを集めたのだな。たった二個、されど二個であるが、百個には足りん。よって、貴様に姫はやれん。帰るがよい」
「ちょっと、ちょっと待ってくだせえよぉ。なんですか、王様は、(わたくし)めが苦心して集めた九十八個のエメラルドの検分さえせず、帰れと申し上げるんですか? 汗水垂らして集めたのに!」
 スライは哀れっぽい声音(こわね)で懇願します。
後生(ごしょう)ですから」
 面倒になった王様は、家来にエメラルドを検分するよう言いました。挑戦者が集めたエメラルドは、偽物が混ざっていないかを確認し、砂漠にまき直していました。その確認作業が早まった、程度の認識を王様はしていました。

「九十八個、全て本物です!」
 家来の一人が振り返り、姿勢を正して声を張り上げました。王様の背中を冷たい汗が滑り落ちます。
「九十八個が本物ということで……。私めに姫様をくださいますよね」
「なんだと? わしは百個集めてこいと言ったぞ。二個足りないではないか」
本当は九十八個しかないんでしょう(・・・・・・・・・・・・・・・・)?」
 王様は、手が震えているのを感じました。動揺の渦に呑まれてしまいそうなのを、なんとかこらえます。
「エメラルド探しは至難のわざ。最高でも、九十八個しか見つけられていないと聞きます。挑戦者は星の数よりも多いのに、誰も九十九個目と百個目を見つけていないのは何故(なぜ)か? 私めの答えはこうです。二個のエメラルドは元々存在していなかった。……王様、答え合わせをしやしょう。エメラルドは本当は何個なんです?」
 スライは、九十八個しかエメラルドがないと見抜いていました。しかし、王様が偽りの個数を告げた意図については図りかねている様子でした。
「……エメラルドは、百個だ」
「嘘はいけませんよ、王様? もしかして姫様を誰にもやりたくねえんですか? 気持ちは痛いほど分かりやすが、不正はよろしくないのでは?」
「不正などしていない! エメラルドは百個だと言っている!」
「またまたぁ。一国の主が国民を騙していたわけは、溺愛する娘を男たちの魔の手から守るため。花婿選びの試験に失敗すれば、諦めもつくってもんですからね。男避けには有効な手段だ」
 スライはにやつき、王様を追いつめます。王様の奥歯が固い音を立てました。
「……わしは国民を騙してなどいないし、娘を嫁にやりたくないなどとは思っておらん! 貴様のような下種(げす)は、死んでも花婿として迎えんがな!」
 嘘も方便。自分がついた嘘は、花婿候補をふるいにかける役割を持っていると王様は信じていました。彼にとって、その嘘は必要な嘘でした。
「花婿として迎えない……ですって?」
「ああ、貴様に姫はやれん。不幸を撒き散らすネズミめ!」
「ネズミだと……? この老いぼれが!」
 スライは「ネズミ」というあだ名を嫌悪していました。顔面に対するコンプレックスを、的確に煽ってくるからです。
 人々に陰で「ネズミ」と呼ばれていることをスライは知っていましたが、面と向かって蔑称(べっしょう)を叩きつけられるのは初めてでした。
 スライは怒りに吠えると、王様に飛びかかりました。そのすばしっこさは、彼が嫌うネズミそのものでした。
「不届き者め! 引っ捕らえろ!」
 兵士が捕らえる前に、スライは王様の肩に手をかけました。兵士が引き剥がそうとしても、磁石のように離れません。骨の浮いた手には、執念がこもっていました。
「てめえは百個のエメラルドを集めろと言った! ならばな、てめえの顔に二つついているエメラルドをもぎ取って、めでたく百個にしてやるよ! 随分くすんだ宝石だがな!」
 獣とも悪魔とも、化け物ともつかぬ咆哮(ほうこう)でした。
 スライはエメラルドの眼球に指をかけ、えぐり取ろうとします。王様は瞼を下ろして抵抗しますが、スライの人ならざる剛力に、少しずつこじ開けられていきます。
 爪の先が瞼の裏側に入り込もうかといった時です。スライの体が揺れ、魔の剛力も消えてなくなりました。彼は「ちくしょう……呪ってやる……殺してやる……」と呪詛(じゅそ)を吐くと、前に崩れ、王様の肩口に顔を(うず)めました。王様は、触れ合った胸に鼓動を感じないことから、悪人の死を認識しました。
 スライという壁が開けると、若い兵士の姿が見えました。兵士は口をはくはくと開閉し、脚をがくがくと震わせています。彼が持っている槍の()には、血がついていました。
「わ、私は……」
「わしを守るために動いたのだろう? 大義であった。お前の名を聞きたいのだが」
「ブ、ブ、ブレイヴと……申します」
「ブレイヴ……良い名だな。恩人の名、決して忘れぬと誓おう」
 ブレイヴの肩に労りの手を置くと、王様は自室に引き上げようと玉座を立ちました。家来や兵士たちも、エメラルドの回収や死体処理に動きます。
 (みな)が去ると、冷たく恐ろしいものが謁見の間に立ち()めました。
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