明るい夜の食卓
文字数 2,012文字
壁にかかった時計を見ると、午後9時半を回っていた。今は夜のない季節なので窓の外は明るい。そのせいで、だらだらと業務を続けてしまった。オフィスにはもう自分一人しかいない。
課では定時退庁を推奨している。黒光りする羽の先で、住民の移住先割り振り区画データを保存し、パソコンの電源を落とす。鞄のなかを整理して、オフィスの照明を消して自動ドアを出た。
空いている地下鉄に揺られ、体を左右に揺らし足を大きく動かしながら家路をたどる。色とりどりの屋根の半地下の家が並ぶ住宅街。このあたりはまだ振り分けが決まっていなかったなと、ぼんやり考える。
「お帰りなさい。遅かったわね」
「ああ、ちょっと仕事が立て込んでいてね」
赤い屋根の自宅に着くと、恋人のキャシーが玄関まで出迎えてくれた。中へ入ると、母は台所に散乱している生成食材缶詰の空き缶を片付けていた。
「まったく。キャシーさんが来る日だというのに、残業とは」
父は食卓の立派な椅子に座って文句を言った。
「移住計画がらみなんだよ。仕方ないだろう」
鞄をソファに置いて、食卓に腰かけた。
「移住計画、フン、忌々しい。我々ペンギンは氷に足をつけて、海を泳ぐ生き物だ。他の鳥類と違って飛ぶことはできん。なのに空中都市へ移住などと、馬鹿げた計画だ」
テーブルに皿が並べられる中、父はまたぶつぶつ文句を言い始めた。
「あら、空中都市にも氷や海があるのよね、エリック」
「うん。視察に行った同僚の話だと、ずいぶん大きな湖があって、氷の島が浮いているんだ。気温もうんと低く設定されていて、まるで南極と変わらないらしい」
「そんなもん所詮ハリボテだ。鳥類は圧倒的に飛べる種族が多いんだ。その鳥類が作った空中都市で飛べない鳥が生きていけると思うか? 適応できっこない。空中都市に住めば飛べるようになるか? 不可能だ。体のつくりからして違うんだ。筋肉を鍛えても飛べるようにはなりはせん。念力でも使えばできるかもしれんがな。
適応できない場所にいたら寿命が縮まるぞ。きっと悪い病気が流行る。そうでなくても早死にだ。知らないうちに体に負担がかかって消耗するんだ。精神的にも鬱になったりしてな。どの動物もいるべき場所がある。人間の時代から住み続けた土地が一番良いんだ」
「南極だって、俺たちケープペンギンにとって、そうじゃないじゃん」
弟がフォークをくちばしに運びながらぼそりと言った。
「そうだとも。哺乳類や爬虫類に追われてアフリカ大陸から南極へ来たんだ。今度はトドやアザラシに追われて、海からはシャチに追われて、空へ行けとさ」
「あのひとたちに追い出されるみたいな言いかたね。移住は世界動物平和連合が長いこと検討した上で進めていることよ。当事種族投票でも賛成多数で決定したんですから」
「賛成が多かっただけで反対がいなかったわけじゃない。見ただろう、アデリーペンギンたちのあのチラシ。強制移住断固反対、と」
「アデリーペンギンは何でも反対だろ。ケープペンギンの南極移住にも反対してた」
また弟がぼそりと言った。父はフォークを乱暴に食卓に置いた。
「何だお前は、さっきから。父さんがあいつらと同じだとでも?」
弟は無言で皿に一かけら残った食べ物を平らげ、皿をシンクに下げて部屋に戻ってしまった。
「なんだ。感じの悪いことばかり言って。大学で何を学んでいるんだか」
「しっかり勉強している証拠ですよ。アフリカから南極への移住なんて、お父さんたちの前の世代の話でしょう。あの子、生まれてもいないんですからね」
キャシーが優しくとりなしてくれた。
「そうさ、それにあいつの方がよっぽど現実が見えているよ。父さん、飛べない鳥が空中都市で病気になるなんて根拠のない妄想さ。先に移住したダチョウには、そんなことまったくなかったんだから」
「ペンギンに起こらないとは限らん」
「お父さんったら、いい加減に腹をくくりなさいな。こうしてエリックが残業するくらい、計画は進んでいるんですからね」
母にたしなめられると、父は不機嫌にくちばしを閉じ、小さな声でぶつぶつ文句を言い続けていた。
「住めば都といいますから、空中都市でも楽しく暮らせますよ。
わたし、小さな頃から空を飛ぶことに憧れていたんです。それこそ念力を使って飛べないかって思うくらいに。だから移住が楽しみなの。そりゃあ、今は飛行機もあるけれど、自分の翼で自由に飛ぶのとは違うわ。空中都市で風や太陽の光を感じながら、いろんな場所を見下ろすのが、飛ぶのに一番似ているはずよ」
キャシーの声は明るく食卓を照らした。
「そう考えると、移住はある意味、僕たちペンギンにとって進化なのかもしれない。飛べない僕らが空で飛ぶように生活するんだから。ひょっとしたら何百年後には、念力を使わなくても飛べるようになるかもね」
キャシーも母も声を立てて笑った。父は馬鹿げていると首を振って、飛べっこないとくちばしの中で呟いていた。
課では定時退庁を推奨している。黒光りする羽の先で、住民の移住先割り振り区画データを保存し、パソコンの電源を落とす。鞄のなかを整理して、オフィスの照明を消して自動ドアを出た。
空いている地下鉄に揺られ、体を左右に揺らし足を大きく動かしながら家路をたどる。色とりどりの屋根の半地下の家が並ぶ住宅街。このあたりはまだ振り分けが決まっていなかったなと、ぼんやり考える。
「お帰りなさい。遅かったわね」
「ああ、ちょっと仕事が立て込んでいてね」
赤い屋根の自宅に着くと、恋人のキャシーが玄関まで出迎えてくれた。中へ入ると、母は台所に散乱している生成食材缶詰の空き缶を片付けていた。
「まったく。キャシーさんが来る日だというのに、残業とは」
父は食卓の立派な椅子に座って文句を言った。
「移住計画がらみなんだよ。仕方ないだろう」
鞄をソファに置いて、食卓に腰かけた。
「移住計画、フン、忌々しい。我々ペンギンは氷に足をつけて、海を泳ぐ生き物だ。他の鳥類と違って飛ぶことはできん。なのに空中都市へ移住などと、馬鹿げた計画だ」
テーブルに皿が並べられる中、父はまたぶつぶつ文句を言い始めた。
「あら、空中都市にも氷や海があるのよね、エリック」
「うん。視察に行った同僚の話だと、ずいぶん大きな湖があって、氷の島が浮いているんだ。気温もうんと低く設定されていて、まるで南極と変わらないらしい」
「そんなもん所詮ハリボテだ。鳥類は圧倒的に飛べる種族が多いんだ。その鳥類が作った空中都市で飛べない鳥が生きていけると思うか? 適応できっこない。空中都市に住めば飛べるようになるか? 不可能だ。体のつくりからして違うんだ。筋肉を鍛えても飛べるようにはなりはせん。念力でも使えばできるかもしれんがな。
適応できない場所にいたら寿命が縮まるぞ。きっと悪い病気が流行る。そうでなくても早死にだ。知らないうちに体に負担がかかって消耗するんだ。精神的にも鬱になったりしてな。どの動物もいるべき場所がある。人間の時代から住み続けた土地が一番良いんだ」
「南極だって、俺たちケープペンギンにとって、そうじゃないじゃん」
弟がフォークをくちばしに運びながらぼそりと言った。
「そうだとも。哺乳類や爬虫類に追われてアフリカ大陸から南極へ来たんだ。今度はトドやアザラシに追われて、海からはシャチに追われて、空へ行けとさ」
「あのひとたちに追い出されるみたいな言いかたね。移住は世界動物平和連合が長いこと検討した上で進めていることよ。当事種族投票でも賛成多数で決定したんですから」
「賛成が多かっただけで反対がいなかったわけじゃない。見ただろう、アデリーペンギンたちのあのチラシ。強制移住断固反対、と」
「アデリーペンギンは何でも反対だろ。ケープペンギンの南極移住にも反対してた」
また弟がぼそりと言った。父はフォークを乱暴に食卓に置いた。
「何だお前は、さっきから。父さんがあいつらと同じだとでも?」
弟は無言で皿に一かけら残った食べ物を平らげ、皿をシンクに下げて部屋に戻ってしまった。
「なんだ。感じの悪いことばかり言って。大学で何を学んでいるんだか」
「しっかり勉強している証拠ですよ。アフリカから南極への移住なんて、お父さんたちの前の世代の話でしょう。あの子、生まれてもいないんですからね」
キャシーが優しくとりなしてくれた。
「そうさ、それにあいつの方がよっぽど現実が見えているよ。父さん、飛べない鳥が空中都市で病気になるなんて根拠のない妄想さ。先に移住したダチョウには、そんなことまったくなかったんだから」
「ペンギンに起こらないとは限らん」
「お父さんったら、いい加減に腹をくくりなさいな。こうしてエリックが残業するくらい、計画は進んでいるんですからね」
母にたしなめられると、父は不機嫌にくちばしを閉じ、小さな声でぶつぶつ文句を言い続けていた。
「住めば都といいますから、空中都市でも楽しく暮らせますよ。
わたし、小さな頃から空を飛ぶことに憧れていたんです。それこそ念力を使って飛べないかって思うくらいに。だから移住が楽しみなの。そりゃあ、今は飛行機もあるけれど、自分の翼で自由に飛ぶのとは違うわ。空中都市で風や太陽の光を感じながら、いろんな場所を見下ろすのが、飛ぶのに一番似ているはずよ」
キャシーの声は明るく食卓を照らした。
「そう考えると、移住はある意味、僕たちペンギンにとって進化なのかもしれない。飛べない僕らが空で飛ぶように生活するんだから。ひょっとしたら何百年後には、念力を使わなくても飛べるようになるかもね」
キャシーも母も声を立てて笑った。父は馬鹿げていると首を振って、飛べっこないとくちばしの中で呟いていた。