02-05:『変』な少年

文字数 2,613文字

こぼれる鼻血にハンカチで鼻を押さえる。

怒り心頭に発して睨みつける一十(いとお)だが、
イサムは殴られたことに対して臆さない。

胸のすく思いすら感じていた。

割り込まれた荒涼は驚いたまま
平手が行き場を見失っていた。

「チョーシに乗んなよ、1年。」

一十(いとお)が拳を固く握りしめると緊張が走る。

彼はライオン頭の〈デザイナー〉であると同時に、
肉体を変更した〈パフォーマー〉であり
〈ハイブリッド〉と呼ばれる〈ニース〉だ。

〈NYS〉の技術で身体能力を向上させた
〈ニース〉の呼称であるが、
肉体を使った仕事に就くことが多い分、
損傷も多くあるが、皆それをいとわない。

故障や破壊や欠損さえも
〈3S〉で修復が可能となっている。

自分の発言が引き起こした報いだったが、
血に染まったことはさほど気にならなかった。

さらに血の出ていない鼻の穴を抑え、
吸い込んだ鼻血を吹き出した。

胸のつかえが下りて気分がよい。
興奮状態なのかもしれない。

鼻血が香水と獣臭さを抑えてくれる。
目の前に立つライオン頭を見上げる。

丁度、亜光と貴桜を足したような大きさだった。

「先輩だって…
 ちょっと早く生まれただけでしょう。」

一十(いとお)荒涼(こうりょう)を押しのけると、
再び右の拳がイサムの眼前へと迫った。

拳が頬に触れる瞬間にイサムは
半歩外側に避けて制服の肘を掴むと
勢いのまま前方へと引っ張った。

攻撃対象のイサムを失った一十(いとお)の拳は、
上体ごと床に倒れる事態を回避すべく
とっさに右足を前に出した。

見抜いてイサムは一十(いとお)の足を引っかけた。

獣がうめき声を上げて床に倒れたところを、
イサムは飛び乗って背中にまたがる。

左腕を左足で押え
右脇から右腕を潜り込ませると、
イサムは両腕で一十(いとお)の首を締め付けた。

一十(いとお)はその拘束から抜け出すべく
足や膝でもがき、締め付けられる
右腕でイサムの顔を力なく殴った。

拳が当たった先はまた鼻で、
今度は反対の鼻腔から血が湧き出す。

「ちょっ、なにしてんのチビ!
 ケイから離れなって!」

うつ伏せに倒された一十(いとお)に加担して、
荒涼がイサムの背中を平手で叩いたものの、
リズムよく乾いた音が教室に響いたに過ぎない。

イサムはこれ以上顔を殴られないために、
一十(いとお)のライオン頭のタテガミに顔を埋める。

息を吸い上げようにも、
鼻血が喉に貯まり咳き込む。

今度はタテガミから発せられた獣臭に当てられ、
鼻水と唾液混じりの血を吐き出した。

暴れる一十(いとお)を抑えるために
イサムは自らの両手を握り、
前腕で相手の喉をさらに強く押さえた。

一十(いとお)からの抵抗がなくなるとやがて、
張り詰めている肩の筋肉が緩むのが腕に伝わる。

イサムは一十(いとお)を床に眠らせ、
立ち上がってまともな空気を吸った。

鼻から顎まで顔は血まみれになっていた。

寝転がった一十(いとお)のタテガミの一部が、
見事なまでに赤く染まっている。

荒涼はなおも背中を叩き続けたが、
鼻血を吹き出すイサムの赤い顔に
小さく首を横に振ってその手を止めた。

マオはイサムの肩に手をやると、
後ろに押しのけて荒涼の前に立つ。

「それで荒涼さん。
 ブスロブスターってあだ名、
 訂正してもらえますか?」

「それ、気にしてたんだ…。」

思わず鼻で笑うと、
固まった鼻血の塊がすっぽ抜けた。

――――――――――――――――――――

透明な水は朱に染まると、
排水口へと吸い込まれていく。

イサムが手洗い場で血に汚れた顔を洗い、
鉄の味が残った口をうがいした。

女子生徒らの通報によって、
警備の〈キュベレー〉が駆けつけたときには
既に一十(いとお)は床に倒れて気を失い、
荒涼がマオに謝罪をしていた。

その〈キュベレー〉により、
一十(いとお)と荒涼は〈更生局〉に連れられていった。

また今回の事件に関わった人物の中に、
海神宮(わたつみのみや)家の御令嬢がいたこともあり
混乱も速やかに収束した。

亜光いわく、海神宮(わたつみのみや)家は
〈3S〉や〈個人端末(フリップ)〉といった
名府の社会システムを統括している。

今回の事件はマオは被害者という立場であり、
責任が問われはしない。

しかし自己と他者の為の正当防衛とはいえ
相手の首を絞めて気絶させたイサムには、
校則により1週間の謹慎処分が下された。

乾いた血を伸びた爪で剥がして洗い流し、
ハンカチで拭うとマオが近くに立っていた。

「テストは?」

「名前だけは書きましたよ。」

「追試確定ね。
 …八種くんは変ね。」

「変?
 それなら海神宮(わたつみのみや)さんのが。」

「私のどこが変なの。」

「変ですよ。
 ロブスターって言われたから、
 3年生にケンカ売ったんですか?」

「ロブスターじゃないわよ。
 ブスロブスターよ。」

「はぁ。」

「つまらない嘘を放っておく気に
 なれなかっただけよ。あと恐喝も。
 〈更生局〉が動く前にね。」

「結果は散々な感じになっちゃいましたが。」

「これも老婆(ろうば)心ってやつかしら。」

「好奇心の間違いじゃないんですか。
 どんな会話をして怒らせたんですか?」

「怒らせた? ヒト聞きが悪い。
 彼女は冗談がそんなに上手じゃないみたい。」

海神宮(わたつみのみや)さんが言いますか。それ。」

マオに言われてイサムは荒涼に少し同情した。

「八種くんこそ。
 〈レガシー〉なのに、変よ。」

マオがそう繰り返した。

彼女の言う〈レガシー〉は、
〈ニース〉によって容姿や肉体を
変更していない人や、
変更できない15歳以下の人をさす。
つまりただの〈NYS〉のままの人間だ。

人類が残した遺産である、と
仰々しく名付けられた〈レガシー〉だが、
この名府においては懐古趣味とみなされ
〈レトロ〉とあだ名される場合もあった。

転府ではイサムや姉のハルカなど
生まれつき整った顔立ちは天然物とも評され、
今は『聖礼(せいれい)ブーム』と呼ばれる流行によって
名府の〈ニース〉にコピーされている。

「その、どこが変なんですか?
 〈レガシー〉は、普通じゃないですか。」

「あぁ、価値観の問題じゃないの。
 殴られて見事に避けたじゃない。」

「殴りかかってくる相手なら
 そりゃ避けますって。」

好き好んで殴られる趣味はなく、
それに1発目は当たりだった。

「運動神経よかったのね。」

「まぐれ…ですよ。
 すごい大振りだったじゃないですか。
 僕はそんなに機敏でもないし。」

カフェで襲われそうになって
椅子ごと倒れたのを思い出したが、
それを口にするのは控えた。

マオの表情はなおも疑い深いままだった。
質問はまだ続く。

「じゃ、今朝のボールは?」

「ボール…。」

公園で亜光が投げたボールがすっぽ抜けて、
取ったときにはマオの胸に収まった。

思い出してイサムの顔が急に熱を帯びる。

「やっぱり八種くんは、変なのよ。」

マオがひとりで納得してうなずいた。

彼女は僕を変だと言った。
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